Tags: 孫晧

  • 呉最後の皇帝は「孫晧」なのか「孫皓」なのか
  • 呉のラストエンペラー・孫晧(そんこう)の名は、出典によって「孫晧」と「孫皓」の表記が存在する。私は「孫晧」と書いていたが、ネット上ではむしろ「孫皓」表記が主流らしい。2015年7月現在、Google検索で "孫晧" は約8,990件だが、 "孫皓" は約83,300件もヒットする。【晧】①日の出のさ…
  • 孫晧時代のキャリアの疑惑
  • 孫晧は陸抗を昇進させたくなかった?陸抗は264年、おそらく孫晧の即位に伴う人事異動の際に、益州牧に任命されている。しかし益州とは旧蜀漢の方面であり、この年には既に魏領。実際の領土があるわけではなく、いかにも、肩書きはあげるが実権はあげないよ! って感じの任命。軍事面では270年に、都督信陵・西陵・夷…
  • 万彧と孫晧 - 万彧は果たして佞臣だったのか?
  • 『三国志』での万彧呉最後の皇帝孫晧(そんこう)の治世、左丞相の陸凱(りくがい)と同時に右丞相となった万彧(ばんいく)。丞相でありながら伝もなく、詳しい出自は不明だが、暴君として後世に知られることになる孫晧と親交があり、彼を最初に擁立した人物である。その人格については「俗物で自分の権勢をたのんで他人を…
  • 徐紹 - 司馬昭に仕えた呉の将軍
  • 小説「ある参軍の告白」の語り手にした徐紹(じょしょう)について。徐紹という人物は、『三国志』『晋書』を通しても、諸葛誕の乱の際に魏に降った呉の人物の一人に名がある(晋書文帝紀)魏から呉へ送られた降伏勧告の使者の一人に名がある(魏書陳留王紀、晋書文帝紀、孫楚伝)魏からの使者として呉にやってきたが、呉か…
  • 諸葛靚の字
  • 諸葛靚(しょかつせい)の字(あざな)は「仲思」という。「仲」が付くことからして、彼は諸葛誕(しょかつたん)の次男なのだろう。諸葛靚の字に関しては、『世説新語』言語篇にこんな逸話がある。諸葛靚在吳、於朝堂大會。孫皓問、卿字仲思、爲何所思。對曰、在家思孝、事君思忠、朋友思信。如斯而已。通釈…
  • 孫晧 - 無垢なる暴君
  • 『三国志』きっての暴君として知られる、呉の最後の帝・孫晧(そんこう)(*注1)は、初代皇帝・孫権の孫にあたる。後世に残された暴虐の逸話には、亡国の君主ゆえの誇張もありそうだが、事実無根というわけでもないだろう。だがこの孫晧、「無垢な病んだ暴君」という奇妙な印象を受ける人物でもある。孫晧が、根本的に無…
  • 2011.07.13 施但事件と丁固と諸葛靚メモ
  • 孫晧が武昌に遷都した間に、施但が起こした反乱事件(266年10月)と関係者について調べ中。武昌に遷都後、元の都の建業は丁固と諸葛靚が護っていた。そこに施但が孫晧の弟・孫謙を勝手に帝として擁立してやってきた。帝からとして詔の使者を送ってきたが、「諸葛靚はその場で使者を斬った」、そしてアッサリ丁固&諸葛…
  • 2007.12.11 三国演義の挿絵ほか
  • 「クウノフタヒ」のみなとさんと、図書館にて演義の絵の本などをチェック→某所チャイナショッピングモール散策してきました。図書館の目玉は『中国古典文学挿画集成 1 三国志演義』(上下巻、滝本弘之編、遊子館)。コピーしてきたので幾つかスキャンしてみました。いつの時代の絵か確認し忘れましたが、著作権は切れて…