呉最後の皇帝は「孫晧」なのか「孫皓」なのか
呉のラストエンペラー・孫晧の名は、出典によって「孫晧」と「孫皓」の表記が存在する。私は「孫晧」と書いていたが、ネット上ではむしろ「孫皓」表記が主流らしい。2015年7月現在、Google検索で "孫晧" は約8,990件だが、 "孫皓" は約83,300件もヒットする。
【晧】①日の出のさま。 ②しろい(白)。=皓。 ③ひかる。ひかり。 ④あきらか(明)。
【皓(
)】①しろ-い(しろし)(白)。 ②ひかる。白く光る。 ③あきらか。 ④きよい。潔白。 ⑤水のひろいさま。=浩。
『新漢語林(第二版)』(大修館書店、2011年)
【晧】(一)日の出のさま。 ▷ 皓
【皓】(一)月が明らかに照る。皓月 (二)シロい〔シロし〕→白。 (三)清い。潔い (四)=昊。そら。天
『新明解 漢和辞典(第三版)』(三省堂、1986年)
※「」は「皓」の旧字体。フォントで表示できないため、以降新字体で統一します。
通じる部分もあるものの違う漢字で、特に「日」なのか「月」なのかという違いが生じるのは興味深い。
追記:『角川 漢和中辞典』では「本字は晧」とされており元は「日」の光を表すようである。
【晧】 解字 形声。本字は晧。告こくが音を表わす。 字義 ①日の出るさま。 ②しろい(・し)。(同)皓こう。 ③あきらか(明)
【皓】〔
〕 解字 形声。本字は晧。告こうが音を表わし、光の意からきている。日の光るさま。ひいて、白い意となる。新字体は人名にかぎって用いられる。 字義 ①しろい(・し)。色が白い。 ②ひかる(光)。白く光る。 ③あきらか。白く光って明らかなこと。(同)皋こう。 ④いさぎよい(潔白)。 ⑤そら(空)。同昊こう
『角川 漢和中辞典』(角川書店、1959年)
手元の書籍等での使われ方を見比べてみる。
| 『三國志』中華書局 | 孫晧 |
| 『正史 三国志』ちくま学芸文庫 | 孫晧 |
| 『晉書』中華書局 | 孫晧 |
| 『資治通鑑』中華書局 | 孫晧 |
| 『資治通鑑』 | 孫皓 |
| 『建康實録』中華書局 | 孫皓 |
| 『新釈漢文大系 世説新語』明治書院 | 孫皓 |
| 『三国志演義』平凡社 | 孫皓 |
| 吉川英治『三国志』講談社 | 孫皓 |
| ゲーム「三國志」シリーズ | 孫皓 |
| ゲーム「三国志大戦」 | 孫晧 |
| Wikipedia(日本語) | 孫皓 *注1 |
| Wikipedia(中文) | 孙皓 |
| Google 日本語入力 | 孫晧 孫皓 |
| 三国志人名辞書 MS-IME版 | 孫晧 |
*注1:2015年7月時点での記事名。本文では両表記が混在しているが断り書きはない。2012年8月にノートにて正しくは「孫晧」ではないかという疑問が呈されるも無視されている。
追記:2016年1月に中文版に「《三国志》原名为孫晧。」、日本語版では同3月に「『三国志』において、本名は孫晧。」という記述が付け足された模様。
……ゲシュタルト崩壊してきます。
『三国志』や『晋書』では「孫晧」だが、「孫皓」とする史料もある。一方『三国志演義(三国演義)』では「孫皓」で、派生作品もそれに倣っている。最近あまりこういう派閥を見かけなくなったが、敢えて雑に言えば「正史では孫晧、演義では孫皓」ということだろうか。
小説・漫画では、手元にあった北方謙三『三国志』や『蒼天航路』も調べようと思ったが、……孫晧出てきませんね! ゲームでは「三國無双」シリーズの影響力が強そうだが登場しているかどうかは不明。ただ「三國志」と同一会社なのでおそらく「孫皓」表記だろう。「三国志大戦」はウェブ上にカード画像があったので確認したところ何故か(?)「孫晧」表記だった。最近はソシャゲの「三国志パズル大戦」が人気のようだが、現時点では孫晧は登場していない模様。
他に歴史解説書を幾つか見たが、こちらは、あやしい本は「孫皓」表記が多く、まともな本は「孫晧」表記が多いという傾向が……。しかし、あやしい歴史解説書=演義文化を包括した「三国志」解説書なため演義準拠になっているということかもしれない。さらに一層あやしい本になると、両表記が恣意的に混在している。
そもそも「正史では孫晧」というのにも罠があって、
孫晧〔一〕字元宗,權孫,和子也,一名彭祖,字晧宗。[……]
〔一〕宋本「晧」作「皓」。
陳壽撰、裴松之注、盧弼集解、錢劍夫整理《三國志集解 柒》(上海古籍出版社,2012年) 吳書三 三嗣主傳第三 pp.3010-3011
どうやら『三国志』での記述自体、底本によって異なるらしい。他の出典についても別表記の版もあるかもしれない。
とはいえ、日本の史実寄り三国志ファンの間で最も読まれている「公式」本は、「孫晧」としているちくまの『正史 三国志』であるはず。演義や派生作品での登場頻度から考えて、孫晧に関心を持つのは史実寄りのファンが多そうで、にも拘わらずネット上では「孫皓」ばかりというのはどうも釈然としない。
そもそもネット上の表記は、二種類あることに気付かないまま、変換されたものを使用した、見かけたものをコピペした、という可能性が高い気がする。が、手元のiPhone、Android、OS X標準の日本語入力、Microsoft IME、およびAtokの初期設定ではいずれも「そんこう」で変換することができない。一方、未使用状態の「Google 日本語入力」では両方変換できたものの「孫晧」が先に出てきた。ただこれは環境によるかもしれない。他にファン作成の変換辞書(検索して一番上にヒットしたもの)を参照してみたが、これも「孫晧」だった。現在ではネット環境の変化から、こうしたPC向けの変換辞書を使う人自体が減っていそうな気はするが、少なくとも変換においては特に「孫皓」が優位というわけでもなさそう。
……こうなってくると、ネット上の表記が「孫皓」ばかりなのは、毎度おなじみWikipediaのせいである気がしてきますね!
漢字のイメージとしてはむしろ「孫皓」の方が似合う。彼の人となりや生涯には、日の光よりも月の光が相応しい。が、そんな好みはともかくも、やはり私としては「原作」準拠の「孫晧」表記としておきたい。アンチWikipedia感も醸し出せるしね。
公開:2015.07.20 更新:2016.03.22