諸葛靚の字(あざな) - 家に在りては孝を思ふ

 諸葛靚しょかつせいあざなは「仲思」という。「仲」が付くことからして、彼は諸葛誕しょかつたんの次男なのだろう。諸葛靚の字に関しては、『世説新語』言語篇にこんな逸話がある。

諸葛靚在吳、於朝堂大會。孫皓問、卿字仲思、爲何所思。對曰、在家思孝、事君思忠、朋友思信。如斯而已。

通釈 諸葛靚が呉にいたとき、人々が朝廷に会したことがあった。そのとき、孫晧がたずねた。「きみは字を仲思というが、何を思うというのか。」答えていった。「家にあっては孝を思い、君につかえては忠を思い、朋友と交わっては信を思う、それだけです。」

目加田誠『新釈漢文大系 第76巻 世説新語(上)』明治書院、1975年、P109〜110

 ※『世説新語』は「孫晧」を「孫皓」とする。

 帝・孫晧そんこうからの何気ない問いへの回答で、忠誠の堅さ、さらに孝の心も示してみせる諸葛靚。坂口和澄『正史三國志 群雄銘銘傳』(光人社、2005年)によると、これは『論語』学而第一の「父母に事えては能く其の力を竭し、君に事えては能くその身を致し、朋友と交りて言に信あり」に基づいた答えであるとのこと。

子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣、

子夏がいった、「すぐれた人をすぐれた人として〔それを慕うことは〕美人を好むようにし、父母に仕えてはよくその力をつくし、君に仕えてはよくその身をささげ、友だちとの交際では話したことばに誠実である、〔そうした人物なら、だれかが〕まだ学問はしていないといったところで、わたしはきっと学問したと評価するだろう。」

金谷治訳注『論語』岩波文庫、1963年、P24〜25

 この内容からしても、諸葛靚はさりげなく帝に対して自分の修身ぶりをアピールしていることになる。司馬炎しばえんとの逸話といい、切り返しが得意なあたりにはどこか諸葛氏遺伝子を感じるが、一族の生き残りであり、仕えるべき父母は既にこの世にないという彼の境遇からすると、切ない話でもある。