Tags: 世説新語

  • 鍾会と荀勖(荀勗) - 年下の叔父と年上の甥
  • 魏末から西晋初、司馬昭・司馬炎らの腹心として活躍した、鍾会(しょうかい)と荀勖(じゅんきょく)(荀勗)の関係について。目次父を亡くした荀勖は母方のおじを頼った/荀勖の従外祖父は鍾繇荀勖は鍾会の従甥/荀勖は母方のおじの家で育った荀勖は鍾会の従甥/荀勖は鍾会の家で育ったここまでのまとめ鍾会の年上の甥・荀…
  • 陳泰の生年について
  • 陳泰は景元元年(260年)に死去したが、没年齢が記されていないため、生年がわからない。おおまかにでも推測できないものかと思い、調べてみたメモ。長いわりに実りがないので注意。目次仕官年による推測呂布軍の陳羣父子息子の没年による推測陳羣の生年を推測・その1:孔融との比較陳羣の生年を推測・その2:『世説新…
  • 諸葛靚の兄弟姉妹
  • 目次諸葛靚の兄諸葛靚の姉・諸葛太妃(司馬伷夫人)諸葛靚の姉・王広夫人諸葛靚の兄諸葛誕(しょかつたん)の乱の際の記述等によれば、諸葛靚(しょかつせい)は諸葛誕の末子である。遣長史吳綱將小子靚至吳請救。長史の呉綱に末子の諸葛靚をつれて呉に行き、救援を要請するよう命じた。晉諸公贊曰、靚字仲思、琅邪人、司空…
  • 会稽のニワトリ
  • 『世説新語』政事篇にこんな逸話がある。賀太傅作吳郡、初不出門。吳中諸强族輕之、乃題府門云、會稽雞、不能啼。賀聞、故出行、至門反顧、索筆足之曰、不可啼、殺吳兒。於是至諸屯邸、檢校諸顧・陸役使官兵、及藏逋亡、悉以事言上。罪者甚衆。陸抗…
  • 羊祜 - 天真爛漫な徳の人
  • 陸抗(りくこう)とも縁の深い西晋の武将、羊祜(ようこ)は、純粋で高潔で正義感が強く無欲な人格者であった。反面、軽々しくお忍びで出かけようとしては配下の徐胤(じょいん)に咎めらたり、大自然の風景の悠久さに対して人の生の儚さを思うなど、天真爛漫で繊細なところも。(徐胤は、後の歩闡の乱の際に巴東監軍として…
  • 諸葛靚と父と司馬炎 - 友情と孝道の狭間で
  • 諸葛靚と父・諸葛誕諸葛靚(しょかつせい)は、諸葛誕(しょかつたん)の末子である。諸葛誕は、呉の諸葛瑾・蜀の諸葛亮らと同じ琅邪の諸葛氏の一族で、魏に仕えていた。だが魏王朝の末期、司馬氏の専横に対して反旗を翻すことになる。諸葛誕は呉に帰順して救援を要請するべく、子の諸葛靚を人質として呉に送った。だが、一…
  • 魏晋の美男子はどこまでも色白だった
  • 『世説新語』の容止編を読んでいると、どうやら魏晋において、色白であることは美形男性の条件として重要だったことがわかる。何晏の場合何平叔(何晏)は姿うるわしく、顔はきわめて色が白かった。魏の明帝(曹叡)は彼が白粉をつけているのではないかと疑い、真夏の日に、熱い湯䴵を食べさせた。何晏は食べおわると大汗を…
  • 諸葛靚の字
  • 諸葛靚(しょかつせい)の字(あざな)は「仲思」という。「仲」が付くことからして、彼は諸葛誕(しょかつたん)の次男なのだろう。諸葛靚の字に関しては、『世説新語』言語篇にこんな逸話がある。諸葛靚在吳、於朝堂大會。孫皓問、卿字仲思、爲何所思。對曰、在家思孝、事君思忠、朋友思信。如斯而已。通釈…