司馬兄弟による陳泰の呼び方
三国志の人物が他の人物を呼ぶ際、姓名で、官職で、字で、敬称で、などTPOによって様々なパターンがある。ふと、陳泰は誰にどう呼ばれているのか? と気になって調べてみた。
陳泰は『三国志』『晋書』で計七回、名を呼ばれるが、うち六回が司馬昭の発言、他一回は司馬師の発言。司馬兄弟にしか名前を呼ばれない陳泰……。これは同じ場面のバリエーションも含めての数だったりもして、そもそも陳泰に関する会話文があまり残っていないようだ。
その司馬昭は、基本的には陳泰を字で「玄伯」と呼んでいる。魏末において司馬昭は国政のトップだったが、陳泰伝によれば陳泰とは親友であり(重要!)、字で呼ぶのは自然。一箇所だけ「征西」(征西将軍)と官職呼びしているが、これは本人や親しい相手との会話でなく、公的な発言だからだろう。
また、同じ発言でも、出典によって呼び方が変わっている場合も。司馬昭が陳泰を賞賛したこの発言だが、
司馬文王語荀顗曰:「玄伯沈勇能斷,荷方伯之重,救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊故也。都督大將,不當爾邪!」
陳壽撰、裴松之注《三國志 三 魏書〔三〕》(中華書局,1982年) 陳泰傳 p.641
大將軍昭曰:「陳征西沈勇能斷,荷方伯之重。救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊者也。都督大將不當爾邪!」
司馬光編著、胡三省音注《資治通鑑 6》(中華書局,1956年) 巻第七十六 魏紀八 p.2475
『三国志』では荀顗(荀彧の子、陳泰の母方の叔父)との会話であり、司馬昭は陳泰のことを「玄伯」と字で呼んでいた。が、『資治通鑑』では会話相手は明記されず、「玄伯」は「陳征西」と官職呼びに書き換えられている。なんだか一気によそよそしい感じになってしまった。ただし、別の箇所で司馬昭が陳泰に直接話しかけた際の「玄伯」呼びはそのままであり、シチュエーションにあわせて書き換えたのかと思われる。
ちなみに、ここで司馬昭が「ピンポイントに荀顗に対して」陳泰を褒めていたという点は、一部のファンの間ではかなり重要な情報だが、通史的にはどうでもよかったものか。まあ確かにね……。
そして、司馬師の発言は、陳泰の勇み足の進言により異民族討伐に失敗して反乱が起きた際、責任は自分にあるとして、評価されたというもの。
是歲,雍州刺史陳泰求敕幷州倂力討胡,景王從之。未集,而雁門、新興二郡以爲將遠役,遂驚反。景王又謝朝士曰:「此我過也,非玄伯之責!」於是魏人愧悅,人思其報。
陳壽撰、裴松之注《三國志 一 魏書〔一〕》(中華書局,1982年) 斉王紀注 漢晋春秋 p.125
是歲,雍州刺史陳泰求敕幷州幷力討胡,師從之。未集,而新興、鴈門二郡胡以遠役,遂驚反。師又謝朝士曰:「此我過也,非陳雍州之責!」是以人皆愧悅。
司馬光編著、胡三省音注《資治通鑑 6》(中華書局,1956年) 巻第七十六 魏紀八 p.2448
司馬師は、公の場の発言にも拘わらず陳泰を「玄伯」と呼んでいたが、こちらも『資治通鑑』では「陳雍州」と改変。官職呼びの方が自然ではあるが、実はフレンドリーだった司馬師、という意外性もありかもしれない。
司馬兄弟による陳泰の呼び方まとめ。同じ発言のバリエーションなど、他にもあるかもしれないが。
発言者 | 呼び方 | 会話相手 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
司馬師 | 玄伯 | 字 | 朝臣 | 一般 | 景王又謝朝士曰:「此我過也,非玄伯之責!」 | 漢晋春秋 (斉王紀注) |
陳雍州 | 姓+ 官職 | 朝臣 | 一般 | 師又謝朝士曰:「此我過也,非陳雍州之責!」 | 資治通鑑 | |
司馬昭 | 征西 | 官職 | ? | 一般 | 大將軍司馬文王曰:「昔諸葛亮常有此志,卒亦不能。事大謀遠,非維所任也。且城非倉卒所拔,而糧少爲急,征西速救,得上策矣。」 | 魏書陳泰伝 |
司馬昭 | 玄伯 | 字 | 荀顗 | 陳泰の 叔父 | 司馬文王語荀顗曰:「玄伯沈勇能斷,荷方伯之重,救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊故也。都督大將,不當爾邪!」 | 魏書陳泰伝 |
陳征西 | 姓+官職 | ? | 一般 | 大將軍昭曰:「陳征西沈勇能斷,荷方伯之重。救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊者也。都督大將不當爾邪!」 | 資治通鑑 | |
司馬昭 | 玄伯 | 字 | 武陔 | 陳泰の友人 | 文王問陔曰:「玄伯何如其父司空也?」 | 魏書陳泰伝 |
陳玄伯 | 姓+字 | 武陔 | 陳泰の友人 | 司馬文王問武陔,陳玄伯何如其父司空。 | 世説新語 | |
司馬昭 | 玄伯 | 字 | 陳泰 | 本人 | 王待之曲室,謂曰:「玄伯,卿何以處我?」 | 晋紀 (陳泰伝注) |
玄伯 | 字 | 陳泰 | 本人 | 時大將軍入于禁中,泰見之悲慟,大將軍亦對之泣,謂曰:「玄伯,其如我何?」 | 魏氏春秋 (陳泰伝注) | |
玄伯 | 字 | 陳泰 | 本人 | 帝遣其舅荀顗輿致之,延於曲室,謂曰:「玄伯,天下其如我何?」 | 晋書文帝紀 | |
玄伯 | 字 | 陳泰 | 本人 | 昭亦對之泣曰:「玄伯,卿何以處我?」 | 資治通鑑 |
最後の会話は『世説新語』の注に引く『漢晋春秋』のもの(コラム「陳泰の死」参照、ただし書いた当時と解釈が異なるところがあります……)が詳細で好きなのだが、実はそちらでは司馬昭は陳泰の名は呼んでいなかったりする。
ひとまず司馬師・司馬昭は、親友であり配下でもある陳泰に対して、公の発言では官職呼びだが、本人に話しかける際や、親しい第三者との会話で言及する場合には、字呼びだった。ということで。
呼び方については、他の人に関しても興味深い部分がいろいろあるので、またの機会に。
2017.02.16