2017.02.16 司馬兄弟による陳泰の呼び方

 三国志の人物が他の人物を呼ぶ際、姓名で、官職で、あざなで、敬称で、などTPOによって様々なパターンがある。ふと、陳泰は誰にどう呼ばれているのか? と気になって調べてみた。

 陳泰は『三国志』『晋書』で計七回、名を呼ばれるが、うち六回が司馬昭の発言、他一回は司馬師の発言。司馬兄弟にしか名前を呼ばれない陳泰……。これは同じ場面のバリエーションも含めての数だったりもして、そもそも陳泰に関する会話文があまり残っていないようだ。

 その司馬昭は、基本的には陳泰あざなで「玄伯」と呼んでいる。魏末において司馬昭は国政のトップだったが、陳泰伝によれば陳泰とは親友であり(重要!)、字で呼ぶのは自然。一箇所だけ「征西」(征西将軍)と官職呼びしているが、これは本人や親しい相手との会話でなく、公的な発言だからだろう。

 また、同じ発言でも、出典によって呼び方が変わっている場合も。司馬昭陳泰を賞賛したこの発言だが、

司馬文王語荀顗曰:「玄伯沈勇能斷,荷方伯之重,救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊故也。都督大將,不當爾邪!」

陳壽撰、裴松之注『三國志 三 魏書〔三〕』中華書局、1982年 陳泰傳 P641

大將軍昭曰:「陳征西沈勇能斷,荷方伯之重。救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊者也。都督大將不當爾邪!」

司馬光編著、胡三省音注『資治通鑑 6』中華書局、1956年 巻第七十六 魏紀八 P2475

 『三国志』では荀顗荀彧の子、陳泰の母方の叔父)との会話であり、司馬昭陳泰のことを「玄伯」と字で呼んでいた。が、『資治通鑑』では会話相手は明記されず、「玄伯」は「陳征西」と官職呼びに書き換えられている。なんだか一気によそよそしい感じになってしまった。ただし、別の箇所で司馬昭陳泰に直接話しかけた際の「玄伯」呼びはそのままであり、シチュエーションにあわせて書き換えたのかと思われる。

 ちなみに、ここで司馬昭が「ピンポイントに荀顗に対して」陳泰を褒めていたという点は、一部のファンの間ではかなり重要な情報だが、通史的にはどうでもよかったものか。まあ確かにね……

 そして、司馬師の発言は、陳泰の勇み足の進言により異民族討伐に失敗して反乱が起きた際、責任は自分にあるとして、評価されたというもの。

是歲,雍州刺史陳泰求敕幷州倂力討胡,景王從之。未集,而雁門、新興二郡以爲將遠役,遂驚反。景王又謝朝士曰:「此我過也,非玄伯之責!」於是魏人愧悅,人思其報。

陳壽撰、裴松之注『三國志 一 魏書〔一〕』中華書局、1982年 斉王紀注『漢晋春秋』 P125

是歲,雍州刺史陳泰求敕幷州幷力討胡,師從之。未集,而新興、鴈門二郡胡以遠役,遂驚反。師又謝朝士曰:「此我過也,非陳雍州之責!」是以人皆愧悅。

司馬光編著、胡三省音注『資治通鑑 6』中華書局、1956年 巻第七十六 魏紀八 P2448

 司馬師は、公の場の発言にも拘わらず陳泰を「玄伯」と呼んでいたが、こちらも『資治通鑑』では「陳雍州」と改変。官職呼びの方が自然ではあるが、実はフレンドリーだった司馬師、という意外性もありかもしれない。

 司馬兄弟による陳泰の呼び方まとめ。同じ発言のバリエーションなど、他にもあるかもしれないが。

発言者呼び方会話相手出典
司馬師玄伯朝臣一般景王又謝朝士曰:「此我過也,非玄伯之責!」漢晋春秋
(斉王紀注)
陳雍州姓+官職朝臣一般師又謝朝士曰:「此我過也,非陳雍州之責!」資治通鑑
司馬昭征西官職一般大將軍司馬文王曰:「昔諸葛亮常有此志,卒亦不能。事大謀遠,非維所任也。且城非倉卒所拔,而糧少爲急,征西速救,得上策矣。」魏書陳泰伝
司馬昭玄伯荀顗陳泰の叔父司馬文王語荀顗曰:「玄伯沈勇能斷,荷方伯之重,救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊故也。都督大將,不當爾邪!」魏書陳泰伝
陳征西姓+官職一般大將軍昭曰:「陳征西沈勇能斷,荷方伯之重。救將陷之城,而不求益兵,又希簡上事,必能辦賊者也。都督大將不當爾邪!」資治通鑑
司馬昭玄伯武陔陳泰の友人文王問陔曰:「玄伯何如其父司空也?」魏書陳泰伝
陳玄伯姓+字武陔陳泰の友人司馬文王問武陔,陳玄伯何如其父司空。世説新語
司馬昭玄伯陳泰本人王待之曲室,謂曰:「玄伯,卿何以處我?」晋紀
(陳泰伝注)
玄伯陳泰本人時大將軍入于禁中,泰見之悲慟,大將軍亦對之泣,謂曰:「玄伯,其如我何?」魏氏春秋
(陳泰伝注)
玄伯陳泰本人帝遣其舅荀顗輿致之,延於曲室,謂曰:「玄伯,天下其如我何?」晋書文帝紀
玄伯陳泰本人昭亦對之泣曰:「玄伯,卿何以處我?」資治通鑑

※具体的な記述は表が見づらいので省略しました。PC版参照。

 最後の会話は『世説新語』の注に引く『漢晋春秋』のもの(コラム陳泰の死」参照、ただし書いた当時と解釈が異なるところがあります……)が詳細で好きなのだが、実はそちらでは司馬昭陳泰の名は呼んでいなかったりする。

 ひとまず司馬師司馬昭は、親友であり配下でもある陳泰に対して、公の発言では官職呼びだが、本人に話しかける際や、親しい第三者との会話で言及する場合には、字呼びだった。ということで。

 呼び方については、他の人に関しても興味深い部分がいろいろあるので、またの機会に。