三国志の親友たち - 司馬昭と陳泰は親友なのか

司馬景王、文王皆與泰親友,及沛國武陔亦與泰善。

陳壽撰、裴松之注《三國志 三 魏書〔三〕》(中華書局,1982年) p.641

 司馬師・司馬昭の兄弟はともに、陳泰と親友だった。……という重要な事実に、司馬昭と陳泰の関係に心惹かれてかなり経ってから気が付いた。というのも、ちくま訳の三国志では「親交があり」という素っ気ない表現になっていたのと、『世説新語』に登場する陳泰の司馬兄弟の取りまきその一っぽい存在感のせいで、対等な親友というよりは、魏の貴公子サロンで顔を合わせる先輩後輩のような、上下関係とやや距離感のある仲を連想していたのだ。

 果たしてこの「親友」とは、日本語の「親友」のニュアンスに通じる強い特別な絆なのか、それとも単にそこそこ親しい友人というだけなのか。

三国志の親友たち

 他のケースではどのように訳されているのか、と調べた際のメモのことを思い出したので、今さらだが載せておく。以下、原文は中央研究院・漢籍電子文献『三國志』、日本語はちくま学芸文庫『正史 三国志』からの引用。

曹操と張邈(呂布伝付 張邈伝)

※井波訳

紹使太祖殺邈,太祖不聽,責紹曰:「孟卓,親友也,是非當容之。今天下未定,不宜自相危也。」

……孟卓(張邈)は、〔私の〕親友ですぞ。……

臧洪と袁紹(臧洪伝 注引『三国評』)

※井波訳

[一]徐徐眾三國評曰:洪敦天下名義,救舊君之危,其恩足以感人情,義足以勵薄俗。然袁亦知己親友,致位州郡,雖非君臣,且實盟主,既受其命,義不應貳。

……しかしながら、袁紹もまた彼の真価を認めた親友であり、……

 井波氏は〜は〜の〜である……のような文脈では二件とも「親友」とそのまま訳。

曹丕と夏侯尚(夏侯尚伝)

※井波訳

夏侯尚字伯仁,淵從子也。文帝與之親友。

夏侯尚は字を伯仁といい、夏侯淵の從子(おい)である。文帝は彼と親しくつきあった。

 同じ井波氏の訳だが、動詞っぽくなると微妙に距離感が発生しているような気も。

楊沛と某(賈逵伝 注引『魏略』)

※今鷹訳

沛病亡,鄉人親友及故吏民為殯葬也。

楊沛が病没すると、郷里の人や親しい友人、それに以前の官吏・人民たちが葬式と埋葬を行った。

 特定の人物ではなく、親しい友人全般の話という都合もあり、ややあっさりと。

司馬師・司馬昭と陳泰(陳泰伝)

※今鷹訳

司馬景王、文王皆與泰親友,及沛國武陔亦與泰善。

司馬景王(司馬師)・文王(司馬昭)はいずれも陳泰と親交があり、それに沛国の武陔もまた陳泰と仲がよかった。

 問題の箇所。さらに武陔とは「善くす」という表現のみ。果たして、単なる表現のバリエーションなのか、それとも司馬兄弟の方が武陔より陳泰と仲良しレベルが上だったのか……

薛悌と陳矯(陳矯伝)

※今鷹訳

泰山太守東郡薛悌異之,結為親友。

泰山太守だった東郡の薛悌は彼をすぐれた人物だと考え、親交を結んだ

 総じて、今鷹氏の訳は仲良しレベルが低く感じられる。単なる訳者による傾向かもしれない。

舒伯膺と某(孫賁伝 注引『博物志』)

※小南訳

[二]博物志曰:仲膺名邵。初,伯膺親友為人所殺,仲膺為報怨。

舒仲膺は、本名を舒邵という。〔兄の〕舒伯膺が親しくしていた友人が殺されると、伯膺がその仇を報じた。

 弟が仇を討つほどなので親友レベルと考えてもおかしくはなさそうだが、訳は素っ気ない。

陳表、諸葛恪、顧譚、張休(陳武伝)

※小南訳

弟表,字文奧,武庶子也,少知名,與諸葛恪、顧譚、張休等並侍東宮,皆共親友。

弟の陳表は、字を文奥といい、陳武の妾腹の息子である。若いときからその名を知られ、諸葛恪、顧譚、張休らとともに東宮(皇太子)に伺候し、彼らはみな互いに篤い親交を結んだ

 最後は呉の太子四友の皆さん。「篤い親交を結んだ」と強めの絆を感じるが、原文には特に差がなく、もしも今鷹氏が訳したら単に「親交があった」だけにされたかもしれない。


 全体として、無難には「親しい友人」くらいが適当だろうか? だがそのまま親友と訳されているパターンもあることを考え、個人の好みの都合で無二の親友だと考えても差し支えはなさそうだ。……という都合のいい結論で終わる。

 で、どちらかといえば、第一印象のせいもあって私の好みはそこそこの「親しい友人」の方かもしれない。特に、司馬昭はまだしも、司馬師と陳泰が対等な無二の親友、というのは個人的にはやや違和感がある。陳泰の生涯には、司馬昭に対する強い思い入れを感じるが、双方向の友情レベルがどうだったのかは別問題だろう。

 ただしこれは、結果として晩年の司馬師・司馬昭が魏の権力者となり、陳泰が事実上その配下になったからこその違和感ともいえるので、若い頃からの交友関係としてはおかしくないのだろう。案外、司馬師・司馬昭と陳泰は、重臣のお坊ちゃま三人で少年時代からつるんでいた仲だったのかもしれない。

 余談。司馬懿の長男・次男である司馬師・司馬昭は、終生にわたって仲が良く公私ともに信頼し合っていたようだが、一方で他の弟らとはさほど親密さが感じられない。立場的な問題、年齢の近い同母兄弟であることなどが理由だろうか。陸機・陸雲みたいなものかもしれない。

2015.11.26

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