2014.11.27 陳氏家系別バージョン、陳泰の妻の李氏、長男の陳奕など

 2014.06.01の続き?

 別件で検索していたときに拝見したブログ「列女志補説」> 収集大成と第二期まとめにて紹介されていた中国語圏のサイトより、さらに異なる陳氏家系図二種の話。

陳泰の妻・李氏

颍川世系

43世祖,实,字仲弓。生于公元104年,卒于公元187年。少时家贫,但勤奋好学,深明大义,诎身伸道,“善则称君,过则称已”,德冠当时。与同郡名士钟皓、荀淑、韩韶并尊为“颖川四长”。实及二子纪、谌并称“陈氏三君”。一次,有贼光顾陈家,躲在屋梁上。陈实发现后,把儿子们叫到屋里,教育他们要努力上进,正正当当做人,不要象梁上君子那样养成坏习惯。伏在梁上的小偷听了很受感动,跳下来向他请罪。“梁上君子”的典故就此而来。仕汉,先后任郡督邮、功曹、闻喜长、太丘长。谥文范先生,陈天嘉五年追封康乐侯。妣荀氏生六子:纪、夔、洽、谌、信、光。
44世祖,纪,字元方。仕汉,官至太仆尚书、太鸿胪寺卿。妣温、张、杨氏,生一子:群。
45世祖,群,字长文。仕魏,镇国大将军、司空录尚书事,封颖阴侯。立九品官人法。妣单氏生一子:泰;继妣刘氏生一子:训。为三国时代著名政治家。
46世祖,泰,字伯玄。仕魏,官至征西大将军、都督,魏明帝宰相。谥穆侯,并赠司空。妣李氏生二子:诉、准。为三国时代著名政治家。
47世祖,准,字承道。仕晋,官至中书令。妣龙氏,无出;张氏,生二子:淮、匡(津)。
48世祖,匡。仕晋,官至龙图阁大学士、中书令。妣张氏,生二子:世逵、世达。

山溪清泉的博客

 陳寔の代からいろいろ正史等とは異なる気もするが、それはさておき、この家系図では陳泰を生む陳羣の妻が「単氏」なる人物になっている。が、『晋書』や『三国志』の注に引く『晋紀』『晋陽秋』では、陳泰の母は荀彧の娘である。厳密に母と明記されているわけではなく「父の妻」で「母方叔父の姉」であるとわかるだけだが、普通に考えれば母だろう。そうでなければ困る。さらに、前回触れた家系図にも出てきた陳訓という異母弟がいる一方で、陳羣の妻に荀氏の名はない。万が一陳泰の母でなかったとしても、陳羣が荀彧の娘を娶ったということ自体は、複数の記述から信憑性が高いのでは。あくまでネット上の書き写しだし、誤記だといいな。単という姓の人はあまり見かけない気がするが、ちくま学芸文庫『正史 三国志』の索引を眺めてみると、数は少ないものの居るようで。

 そして陳泰には「李氏」なる妻との間に陳訴と陳准の二子がいたことになっている。正史では、陳泰の妻の身元は不明だが、子は陳恂と陳温(と、もう一人いるともとれる)で、やはり一致しない。陳准は『晋書』では陳準の誤記とされる人物としては存在するが、前回参照で、親戚だが陳泰の子ではない。そしてここでは、陳准の子に陳淮。……えーっと、前の家系図と似ているようで微妙に違う? 陳准の字が「承道」というのは新情報な気もするが、陳準とか陳准とか陳淮とか紛らわしくて混乱してくる!!

 とりあえずこのバージョンは、陳泰のキャリアが「官至征西大将军、都督,魏明帝宰相」となっているなど、そこはかとなくあやしく、しつこいが母が荀氏でないという点で個人的には却下案件です。(ㆁᴗㆁ✿)

 が、正史やこれまでの家系図では不明な、陳泰の妻が載っている点には注目したい。本当かどうかはともかく、他に情報がない以上、仮に陳泰の妻は「李氏」と考えよう。

陳泰の長男・陳奕の跡継が、陳準の次男・陳匡

 さらに、別バージョンより。

四、颍川世系 84 43 1 实, 字仲弓,谥号文范先生,翔三子,初为县令,后任太丘长。,后被追封为颍川侯。妣钟氏、荀氏生六子:纪、政、洽、谌、信、光。 85 44 2 纪, 字元方,实之长子,生于汉顺帝永建三年戊辰(公元128年),为五官中郎将、侍中,继任司徒、尚书令。妣温氏、张氏、杨氏,生子:群、彧。谌[子二:忠(娶谒氏、袁氏,生三子:闰、佐、坦)、窻—忠,子一:润,世系未详;窻,子一:琳,世系未详] 86 45 3 群, 字长文,纪之子,实之长孙。娶荀或之女为妻,生二子:泰、漾。 87 46 4 泰, 字元伯(一作玄伯),群之长子,袭父爵颍阴侯。侍魏,青龙中,除散骑侍郎。正始中,徙游击将军,并州剌史,官拜尚书令.尚书左仆射。妣生三子:奕、恂、温。 88 47 5 准 泰之长子,仕魏为中书,封亭侯,先于父卒,无子,以准之次子匡为嗣。(佐,忠之次子,仕魏为青州剌史,妣生三子:准、戴、徽。) 89 48 6 匡, 又名钜,字正之,准之次子,奕之嗣子。妣张氏生子:逵(世逵)、闵氏生子:达(世达)妣生二子:康、雄。。(自陈实至陈匡,共传六世,谓“颍川世系”).

義門陳根源(四、潁川世系)

 改行がなく見づらいので、勝手に調整:

世代1陳實
(陳寔)
字仲弓,諡號文范先生,三子,初為縣令,後任太丘長。後被追封為潁川侯。
鍾氏荀氏生六子:
世代2陳紀字元方,之長子,生於漢順帝永建三年戊辰(公元128年),為五官中郎將、侍中,繼任司徒、尚書令。
溫氏張氏楊氏,生子:
陳諶子二:[忠(娶謁氏袁氏,生三子:)、,子一:,世系未詳;,子一:,世系未詳]
世代3陳群
(陳羣)
字長文,之子,之長孫。
荀或之女為妻,生二子:
世代4陳泰字元伯(一作玄伯),之長子,襲父爵潁陰侯。侍魏,青龍中,除散騎侍郎。正始中,徙游擊將軍,并州剌史,官拜尚書令.尚書左僕射。
妣生三子:
世代5陳准
[陳奕]
之長子,仕魏為中書,封亭侯,先於父卒,無子,以之次子為嗣。(之次子,仕魏為青州剌史,妣生三子:。)
世代6陳匡又名,字正之,之次子,之嗣子。
張氏生子:逵(世逵)閔氏生子:達(世達)妣生二子:

 こちらのバージョンは、少なくとも陳泰のキャリアは『三国志』と概ね一致(『三国志』では尚書令にはなっていないが、尚書の間違いかも)し、母は具体的に「荀或」の娘となっている。これは「荀彧」の間違いと思われ『晋書』等と一致する。さらに同じく荀氏が生んだ「陳漾」という弟がいる。なお前回の家系図では、弟は「陳訓」別名を「陳様」とされており、とりあえず、陳泰にはそんな感じの名の弟がいたっぽい。

 そして『三国志』に陳泰の子として名を記される陳恂・陳温が、ここでは次男・三男であり、別に陳奕(准は別名?)という長男がいたことに。陳奕は陳泰より先に死去したものの子がいなかったため、親戚の陳準の次男である陳匡が家を継いだことになっている。

 家系図によっては陳泰の子ともされる陳準だが、

陳寔—陳諶—陳忠—陳佐—陳準—陳匡—陳逵 (上記)
陳寔—陳諶—陳—陳佐—陳準—陳—陳逵 (『三国志』陳泰伝注に引く『陳氏譜』)

 こういう流れだとして、陳匡については『晋書』裴秀伝に陳準の子として名があり(字が「正之」というのは新情報?)、全体的に一致する。

 『三国志』魏書陳泰伝には「賜子弟一人亭侯,二人關內侯。」、陳泰の死後には「子恂嗣。恂薨,無嗣。弟溫紹封。」とあるが、亭侯に封じられたのが長男の陳奕、関内侯に封じられた二人は弟の陳恂・陳温で、しかし陳泰が死去した時点では既に陳奕もいなかったため、陳恂が跡を継いだとすると、これも辻褄が合う。

 この場合、陳泰の直系の子孫として扱われるのは、陳恂の系列ということになるのだろうか? しかし、諸々考え合わせると、こちらが真相であり、陳奕の別名が陳准であったり、陳泰の長男陳準の次男と相続したことなどが原因で、家系図によっては陳準が陳泰の系列と間違われることになったのではないか、という気もしてくるのだった。

 ほか、陳寔や陳紀のキャリアなど未確認だが、そのあたりは気が向いたらで……。(陳羣の弟に陳彧なる人物がいるが、陳羣としては、岳父と弟が同じ名前という状態に?)