陸抗の容姿

陸抗の容姿については、特に記載がない。そこで親戚から推測してみる。

父・陸遜

三国時代、容姿の良し悪しはかなり人物評価を左右する。陸遜ほどの重要人物なら、容姿が良ければ記述されていそうだ。が、敢えて何も書かれていないということは……。父には美形遺伝子はあまり望めない予感が。

なお『三国志演義(三国演義)』に登場する陸遜は、長身の美形である。あくまで小説であるため、演出上の都合で付加されたキャラ設定ではあろうが、伝承などに基づく可能性もある、のかも。

遜本名陸議,後改名遜,字伯言,乃吳郡吳人也:漢城門校尉陸紆之孫,九江都尉陸駿之子。身長八尺,面如美玉。官領鎮西將軍。

羅貫中『三國演義』中央研究院 漢籍電子文獻資料庫 P517

陸遜は本名を陸議といい、のち、遜と改めて、字を伯言と言った。呉郡呉県の人で、漢の城門校尉陸紆の孫、九江都の都尉陸駿の子である。身のたけ八尺、顔は白玉のごとく、官は鎮西将軍を拝領していた。

羅貫中作、立間祥介訳『三国志演義 下』平凡社、1972年、P195

息子・陸機

機身長七尺,其聲如鐘。

房玄齡等撰『晉書 五 傳』中華書局、1974年 卷五十四 列傳第二十四 陸機 P1467

機は身長が七尺あり、その声は鐘の音のようであった。

長谷川滋成「六朝文人伝 —陸機・陸雲伝(晋書)—」『中国中世文学研究 13』

陸機は身長が七尺(1尺24cm換算とすると約168cm)あった。と、わざわざ書かれていると、まるで特に長身だったかのようだが、七尺は一般的な成人の身長の表現でもあり、特筆すべき長身の人は八尺〜などと書かれる。陸機は小柄ではないが、とりわけ長身というわけでもない。長身であることは当時の美形の一条件であり、その点からいえば陸機は平均的な容貌ということになる。

息子・陸雲

雲字士龍、吳大司馬抗之第五子、機同母之弟也。儒雅有俊才。容貌瓌偉、口敏能談、博聞强記、善箸述。…

陸雲、字は士龍、呉の大司馬陸抗の第五子であり、陸機の同母弟である。学問がふかく俊才であった。容貌は立派で弁論にすぐれ、博聞強記で著述をよくした。…

目加田誠『新釈漢文大系 第77巻 世説新語(中)』明治書院、1976年 賞誉第八 P539

『世説新語』賞誉篇の注に引く『陸雲別伝』より。「瓌偉」とは見慣れない言葉だったが、「瓌」は「瑰」の異字体で、つまり陸雲の容貌は「瑰偉」。

[瑰偉・瑰瑋]
①すぐれて大きいこと。また、すぐれてりっぱなこと。
②心が広く大きく、物事にこだわったり、屈したりしないこと。

『新漢語林 第二版』大修館書店

容貌の話なので、①の意味か。陸雲は、意外にも(?)男前な容姿で、陸機より背も高かったのかもしれない。

親戚・陸績

績容貌雄壯,博學多識,星曆算數無不該覽。

陳壽撰、裴松之注『三國志 五 吳書』中華書局、1982年 卷五十七 吳書十二 虞陸張駱陸吾朱傳第十二 P1329

陸績は、男らしい風貌をそなえ、博学で知識が広く、天文暦法や計算術など、その読書が及ばぬ方面がなかった。

陳寿、裴松之注、小南一郎訳『正史 三国志 7』ちくま学芸文庫、1993年、P228

……。なんとなく、陸氏の血筋は全般的に、雄々しい風貌なのか? という、個人的には全くありがたくない現実が浮かび上がってきた。こうなってくると、陸抗の容貌が特に書かれていなくて良かったという気もしてくる。もっとも陸績はかなり血筋としては遠いので、陸抗に似ているかどうかはわからない。

気を取り直して、母方について。

祖父・孫策

策爲人,美姿顏,好笑語,性闊達聽受,善於用人,是以士民見者,莫不盡心,樂爲致死。

陳壽撰、裴松之注『三國志 五 吳書』中華書局、1982年 卷四十六 吳書一 孫破虜討逆傳第一 P1104

孫策の人となりは、秀でた容貌をそなえて、談笑を好み、性格は闊達で他人の意見をよく聴き入れ、適材適所に人を用いた。そのため士人たちも民衆たちも、彼に会ったことのある者は、すべて誠心誠意、命をかけて彼のために働きたいと願った。

陳寿、裴松之注、小南一郎訳『正史 三国志 6』ちくま学芸文庫、1993年、P38〜39

孫策は、呉書トップクラスの美形キャラといって差し支えないだろう。ここでやっと、希望の光が見えてきた。この時代は、色白なども美しい容貌の条件らしいので、「美姿顏」ってのはきっと美人系である。

祖母かもしれない・大橋

頃之,策欲取荊州,以瑜爲中護軍,領江夏太守,從攻皖,拔之。時得橋公兩女,皆國色也。策自納大橋,瑜納小橋。

陳壽撰、裴松之注『三國志 五 吳書』中華書局、1982年 卷五十四 吳書九 周瑜魯肅呂蒙傳第九 P1260

それからしばらくあって、孫策は、荊州の奪取を企てると、周瑜を中護軍(軍の長官の一人)に任じて、江夏太守の職務にあたらせ、周瑜は、孫策に従って皖を攻め、これを落した。このとき、橋公の二人のむすめを捕虜にしたが、ともに絶世の美人であった。孫策はみずから姉の大橋を妻とし、周瑜は妹の小橋を妻とした。

陳寿、裴松之注、小南一郎訳『正史 三国志 7』ちくま学芸文庫、1993年、P51

孫策の妻として記述にある大橋は、絶世の美人であった。陸抗の母が大橋の娘という証拠はないが、可能性はある。たとえ違ったとしても、美人を捕らえたからといって妻にしてしまう孫策は、面食いである。ということは、孫策の妻は美人である可能性が高い(無理矢理)。ということは、両親ともに非常な美人である陸抗の母は、美人の可能性が高い。

まとめ

陸抗が母親似の場合、美人系の可能性はかなり高い。父親似の場合も、男前系の可能性はそれなりにある。……というか結局、何もわからない。