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  • 陸遜の命日(呉・赤烏8年2月4日)
  • 『三国志』呉書に、陸遜は「(赤烏)八年春二月」に死去したとあるが、陸雲作の「呉故丞相陸公誄」によれば、これは「赤烏八年二月乙卯」のことである。兩千年中西曆轉換で変換すると、赤烏8年2月4日、西暦では245年3月19日にあたる。惟赤烏八年二月,粵乙卯,吳故使持節、郢州牧、左都護、丞相、江陵郡侯陸公薨。…
  • 陸抗の諡は「武侯」
  • 陸抗(りくこう)の諡(おくりな)は『三国志』には載っていないが、陸雲(りくうん)(陸抗の子、西晋の文人として知られる)の「祖考頌(そこうしょう)」という作品で判明するらしい、と聞いて調べてみた。祖考頌(有序)雲之世族,承黃虞之苗緒,裔靈根之遺芳。用能枝播千條,穎振萬葉。繁衍固於三代,饗祀存乎百世。豈…
  • 陸抗の妻と子女
  • 陸氏系図陸抗の妻・張氏陸抗の妻の張氏は、張承(張昭の息子)と諸葛氏(諸葛瑾の娘)の間の子。陸抗の次男の陸景は、この張氏の子である。しかしこの張氏は諸葛恪が誅殺された際に(姪にあたるため)離縁されてしまった。この時代、離婚も再婚も意外に多く、不祥事を起こしたり誅殺された者の娘が離縁されることはよくある…
  • 陸抗の容姿
  • 陸抗の容姿については、特に記載がない。そこで親戚から推測してみる。父・陸遜三国時代、容姿の良し悪しはかなり人物評価を左右する。陸遜ほどの重要人物なら、容姿が良ければ記述されていそうだ。が、敢えて何も書かれていないということは……。父には美形遺伝子はあまり望めない予感が。なお『三国志演義(三国演義)』…