Tags: 陸遜

  • 陸遜の命日(呉・赤烏8年2月4日)
  • 『三国志』呉書に、陸遜は「(赤烏)八年春二月」に死去したとあるが、陸雲作の「呉故丞相陸公誄」によれば、これは「赤烏八年二月乙卯」のことである。兩千年中西曆轉換で変換すると、赤烏8年2月4日、西暦では245年3月19日にあたる。惟赤烏八年二月,粵乙卯,吳故使持節、郢州牧、左都護、丞相、江陵郡侯陸公薨。…
  • 2007.12.11 三国演義の挿絵ほか
  • 「クウノフタヒ」のみなとさんと、図書館にて演義の絵の本などをチェック→某所チャイナショッピングモール散策してきました。図書館の目玉は『中国古典文学挿画集成 1 三国志演義』(上下巻、滝本弘之編、遊子館)。コピーしてきたので幾つかスキャンしてみました。いつの時代の絵か確認し忘れましたが、著作権は切れて…
  • 呉の歴代丞相
  • 丞相の移り変わりをみると、呉という国が破綻していく過程が見えて興味深い。顧雍、陸遜、歩騭までは、納得の人選のように思える。しかし孫権の晩年空位となり、死後は孫峻・孫綝コンビによる乗っ取りで最悪の状況に。その後は濮陽興、万彧など帝の権利争いに纏わるコネっぽい人事が続き、陸凱は国の内部からの崩壊を食い止…
  • 陸抗の容姿
  • 陸抗の容姿については、特に記載がない。そこで親戚から推測してみる。父・陸遜三国時代、容姿の良し悪しはかなり人物評価を左右する。陸遜ほどの重要人物なら、容姿が良ければ記述されていそうだ。が、敢えて何も書かれていないということは……。父には美形遺伝子はあまり望めない予感が。なお『三国志演義(三国演義)』…