陳泰は、死をもって司馬昭を諫めた?
「陳泰の死」では、陳泰の死の理由は、曹髦を返り討ちにした賈充の罪を司馬昭が見逃したこと、つまり臣下による皇帝殺害を容認したことによって、陳泰自身がその潔癖すぎる正義感に基づき、友であり実質上の主である司馬昭に求めた理想が破壊されたことである、と仮定した。ここでは、その他の理由も考えてみることに。
死をもって司馬昭の甘さを諫めた陳泰
「『世説新語』における人間性の問題」という論文の中に、私としては斬新な見解があったので、一部引用。
司馬昭は、曹髦が落命したと聞くと、身を地に投げ出し、涙しながら、世上の評判と自身が取るべき方策とについて、百官と陳泰とに計っているのである。このような司馬昭の態度は、自身の本心に従ってのものなのか、世間への体裁を考えてのものなのか判断しかねるが、当時は司馬昭といえども、諸豪族の協力なしに、権勢の座にとどまることは危ぶまれたのであれば、周囲に気がねするあまりに、曹髦を弑することを自身の力でとどめ得なかった歯痒さが権力者としては感情を露にしすぎるようなあのような態度となって現われたのではあるまいか。そこに冷酷な態度に徹し切れなかった司馬昭の人間性を窺うことができるようにも思えるのである。陳泰の進言にもかかわらず、司馬昭が夏充を斬ることができなかったのは夏充の勢力をはばかってのことであろうが、陳泰はそのような司馬昭の態度を死を以て諫めている。
竹内肇「『世説新語』における人間性の問題(二)」『茨城女子短期大学紀要 18』茨城女子短期大学、1991年 ※「夏充」は原文ママ
この論の中では、陳泰が死をもって諫めるに至った司馬昭の過ちとは、主君を討つ行為を容認した思想というよりは、その事態を招いたトップとしての力量不足、優柔不断な態度のようである。ここで想定されている司馬昭は、私のイメージしていたよりもずっと、権力の維持に腐心している。有力者たちの勢力を考慮し、バランスを取りつつ、指導者としての地位を確立していこうとする司馬昭。その苦心が、高貴郷公の変の対応においては裏目に出てしまう。だが陳泰は司馬昭に、ときには「冷酷」にすらならなければならない、権力者としての徹底を求めた。
それにしても、死をもって諫める、という状況を成立させるには、行動を起こす側にも力が必要である。その死によって司馬昭が世間に批判され、自身を省みざるを得ない状況が生じなければならない気がするが、果たして陳泰は、そこまでの力を持っていたのか。特に陳泰の選択は、一族の中でも孤立していた。そして実際のところ、特に彼の死によって重大な問題は生じなかった。とすれば、これは誤算であり、悪く言えばただの無駄死にでしかない。
あるいは、個人間の心理的な効果を期待する場合。それはそれで司馬昭に、この人を失ったことは取り返しのつかない痛手であった、と思わせるほどに必要とされていなければ、やはり無駄死にでしかない。これまた、果たして陳泰にそこまでの自信があっただろうか。確かに陳泰は司馬昭がその実力を大いに認め、親愛を向ける人間の一人ではあった。しかし私にはどうにも、陳泰が司馬昭に期待をかけたほどには、司馬昭は陳泰に期待をかけていなかった、片思いの印象が強い。
と、いう前提にしてしまうと、陳泰は明らかに効果の期待できない理由で死を武器にするという過ちを犯したことになる。必ずしも納得するわけではないが、一つの見方としては魅力的な説であり、冷酷になりきれない弱さを持つ司馬昭像は私好み。
陳泰は、自分自身を裁くために死を選んだのかもしれない
もう一つ、上記とは別の流れで、個人的に考えてみたもの。
『晋紀』の陳泰は、「泰言惟有進於此,不知其次。」(私の言葉はただこのことを進言するためにあるのです。別の手段など存じません。)と言う。この部分について『三国志集解』に注があり、胡三省は司馬昭が主君を殺した罪で処刑されることを言うものとしている。他の部分を見るに、胡三省は陳泰を反司馬昭であったと考えているようだが、これは曲解しすぎではないだろうか。陳泰の死の理由を、曹髦に忠誠を尽くしたためとする世間の通説は、このあたりが由来なのかもしれない。
とはいえ、続く『魏氏春秋』の「豈可使泰復發後言。」(私にこれ以上の言葉をしゃべらせることができましょうや。)という言葉からしても、陳泰は司馬昭が責任をとって裁かれる道を暗示した、とは思える。しかしあくまで、暗示したにすぎない、という点は重要である。暗示しながらも陳泰は結局、司馬昭に責任を取れとは明言しなかった。これは、他の出典の逸話においても共通することである。
そしてこの明言しなかったということは、陳泰の潔癖な正義感に基づけば、自分自身が「不正」を見逃してしまった、ということにも繋がるのではないだろうか。司馬昭を「不正」として裁くことができなかった陳泰は、代わりにその「不正」を許してしまった自分を裁かなければならなかった。その結果の死、と見ることもできるかもしれない。
2014.05.28