Tags: 曹髦

  • 陳泰の葬儀
  • 陳泰(ちんたい)の葬儀がどのようなものだったか、直接の記述は残っていないが、推測できる記述が『晋書』にある。目次石苞の葬儀は、陳泰の葬儀に倣った陳泰の葬儀、および陳泰は司馬昭と決別してはいないという話陳騫の葬儀も、陳泰の葬儀が元になった同時期に死去した重臣余談・曹髦の葬儀は粗末だったのか?石苞の葬儀…
  • 天候に愛された司馬昭
  • Twitterで見かけた「晴れ男司馬昭」から連想した話。どうやら「妖怪三国志」のキャラらしい? 「妖怪ウォッチ」シリーズとシミュレーション「三國志」がコラボしたゲーム……とのことだが、そもそもの「妖怪ウォッチ」の知識が皆無なため、完全にただのキーワード連想です。司馬昭(しばしょう)が諸葛誕(しょかつ…
  • 高貴郷公の孤独 - 誰が曹髦の味方だったのか
  • 魏の四代目皇帝曹髦(そうぼう)(高貴郷公)が、時の権力者司馬昭を殺そうと挙兵して敗死した事件(事件の流れは「高貴郷公の変」参照)の際、曹髦側についたとして今昔の三国志ファンの間でよく名を挙げられる人物に、王経、司馬孚(しばふ)、陳泰などがいる。だが、彼らは本当に曹髦の味方だったのか。目次陳泰について…
  • 陳泰の死 2 - 陳泰は死をもって司馬昭を諫めた?
  • 「陳泰の死」では、陳泰の死の理由は、曹髦を返り討ちにした賈充の罪を司馬昭が見逃したこと、つまり臣下による皇帝殺害を容認したことによって、陳泰自身がその潔癖すぎる正義感に基づき、友であり実質上の主である司馬昭に求めた理想が破壊されたことである、と仮定した。ここでは、その他の理由も考えてみることに。死を…
  • 高貴郷公の変 - 曹髦の決意と「司馬昭の心」
  • 魏の四代目皇帝となった元の高貴郷公・曹髦(そうぼう)は、初代皇帝曹丕(そうひ)の孫で、曹霖(そうりん)の子である。前皇帝曹芳(そうほう)が時の権力者、司馬師(しばし)(司馬懿(しばい)の子)によって廃位された後、新たな帝に立てられた。正元元年(254年)の即位当時には、まだ十四歳の若さであった。司馬…
  • 陳泰の死 1 - 司馬昭に見た理想と絶望
  • 目次『三国志』が記さなかった陳泰の死因自ら命を絶った陳泰陳泰は、司馬昭の潔白を証明したかった賈充と陳泰、司馬昭のための真逆の選択理想と破綻、そして死『三国志』が記さなかった陳泰の死因陳泰(ちんたい)の死について、『三国志』魏書陳泰伝の本文には、景元元年薨,追贈司空,諡曰穆侯。〔一〕景元…
  • 諸葛誕の乱
  • 総司令官兵力結果魏軍司馬昭26万以上勝利呉軍諸葛誕・孫綝22〜23万以上敗北諸葛誕の乱(呉軍:諸葛誕率いる反乱軍&孫綝率いる救援軍 vs 魏軍:司馬昭率いる討伐軍の戦い)の時系列と位置関係のまとめ。『三国志』と『晋書』では日付の不一致があります。小文字部分は推測や感想含む。登場人物呉軍(寿春城)諸葛…
  • 2007.12.11 三国演義の挿絵ほか
  • 「クウノフタヒ」のみなとさんと、図書館にて演義の絵の本などをチェック→某所チャイナショッピングモール散策してきました。図書館の目玉は『中国古典文学挿画集成 1 三国志演義』(上下巻、滝本弘之編、遊子館)。コピーしてきたので幾つかスキャンしてみました。いつの時代の絵か確認し忘れましたが、著作権は切れて…