将に五危あり - 諸葛誕の乱の勝敗

 『孫子』九変篇の最後にこんな言葉がある。

 故に将に五危あり。必死は殺され、必生はとりこにされ、忿速ふんそくあなどられ、廉潔れんけつはずかしめられ、愛民はわずらわさる。凡そ此の五つの者は将のあやまちなり、用兵のわざわいなり。軍をくつがえし将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざるべからざるなり。

 そこで、将軍にとっては五つの危険なことがある。決死の覚悟で〔かけ引きを知らないで〕いるのは殺され、生きることばかりを考えて〔勇気に欠けて〕いるのは捕虜にされ、気みじかで怒りっぽいのはあなどられて計略におちいり、利欲がなくて清廉なのは恥ずかしめられて計略におちいり、兵士を愛するのは兵士の世話で苦労をさせられる。およそこれらの五つのことは、将軍としての過失であり、戦争をするうえで害になることである。軍隊を滅亡させて将軍を戦死させるのは、必ずこの五つの危険のどれかであるから、十分に注意しなければならない。

金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 九変篇第八 pp.109-110

 「廉潔」「愛民」などは一見すると美点のようだが、軍の指揮官としては危険な要素ともなる。

 諸葛誕の乱について考えていたときに、ふと思ったことだった。この戦において、各軍の総司令官がとった行動を考えると……

諸葛誕孫綝司馬昭
必死(決死の覚悟でかけ引きを知らない)
必生(生きることばかり考え勇気に欠ける)
忿速(気みじかで怒りっぽい)
廉潔(利欲がなくて清廉)
愛民(兵士を愛する)

 「必死」諸葛誕が必死なのは状況柄やむを得ないか。
 「必生」孫綝は帝の勅命を無視して出陣せず、現場は朱異らに丸投げしている。慎重ではあるのだが。
 「忿速」孫綝のキレやすさは言わずもがな、諸葛誕も援軍の文欽と諍いを起こして同士討ちするなど当てはまるだろう。
 「廉潔」司馬昭は、全軍をあげての討伐で自身の権威を高める狙いもあったのではないかと思うこと、また勝利に乗じて呉に侵攻しようとした点などから、無欲とはいえない。
 「愛民」諸葛誕は、過度な恩寵で支持を得る、籠城時には魏の者を追放して兵糧を確保するという文欽の提案を退けるなどした。

 ……と、若干強引だが、敗北した諸葛誕孫綝は複数の点でひっかかっている一方、勝利した司馬昭は「五危」を全回避している。

 良い点においても悪い点においても決して極端に走らない、司馬昭のバランスのよい曖昧さは、彼の成功の秘訣なのかもしれない。

公開:2014.03.24 更新:2015.07.26

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