姜維の北伐:249年(魏・嘉平元年、蜀・延熙十二年)

総司令官兵力結果
蜀軍姜維1万以下+羌族の兵敗北
魏軍郭淮不明勝利

※姜維の北伐のうち、陳泰と戦った時代について、個人的な理解のためにまとめています。不足・誤解などある可能性が高いです。

登場人物

魏軍(総司令官)

  • 郭淮かくわい(征西将軍、都督諸軍事)

魏軍(麴城包囲軍)

  • 陳泰ちんたい(奮威将軍、雍州刺史)
  • 徐質じょしつ(討蜀護軍)
  • 鄧艾とうがい南安太守)

魏軍(援軍)

  • 司馬昭しばしょう(安西将軍)

蜀軍

  • 姜維きょうい(衛将軍、録尚書事、涼州刺史)

蜀軍(麴城

  • 句安こうあん(牙門将)
  • 李韶りしょう(牙門将?)

地理

249年地図

周辺事情

 魏ではこの年(正始十年・4月に改元して嘉平元年、西暦249年)1月、司馬懿(太傅)曹爽(大将軍)を罷免し、曹爽ら一同がクーデター画策の罪により誅殺される事変が起きる。曹爽派に属していた夏侯覇(征蜀将軍)は、親族であり現在の上官でもある夏侯玄(征西将軍)が都に召し寄せられたことから、自分も処罰されるのではないかと恐れていた。

 4月、夏侯玄に代わって郭淮が征西将軍・都督諸軍事(雍州軍と涼州軍の総司令官)となる。以前から郭淮と仲の悪かった夏侯覇はいよいよ不安を抱き、ついに蜀に亡命した。

 一方、春には尚書として曹爽粛清に協力した陳泰は、やがて奮威将軍に任じられて都を離れ、郭淮に代わって雍州刺史(州の長官)となる。

 この頃、蜀の姜維(衛将軍)は、費禕(大将軍)の指揮下で漢中に駐屯していた。しかし費禕は、かつて諸葛亮も為し得なかった北伐には否定的で、まずは内政を重視して自国の保持に努めるべきだと考えていた。

戦の経緯

嘉平元年(249年)秋〜

 蜀の姜維隴右ろうゆう隴山山脈の西の地域を指す)に進攻。魏の雍州の西南端、羌族が住む地域にあるきくを利用して二つの城(麴城)を築くと、指揮下の句安(牙門将)李韶李歆とも)に守備させる。姜維自身は羌族を集めて率いると、魏の諸郡に侵攻しようと企てた。

 費禕が侵攻に積極的でなかったことから、姜維は大軍を動員することはできず、一万の兵のみを与えられていた。天水郡の出身である姜維は現地の風習に通じていたため、羌族らを味方につけて戦力とし、魏から雍州を奪おうと考えていた。

 郭淮は蜀軍を防ぐ方法について陳泰に相談した。陳泰麴城は堅固ながら蜀の本拠地から遠く輸送が困難であること、羌族が蜀軍に積極的に味方をしていないこと、山道が険しく援軍の到来が難しいことを理由に、麴城の包囲を進言する。郭淮はこの意見を容れた。こうして陳泰は、徐質(討蜀護軍)鄧艾南安太守)らを率いて麴城の周りに包囲陣を築き、輸送路と水路を遮断する。

 一方、司馬昭(この当時はおそらく都で文官職にあった)は安西将軍となり、援軍として関中長安?)に駐屯する。

 句安らは包囲軍に戦いを挑もうとしたが、陳泰は頑として応戦を許さず、包囲を続ける。句安らは困窮するも、雪を水の代わりとして堪え忍んだ。

 陳泰が水路も徹底的に遮断したため、麴城は水を得られなくなっていた。この戦は秋あたりに勃発したが、長期戦で既に雪が降る気候になっていたようである。

 やがて姜維麴城救援のため、牛頭山から出て陳泰の軍に挑もうとした。陳泰は各軍に砦に拠っての防備を徹底させ、なおも応戦を許さずに内外の蜀軍を阻む。

 牛頭山姜維の拠点があったのかとも思ったが、牛頭山麴山は繋がっていて近いようなので、単にこちら方面に戻ってくる際のルートとして通っただけかもしれない。

 対峙が続く中、陳泰麴城を陥とすのみならず姜維も捕らえるべきだと考え、郭淮に使者を送って進軍を要請する。陳泰自身は白水を南に渡ってその水路に沿って東へ向かい、郭淮牛頭へ向かって、姜維の退路を断つ計画である。

 陳泰白水方面に向かった場合、城の包囲はどうするのだろう。軍を分割するのだろうか。いずれにせよ、実際にはこの行動は行われなかったようである。

 この策を容れた郭淮とうに進軍。一方、司馬昭長城に拠って駱谷へ進軍すると見せかけ陽動する。

 陳泰の持ち前の積極性が発揮される展開。郭淮は総司令官ながら、この戦では終始陳泰の意見に従っており、度量の広さが窺い知れる。
 ところで、この時点で郭淮はどこに居たのだろうか。『晋書』文帝紀では自ら包囲戦に加わっているようにも読めるが、『三国志』陳泰伝では現場の指揮は陳泰に任せている。使者を遣ったという表現から別の場所にいるようだが、長安方面に留まっていた場合、洮水に進軍するには遠すぎるだろう。敵城が二つあることから魏軍の砦も複数箇所に分かれており、それぞれに包囲していたのだろうか。
 また、司馬昭が出陣した記述は『晋書』にしかないが、姜維の本拠地である漢中を脅かして撤退させる作戦か。いずれにせよ雍州軍と連携しての行動であろうから、陳泰の作戦の一環かもしれない。

 いよいよこれらを恐れた姜維は、麴城を捨て、漢中南鄭なんていまで撤退した。孤立した句安李韶は魏軍に降伏した。

 魏軍のどの行動が決定打となったのかは『三国志』と『晋書』で異なりよくわからない。陳泰は複数方面から姜維に圧力をかけて撤退に追い込み、麴城とその軍を奪う勝利を得たが、目論見のように姜維を捕らえることはできなかった。

2015.08.16

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