司馬昭はいい人である

 司馬昭に対する古典的三国志ファンの評価は、想像以上に「腹黒い悪人」という感じらしい。しかも、同じ悪役でも司馬懿・司馬師より微妙に小物扱いのような気がする。

 おそらくその古典的ファン感情の基礎は『三国志演義』のキャラ付けだろうけれど、私は斜め読みなのと、「物語上のキャラ付け」と割り切っているせいで、実感するに至らない。もちろん仮にそうした面があったとして、書かれていないだけかもしれないが、書かれていない以上証拠はなく、私には司馬昭が巷で言われているような狡猾で腹黒く残虐な人だとは、到底思えなかったのである。

 そして、司馬昭という人物に興味を持ちはじめて印象付けられたのは、まず戦の総司令官としての有能さだった。私が武官好きで戦シーンにばかり注目しているからかもしれないが、少なくともシミュレーションゲームのパラメータみたいな文官スキル一辺倒の感じでは全くない。具体的な戦術は参謀たちの知恵によるものかもしれないが、その参謀を使いこなし、決定を下すことに巧みなのである。

 他に強く感じるのは多少の小心さと、それゆえの繊細な保身の巧さ、そして柔軟さ。危機を察知することに敏感で、対処法が巧い。気配り上手で褒め上手・だが締めるところは締める、そして自分のプライドに固執しない(司馬懿に似ているイメージ)、良き指導者であり指揮官である。

 結論:司馬昭って悪人とされているけど、普通にいい人じゃん! しかも有能!

 おそらく世間的に彼が極悪人扱いされる最大の理由は、曹髦弑逆事件のせいだろう。しかし素直に読むならば、あの事件は曹髦の側から襲撃してきたものである。正当な応戦でしかない(過剰防衛気味とはいっても)上に、司馬昭が意図的に起こしたわけでもない。曹髦の殺害については多くの人が賈充の判断ではなく司馬昭の指示である、と言い切っているが、どれも主観的な推測で、根拠は挙げられない。たとえ王朝交代を狙っているとしても、平和的に禅譲に持ち込んだほうが世間体も良く、積極的に殺す必要があるとは思えない(この点については、賈充としてはなぜ殺したのかという問題も生じるが、襲撃を回避して捕らえるなどは不可能な状況だったのかも)。各種の逸話における発言からしても、私には司馬昭の指示である、とは読めなかった。事件の後処理に関しては、確かに若干の狡猾さを感じるが、そこは「保身の巧さ」の範疇だろう。

 司馬氏嫌いを公言する坂口和澄氏によると、司馬昭の指示である証拠は、陳泰の発言なんだそうで。

 賈充が部下の成齊に曹髦を「殺せ」と命じたのは彼の独断ではなく、これが司馬昭の意を受けたものだったのは明らかであり、魏の朝野の常識でもあった。
 その証拠に、「私はどうすればいか」と問うた昭に対して陳泰は、「ただ賈充を殺すのみ」と答え、別の手段はないかと訊かれると「私にこれ以上のことを言わせようとなさるか」と反問し、責任は他でもない、司馬昭にあることを諷した。

坂口和澄『正史三國志 群雄銘銘傳』(光人社、2005年) p.164

 「常識でもあった」らしいが、その「常識」をどこから読み取っていいのかわからない。この本は、人物辞典ではあるが、まえがきで著者自身が「本書の特徴」として挙げる中に、「史書に客観的歴史があろうはずはなく、既に第一次史料選択の段階で著者の主観が入り込んでいる。(中略)本書では筆者の好悪の感情も直截に記した。」 とあり、かつ賈充の項目によれば「筆者が『三国志』の登場人物で最も嫌うのは、司馬懿父子三人と、この賈充である。」と堂々と明言されている。そして著者が嫌う人物については、単に批判するのみならず、全ての行動について悪意的に記され、読者がそれとなく悪く受け止めてしまう仕様となっており、(面白い本ではあるが)鵜呑みにするのは危険である。

 そもそも、司馬昭は意図的に曹髦を殺害したのなら、今さら「どうすればいいか」などと陳泰に相談する必要はない。その陳泰は「その証拠に」と勝手に証人にされてしまっているが、どの出典でも、陳泰は司馬昭の責任であるとは言っていないし、司馬昭を非難してもいない。暗黙に非難したかったとしても、それはあくまで「賈充を処刑しない」という態度、「曹髦を討ち取ったという結果を容認する」態度についてであり、そもそも陳泰が司馬昭の指示だと考えたなら、最初から司馬昭本人を糾弾しなければ、陳泰自身半端に司馬昭に阿っていたことになるのでは。

 とはいえ、賈充の処刑という陳泰の進言を拒否した時点で、当初の意図がどうであろうと、同罪になってしまったとはいえる。しかし、起きてしまった事件を肯定することと、ことさら起こすのではイメージが違ってくる。

 というわけで、曹髦弑逆は司馬昭が意図的に行ったものではなく、曹髦が司馬昭を排除しようという勇敢な性質とプライドを持ち合わせていたゆえの悲劇的な事件だった。司馬昭としても、最終的には受け入れるにせよ、起きた時点では思いがけない事件として狼狽させられたのであり、そして賈充の決定は、賈充自身の判断によるものだった。と、歴史の真実がどうであるかはさておき、記される文面どおりに受け止めたい。

 いつでもどこでも悪役になるのも厭わず司馬氏に忠義を尽くす賈充の果敢さも、むしろ美しいと思う。

2011.10.25

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