2011.07.23 官位関連と、呉の大司馬について

三国志において(私が)官位関連で混乱する元凶は、出てくる人物の肩書きとして、これらが並列で扱われているところって気がする。

  • 官名(丞相、牧、太守など、公職の名称。名誉職や名目上のものなども含み、複数兼ねることもある)
  • 将軍号(車騎将軍、衛将軍など、将軍としての称号。の一種だと思われるが、将軍号自体を複数持つことはない)
  • 指揮権(都督など、軍を指揮する権限。軍師、護軍などもこれ?)
  • 処刑権(仮節など。配下を処刑する権限? 単独では持たない)
  • 爵位(王、侯など、王侯貴族としての爵位)

※注:便宜上断定的に書いた部分もあくまで「かもしれない」です。分類も仮名。

呉の大司馬について考える

陸抗や諸葛靚の最終官位である「大司馬」だが、三国官職表によると「軍事の最高職。三公の上に位置する」もので、上記の分類で言えば「官名」に相当するはず。

Q)陸抗は、大司馬になる前と後で、何も実権が変わっていないようだが?
A)陸抗は大司馬になる前から既に「都護」の指揮権を有していた。よって官位は上がっても、権限は変わらなかった。※しかし、明記されなかっただけで陸抗は大司馬になるとともに軍師の権限を持っていた可能性はあるかもしれない。

Q)大司馬の諸葛靚は「軍事の最高職」なのに、総司令官になれなかったの?
A)諸葛靚の指揮権が「副軍師」なため。このときは丞相の張悌が「軍師」の権限を持っていたために総司令官は丞相がつとめた。

そもそも(少なくとも呉の)「大司馬」は、特定の権限や職務を持っているわけではなく、トップクラスの武官を昇進させるための受け皿みたいな感じなのかも。呉の歴代「大司馬」のうち武官として実働した人は皆、別途指揮権を持っており、実際の武官としての仕事はそちらによって行われている。※以下「呉の大司馬の権力」はまとめてコラムに移動。

地味に気になる点

1)「左大司馬・右軍師」の朱然と「右大司馬・左軍師」の全琮は、なぜわざわざ左右が逆なのか。位の上では朱然が上だが、権限の上では全琮が上なのだろうか。

2)陸遜は丞相になる前は上大将軍だったのだが、陸遜は丞相でありつつ上大将軍の軍権を持っていたという説を唱えている人がいた。確かに呉では上大将軍の座はわりと常に誰か居るが、陸遜が丞相の間、および呂岱が大司馬の間に、他に上大将軍になった人がいない。いや、常に誰か居るといっても、施績以降はいないようにも思われるが……このあたり書かれていないだけで、実際にはいたんじゃないだろうか。具体的に張悌や仲思たんはあやしいとおもうぞ☆(゜ω゜)ともかく仮にそういうことが可能だとすると、上大将軍というのはそれ自体が権限を持っており、一見、上大将軍から大司馬になったと見える呂岱は「大司馬・上大将軍」なのかもしれない。

軍師とか都護とかの違いって何よ

ググった情報によると、軍師都護護軍、のような序列があるらしいのだが根拠は未確認。しかし張悌の例からみても「軍師」は一番上だろう。左軍師・右軍師と二人いることはある。

肩書きがまとまっている例

最初に書いたように、出てくる人物の肩書きとして、官名やら権限やら爵位やらがその都度どれか一つしか書かれないから混乱する。しかも、権限はそのままで官位のみ昇進したりするから混乱する。さらに同時に成立する官職などをもらったときも、必ずしも加官とは書かれていないから混乱する。

が、ゼロの状態からいきなり全ての官位などが一挙に与えられて記されるという状況がある。それは他国のエライ人が寝返ってきた場合である。

諸葛誕の場合

ってことで、呉が諸葛誕に肩書きを与えたくだりをみてみると、「以誕爲左都護、假節、大司徒、驃騎將軍、青州牧、壽春侯。(左都護・仮節・大司徒・驃騎将軍・青州牧・寿春侯に任じた。)」となっている。

左都護(軍の指揮権)
仮節(処刑権)
大司徒(官名)
驃騎将軍(将軍号)
青州牧(官名)
寿春侯(爵位)

と、こんな感じだろうか。

青州とは東の端っこの、呉の領土が存在するのか甚だあやしいようなところだが、実際には領土のない州の「牧」にされることもあるようで、例えば陸抗は益州牧になったりしている(当時の益州は魏領)。そんな事情もあってか、州牧は常に他の官職と兼ねている気がする。荊州牧などは、そのときの荊州総司令官相当の人が兼ねている。

呉では後の孫晧の治世に司徒・司空・太尉が置かれるが、ここで諸葛誕は「大司徒」(『三国志』公式記述の範囲では、他に孫晧時代の重鎮で、孫晧の母方の叔父でもある何植のみが「大司徒」。)になっている。諸葛誕ほどの高官(司馬昭らの策略による都合もあるとはいえ魏の司空である)を迎えるに相応しい官位として設けたのかもしれない。結局、諸葛誕は敗けて殺されてしまったので、すべて名目上に終わったわけだが。

ついでに歩闡の場合

こちらは呉ではなく晋の例になってしまうが、歩闡の場合は、「晉以闡爲都督西陵諸軍事、衞將軍、儀同三司,加侍中,假節領交州牧,封宜都公(都督西陵諸軍事・衛将軍・儀同三司に任じ、侍中を加官し、仮節を与えて交州の牧の職務に当らせ、宜都公に封じた。)」。

都督西陵諸軍事(軍の指揮権)
衛将軍(将軍号)
儀同三司(官名)
侍中(官名)
仮節(処刑権)
交州牧(官名)
宜都公(爵位)

軍事面については歩闡はもともと呉の将軍として西陵軍の指揮権を有していたところを軍ごと寝返ったので、そのまま晋の「都督西陵諸軍事」とされたわけである。なお交州は南の端っこで、西陵とは全く関係ない。

創作上、どう呼びかければいいのか?

思うに小説などで「都督」と呼びかけるのは、おかしいのではないか。「軍師」もかなり微妙な予感だ。そもそも日本語訳だと「督に任じ……」などとあるところの原文を眺めると、むしろ「を督させ……」みたいな動詞っぽくも見える。

では、どう呼びかけるのがいいのだろうか。逸話のセリフ部分では、互いにあざなで呼びあっているのが結構見受けられる。諸葛靚も、上官である張悌を「巨先」と呼んでいる。ただ、この場合は軍師と副軍師だが、もっと極端に上下関係がある場合はちょっと(個人的には)無礼なイメージを受けるので、官名で呼んだ方がいいのではないか。

たとえば歩闡の乱のころ陸抗は「鎮軍大将軍」「都督信陵・西陵・夷道・楽郷・公安諸軍事」「益州牧」「江陵侯」である。吾彦らが陸抗を呼ぶ場合、どこを使えばいいのか。軍事の場での呼びかけに限定すると爵位で呼ぶのもなんとなく違和感があるし、おそらく正解は「鎮軍」ではなかろうか(って別に正解があるわけじゃないけど、公式のセリフから推測される範囲では)。日本語としては「鎮軍どの」など適宜敬称をつけた方が自然だろう。しかしこれが例えば「衛将軍」になると「衛どの」というわけにもいかないので、そのまま「衛将軍」などと呼ぶのがいいかも。