妖怪を煮て食べた陸敬叔
干宝の志怪小説『捜神記』に以下のような話がある。
呉の先主の時、陸敬叔は建安の大守と爲る。人をして大樟樹を伐ら使む。數斧ならざるに、忽ち血の出づる有り。樹は斷たれ、物の人面 狗身なる有りて、樹中從り出づ。敬叔曰く「此れ彭侯と名づく」と。乃ち烹て之を食へば、其の味 狗の如し。『白澤圖』に曰く「木の精を彭侯と名づく。状は黑狗の如く、尾無し。烹て之を食ふ可し」と。
【通釈】
呉の孫權の時、陸敬叔は建安の太守となった。人に大きな楠の樹を伐らせた。斧を何度も振り下ろさないうちに、急に血が流れ出した。樹を伐ると、人の顔に狗の体を持つものが、樹の中から出てきた。敬叔は「これは彭侯というものである」と言った。そこでこれを煮て食べたところ、その味は狗のようであった。『白澤圖』には「木の精を彭侯という。姿形は黒狗のようで、尾は無い。煮てこれを食べることができる」とある。先坊幸子・森野繁夫編『干寶 捜神記』(白帝社、2004年) p.612
この陸敬叔という人、いくら知識として知っていたからといって、突然、流血とともに人面の化け物が現れた!→煮て食べました。……って、落ち着きすぎというか剛胆すぎというか。
さて、個人的に気になるのは、その出自である。この人は、簡単に検索してみた限りではこの逸話にしか名前が残っていない。しかし、孫権時代の呉の太守の陸さん。もしかすると、あの陸氏の一員なのではないか?
「敬叔」はあざなと思われるが、このあざなから連想されるのは、陸凱・あざな「敬風」、陸胤・あざな「敬宗」の兄弟である。同じ一族でも陸遜・陸抗らの系列とはひと味違う、いずれも頑固で過激な気性を持ったこの兄弟の中にもうひとり、平然と妖怪を煮込んで食べてしまう「敬叔」という男がいたとしてもおかしくない。
なお「叔○」というあざなは三男につけられる。この場合は「○叔」なので序列は関係ないかもしれないが、もしも陸胤の弟だとすると、やはり三男である。
というわけで真相は不明だが、この陸敬叔が、陸凱らの弟であれば楽しいな……と思っている。
彭侯
By 寺島良安 (scanned from ISBN 978-4-7601-1299-9.) [Public domain], via Wikimedia Commons