「虎嘯龍吟」に登場する古典 ⑥ 26〜30話(軍師連盟 68〜72)

中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」第二部「虎嘯龍吟」*注)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
*注:日本語字幕版は「虎嘯龍吟」1話を43話とし、全話連番。

目次

虎嘯龍吟 26話(68話「曹叡の病」)

兵法へいほう三十六計さんじゅうろっけい」より(『漢書かんじょ枚乗ばいじょう伝に基づく?)

司馬懿を警戒する曹宇が策を進言するが、成語が思い出せない。

(曹宇)
咱们让他去长安
让他去边关
让他不跟朝廷联系
滚得越远越好
待时机成熟
一网打尽
釜底
釜底

(曹叡)
抽薪

(曹宇)
釜底抽薪

(曹宇)
奴を長安ちょうあんに送り
国境を守らせましょう
できるだけ遠くへ
追いやるのです
機が熟したら
一気呵成いっきかせいにたたく

釜底ふてい

(曹叡)
まきく”だ

(曹宇)
釜底から薪を抜きます

釜底抽薪 fǔ dǐ chōu xīn 
〈成〉釜の下から薪を抜き取る;〈喩〉問題を根本的に解決する.

『中日辞典(第3版)』(小学館、2016年)

第十九計「釜底抽薪ふていちゅうしん」(釜底かまぞこよりたきぎく)

 煮えたぎっている釜の下からたきぎを取り除く。

 最も根本的な問題を解決することです。手のつけられないような熱湯に息を吹きかけてみても、少々の水を加えてみても、どうにもなりません。その釜の底から、熱源となっている薪を取り除けば、お湯は自然にさめてくるという意味です。

湯浅邦弘『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 孫子・三十六計』(角川文庫、2008年)

吳王之初怨望謀為逆也,乘奏書諫曰:[……]欲人勿聞,莫若勿言;欲人勿知,莫若勿為。欲湯之凔,一人炊之,百人揚之,無益也,不如絕薪止火而已。不絕之於彼,而救之於此,譬猶抱薪而救火也。[……]

中央研究院 漢籍電子文獻資料庫 > 漢書 > 列傳 凡七十卷 > 卷五十一 賈鄒枚路傳第二十一 > 枚乘

呉王がはじめて怨みをいだき反逆しようと謀ると、じょうは奏書をたてまつりいさめて言った。「[……]人に聞かれないことを望むなら、言わないにかず、人に知られないよう望むなら、しないのに如くはないのです。湯が冷めるよう望みながら、一人がこれを燃やし、百人がこれをあおげば何のききめもなく、ただ薪を取り去り火を止めるに如くはないということにすぎません。これをかしこに絶ちきらないで、これをここに救おうとするのは、たとえば薪を投げ入れて火を防ごうとするようなものであります。[……]

小竹武夫訳『漢書 中巻 列伝 Ⅰ』(筑摩書房、1978年) 賈鄒枚路傳第二十一 pp.230-231

李白りはく蜀道難しょくどうなん」より

門番を務める曹爽が、無視されつつも大見得を切るが……。ドラマより後の時代だが、李白の詩に由来する表現。

(刘放)
千万小心
要提防曹宇党人

(曹爽)
二位放心
一夫当关

(孙资、刘放)
我们去草诏了

(曹爽)
万夫莫开

(劉放)
曹宇そううらを通すでないぞ
 

(曹爽)
ご安心を 私の守る関所﹅﹅
 

(孫資・劉放)
すぐ詔書を

(曹爽)
万夫ばんぷも通させぬ

一夫当関、万夫莫いっぷかんニあタレバ、ばんぷモひらクなシ
一人が関所で阻止すれば、万人でも打破できない〈李白-詩・蜀道難〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

虎嘯龍吟 28話(70話「新天子、即位」)

宋玉そうぎょく「風賦(かぜ)」より?

自分も仕官したいと焦る司馬倫を諭す柏霊筠。楚の文人宋玉が主君の襄王に大王の風と庶人の風について説くという話で、王の風について語った部分に同様の内容がある。はっきりとは映らないが、柏霊筠が書き写して司馬倫に授けた書簡にこの賦が書かれているのだろうか?

伦儿
你要记住
大风起于青萍之末
厚积才能薄发
永远不要小看了
这微末之处的修行

りんや 覚えておいて
浮き草に吹く微風も
集まれば嵐となるわ
どんな修練もおろそかにしないで

[……]王曰、夫風始安生哉。宋玉對曰、夫風生於地、起於靑蘋之末。侵淫谿谷、盛怒於土囊之口。緣泰山之阿、舞於松柏之下。飄忽淜滂、激颶熛怒。耾耾雷聲、迴穴錯迕。蹷石伐木、梢殺林莽。至其將衰也、被麗披離、衝孔動楗。眴煥粲爛、離散轉移。[……]

わういはく、かぜはじいづくよりしょうずるやと。宋玉そうぎょくこたへていはく、かぜよりしょうじ、靑蘋せいひんまつよりこる。[……]

[……]王は、「では、そもそも風は最初はどこから生まれるのであろうか」と問いかけた。宋玉は次のように答えた。——そもそも大地より生まれ、水草の端から吹き始める。[……]

高橋忠彦『新釈漢文大系 第81巻 文選(賦篇)下』(明治書院、2001年) 風賦(宋玉) pp.75-79

何晏かあんの詩(失題)

曹爽の宴席で剣舞を披露する何晏何晏作の詩として唐代の類書『初学記』に引かれている。(ネット上では「言志 その二」として掲載されているものもあったが出典不明。「言志」は29話に登場する「擬古」の別名)

转蓬去其根
流飘从风移
芒芒四海涂
悠悠焉可弥
愿为浮萍草
托身寄清池
今日乐相乐
延年万岁期

よもぎは 根ごと大地を離れ
風に吹かれて さまよう
はるかなる四海を行きて
地の果てまで飛べようか
願わくは浮き草となりて
清らかな池に身を寄せん
互いに楽しむ この時を
のちの世までと誓おうぞ

[……]何晏詩曰:轉蓬去其根,流飄從風移;芒芒四海途,悠悠焉可彌。願為浮萍草,托身寄清池;且以樂今日,其後非所知。

中國哲學書電子化計劃 > 初學記 > 卷二十七 草部

虎嘯龍吟 29話(71話「曹爽の横行」)

漢書かんじょ』五行志より

蒹葭の鼻歌。漢の成帝の時代に流行った童謡。趙飛燕の逸話を自身と曹爽との出会いに擬えているようでもあり、今後の運命を暗示するようでもある。

燕燕尾涎涎
张公子
时相见

舞い踊る燕に
ちょうの若様が恋をした

成帝時童謠曰:「燕燕尾龚龚,張公子,時相見。木門倉琅根,燕飛來,啄皇孫,皇孫死,燕啄矢。」其後帝為微行出遊,常與富平侯張放俱稱富平侯家人,過河陽主作樂,見舞者趙飛燕而幸之,故曰「燕燕尾龚龚」,美好貌也。張公子謂富平侯也。「木門倉琅根」,謂宮門銅鍰,言將尊貴也。後遂立為皇后。弟昭儀賊害後宮皇子,卒皆伏辜,所謂「燕飛來,啄皇孫,皇孫死,燕啄矢」者也。

中國哲學書電子化計劃 > 漢書 > 志 > 五行志 > 五行志中之上

 成帝のときの童謡に、こういうのがあった。

  燕々の尾、涎々てんてんたり
  張公子、時に相い見る
  木門倉琅そうろうの根
  燕、飛来して、皇孫をついば
  皇孫死して、燕、矢を啄む

 その後、帝は微行で遊びに出歩き、つねに富平ふうへい張放ちょうほうと同行し、ともに富平侯の家来であると称して、陽阿公主を訪れて舞楽をなし、舞うもの趙飛燕を見てこれを寵愛したので、「燕々の尾涎々たり」といい、美好の貌である。張公子とは富平侯のことである。「木門倉琅の根」とは、宮門の銅の鋪首ほしゅ銜環かんかんをさす。まさに尊貴になろうとすることをいうのである。のちついに立って皇后となった。その妹の昭儀は後宮の皇子をそこない、ついに姉妹みな罪に伏したが、これはいわゆる「燕、飛来して、皇孫を啄み、皇孫死して、燕、矢を啄む」ものである。

小竹武夫訳『漢書 上巻 帝紀 表 志』(筑摩書房、1977年) 五行志第七中之上 p.328

古詩こし十九首じゅうきゅうしゅ・第十五首より

公主の夫でありながら重用されなかった何晏が、過去の罰で閑職に回された(と思い込んでいる)司馬昭を懐柔しようと境遇に同情してみせる。作者不詳の古詩。

(何晏)
人前无限风光
人后凄涼落寞
这盛年虚度光阴的苦闷
我比公子
品尝得更早

(司马昭)
生年不满百
常千岁忧

(何晏)

昼短苦夜长
何不秉烛游

(何晏)
しかし華やかさの影には
寂寞せきばくがつきまとう
無為に時を過ごす苦悶くもん
私のほうが
身にしみている

(司馬昭)
生年しょうねん百に満たず
 常に千載の憂いをいだく”

(何晏)
まさに
“長き夜に
 なんぞしょくを持ち 遊ばざる”

生年不滿百 常懷千歲憂
晝短苦夜長 何不秉燭游

爲樂當及時 何能待來茲
愚者愛惜費 但爲後世嗤
仙人王子喬 難可與等期

生年せいねんひゃく滿たず、つね千歲せんざいうれひいだく。
ひるみじかくしてよるながきにくるしむ、なんしょくつてあそばざる。

[……]

通釈 人間は百歳までは生きられぬのに、千年後のことまで考えて、日夜憂いの種をまくのは愚かなことである。もし昼が短く、夜が長いのを苦にするなら、なぜにともしびをてらして、夜を日につぎ遊ばぬのだ。
[……]

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 雑詩上(古詩十九首) pp.568-569

何晏かあん言志げんし」(擬古ぎこより

五石散と酒で泥酔した(フリの)何晏司馬昭が歌う。この詩をモチーフに語られる「一対の鴻鵠」は二人の物語のキーワードとなっていく。
何晏作の五言詩。

(何晏・司马昭)
岂若集武湖
顺流唼浮萍
逍遥放志意
何为怵惕惊

(司马昭)

好一个逍遥放志意
何为怵惕惊

何驸马
畅快

(何晏)
你我今日
就做一对逍遥鸿鹄
无惧无忧

(何晏・司馬昭)
どうして湖に漂いながら
浮き草をんでいられよう
そぞろ歩いて心を放てば
何をも恐れることはない

(司馬昭)
すばらしい
心さえ解き放てば
何も怖くない

何駙馬かふば 愉快ですな
 

(何晏)
そなたと私が
1対の自由な鴻鵠こうこくとなれば
何も怖くない

以下は作中使われる版とは多少異なるが、『世説新語』規箴きしん篇の注に引く『名士伝』より。

名士傳曰、是時曹爽輔政、識者慮有危機。晏有重名、與魏姻戚、内雖懷憂、而無復退也。箸五言詩以言志曰、鴻鵠比翼遊、羣飛戲太淸。常畏大網羅、憂禍一旦幷。豈若集五湖、從流唼浮萍。永寧曠中懷、何爲怵惕驚。因輅言懼而賦詩。

『名士伝』にいう、「当時、曹爽は政を輔佐したが、有識者はやがて危機がおとずれるのではないかと心配した。何晏は高い声望があり、魏朝と姻戚関係にあったので、心中憂いを抱いていたが、もはや退くことができなかった。五言詩を書いて自らの志を述べていった、〈鴻鵠は翼をならべて遊び、群飛して太清そらに戯る。常に大網羅の、憂禍一旦に幷さるるを畏る。豈に五湖に集い、流れに従って浮萍をくらうにかんや。永くやすんじて中懐を曠うし、何ぞ怵惕じゅつてきおそれを為さん。〉これは輅の言葉によって、恐れてこの詩を賦したのである。

(語釈より)五言詩 『全三国詩』巻3には、詩題を何晏の「擬古」に作る。なお、『芸文類聚』巻90、『初学記』巻30にもこの詩が引かれているが、字句に若干の異同が見られる。その大意は、「鴻鵠おおとりは翼をならべて遊び、群がり飛んでは大空に戯れる。しかし、いつも大きな鳥網が突然の災禍を招き寄せるのではないかと恐れている。こんなことでは、どうして五湖につどい、流れのままに浮き草を啄むことに及ぼう。いつも安らかに心をむなしくしておれば、どうして恐れおののく必要があろうか。」である。

目加田誠『新釈漢文大系 第77巻 世説新語(中)』(明治書院、1976年) 規箴第十 pp.705-707

孟子もうし告子章句こくししょうく下より

上記に続く場面で、司馬昭に発破を掛ける何晏。『孟子』の一節で軍師連盟13話にも登場した。

(司马昭)
自我上方谷酿成大错
我父亲就冷落我直到现在
我这鸿鹄已经折断了双翼
怕是不能同驸马振翅比翼了
 
 

(何晏)
子上何苦这样悲观
武帝宠爱陈王
到头来
还不是让文帝得位
天将降大任于斯人也

(司馬昭)
上方谷じょうほうこくで過ちを犯して以来
父は私を冷遇している
この鴻鵠の両翼は
折れてしまいました
駙馬と友に羽ばたくことは
できませぬ

(何晏)
嘆くことなどない
帝はちん曹植そうしょくを偏愛したが
結局はぶん帝に
後を継がせたではないか
“天 かの人に
 大任を降ろさんとするや”

孟子曰、舜發於畎畝之中、傅說舉於版築之閒、膠鬲舉於魚鹽之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉於海、百里奚舉於市、故天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身行、拂亂其所爲、所以動心忍性、曾益其所不能、人恒過、然後能改、困於心、衡於慮、而後作、徵於色、發於聲、而後喻、[……]

孟子がいわれた。「しゅんは田畑を耕す農夫から身を起こして、ついに天子となり、傅說ふえつは道路工事の人夫から挙げられて武丁ぶてい宰相そうりだいじんとなり、膠鬲こうかくは魚や塩の商人から文王ぶんのうに見出され、管夷吾かんいご獄吏ごくりの手にとらわれた罪人から救い出されてかん公の宰相となり、孫叔敖そんしゅくごうは海の貧しい生活からそう王に取りたてられて令尹れいいん(楚の宰相)となり、百里奚ひゃくりけいいやしい市民からしんぼく公に挙げ用いられて宰相となった。故に、これら古人の実例を見ても分るように、天が重大な任務をある人に与えようとするときには、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨をつかれさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動することなすことを失敗ばかりさせて、そのしようとする意図いとい違うようにさせるものだ。これは天がその人の心を発憤はっぷんさせ、性格を辛抱しんぼう強くさせ、こうして今までにできなかったこともできるようにするため〔の貴い試錬しれん〕である。いったい、人間は〔多くの場合〕過失があってこそ、はじめてこれを悔い改めるものであり、心に苦しみ思案にあまってなやみぬいてこそ、はじめて発奮して立ちあがり、その煩悶はんもん苦悩くのうが顔色にもあらわれ、呻き声となって出てくるようになってこそ、はじめて〔解決の仕方を〕心に悟るものである。[……]

小林勝人訳注『孟子(下)』(岩波文庫、1972年) 告子章句下 pp.314-317

虎嘯龍吟 30話(72話「太后の一計」)

詩経しきょう衛風えいふう淇奥きいく」より

幼帝曹芳の教育係となり、詩経を教える柏霊筠。衛の武公の徳を讃えた詩とされる。(引用した通釈ではこれは誤りとし、君子=祖霊と解釈している)

(柏灵筠)
瞻彼淇奥
绿竹猗猗
有匪君子
如切如磋
如琢如磨

这句话的意思是说
看那淇水的岸边绿竹连成一片
有才德的君子
学问越研究越精湛
品德越琢磨越良善

(曹芳)
朕明白了
朕也要做这样的君子

(柏霊筠)
淇奥きいくるに
 緑竹りょくちく猗猗いいたり
 たる君子有り
 切するがごとく
 するがごとく”

この詩の意味は
淇水きすいの岸辺に
 緑の竹が茂っている
 才徳のある君子は
 学問に励んで精通し
 品徳を磨き上げる”

(曹芳)

ちんもこんな君子になる

瞻彼淇奧 綠竹猗猗
有匪君子 如切如磋
如琢如磨
 瑟兮僩兮
赫兮咺兮 有匪君子
終不可諼兮

瞻彼淇奧 綠竹靑靑
有匪君子 充耳琇瑩
會弁如星 瑟兮僩兮
赫兮咺兮 有匪君子
終不可諼兮

瞻彼淇奧 綠竹如簀
有匪君子 如金如錫
如圭如璧 寬兮綽兮
猗重較兮 善戲謔兮
不爲虐兮

淇奧きいくるに りょくちく猗猗いいたり
たる君子くんしは せつしたるがごとしたるがごと
たくしたるがごとしたるがごと
 しつにしてかん
くゎくにしてけん たる君子くんし
つひわすからず
[……]

通釈 淇水のくまをながめれば、カリヤストクサが美しい。うるわしき祖霊は、みがきあげた骨や象牙、玉や美石のごとく、力づよく威厳にみちながら、かがやかに光彩を放つ。うるわしき祖霊よ、いつまでも我々のことを忘れずに見守りたまえ。
[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 衛風・淇奥 pp.154-155

論語ろんご泰伯たいはく篇より(?)

陰謀により開かれた宴にて、曹爽を牽制する司馬懿。「人之将死、其言也善」という表現を踏まえた言葉だろうか?

(曹爽)
你敢威胁我

(司马懿)
老朽不敢
老朽实是乞骸骨求残年而已
只要大將军选一外能御敌
内不生乱
既遂了大将军的意
又能保老朽一家性命之人
老朽定当交出长安兵权
老朽已为大魏犬马一生
人之将死 只此一念
大将军
难道
还要将其摔碎了不成

(曹爽)
私を脅す気か

(司馬懿)
滅相もない
私は退官し
老後を過ごしたいだけです
敵を防ぎ 国を乱さぬ策を
採ってくださるのなら
ご希望に沿いましょう
我が家族の命さえ
守れるのなら
必ずや長安の兵権を
お渡しします
すでに魏には
犬馬けんばのごとく尽くしました
死にゆく者の
ささやかな願いです

それでも大将軍は
この杯を落とすおつもりで?

[人之将(將)其言也善]
ひとのまさにシせんとするやそのゲンやよし
人が死ぬ直前の言葉は真実で、うそはいわないものだ。

『新漢語林(第二版)』(大修館書店、2011年)

曾子有疾、孟敬子問之、曾子言曰、鳥之將死、其鳴也哀、人之將死、其言也善。君子所貴乎道者三、動容貌、斯遠暴慢矣、正顏色、斯近信矣、出辭氣、斯遠鄙倍矣、籩豆之事、則有司存、

曾子、疾あり。孟敬子これを問う。曾子言いて曰わく、鳥のまさに死なんとするや、其の鳴くことかなし。人の将に死なんとするや、其の言うこと善し。[……]

曾子が病気にかかったとき、孟敬子もうけいしが見舞った。曾子はロを開いていった、「鳥が死ぬときにはその鳴き声はかなしいし、人が死ぬときにはそのことばは立派です。〔臨終のわたしのことばをどうぞお聞き下さい。〕[……]

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 泰伯第八 pp.153-154

公開:2022.07.17 更新:2022.08.29

Tags: 三国志ドラマ 軍師連盟 漢詩 何晏