「虎嘯龍吟」に登場する古典 ⑤ 21〜25話(軍師連盟 63〜67)

中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」第二部「虎嘯龍吟」*注)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
*注:日本語字幕版は「虎嘯龍吟」1話を43話とし、全話連番。

目次

虎嘯龍吟 21話(63話「才知の攻防」)

史記しき越王えつおう句踐こうせん世家せいか他より

蜀軍の使者が司馬懿の様子を報告する。日本語字幕では意訳されているが、第17話などにも登場した「兔死狗烹」の表現が使われている。

他还说 若没了丞相
兔死狗烹
他又能活到何时

“丞相が没すれば
 私も用済みだ
“いつまで生きられるやら”と

史記しき范雎はんしょ伝他より

慰問の体裁で陣営にやってきた辟邪の督促に答える司馬懿。日本語字幕ではかなり意訳されているが、「主憂うれば臣辱めらる」の表現が使われ、臣下たる自分の責任であると語っている場面。軍師連盟12話にも登場した。

(辟邪)
东西两面受敌
大都督还要体谅陛下呀

(司马懿)
主忧臣辱 此乃臣之罪也

(辟邪)
東西に敵が迫っています
どうかご容赦を

(司馬懿)
陛下にはご心配をおかけした

礼記らいき経解けいかい篇他より

司馬昭を罰したことを張春華に責められ、反論する司馬懿

这早打和晚打 它时机不同
失之毫厘 谬以千里

出陣は時機を
見極めねばならぬ
僅かの差が大きな違いとなる

失之毫厘,谬以千里
初めは小さな間違いでも,後になれば大きな誤りとなる.

『超級クラウン中日辞典』(三省堂、2008年)

[……]故禮之敎化也微。其止邪也於未形。使人日徙善遠罪而不自知也。是以先王隆之也。易曰、君子愼始、差若毫氂、繆以千里。此之謂也。

通釈 [……]こうしたわけで、礼の教化は罪悪の微細なるうちに行われねばならず、邪悪が形を取って現れないうちに、防ぎとどめねばならないのであって、人びとを教化して、日に日に善に進み、悪を遠ざかって、自身では気づかないようで、なければならない。それゆえ昔の賢王たちは礼を尊んだ。易書えきしょに、「君子は始めを慎しむ。もし始めに一厘でも狂っていると、後には千里の開きを来たす」とあるが、それは、上述の趣旨に合っているのである。

(語釈より)易曰 易の緯書の語とする説がある。また史記の太子公序にこの句(失之……千里)を引く。 毫氂 十豪を氂(厘)、十氂を分、十分を寸、十寸を尺とする。

竹内照夫『新釈漢文大系 第29巻 礼記(下)』(明治書院、1979年) 經解第二十六 pp.760-761

虎嘯龍吟 23話(65話「死せる孔明、生ける仲達を走らす」)

漢晋春秋かんしんしゅんじゅう』より(『三国志さんごくし蜀書しょくしょ諸葛亮しょかつりょう伝の注に引く)

今回の邦題にもなった諺。原文は「諸/仲」で韻を踏んでいるが、日本では「孔明/仲達」で知られる。
『三国志演義』では諸葛亮の木像に司馬懿が騙されるという脚色になっているが、史書の記述は蜀軍が反撃の構えを見せたため警戒して追撃をやめたところ、民に揶揄されたというもので、『晋書』ではさらに報告を受けて笑う余裕も見せている。ドラマはそれらを踏襲しつつ、新しいアレンジになっている。

诸葛亮死了
他要是没死
死的就该是咱们了
不追了
死诸葛吓走活仲达
我算是青史有名了

諸葛亮しょかつりょうは死んだ
我々が助かったのが
その証しだ
追撃はせぬ
死せる孔明こうめい 仲達ちゅうたつを走らす
歴史に名が残るな

死せる孔明こうめい 生ける仲達ちゅうたつを走らしむ

(死んで)もういない人のために、ほかの人が影響を受けること。
[由来]中国の三国時代、蜀の諸葛孔明が死んだ後、魏の司馬仲達がその力をおそれてにげた故事から。

『三省堂国語辞典 第八版』(三省堂、2022年)

漢晉春秋曰:楊儀等整軍而出,百姓奔告宣王宣王追焉。姜維反旗鳴鼓,若將向宣王者,宣王乃退,不敢偪。於是結陳而去,入谷然後發喪。宣王之退也,百姓為之諺曰:「死諸葛走生仲達。」或以告宣王宣王曰:「吾能料生,不便料死也。」

陳壽撰、裴松之注《三國志 四 蜀書》(中華書局,1982年) 諸葛亮傳第十五 p.927

『漢晋春秋』にいう。楊儀ようぎらが軍勢を整えて出発すると、民衆は急いで司馬宣王にそのことを報告したので、宣王は追撃した。姜維きょういは楊儀に命じて、軍旗をかえし陣太鼓をうち鳴らして、あたかも司馬宣王に立ち向わんとする様子を示した。司馬宣王は引き退き、あえて近づこうとはしなかった。かくて楊儀は隊列を組んで引きあげ、谷に入ってからのち、喪を発表した。司馬宣王が退却したことで、人々は諺を作り、「死せる諸葛〔孔明〕、生ける〔司馬〕仲達を走らす」といった。あるものがこれを司馬宣王に報告すると、司馬宣王は、「わしは生者を相手にすることならできるが、死者を相手にするのは不得手だ」といった。

陳寿、裴松之注、井波律子訳『正史 三国志 5 蜀書』(ちくま学芸文庫、1993年) 諸葛亮伝 第五 p.1403

しん皇后(諸説あり)塘上行とうじょうこう」より

亡き母甄宓の姿で鏡を見ながら、辟邪らに「塘上行」を歌い舞わせる曹叡軍師連盟38話甄宓が死の前に詠んだ。

蒲生我池中 其叶何离离
傍能行仁义 莫若妾自知
众口铄黄金 使君生别离
念君去我时 独愁常苦悲
想见君颜色 感结伤心脾
念君常苦悲 夜夜不能寐

がま池中ちちゅうに生じ
葉は連なり茂る
仁義を行う傍らで
おのずと君を知る
衆口しゅうこう 金を溶かし
君と生きて別離する
去りゆく君を思う時
独り憂え 常に苦しみ悲しむ
君の顔色を見んと思い
心の深くに痛みを感ず
君を想っては悲しみに暮れ
每夜每夜 眠れぬ

蒲生我池中 其葉何離離
傍能行仁義 莫若妾自知
衆口鑠黃金 使君生別離
念君去我時 獨愁常苦悲
想見君顏色 感結傷心脾
念君常苦悲 夜夜不能寐

莫以賢豪故 棄捐素所愛
莫以魚肉賤 棄捐葱與薤
莫以麻枲賤 棄捐菅與蒯
出亦復苦怨 入亦復苦愁
邊地多悲風 樹木何翛翛
從軍致獨樂 延年壽千秋

がま池中ちちゅうしゃうず、なん離離りりたる。
あまねく人義じんぎおこなふ、せふみづかるにくはし。
衆口しゅうこう黃金わうごんとかし、きみをして生別せいべつせしむ。
おもきみわれりしときひとうれへてつね苦悲くひす。
きみ顏色がんしょくおもて、かんむすぼれて心脾しんぴいたましむ。
きみおもひてつね苦悲くひし、夜夜ややぬるあたはず。
[……]

通釈 蒲がわたしの家の池の中に生えている。その葉は乱れることなく、はなればなれに立ち並んでいる。わたしどもの生活の行儀よさもそれと同じ。その頃あなたが行き届いた夫たるの道を行われたことは、わたしが一番よく存じていました。ところがあなたは多くの人々から金をもとろかすようなかげ口をたたかれて遂にわたくしと生きながら別れねばならぬことになりました。
 おもえば、あなたが立ち去られた後の、わたしひとりのやるせなさ。いつも悲しみにとざされて、あなたのお顔をおもいうかべては、心結ぼれて胸がいたくなるばかりであります。あなたを思うては、たえまなく悲しみ、毎夜ねることもできませんでした。[……]

内田泉之助『新釈漢文大系 第60巻 玉台新詠(上)』(明治書院、1974年) 卷二 樂府塘上行一首(甄皇后) pp.129-131

虎嘯龍吟 24話(66話「狙われた郭照」)

曹丕そうひ折楊柳行せつようりゅうこう」より

郭照に娘を呪殺されたと主張する曹叡に、司馬懿が不可能だと説く。曹丕作の楽府で、長寿を祈願して歌われる神仙楽府というジャンルになるそうだが、その後半は神仙思想を否定する内容となっている。

(曹叡)
陛下难道总了
先帝也曾赋诗破除仙蛊之术吗

(司马懿)
达人识真伪
愚夫好妄传

先帝确实说过这样的

(司馬懿)
先帝も仙術や巫蠱は
詩で否定なさいました

(曹叡)
“賢人は真偽を見極め”
愚夫ぐふは虚妄を広める”

確かに先帝は そう詠まれた

西山一何高,高高殊無極。上有兩仙僮,不飲亦不食。與我一丸藥,光耀有五色。服藥四五日,身體生羽翼。輕舉乘浮雲,倏忽行萬億。流覽觀四海,芒芒非所識。彭祖稱七百,悠悠安可原。老聃適西戎,于今竟不還。王喬假虛詞,赤松垂空言。達人識真偽,愚夫好妄傳。追念往古事,憒憒千萬端。百家多迂怪,聖道我所觀。

中央研究院 漢籍電子文獻資料庫 史/正史/宋書/志 凡三十卷/卷二十一 志第十一 樂三/大曲/西山 折楊柳行 文帝詞

虎嘯龍吟 25話(67話「残された者の宿命」)

李康りこう運命論うんめいろん』より

陳羣の墓前で、曹叡を批判する司馬師に答える司馬懿。日本語字幕では「出る杭は打たれる」と置き換えて意訳されている。李康は魏の文人で、世俗に交わらず、曹叡に高く評価されたという、同時代の人物である。
なお中国語の「台阶」(階段)は手段、機会、逃げ道の比喩に使用されるようで、ここでは実際の凌雲台(日本語字幕では陵雲台)の階段と掛けられている。ちなみに海外版DVDの英語字幕では「已经是仁至义尽了」(もはや仁義は尽くした)の部分は主語を曹叡とし、慈悲を見せた(=逃げ場、機会を与えた?)となっていたがどうなのか……

木秀于林
风必摧之

凌云台的台阶
是陛下
给你爹留的
已经是仁至义尽了
只是我不知道
我能不能把这台阶
下到最后

出るくいは打たれるものだ
陵雲台の階段を
陛下に用意され 私は下りた
もはや仁義は尽くした
だが分からぬ
この階段を最後まで
下りられるのか

[……]夫忠直之迕於主、獨立之負於俗、理勢然也。故木秀於林、風必摧之、堆出於岸、流必湍之、行高於人、衆必非之。[……]

通釈 [……]忠実で正直な臣下が君主に逆らったり、独立の志を持った者が世俗に背くのは、理の勢いとして当然のことである。もとより、一本の木が林の中で他の木より高いと、風が必ずこの木を吹き倒し、堆積した土砂が岸から突出すると、速い水の流れが必ずこの土砂を押し流してしまう。人の場合も、他人より行いが高潔であると、多くの人が必ず誹謗する。[……]

竹田晃『新釈漢文大系 第93巻 文選(文章篇)下』(明治書院、2001年) 運命論(李康) pp.255-256

台阶 táijiē

2 〈喩〉(引っ込みがつかない場面などでの)助け船,逃げ道,機会.
给他个~下吧
彼に助け船を与えよう.

『中日辞典(第3版)』(小学館、2016年)

論語ろんご為政いせい篇より

曹叡に謁見する司馬懿の言葉。五十歳をいう「知命」の語源である、日本でも有名な『論語』のフレーズ。

孔子曰
人过五十乃知天命
臣已经六十了
虽不足以知天命
但自己的命
臣还是知道的
活到这个份上
这命啊
也就由不得自己了

孔子こうしいわく
“五十にして天命を知る”
私はよわい60になっても
天命を知りませぬが
己の宿命は存じております
いくら長生きしても
宿命にはあらがえませぬ

五十にして天命を知る

〔文〕五十歳になって自分にあたえられた使命を知る。〔「論語」のことば〕

『三省堂国語辞典 第八版』(三省堂、2022年)

子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、

子の曰わく、吾れ十ゆう五にして学にこころざす。三十にして立つ。四十にしてまどわず。五十にして天命てんめいを知る。六十にしてみみしたがう。七十にして心の欲する所に従って、のりえず。

先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命てんめいをわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」

*天命——朱子の新注は、天が物に賦与した正理でものごとのあるべき道理だと解し、それに従って人間の内的な道徳的使命とみる説が有力であるが、「命」字の用例から帰納すると、天のさだめごと、人間の力をこえた運命としての意味が強い。天は不可知なものである。

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 為政第二 pp.35-36

古詩こし十九首じゅうきゅうしゅ・第五首より
曹植そうしょく薤露行かいろこう」より

郭照の死に憂いに沈む司馬家で、琴を弾かなくなった柏霊筠と、司馬懿の会話。

(柏灵筠)
不惜歌者苦
但伤知音稀

家中发生如此变故
妾如何能弹曲呢

(司马懿)
人生一世间
不若风吹尘

斯人已逝
逝者如斯

(柏霊筠)
“歌い手は
 知音ちいんの少なきを嘆く”

こんな時に琴など弾けませぬ
 

(司馬懿)
人の一生も
吹けば飛ぶようなもの

誰が死のうが この世は続く

西北有高樓 上與浮雲齊
交疏結綺窓 阿閣三重階
上有弦歌聲 音響一何悲
誰能爲此曲 無乃杞梁
淸商隨風發 中曲正徘徊
一彈再三嘆 慷慨有餘哀
不惜歌者苦 但傷知音稀
願爲雙鳴鶴 奮翅起高飛

[……]思うに、歌う人は、その身の歌う苦しさはいとわぬが、曲の心を知ってくれる聴き手の少ないのを悲しんでいるのだ。いっそ鳴きかわす一つがいの鶴にでもなって、翅を奮って空高く飛び立ちたいと思うことだろう。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 雑詩上(古詩十九首) pp.559-560

天地無窮極
陰陽轉相因
人居一世間
忽若風吹塵

願得展功勤
輸力於明君
懷此王佐才
慷慨獨不羣
鱗介尊神龍
走獸宗麒麟
蟲獸猶知德
何況於士人
孔氏刪詩書
王業粲已分
騁我徑寸翰
流藻垂華芬

天地てんち 窮極きゅうきょく
陰陽いんよう てんじて
ひと 一世いっせいかんること
たちまち かぜかるるちりごと

[……]

 天と地は永遠に存在し、日月や四季はつぎつぎに交替をくりかえす。
 だが、人の送る生涯は、急速に変転すること、まるで風に吹かれる路上の塵のごとくである。
[……]

伊藤正文注『中國詩人選集 第三巻 曹植』(岩波書店、1958年) pp.139-141

公開:2022.07.11 更新:2022.07.24

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