呉軍決死隊カルテット

 追記・注意:これを書いたときは諸葛靚の役職が大司馬ということを知らなかったので、不明という前提になっています。その他いろいろ間違っている部分もあるので、信じないでください……

その1

 晋呉決戦の、呉軍決死隊カルテット(今適当に命名)について復習、というかキャラ確認。いろいろ間違っていると思うので知らない人は信じないでください&詳しい人は生ぬるくつっこんでください。

 丞相・軍師:張悌
 護軍(護軍将軍?):孫震
 丹楊(丹陽?)太守:沈瑩
 副軍師:諸葛靚

 この軍勢は三万。近衛軍&特殊な精鋭軍を率いて、どうやら最後の切り札として出陣した、っぽい。まあ、もう後がなーい! って感じであるのは確かだと思う。全体的に、調査不足により構成と序列がよくわかっていません。

張悌

 とりあえず彼は丞相(ややニワカ)であり、この軍勢の総司令官のようだ。元々軍師で、丞相でありつつ軍師でもあるようなんだけど、軍師ってどういう役職なのか? 朱然とかが軍師だったよね……

孫震

 孫震は、家系図サイトさんで辿ると孫堅の兄のヒマゴなので、孫晧と同世代で遠縁の孫家の人、ってことでいいのかな。護軍というのは中護軍と同じなんだろうか、まあとりあえず近衛軍関連の司令官のようだ。官職系ほんとわからない! 素人向けにまとめた本とかないのー?(なお晋書では孫震は大将軍となっているようだけど……)だがしかし、孫震は結局この戦で具体的にどう行動したのか不明で、台詞(笑)もないしまったくもってイメージがつかめない。存在感薄すぎる。最後は張悌、沈瑩とともに、王渾の配下に討たれて戦死。

沈瑩

 沈瑩は、某ゲームではなんか体育会系だったけど、精鋭兵(青巾兵)を率いていたというところからキャラ付けされたのかなーと勝手に推測。沈瑩は将軍位は不明だけど、丹楊郡太守。(あれ「丹楊」と「丹陽」って同じ?)都のあるとこの太守ってことは、沈瑩=都知事な感じか。丞相、近衛軍の指揮官(予想)と並んでそれっぽいメンバーである。沈瑩も台詞ほとんどないので人となりは推測困難だけど、彼には『臨海水土異物志』という著作があり(最初単なる同姓同名の人かと思ってたら、実は本人のようである)、ということは地理学者?(゜ω゜)うーん都知事で地理学者(※短絡的発想)で、唯一の台詞から推測(妄想ともいう)するとすれば、現実を見つめながらも諦めないタイプ(沈瑩の進言は感傷系理想派の張悌に却下される)。沈瑩落ち着いた文化系キャラ? なぜ彼がここで青巾兵を率いていたのかはよくわからないが、常日頃から沈瑩が鍛えてたー、というわけではないのかもしれない。青巾兵は過去には活躍していたが、ここでは役に立ってない。原文見てないけどちくま文庫の訳だと、過去に活躍した精鋭軍を、このときはじめて押しつけられ、大敗北。……というようにも読める。とりあえず沈瑩は、本職は将軍タイプではないっぽいかも。

諸葛靚

 問題は諸葛靚。正直彼のポジションが一番わかってません。副軍師って、そもそもなに? 軍師の副官なんですか? まあ、他のメンバーに鑑みて、諸葛靚も宮中の軍+αあたりの人なんでしょうか。もうわかんないので張悌の副官ってことでいいですか……! というか誰か教えてください、結構これ切実! 孫震、沈瑩よりは格上?

全体的に

 もうひとつの問題は、猛将系がいなくてキャラが被りすぎということだ。笑 都知事で地理学者な沈瑩が某ゲームでなぜか強引に体育会系なのも、バランスとしては正しいようである。

 でも、このメンバーは本来ならば外敵とハードに戦うようなポジションではなく、中央での政が本職、孫震あたりもほんとは優雅に帝を護っているだけのはずの(この時代に近衛軍が敵国の軍に突撃するってもうよっぽど切羽詰まった事態のときだけじゃない?)人たちばっかりつまり戦慣れしていない文化人ばっかり。で正しいのかもしれない。

 そもそも諸葛靚文化系寄りなイメージ、で入ってしまったことが多大な間違いだったような気がする。この中では彼が一番武官ぽくないですか? 使者ぶった斬るし、一応戦勝歴もあるし、司馬炎様が大司馬にしようとしてるし(司馬炎様の考えることはあんまりあてにならないかもしれないが!)。……コーエー三國志のせいだーコーエーの仲思たんの顔グラが超文官系だったから!(そういえば孫震とか沈瑩なんて、居たかどうかも覚えていないが、マイナーすぎて居ないかも)

 ところで孫震、沈瑩はまたしても字が不明? 私も索引が欲しい……。笑

その2

 漢代の役職等が載っている資料サイトさんを教えていただきました(ありがとうございますー!)。なんか……護軍将軍は思ったより偉くはないみたい……? 笑 結構変遷があると思うので、三国時代には違うってことがあるかもしれませんが。

 ただ護軍将軍と護軍って同じなのか謎です。実はオンラインで読んだ原文によると孫震の説明は「護軍将軍」ではなく「護軍」。ただこれは、他にも同様の例があるけど(原文「鎮軍」邦訳「鎮軍将軍」など)、ちくま三国志の巻末の三国官職表には「護軍将軍」というのはない。同じなのか別なのかでエライ度(?)が変わってきてしまうような気も……! こちらも魏晋の制度と、呉の制度とどこまで同じかって問題があるんだけど。まあ学術研究じゃあるまいし、だいたいの雰囲気でいいんですけど、でも気になるのよね。

 これも教えていただいて思い出したのですが、諸葛靚の将軍位は右将軍。265年武昌遷都事件の際にはすでに右将軍なので、280年の時点ではもっと出世してるんじゃないかって気もする。単に書かれていないだけで。(ほんと出番少ないよね……。出てくれば必ず目立つのに!)

 ちくま三国志の巻末の三国官職表では、丞相一品官、右将軍三品官、中護軍(のちに護軍)四品官、郡太守五品官(「太守はすべて将軍の名号を加える」ちなみに太守のお仕事は「郡民の統治、官吏の推挙、犯罪の取締りなど」。)となっている。

 総合的に考えて決死隊カルテットの序列は「張悌>諸葛靚>孫震>沈瑩」という予想。そしてやはりどう見ても仲思たんが最も武官。司馬炎様から大司馬のオファーが来るのもそこまで突飛過ぎはしないのかもしれない。

 ちなみにこの官職表に、軍師という名称は各府にあるものの、呉の軍師とは違う模様。呉ではたとえば朱然が左大司馬・右軍師、丁奉が右大司馬・左軍師になっていたりするので、付属的な権限か何かなのかと思われる。なので丞相になる前の張悌も何か別の官職があって、かつ軍師だったのかな。

 皆して年齢不詳なんだけど、諸葛靚は幼なじみの司馬炎と同年代と勝手に推定すると、四十代半ば。張悌は子どものころ諸葛亮に推挙され(?)て、この時は丞相ということから考えるに、それなりにいい歳っぽいが、孫震、沈瑩はたぶん諸葛靚より年下だろう。創作で実年齢を考えるのは(萌え的に)タブーなんだけど参考までに。

 ちなみにマイ設定では諸葛靚は司馬炎様より一歳年下、イコール司馬伷より十歳年下ということになり、姉の旦那としては年近すぎやしないだろうか。うーんもしかすると、諸葛靚はもっと若いのかもしれない。

 ところで諸葛靚は、上官なのにも拘わらず張悌を字で呼んでいる。普通はそういうもの? それとも、個人的に親しかったんだの? 実際上官に呼びかけるのってどうするのが普通なんだろう。日本語の「〜殿」みたいな敬称も実際にはないようなので、「おいジョン!」くらいのノリに見えちゃうんだけど。やっぱりこのひとたちすごい仲良しっぽく……見えるよね……

 実際のところ、現実に具体的にその台詞を言ったわけではないだろうけど、それを言うとすべてがそうなので、史書類に書いてあること=仮想真実であり原作と考えている。

 脳内設定で、孫震と沈瑩のキャラ考え中。孫震はあまりに手がかりがなさ過ぎる。沈瑩はどうしても熱血寄りのイメージが拭い去れず、熱い太守さんのイメージが。そもそも地理学や民俗学って、文化系というには身体を張っているイメージがあるのは私だけ? 地図作るために国中行脚したり、未開の地に進入して原住民と生活を共にしたり(どんなイメージ)。いや沈瑩の本はたぶんそーいうのとは違って、地方長官として地域のことをまとめたのかなとも思うけど、何分本文が残ってないようなので。キャラとしては、サバイバー学者さんのほうがいいのではないでしょうか。

2007.09.02