差別される呉

 最近気になることのひとつが、呉の差別され具合。三国志ファンの間で、という意味でなく、当時の現実的に(三国志ファンの間でも差別されていないわけではないが……)。某ヒゲ氏の暴言あたりはまだ、あいつムカツク! で済むが(?)陸機あたりの時代になると、精神的問題で済まないよねー、とひしひし感じる。

 しかし、一口に呉の人といっても必ずしも先祖代々呉(の地方)に居た人、ばかりではないわけだが、そのへんどうなんだろう。

 人格者として知られる羊祜も、呉の文化を見下す発言をしている。こうした意識は、個人の性格とはあまり関係のない次元だろう。もっとも羊祜の場合は、意図的に悪口を言ってるわけではなく、標準的な認識として述べているというか。

 羊祜はその呉の人間である陸抗のことを一体どう思っていたのか。無意識の差別対象に属する相手と結ぶ信義に、歪みは生じなかったのか。そもそも、羊祜が陸抗について何か言及したという記述はなく(演義の場面ではあるけど)、陸抗羊祜の片思いイメージが強くなるんですけど。笑

 そして呉へ亡命・投降した北の人はどう思っていたのか。やっぱり私としては諸葛靚の心理が気になるところ。創作・物語的にいえば、彼にこそ頑固な差別意識を持っていて欲しい。その上で、敢えてそこに属さなければならない自分の人生に対して複雑な思いであったりするといいなと思う。だけど諸葛氏一族は元来多方面に分散しているところから、少し事情が違う気もする。

2007.05.20