西陵の戦いメモ、の没メモ

 『晋書』によると「武帝泰始六年冬,大雪.七年十二月,又大雪.」とのことで、272年1月〜2月は大雪だったらしい。この頃ってちょうど西陵の戦いの終盤? と思ったけど、落ち着いて考えてみると西陵の戦いは泰始七年の秋から冬にかけて起きたので、この年も大雪だったかどうかは不明……というか書いていないってことは、それほどではなかったってことになる。

 小説を書いていたときは、勘違いしていたので、天候は創作ってことでスミマセン。笑 いずれにせよこの大雪って洛陽近隣のことだろうから、それより温かそうな西陵で雪ってことはないかも。

 ところで歩闡が叛乱を起こしたきっかけは、孫晧が中央に召し還そうとしたことによるらしいが。歩闡はちょうど収穫期の直後に戦が起きるようなタイミングで叛乱を表明しており、籠城するにはわりと都合が良い。もう少し開戦が早ければ、敵軍(呉軍)にみすみす兵糧を進呈する状態になってしまうところだっただろう(焼いちゃうとか対処はするだろうけど)。さりげなく計画的籠城だった?

 歩闡もなぞめいた行動が結構好きな私。歩闡が好きとか三国志ファンの0.01%もいないんだろうな……(楊肇もだけど)。三国志が彼の字を記してくれなかったのが遺憾でならない。気になるっていうか創作上困るんだよー。(※歩闡の字については後日判明しました)

2007.04.17