西陵の戦いは本当に名将対決なのか

 陸抗は名将とされるが、西陵の戦い以外のキャリアは結構、敗戦ばかりだったり。

 羊祜も、一般的に名将という認識な気がする(コーエーのシミュレーションゲームでも「統率」や「武力」が高かった。しかも武力は陸抗より高い。この場合の武力は一騎討ちなどの能力みたいだけど、それにしても彼って武芸得意だっけ?)が、軍事上の具体的な功績が思い出せない。むしろ有名な活躍は文官としてのような気が。もしくは、呉平定戦の立案者(ということに世間的にはなっており、私もそう思いたい……が、微妙なとこではないかとも思う)としての天下統一ボーナス加算が大きい?

 結局、西陵の戦いって、後の世の人が思うような、名将対決! って感じではなかったのかも。結構その場のなりゆきだったのかも。陸抗ファンとしては禁句かもしれないが、晋軍は全体的に人選をもっと歴戦の強者にしておけば、勝機もあったのでは。とはいえ現場は羊祜らの指揮下だったので、無関係の人を派遣するというわけにもいかないのかな。

 余談ながら、コーエーのゲームといえば。吾彦のパラメータがすごい低かったので、えー! と思って勝手に書き換えて(特に武力が低いのはありえない!)強くしてプレイしていました。そんなプレイヤー全国で何人いたんでしょう。もういっそ私だけかもしれない(被害妄想)吾彦は呉末期の貴重な人材なので有名になって欲しいのに。

2007.04.13