水魚の交わりの裏側に

たまには蜀漢のひとに萌えてみる?

 基本的に呉のことしか頭にない私だが……

 色々な意味で、目下ハマっている『図解雑学 三国志』。これは、題名からイメージするような「三国志という漠然とした包括的なものの蘊蓄がわかる本」では決してない。「三国時代という歴史の流れに関する渡邉先生の論をわかりやすく図解したもの」と思って読んだ方が良い。

 さて。劉備が死去するにあたって諸葛亮に後事を託す際、劉禅を補佐して欲しい、しかし劉禅に才能がなければ諸葛亮自ら代わって君主となってほしい、と言い残した話(細かくは違うかもしれないが……私にその辺の知識を求めてはイケマセン)なんだけど。

 通常、これは君臣の忠誠と信頼の美談として捉えられている。この言にも拘わらず(そして実際に劉禅には才能がなかったにも拘わらず ※個人的には必ずしもそうとは思わないけど)、臣下として国を支え続けた諸葛亮に忠義を見る、というのが一般的な見解のはず。

 が、この本はどちらかというと、これを覆す説を支持している。それによるとこれは、諸葛亮を警戒していた劉備が釘をさした、のだそうだ。敢えて「なりかわってもいいよー」と言っちゃうことで周囲に諸葛亮への警戒を抱かせ、逆に牽制するという策なのである。うわ、素敵かも!笑

 渡邉先生によると、劉備は諸葛亮に対しては、必ずしも関羽や張飛などに対するような全面的な信頼を置いてはいなかった。(もちろんここで例の「名士」問題が絡むんだけどね)

 私は基本的に蜀漢というか、劉備一派があまり好みじゃなくって……その理由のひとつが、まあ偏見かもしれないが「内輪の愛憎・緊張関係」があまりメジャーなところで存在しないように見えるところにある。みんなお互い信頼し合っていて、物理的にはともかく、精神的には決して最後まですれ違わない。どうもそんなイメージが強くて、殺伐として絶望的にすれ違いまくる関係性に萌える私には物足りないわけなのです……

 なので是非とも劉備と諸葛亮は、上記のような関係性でお願いしたい! 如何ですか!

 君臣の愛、というのはあっても良いの。志は同じ。それでも各々が個別の人間であり、バックグラウンドも立場も違う。野心もあり、含むところもある。その諸々が折り混ざった、一見清らかな君臣関係、その実は緊張関係、だと素敵。愛している、けれども信じてはいない。信じたいのかもしれない。諸葛亮のほうではそんな矛盾に気づいていると素敵。劉備はもうちょっと悟ったというか諦観した感じで是非、笑

 ちなみにそんな私が蜀漢の中でわりと好感度の高い人物は姜維だったりするんだけど。この本だと結構こきおろされているー。全くもって詳しくないんだけど、イメージ的には、見果てぬ夢を追うあまり現実を顧みない純粋武官な感じで……頭が良いのに世渡りヘタな人っていうのがスキ。あと友達少なそうなとこ。笑

余談

 もうひとつ、『図解雑学〜』を読んで思ったのは、やっぱり仲達先生はかっこいい!! ということ。ただ、この人のかっこよさって非常に現実的な意味でのかっこよさであって、私にとっては「萌え」ではないんだな。仲達先生は、現実に傍らに居たらきっと人として才能や性質に惚れる。

2006.10.25