関羽のヒゲ袋

 珍しく呉以外の話題、しかも演義の話題です。

 前々から特定一部で話題の「ヒゲ袋」(仮称)について……これはどうやら曹操が関羽を囲っていたときプレゼントしたものだった模様。

 関公は酒がまわると、その髯をしごきながら呟いた。
「生きながらえて国に報ゆることもできず、その上兄者に背くとは、全くあさましい限りじゃ」
 と、曹操が、
「雲長、お許の髯はどれくらいあるかの」
「およそ五、六百本はございましょうか。毎年秋になると三本五本と抜けますので、冬は紗の袋で、切れぬよう包んでおりますが、〔人に会うときには、はずすのでございます〕」
 そこで曹操は髯を包むようと、紗の錦で袋をこしらえて、関公に贈った。翌る目の朝見のおり、帝は関公が錦の袋を胸に垂らしているのをお目にとめられてご下問あったので、関公は、
「臣の髯がすこぶる長いため、貯えおくよう丞相より袋を頂戴いたしたものにござります」
 と奏上した。帝がその場で袋をはずすよう仰せられれば、その髯は下腹にとどくほどであったので、
「まことの美髯公じゃの」
 と仰せられたが、これより人呼んで美髯公というようになった。

羅貫中作、立間祥介訳『三国志演義 上』(平凡社、1972年) 第二十五回 土山に屯して 関公三事を約し 白馬を救って 曹操重囲を解く p.222

 毎年秋になると……ってなんか動物っぽいんだけど!

 しかし、もらったら一応ちゃんと使用してあげる関羽。人と会うときはずすはずが、なぜか帝の前につけていっちゃう関羽。

 なおこの前に、曹操様は関羽の戦袍がボロいのをみかねて、新しく立派な袍を与えた。しかし関羽は、古い袍は劉備にもらった大切なものだから、と新しい袍の上に古いのを着込む。「嫌味なやつめ!!」と私は思っていたんだけど、今思えば、一応もらったのも着てあげてるんだよね。

 曹操様はこの後、赤兎馬まであげちゃうんだよねー、片思いは大変だ。しかし赤兎馬って馬のわりに長生き過ぎ……廖化さんもびっくり。北方三国志では中途半端にリアリティを出したかったのか、確か呂布の赤兎馬の息子ってことになってた。

2006.10.24

Tags: 三国志演義 関羽 曹操