『図解雑学 三国志』と家同士の結びつき

 渡邉義浩『図解雑学 三国志』(ナツメ社)という本を買った。歴史の参考書風で、私のような素人が正史の訳なんかを読んでもピンとこない、当時の基礎的な社会背景が親切に解説されていていい感じ。

 先に、孫家関連のところを少しピックアップして読んでみたり。これは雑学と言いつつ私にとって非常に斬新な視点を得られる本になりそう。多少、著者の意見こそが真実なのだというおしつけがましさも感じるが、そこはあくまで著者の唱える一説と割り切って読めばいいだろう。

 まず著者は「自己の名声を拠り所に社会的支配層となる知識人」を「名士」(鉤括弧付きで)と定義し、三国時代を動かしていく主役は武将ではなく「名士」であると言いきっている。君主は結局この「名士」の家柄と密接に関わることによって(完全に支配下におくわけではなく、互いに利用しているような感じ)支配を確立していく。

 一般的な三国時代イメージの魅力に、武力を頼りに乱世でのし上がっていく! とか、臣下と君主の絶対的な信頼関係! みたいのがあるが、それが良くも悪くもぶち壊しではある。笑

 たとえば一般に友情とされる孫策と周瑜の結びつきも、孫氏と周氏の結びつき、武力と名声を相互に利用する関係、ということになる(個人的な結びつきが無いという意味ではないが)。孫氏は実力でのし上がってきた地方豪族で、周氏は揚州を代表する名門だった、というのは以前から知りつつもそのことの持つ意味がよくわかっていないままだったが、こうしてみると納得がいく。

 また、周瑜が仲の悪かった程普にも敬意を持って接した結果、逆に程普は周瑜を尊敬するようになって和解した、というような話があって、これだけ読むと何故仲が悪いのかというところがわかりづらいが、これはつまり孫堅時代からの軍部は「名士」と階層を異にしていたため、周氏という権威に従うことはなかった。しかしそこを、周瑜は名声のみならず行動によって心服させることに成功した、ということらしい。

 陸遜がなぜ配下たちにナメられていたのか、という理由も興味深い。単にキャリアのない若造だから、というわけではない、複雑な事情が伺える。

 陸遜は江東の「名士」陸氏の出身。この陸氏の一族をかつて孫策が袁術の部将時代に滅ぼした、というのは知っていたが、つまりそのせいで孫策(孫氏)と江東の「名士」とは対立関係にあったので、孫策(孫氏)が江東を支配できたのは周瑜(周氏)の名声によるところが大きいらしい。

 時代が進み、新興だった孫氏が強大になってきた結果、陸氏は対立関係を維持できなくなり(というか、対立関係から相互利用関係に移行することを選んだというべきか)、陸遜は孫権に仕えるに至ったようだ。陸遜が孫策の娘を娶っているのは、孫氏と陸氏が婚姻によって結びつきを強めるという意味なのだろう。陸遜は、孫氏と江東「名士」との和解の象徴だったとこの本は言う。

 陸遜を侮って従わなかった者たちというのは、孫堅・孫策時代からの将軍や孫氏に連なる者が多かったために好き勝手な行動をしていた、というような感じに「陸遜伝」には書かれていたが、つまりそれは陸氏がその名声によって従えることができない立場の者たちだった、ということなのか。

 そしてさらに、陸遜が命を落とすことになる「二宮事件」にも、この孫氏と江東「名士」との対立問題は絡んでいるようで。


 陸遜と陸遜夫人の関係性は、物語的に美味しいと思う。単なる政略結婚ではなく、お互いに人質っぽいところが素敵。

2006.10.13