2011.11.13 近況と雑多メモ(2011年7月〜11月)

 ここ数年ずっと音楽方面の趣味にひきこもっていたのですが、最近、少し三国志に戻ってきています。

近況

  • 主にTwitterに生息しています。(オタク話用: @htjk 日常用: @maryflower
  • 私の中で264年の永安の戦い(仮名)の認識が大幅変更された。
  • 今さら、コーエーの三國志11を買ったのでしばらく遊んでいた。
  • 陸抗のゆかいな息子たちという認識だった二陸の個人としての魅力を再認識。
  • なぜか唐突に陳泰にはまった。まさかの魏。
  • 小説ページの「光明」をとても微妙に追加修正。今さらすぎる。続きは……いつか書きます。たぶんあと一話くらいで完結(?)なので。
  • オフライン活動などしたこともない(どころかイベントに行ったこともない)身でありながら、三国志末期アンソロジー第二弾にお誘いいただきました。ドキドキ……! ※アンソロ詳細については下記サイトさんへ!
    創作三国志末期アンソロジー2「朱火青無光」
    追記:アンソロでは諸葛靚を主人公にした話を書かせていただきました。

 以下いろいろと、コラム未満のつぶやき。

将軍など

 「三国官職表」によると例えば、征将軍(=東西南北)は資格の高い場合、大将軍になるとある。たとえば呉でも「征北将軍」と「征北大将軍」などいるが、これらは基本的には同じもので、資格の高さによって名称が変わる、と思って良いんだろうか。確かに、年代順にみると同一のの「征将軍」と「征大将軍」が同時に居たりはしなそうである。

 ……そうなると、階位としては同じなのだろうか。そもそも「資格」とは何なのだ?(゜ω゜)指揮権とか?

陸家と天下統一

 ゲームでは武将ごとに「現状維持」とか「天下統一」みたいな、基本戦略のパラメータがあった。そして確か、うろ覚えだが、陸抗は「天下統一」の類だった。

 しかし。ゲームでは情勢の変化が自在なのでいいとしても、実際に陸抗の時代においては、天下統一なんて孫晧の妄想でしかない。では陸遜の時代には、まだ現実的な望みはあったのだろうか。どうなんだろう。

 むしろ基本的に陸家って全員、内心では「現状維持」な気がする。陸家には、孫呉が天下統一してもそれほどメリットがない。かといって別にクーデター起こす気もない。従って、命じられれば攻めもするが、個人的には防衛重視の現状維持。というイメージである。

 陸抗には「末期の呉を護った人」というイメージがつきまとう。でも意外と陸抗のキャリアには「敵が攻めてきたが護った」みたいな純然たる防衛戦はない(戦わずして未然に防いでいる、という点を別とすると)。歩闡の乱は、攻防両面があるが、歩闡が叛した時点で西陵は晋軍となったわけで、呉軍は攻める側。同時に羊祜軍と徐胤軍から各方面を護ってはいるが、晋軍の目的は自国領・西陵に攻めてきた敵軍(陸抗)を退けて歩闡軍を救済することであって、羊祜・徐胤らの方が防衛側という認識である。

 逆に、永安の戦いは呉軍が攻めているものの、攻めの戦というイメージがあまりない。現状維持のための、マイナスをゼロに戻すための攻略戦って感じ。

武昌遷都について

 孫晧の武昌遷都については、陸凱が諫めているせいもあり、暴君の奇行の一環とされている節があるが、提案者は歩闡である。彼については謎が多いが、後に反旗を翻しているほどであるから、孫晧に阿るタイプとは思われない。この提案には、歩闡なりの理由があったはずだ。タイミング的に、国防上の意図のはずである。……と勝手に思っていたが、都が軍事拠点にあると機動性はいいけど敗けるときは一発で滅亡だよ、っていう説もあってよくわかんなくなっている。

孫休さん

 孫休の時代は、まあ期間が短いせいもあるが、人の異動が少ない気がする。そして即位後一度も改元してないし、落ち着いた人よな! 小心そうなのは策略であって、彼が一番腹黒いのでは……とは前々から思う。

孫晧を擁立した人たち

 孫晧は、最初は名君と期待されていたが次第に壊れちゃった、って感じに書かれているが、本当にそうだろうか?

 あのあたりの人は、自分たちが牛耳る……とまではいかなくても保身を図るために、後ろ盾の弱い孫晧を立てた。だが即位してみれば、都合よく操るどころか権威を振るいはじめたので、後悔バレて殺されちゃった! という説(定説かは不明だがどこかで読んだ)のほうが納得いく。

 そんな中、丁奉って巧く立ち回りすぎじゃないのだろうか(゜ω゜)彼は、猛将系と見せかけて実はすごい頭のキレるひとなんだろうな。

韋昭と孫晧

 孫晧の暴虐というのは、読者視点では別に許せるんだけど、韋昭(韋曜)投獄だけは残念な事件といえる……! 彼が無事に生き延びていたら、末期の謎の多い人たちについてはもう少し判明したのではないだろうか? まあ投獄が273年あたりのことで、すでに70代だったらしいし、呉書はその時点で完成しかけていたらしいし、関係ないかもだが。

 私はあまり、孫晧は自覚的に退廃的な道を歩んだのだろう、って思う派ではないんだけど。仮にそうだったとしたら、華覈が、我が国の歴史を正しく後世に残すためには韋昭の釈放を! と必死に訴えてるのはまさに逆効果と言えよう。

 歴史になんか残らず、夢のように消えたかった。

 そういう孫晧像も、いいかもしれない。

二陸

 二陸関連の論文をいろいろ漁っていると、件の陸雲陸機へのお手紙の全訳があるのには感動した。陸雲って案外、かなーりネガティブな子だな。自尊心とコンプレックスと。いろいろなジレンマに陥っていそうだ。

例のカルテット

 呉平定戦において最後に放たれた軍のメンバーについて。晋書の記載と総合すると、判明している官職は

張悌(丞相・軍師)
諸葛靚(大司馬・副軍師)
孫震(大将軍・護軍)
沈瑩(丹楊太守)

 このようになり、少なくとも上三人は、この当時の呉でも最上位の武官たちだと思う。しかしまともな実戦経験があったのかは(諸葛靚以外は)疑わしい。沈瑩の将軍位が不明なのだが……

三國志11

 ゲームの三國志11は、とりあえず仮想シナリオ・自作君主(孫魯育ちゃん軍)でクリア。やり方がつかめてくると前バージョンよりこっちの方がゲームシステムが好みだったので、今度は同じく仮想シナリオの孫登勢力でプレイしはじめる。が、途中で自勢力が強すぎて飽きてしまったため、「論客禁止」「末期武将以外登用禁止」など幾つか勝手な制約をつけてやりなおす。君主は諸葛誕。国号に迷った挙げ句、魏を建国して終わる。……史実シナリオ? そんなものもありましたね。陸抗が出てくるまで10年も20年も待っていられませんよねー。