吾彦と陸抗

 寒門の出ながら、猛獣も怖れぬ武勇に長身、結構あたまもよく、逆境に陥っても諦めず、さらには政治家としても結構できる(少なくともオジサンになってからは)という、呉末期の貴重な若手ホープなのにマイナーな吾彦。うちのサイトでは貴重な武闘派要員、かつ貴重な曲がってないキャラです。笑

初めは小将となって大司馬陸抗の世話になった。陸抗はその武勇胆略に目を見はり、抜擢してやろうと思ったが、人々が納得しないことを心配した。そこで諸将を宴会に招き、こっそりとある人に言い含め、気違いのふりをして刀を抜き、飛びかかって来させた。座中の諸将はみな恐怖して逃げ出したが、ただ一人、吾彦だけは動揺せず、机を掲げて防いだので、人々はその勇気に感服した。そこでようやく彼は抜擢された。

「むじん書院」三国志小事典

 これは、気違い(のふりをした人)が陸抗に襲いかかってきたので素直な吾彦は疑いもせず護ってあげたが、ほんとは当の陸抗に仕組まれていた! という話ってことでいいですか(*´∀`)

 こういうエピソードを見ると、彼らは古代中国人だなーと改めて思う。現代の感覚からすれば、何だかズレている上に過激。気違い(のふりをした人)が吾彦に斬り捨てられたらどうするつもりだったの陸抗! むしろ普通の展開ではそうなる気が。それとも宴席って帯刀禁止?(それにしては宴で斬られる人が続出しているような)使い捨て兵士だったのかな。そんなだから徳では陸喜に及ばないとか後々言われちゃうんだ。

 いいんだけどね。陸抗は結構冷酷な一面のある人だと思ってる。護るべきものは全力で護るけれど、障害はばっさり斬り捨てる。歩闡一族を赤ん坊まで殲滅したからどうの、と叩かれている記述にときめいている私としては、全然問題なし。もっとも歩闡の問題は、情より法を優先したってことにときめいている。(ほんとはこの注釈は結構、いいがかりだとも思うけれど)

 それにしても、恐怖して逃げ出す他の人たち。末期のヘタレ呉軍の雰囲気が出ていて素敵である。現実的なことを言うと、吾彦を讃えるため大袈裟に書いているんだろうけど、それは禁句。

 そんなわけで、陸抗大好きで憧れたり怖れたりしつつ、物理的には護ってあげたいと思っているといいな。というのがうちのサイト的な吾彦像。って別に陸抗がか弱いというわけではなくて、吾彦がずば抜けて強いってことで。

 陸抗にしてみれば、目をかけてあげた子がすくすくと優秀な武将に成長しそうな気配に希望を感じつつも、やはり立場上、本音を打ち明けたりということは、なかなか出来ないのではないか。吾彦が陸抗を慕っていたとしても、彼自身の孤独感は依然としてそのまま。

 吾彦は王濬らが呉平定に備えて艦を建造していたころには、建平太守になっており、最後の戦いではその城を守り通した。西陵の戦いでは役職は不明ながら陸抗の元で従軍。このときから建平太守だった解釈されていることが多い(?)が、それならば西陵軍ではなく徐胤軍と戦ったんじゃない? 西陵の戦いで功績をあげて昇進したのかなーとも思うけど、創作的には陸抗存命中は陸抗麾下ってことでもよかったかも。しまった……。笑

 晋時代の吾彦は、呉が滅びた理由について孫晧を弁護していたり、某ひげリボン氏にいじめられかけるも堂々と反論したり、ファザコン二陸にいじめられたり、とさりげなく未だにいじめられっ子路線のようだが、きっとめげてないだろう。二陸兄弟は、パパが文化系の息子らよりも、将軍として優秀な吾彦を息子みたくかわいがっていたので嫉妬したのではあるまいか。笑

2007.06.26