黒い人々

 司馬昭が亡くなったとき、呉では弔問の使者として外交官の張儼《ちょうげん》という人らを送り出した。張儼が晋に到着すると、賈充裴秀荀勖が「彼が知らぬことをもち出してやっつけようとしたが、困らせることができなかった。」一方、羊祜何楨はそれぞれ張儼と厚い友情を結んだとのこと。(孫晧伝注『呉録』のネタ。なお張儼の息子の著書)

 これぞ性格の違い。……羊祜は暢気すぎる気もするが。笑


 荀勖(荀勗)は鍾会の甥っ子でもあるらしい。さすがの血筋である。

 しかしこのあたりの派閥って、例の呉討伐のときのケンカに限らず、いろいろ常にモメてるのね。張華が陳寿を昇進させるように上奏したところ、魏書に不満だった荀勖は陳寿を讒言して左遷させたとか。で、その後、陳寿は杜預が助けたようだ。

 賈充とかの派閥の人がやたら黒い雰囲気を漂わせるのは、何らかの都合により脚色されているのか、それともただ単なる類友(性格差による思想の対立)なのか? しかし、呉討伐に積極的=好戦的なのは羊祜の側で、反対なのは黒い方々(仮)というところが、現代の感覚からすると逆のようでおもしろい。

2007.05.03