坑うめにしましょう

 晋vs呉の決戦の折、丞相・張悌は諸葛靚らの意見を退けて敵の降服を受け容れ、結果として騙され、最終的には戦死した。正直者は損をする。まあ張悌は、その可能性も知っていて高潔な態度を貫きたかったタイプの人かもしれないけれど。

 ※後日記:このあたりの詳しい経緯はコラムの諸葛靚のカテゴリに移動しました。

 注目は諸葛靚の名言。「戦闘意欲のないのに乗じて全員を坑うめすれば」。この時代としては普通なのかもしれないが、容赦なさすぎる。笑

 理想のために討ち死にを選んだ張悌や沈瑩(沈瑩は巻き込まれただけかも)は確かに一見、華やかで格好いいのかもしれない。けれど、結果として彼らに残された兵士たちをまとめ、辛うじて帰還した現実主義者の諸葛靚こそが、ほんとうに格好いい人だと私は思うのだ。そしてなお死ねなかった自分について、後ろ向きにいろいろ思っていると良い。

 張悌もちゃんと書いてみたいけど、彼について情報があまりみつからない。陸凱が、まともな人リストに挙げていることから、一応立派な人ではあったのだろうか。

 なんだか某大戦のキャラになったおかげで、一部で沈瑩と張悌のカップリングなど人気が出そうなのを見るにつけ、対抗意識&マイナー支持の血が騒ぎ、ハブられた(死語?)諸葛靚をひっそり推していきたいと思います……。も、振り向いて貰えない感じが似合うとも思う。丞相と沈瑩が意気投合してしまい、その熱さについていけない、と内心しょんぼり思っている仲思たん、とかも良いのではないかと。

 しかし当初、沈瑩の態度は諸葛靚寄りだった気がするのだが、どこかで押し切られたのか、それとも単に奮戦するも戦死してしまったのか? 張悌と沈瑩は、同時に倒されているように読めるが、単に王渾配下が討ち取った呉軍の将としてまとめられているだけかもしれない。

2007.04.23