夷三族と歩闡の処刑について等

 夷三族とはつまり三族皆殺しの刑、という極刑。この三族とはどこまでの範囲なのか? 諸説あるらしくて、よくわからない。

 本人とその息子は確実だとして、諸葛恪が処刑されたときに弟の諸葛融も殺されていたり(というか追われて自害したのだっけ)、陸機が処刑された時に弟の陸雲&陸耽も処刑されているので、兄弟も含まれるようだ。

 諸葛誕の乱のときに娘(諸葛靚の姉)が処刑されていないことから、子でも娘は対象外なのか、既に嫁いでいれば一族とみなされないのか。しかしその場合も、陸抗の妻の例を見るに、離縁されたりすることがある(むしろ普通?)ようだ。

 その他の例を調べてみたいけれど、また今度……

 ところで、陸抗が歩闡の三族を処刑したことについては、裴松之がバッシングしている。赤ん坊までも殺したので酷い、ということらしい。そういう刑罰なのなら、非難されるのもおかしいのでは、と思っていたが、もしや通常は対象外となるところまで処刑したのだろうか? それにしても、男子の赤ん坊はいずれ成人男性になるのであって、赤ん坊だからといって対象外というのも不自然な話であり、やはりこのバッシングはちょっとこじつけっぽいのだが。

 そもそも陸抗はそんな重大な決定権を持っていたのか? 孫晧の命令に従っただけではないのか? とも疑問に思っていたのだが。

 処刑された歩闡は西陵督であったが、陸抗は都督信陵・西陵・夷道・楽郷・公安諸軍事であったため、たぶん歩闡は軍事面で陸抗の指揮下にある。そして具体的には不明だが確実に陸抗はなんらかの「節」を有している=指揮下にある軍律違反者を処刑する権限がある。極刑といえど要はシステマティックな軍規上の刑とすると、彼個人の判断で行うことはできると考えられる。

2007.02.26