ドラマ「軍師連盟」の荀彧と「空の器」

 2022年4月からのBS放送に合わせ、数年ぶりに「軍師連盟」を配信で見直しているが、Twitterで書くには長文なのでこちらで。

 ※19話までの内容に言及しています。(※特に、18話で明かされる書簡事件の真相のネタバレを含みます)


 なお前提として、私は歴史上の荀彧は最後まで曹操の味方であったと考えている。いずれ世間に「正しい」と見られるやり方で曹操を皇帝の道へ導くことに異存はなかったのではないかと思っており、少なくとも巷の「漢への忠に殉じて曹操と決別して死ぬ荀彧」という通説は解釈違いなのだ。

目次

「空の器」のミスリード

 ドラマの話に戻る。

 16話で曹操から贈られた器には「君幸食」(追記:前漢の長沙馬王堆から出土した漆器に記された文言)と記されていた。「食べてね」というメッセージ?(字幕は「令君に贈る」と意訳)荀彧は開けながら、中身が空なのを確認して震えるが、やがて笑ってこう言う。

出仕三十年
荀彧今日终无汉禄可食
荀彧明白
荀彧明白
大王
又何必多此一举呢

出仕30年にして
もはやかん王朝のろく
私が得ることはない
空の器の意味を
しかと受け止めた
大王よ
ここまでせずとも
よいものを

 ※「多此一举」は「余計な世話をする、いらぬことをする」の意。

 荀彧は官服を持たせ、毒を取り出し、おそらく直後に自害した。一見、これらは「漢への忠に殉じて曹操と決別して死ぬ荀彧」の通説に則った展開に見える。

 しかし、そんなありきたりの展開では終わらせないのが「軍師連盟」。

明かされる真相、漢臣荀彧への決別

 18〜19話で、荀彧崔琰司馬懿と謀り、自分の死を利用して曹操に道を示したという真相が明かされる。となると、16話の言動は、書簡の真相を巡るミステリー展開の中の、三国志的な通説を利用したミスリードであった。

 考えてみれば、曹操からの贈り物を「漢の禄」の比喩とするのは矛盾する。しかし漢の尚書令たる荀彧を食わせていたのは漢であり、曹操は「お前に漢の禄は食ませない」=お前は魏王曹操の臣だ、というメッセージを送ったのではないか。なかなか熱いヤンデレ愛である。そして荀彧もそれを理解した。

 視点を変えてみると、「荀彧今日终无汉禄可食」とは、もはや漢王朝の禄は食まない、という荀彧自身の積極的な宣言に聞こえくる。既に曹操のために死ぬと覚悟を決めていた荀彧は、曹操のメッセージに「こんな余計なお節介を焼かなくても、お気持ちはわかっていますよ」と苦笑した。

 持たせた官服は、挨拶するように机に置いただけ。漢の忠臣として死ぬのなら官服を着て死ぬべきだが、これは逆に「漢臣荀彧への精神的な決別」であったため、着なかったのだ。毒を手にした顔は穏やかで、絶望の色はない。

 軍師連盟の荀彧もまた、漢のためではなく、曹操のために死んだのだ。

荀彧から曹操への「君子の愛」

 歴史上の荀彧は、曹操を強引に魏公にしようとする董昭らに反対し、「君子愛人以德」と言った。君子は徳をもって人を愛し、小人は姑息(一時しのぎ)をもって人を愛する、という礼記の言葉に基づき、お前たちの曹操への思いは目先のことしか考えない小人の愛だと批判したのだ。荀彧が漢を存続させるべきという立場か否かはこれだけでははっきりしないが、少なくとも反対の動機は主君曹操に対する「君子の愛」であった。しかし、曹操はそれを自分への批判と誤解したのか、距離を置いてしまった。

 ドラマに戻り、一見、荀彧の漢に対する思い入れに見えたものは、やはり、このような「君子としての生き様」であったのだろうか。司馬懿が主人公という性質からも、「軍師連盟」は漢王朝の存続を絶対の正義としては描かない。聡明な荀彧が、ここに来て単純に漢の亡霊にしがみつくはずはない。

 歴史上の荀彧曹操のトラブルは、当初、曹操が魏公に封じられようとした際に起きるが、ドラマの荀彧は葛藤を抱きながらもそれを乗り越え、曹操が魏王となった姿までも見届けた後、その曹操のために死んだ。このタイミングを考えても、最終的に荀彧は漢王朝に固執していた考えを改め、もっと大局を見て、曹操が結果として漢臣でなくなること(皇帝となること)を肯定したと思える。

 曹操を救世の主君と認め、その思いに応えつつ、自分の君子としての生き様も貫く。それを両立する道が、死だったようにも思える。しかし曹操は、少なくとも18話時点では、応えてくれたとは思わなかったようで、19話で司馬懿と話してもなお、微妙な態度だが……

崔琰が語った「大魏」

 とはいえ荀彧はついに心中を(少なくとも視聴者に対し)明言しないまま去った。一方崔琰は、最後に牢で司馬懿と語り合う。

(司马懿)
那日尚书以大格局 大眼界
教导了晚生
让睌生明自
荀令君与尚书想要见到的
不仅仅是嫡庶正统
而是天下一统 百姓太平

 
(崔琰)
我们这代人哪
已经没什么选择了
后世说我们愚忠也好 迂腐也罢
总得有人去做吧
哪怕是一点光
也要给后来者照个亮

(司馬懿)
あの日 尚書は
大局を見据えるということを
私にお示しくださいました
じゅん令君と尚書が
目指していたのは
長子による継承のみならず
天下太平の実現だった

(崔琰)
我々の年代に
もう選択肢はない
愚直な忠義心を
後世に笑われてもいい
誰かがやらねば
かすかな光でも
のちの世を照らすことができる

 後世に我々が「愚忠」(愚直な忠誠心)「迂腐」(陳腐、時代遅れ)だと思われようと構わない、それでもやるのだ。後世の解釈とは、まさに今三国志ファンの大多数が抱いている「荀彧は漢のために死んだ」という類の「誤解」ではないか。崔琰の思いとは異なり、1800年経っても「漢の忠臣」らは愚忠とされるどころか、賞賛されているのだが。

 19話、酔いつぶれ目を覚ました司馬懿曹操と語り合う。

荀令君薨逝之日
臣曾去找崔尚书问罪
崔尚书一番言论
振聋发聩
崔尚书用自己的性命
匡扶大魏

荀令君じゅんれいくんが亡くなった日
私が崔尚書さいしょうしょを問い詰めると
さい尚書は声も高らかに
おっしゃった
国を正しい方向に導くため
身命を賭す所存だと

 字幕では「国を〜」と曖昧だが、原文は「匡扶大魏」で、「魏を」正しい方向に導くため、と明言しているのだ。

 さらに、崔琰は忠臣か奸臣かと聞かれた司馬懿は、こう答える。

臣以为
荀或 崔琰
可以为了魏国
为了天下
为了大王的志向
去匡正大王
去劝谏大王
这两个人是大忠臣

思いますに
荀彧じゅんいくならびに崔琰さいえん
と天下のために
命を捧げました
大王の志を尊重し
大王の過ちを正さんと
いさめました
あの方々は忠臣です

 ここでは字幕も「魏のため」と明言している。

 司馬懿が答えた「大忠臣」とは、曹操のリアクションからすると「魏王の」大忠臣ということだろう。曹操の問いはあくまで崔琰について(字幕は「奴ら」と複数だが原文は「他」で単数)で、かつ「漢の」忠臣か奸臣か、だったようにも思えるが、司馬懿はそれを超えた答えを返した。

 本来ならば、「魏王の忠臣」と「漢王朝の忠臣」は両立し得るもので、曹操が魏王として(皇帝にはならずに)天下太平を実現する、というプランもあり得る。だがドラマの展開の中で、これらは既に相反する概念となっている。

 「大魏」という表現は、魏国というより、将来の「魏王朝」を思わせる。この後、自分の後継者が「自分より更に強大になれば」天下を救える旨の発言をする曹操は、やはり将来の「魏王朝」を見据えており、司馬懿も、即ち崔琰荀彧もそれを肯定している。

 ただし、曹操(あるいは志を継いだ曹丕)が皇帝になるということ自体は、あくまで目的ではなく手段である。そうであればこそ、荀彧曹操のために死ぬことができたのだ。漢や魏といった王朝の枠組みを超えて天下太平を目指す、という概念は、「軍師連盟」の後に作られた同じ脚本家の三国志ドラマである「三国機密」のテーマでもあった。

終わりに

 それにしても。崔琰荀彧の決死の策が、(王朝の枠を超えた)天下太平に繋がる。司馬懿の発言でなんとなく納得してしまっているが、ここが何度か観ても未だに理解しきれないくだりである(単に私の理解力が及ばないだけだが……)。19話で司馬懿が言ったように、それは単に「長子を立てさせる」というものでないのは確かで、彼らは結局、個人としての曹丕に、もっといえばその参謀である司馬懿の才に賭けたということなのだろうか。それには、死以外の方法はなかったのだろうか?(そこは歴史物であるため、二人の死という結末ありきのストーリーではあるのだが)

 ……と、結局煮え切らない感想になったが、「軍師連盟」を通して観たのが何年も前で、この後の展開も忘れているし、さらに解釈が変わる部分があるかもしれない。本人の真意のわからない史書とは異なり、ドラマには一応制作者側の想定する「正解」がある。インタビューなど、どこかで言及されているのかもしれないが……

公開:2022.05.09 更新:2023.05.27

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