2014年3月 Twitter備忘録
三國志11は武将間に親愛とか嫌悪とかの設定があって、設定が一方通行の場合もあり、炎ちゃんが諸葛靚に片思いしていたり、賈充が司馬昭に片思いしていたりするよ。吾彦のあざな間違っていたりもするけど
— 羊子 (@htjk) 2014, 2月 28
革命家(反逆する) vs 忠臣(それを討伐する)、の図が好き。どちらも信念を持っているし使命感にかられて戦うが、決して相容れない。どちらかがどちらかを滅ぼさねばならない、という上で、個人的には友人だったりするとベスト。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 1
張悌の手を放してしまった諸葛靚、について、友達が「かわいそうなくらい現実主義」という評価をしたのを思い出してときめく。(友達はファンじゃないけれど、私がウザく主観混じりに語った結果……)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 1
「国に殉じるのが忠義だ」という張悌の主張は、自分の意志でではないにせよ仕える君主を変えて生き延びてしまった諸葛靚には刺さったんじゃないか、という話の流れで、そこで「ならば殉じてやる!」とはなれなかったところが、「かわいそうなくらい現実主義」と言われたのだったかと。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 1
諸葛靚は敵の情に訴える策略も見抜いているし、総司令官が討たれるのが目撃できるような位置から、冷静な判断で残った兵をまとめて撤退し生き延びさせているから、本来の指揮官スキルはとても高い。しかし情に流されて進言を蹴って失敗した挙げ句に討ち死にする身勝手な丞相はその身勝手さがかわいいw
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 1
虎鬚を捋す 勇猛なものを服従させること。また、冒険。【語意】虎のひげをなでる。【故事】三国時代、呉の朱桓が遠く去るに臨み、孫権に請うて、その鬚をなでた故事。『中国故事たとえ辞典』(東京堂出版)より
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 2
羊陸クラスタに朗報。「羊陸之交」で成語辞典に載っていた。 http://t.co/5pKzNFJLNf
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 4
「羊陸之交」とは別の日本の辞典に載ってた羊陸な成語として「羊祜通和」「陸抗嘗薬」が存在。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 4
ま……まって今引用しながらぱらぱら見ていて気づいたんだけど、陳泰の賄賂晒し事件が !! 故事成語に!!!!! もう成語とは一体って状態だけどこの本
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 4
陳泰挂壁(ちんたいけいへき)三国・魏の陳泰は匈奴の吏民を懐柔して誉れが高かった人であるが、都の貴人が宝貨を贈ってしきりに奴婢の購入を頼んでも、ことごとく贈り物を壁に掛けておいて取り合わなかった故事。のち、尚書になったとき、贈り物はことごとく贈り主に返還したという。『蒙求』の標題。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 4
『蒙求』は、日本でも平安時代から学ばれていた。「貴族だけでなく僧侶・武士階級の初学者たちにとっても必読の書とされました。 http://t.co/0dDEsGJ2T7 」つまり、あんな人やこんな人も皆、陳泰の壁かけ事件から何かを学んでいた@σωσ@
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 6
むかし無双ファンの友達に、いしだみつなりが陸遜を「史書に違わぬ」と褒める、ときいて、三成さん三国志読んでるのね、と盛り上がっていたのを思い出した。けど、考えてみれば普通に読んでるんだろうね
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 6
陳泰が、奴隷を買って貰おうと贈られた宝貨を壁に掛けておき都に帰還後に突き返した件は、倉庫等にしまっておく、即座に送り返すなどの手段を講じないところが「こんな人たちがいました! 許さない!><」みたいな、潔癖さと短気さをこじらせた感じで、かわいいじゃない? かわいいでしょ???
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 6
突っ走り気質が災いして姜維の策にひっかかりかける陳泰と、慎重に冷静にそれを止めてあげる司馬昭、この性格のコントラストも素晴らしい……。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 6
魏でもやはり単身赴任(?)なんだね。鍾会が独身だから危険って話、なぜああいう訳(人質を大切にしない云々)になるのかと思ったけれど、集解みてたら事情の説明があった。日本語訳は説明的に意訳されているのね。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 6
三国志などに出てくる皆さんは、ふだんは官舎に住まっており、かつ地方赴任時は裏切り防止のため都に妻子を置いていかねばならない。(※多分)いわば常日頃は家族とではなく武将同士で暮らしてるんだ……。という件はもっとふじょし的に活用されるべきだと思いませんか@σωσ@
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 6
代々の名門、せめても二代目以降のポジションがつくづく好きだな。親が高名であるがゆえに生まれながらに期待される重圧、箱入りゆえの偏った思想、そういうものを乗り越えて活躍した人が好き。逆に、無名から自分の実力のみで上りつめる人こそかっこいい、と感じる人からすると理解不能な趣味かも。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 7
王濬路を広くす(おうしゅんみちをひろくす)晋の王濬が将来出世したときのことを考えて、自宅の前の道路を拡張し、近隣の笑いを買ったが、のち果たせるかな高位にのぼった故事。『中国故事成語大辞典』(東京堂出版)より
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 8
司馬昭は本来、上に立つ気などなく、兄上を補佐していくつもりだった。しかし後押しされると迷いつつ器用にこなしてしまうので、迷っているように見えない、心中を吐露する相手もいない。そんな中起きたのが高貴郷公の事件で、事件の処理の選択をきっかけに、やっと、覇道を行くと決めた。って脳内設定
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 8
ごめん正直、諸葛頤は、名前なんて読むのかな?(*´∀`)? と思ったままだった。「しょかつい」かな。この人、太常にまでなっているのに、弟の伝のオマケの一行で終わるという。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 8
途中で事故らない限り最終官職には辿り着くシステムだとすると、あまり官位は個人としての偉大さの基準にはならないか。お嬢かどうかの基準にはなります@σωσ@
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 8
陸遜からの陸氏三代で比べた場合、陸抗は不幸な横死ではないから、一番ヒロイン感が薄い。逆境にも弱音を吐かない高度なスキルを持っていてほしい。しかし吾彦や羊祜に若干見抜かれているとよりいいです♡@σωσ@
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 12
脳内では陸抗の矢印は吾彦でも羊祜でもなく孫晧に向かうのだけど@σωσ@ その理由が、自分の弱みを見抜けない人だから、っていうのもありそう。虚勢を張れば騙されて、気まぐれに信じて頼ってくれたりもする。逆に羊祜とかはゆさぶりをかけてくるが、敵だからね!
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 12
吾彦はたとえ弱みを見抜いても口には出さないが、相手を気遣ってではなく、理想の上官であってほしいから。私の普段の、理想を抱かれる人×理想を抱く人の法則とは逆だが、吾彦にとって理想とは、今はまだ見上げているけれど、いつか自分でそれ以上の高みへ行く、というものだから。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 12
諸葛誕は、寿春包囲の司馬昭軍の陣は、恒例の大雨で崩れると予測していたが、予想外の日照りが続き目論見は外れた。本当に高確率で大雨で壊れるのなら、慎重な司馬昭らしからぬ選択。ただのネタ逸話? と思っていたが、司馬昭が日照りまで見抜いていたとしたら。そういう天文関係の人とか抱えてそう。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 14
司馬亮は、諸葛誕の乱の討伐に従軍した際、負けて免官された。と、いうことは、一見ボロ負けのようだが、局地的には呉軍が勝った局面もあった。丁奉や陸抗は、この戦でなんらかの功績をあげた。丁奉か陸抗が司馬亮と戦って結構こてんぱんにしたのかも☆ という想像。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 14
司馬亮は、よほどやらかしちゃったのか、それとも司馬昭が伝統の必殺技、身内に厳しく・他人に優しく! で厳しく処罰したのか。何にせよやり手だなあという感想に行き着くのである。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 14
罰しすぎるか許しすぎる剛直で極端な諸葛誕 vs 適度に罰し適度に許す柔軟でバランス型の司馬昭。ついでに、とにかく罰するだけで許さない孫綝。というのが諸葛誕の乱。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 14
今朝「ついで」とか言ったけど、孫綝たん一応うちの総司令官だから@σωσ@ 頑なに自分は現場に出ずに身を守りつつ、嫌いな奴を出陣させて全滅させ、器用なのか不器用なのかわからない。ただ、朱異のことは嫌いではなかった、多分あれは何らかのすれ違いによる破綻(妄想)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 15
洪喬擲水 陳泰挂壁:他人に利用されるお人好しにならなかった人の話。上句、殷羨字は洪喬は、頼まれた手紙を皆水に投げ入れ、自分は郵便配達人じゃないぞといった。下句、陳泰は職掌がら、多くの貴人から奴婢の購入を頼まれ、宝貨を贈られたが、皆包みのまま壁に掛けておいた。『蒙求(下)』
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
「彼(殷羨)の独りだって、人を容れない性質は、このようなものであった。」という人と並べられる陳泰ww
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
てっきりゴマスリや賄賂はだめですよ、っていう道徳を学ぶ話なのかと思いきや衝撃だよ……。でも、空気読まないことに定評のある陳泰とかもいいね!!
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
名犬黄耳の話は江戸時代の庶民にも親しまれていて、「陸士衡雁の使を犬でする 柳多留五九」の川柳がある。(『新釈漢文大系 蒙求(上)』の余説より)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
「太」は「泰」に通じる文字なのか。だから将相大臣年表で「陳太」となってしまった? 孫晧/孫皓みたいな感じ?? でもなんか「陳太」って字面がちょっと……
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
夷陵の戦いで従わない諸将に、剣に手をかけつつ私が総司令官なんだから従え! ってする陸遜がすっごい好き。ギャップもえの鑑。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
陸抗は同じような状況に対し「お前が正しいと思うならやってみろ」→失敗→すみませんでした! という実力行使で納得させる(誤解を招く表現)しかし父上より柔軟な人ではある
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 16
拝礼するのしないの、っていう逸話で、20歳以上のおじいさんに向かって荀顗「ためらうことはありませんぞ」この訳すごい好きw
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 19
荀顗は司馬昭に対して(王祥伝だと炎ちゃんになってるけど間違いならしい)拝礼したが、王祥は天子の三公が他人に拝礼していいわけがない、と反対して、しなかった。結果、司馬昭に「今日になってはじめてあなたの大きな愛顧の情がわかりましたよ」と言われた。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 19
鍾繇の没年齢は『書断』というものにあるのか。文化系の有名人は色々ソースありそうなのに、二陸の母が誰かはわからないのかしら……。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
鍾繇のあれやこれやも70代後半の話なのか( ゜д゜)裴松之が年老いていたのにとかつっこんでるけどそこまでとは……
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
『書断』に楊肇が載っていて、Wikisourceに打ち込まれているものは字が「季初」になっている。けど『文淵閣 四庫全書』だと「秀初」。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
(諸葛誕の乱と歩闡の乱を比べると)司馬昭は敵軍から自軍へやってきた投降者を利用したけど、陸抗は逆に自軍から敵軍への投降者を利用したからね、やっぱ陸抗のこういうところ(配下に裏切られるところまで含めて……)がほんと好き。司馬昭も好きだけど。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
ここからは想像込み:陸抗は司馬昭のような、配下の意見を柔軟に容れて慕われるタイプの指揮官ではなかった。自分で見通した上で説明も最低限、理解できないならついてこずとも良い。しかも最後で逆転するような長期計画の作戦を立てるから、そこに不安を抱く人もいて、裏切られた。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
事情は不明だが(陸抗伝にしか詳細がないから呉軍に都合の悪いことは曖昧に……)裏切られたのは事実。楊肇の策略という可能性もあるかな。しかしいずれにせよ、戦況だとか指揮官の人格だとか、何か問題があったのだろう。(司馬昭/鍾会の計略も孫綝に問題があったからこそ巧くいったと思うし)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
どんな理由にせよ、元より敵の方が兵力など上回っているところ、さらに裏切られて敵側につかれるというのは、呉軍にとってショックな出来事ではあるはず。なのに、それを逆に利用して勝機に繋げよう、というこの打たれ強さですよ! 内心では不安もあっただろうけれど、きっとそんなのは見せないんだ。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 21
賈逵伝の注の「高貴郷公のクーデタのとき、司馬文王は賈充のおかげで難を逃れることができた」(晋諸公賛)って表現、この身を挺して護ってあげました感がとてもいい……。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 22
「舅」事件が気になって以来、陳泰伝が井波先生の訳だったらU;x;U という思いを抑えきれない。井波先生なら「おじ」と訳しただろうから、巡り巡って陳泰が荀彧の実の孫じゃないのではと疑われるようなことにはならなかったU;x;U
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 22
何植が孫晧の「舅(しゅうと)」っていうのも、これ陳泰伝と同じタイプの訳だけど、何植の姉は明らかに孫晧の生母だから、ちくま訳の「しゅうと」というのは、日本語のしゅうとの意味ではないとわかる。わかるけど紛らわしいですよ……(゜ω゜)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 22
陸抗伝によると今日(3月23日)は西暦変換で陸景の命日(天紀四年二月六日)・晋書武帝紀では昨日(22日)。なお王濬軍は、25日に楽郷を陥とした際に陸景を捕虜にした。幽霊かしら?
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 23
王濬伝の、次々と矢継ぎ早に呉の要所を後略していく記述は呉ファンとして大変ぐっとくる。おなじみのあの城もこの城も実にあっけなく。戦死している人が結構いるということは完全に無抵抗だったわけでもなさそうだ。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 23
もしも楽郷の指揮官が吾彦だったら、陸景が戦死することはなかったのかもしれない。陸晏・陸景が生き残っていれば二陸が四陸くらいになっていたのかも〜(誰か忘れてますよ@σωσ@)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 23
命日調査ついでに、実用とは別のGoogleの連絡先に登録してカレンダー表示してみたら、「陸遜 さんの特別な日です。」とか表示されて微妙w
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 23
鍾会伝を読んでいると(陳泰ファンとしての)嫉妬を禁じ得ない。「寿春を破ったについては、鍾会の画策の功が大きかったので、〔文王の〕親愛の念と待遇は日に日に高まった」くっ!(゜ω゜)この「おまえのおかげだよ」感! 賈充にも王基にも同じこと言ってるくせに!(゜ω゜)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 24
王基は当初、軍を動かせという指令に反して自分の作戦を敢行したが、結果的に王基が正しかったので巧くいった。後に司馬昭は王基に対して、皆が動かすべきと言ったので自分は現場にいなかったからそれを信じたが、お前が勅命に反しても正しいことをしてくれたおかげだ、と褒める。こういうところが好き
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 24
孫綝や諸葛誕の独裁的な頭の硬さ・プライドの高さは、司馬昭の自分の過ちをも素直に認める素直さと頭の柔らかさに勝てなかった。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 24
決死の覚悟で〔かけ引きを知らないで〕いるのは殺され、生きることばかりを考えて〔勇気に欠けて〕いるのは捕虜にされ、気みじかで怒りっぽいのは侮られて計略におちいり、利欲がなくて清廉なのは恥ずかしめられて計略におちいり、兵士を愛するのは兵士の世話で苦労をさせられる。(金谷治訳『孫子』)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 24
↓「将に五厄あり」こんな将はこういうわけで負けがちってパターン。必ずしも人としての欠点ではないけど、将としては危険となる。諸葛誕の乱に限って言えば、孫綝と諸葛誕は複数の点でひっかかっている一方、司馬昭は全回避していて、お見事……と思うよね? 思いませんか? いいんだ好きだから!!
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 24
陳泰の荀彧の孫という属性にときめき、陸抗の孫策の孫という属性にときめく。奇しくもふたりとも三国志屈指の美人さんだから似ていてほしい@σωσ@
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 24
司馬昭→孫晧へのお手紙の一人称が「僕」だったり「昭の……」と名前だったりで、愛らしいですね♡@σωσ@(※内容:降伏しろよ!)荀勖さんが書いているのかな♡
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 29
結構、直前までバリバリ現役で稼働しているのに、あっけなく死去する人が多い印象。大昔のことだから、それまで元気であっても一旦病になれば即命取りなのだろうか。そんな中、死ぬまでに二年間寝込んだ朱然さんの底力とは(゜ω゜)
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 29
陸抗とか何度も病になっているせいで病弱キャラ扱いだけど、実は逆に、病に倒れてもなおがんばった人というのは、即死なない=頑健なのでは……。とか思ってはいけないのだ、キャライメージは大切にしましょう……。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 29
件のお手紙を受け、使者として赴いた紀陟たちは、着いてみたら司馬昭が亡くなったので帰ってきたようにあるけど、三月ごろ出発して四月には到着、司馬昭が死去したのは八月で、十一月に帰国。なんか、イメージより長期滞在だった@σωσ@ 関係ないけど、紀陟と司馬昭のあざなが同じだ。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 29
陸凱がガミガミ言うのも、寧ろ愛していたからではないか。全く伝わってはいないけれど。だからこそ、この人にとって帝であることは不幸だと思い、廃位しようとした。という、陸凱クーデター未遂説を採用した場合@σωσ@ けど陸凱は、視線恐怖症の孫晧に目を合わせる許可を取り付けてるからすごいよ
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 29
今さら気づいたけど、陳泰伝の司馬昭が荀顗に語っているところからの一連の記述って前後関係からしても、主語が司馬昭だよね……陳泰の伝なのに司馬昭視点で描かれているとかもう……
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 30
子上さん絡みは、兄上(アイドル/高嶺の花/しかも故人)・かじゅーさん(腹心/信頼ゆえ扱い悪い)・じゅんぎさん(お姉様/甘える相手)・玄伯ちゃん(愛犬/モフり対象)・士季ちゃん(愛猫/わりと愛人/駈け引き)その他もろもろ存在する中の×玄伯ちゃんを推しているという病気で……
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 30
だけど脳内子上さんは同時に孤独なひとなので@σωσ@ 人に囲まれて、可愛がられたり憧れられたり理想を押しつけられたり諸々するのだけれど、多分愛されてもいるのだけれど、彼らは理解者ではない。客観的に理解している人はいるかもしれないが、そういう人に限って理解しているそぶりは見せない。
— 羊子 (@htjk) 2014, 3月 30