簡単な史実人物履歴および、当サイトの小説におけるキャラクター設定。 ※歴史創作の性質柄、小説展開上のネタバレが含まれます。
陸抗 字:幼節 (226-274)
呉の丞相・陸遜の次男で、孫策の外孫。兄が早世したため父の死後、二十歳で家督を継ぎ、やがて滅亡間際の呉の防衛を支えることになる。晩年は大司馬(軍事の最高官職)となるも、ほどなく国の行く先を憂えつつ死去した。晋の羊祜とは敵ながら信義で結ばれていたとされる。
設定 几帳面で冷静沈着を心がけているが、根は激情家。現実主義で情に流されないつもりでおり、頑固さと相まって対人関係ではときどき角を立ててしまう。身体が弱く病気がちだが、兵法に通じ判断力に優れる。父母を敬愛する反面、心を許しきれずに育った。随所でやや屈折しつつも、基本的には常識人。
孫晧 字:元宗 (242-283)
呉の四代目にして最後の皇帝。初代皇帝・孫権の孫にあたる。本来皇太子であった父・孫和が後継者争いにより不当に廃されたため、不遇を託って育つこととなった。やがて混乱の世に帝として期待され、擁立される運びとなるも、異常な行動が目立ちはじめ、国政の衰退を招いた。晋の大規模な侵略に至って降伏し、呉は滅亡した。
設定 ピュアで残酷な青年皇帝。極端にマイペースで、感情の起伏が激しく、人間不信。多くの臣下は真意を読めずに怖れている。反面、動物には心を寄せており、宮中には多くの犬が飼われている(史実)。他者を寄せ付けず自分の世界を護る一方で、陸抗の権威に阿らない態度は少し気に入っている。
陸凱 字:敬風 (198-269)
陸氏の一族。陸遜、陸抗らとの血縁関係の詳細は不詳。孫晧の時代には左丞相となり、その暴政を諫めようと心を尽くしたが、そのことにより疎まれていた。一説には、孫晧を廃位するクーデターを画策していたが未遂に終わったとされる。
設定 呉の国の現状を憂う、帝諫め係。さりげなく毒舌。決して不正に屈しない、強い精神力を持った老臣で、孫晧に対して率直に物を言う数少ない人間。
歩闡 字:仲思 (?-273)
陸遜の後に丞相となった歩騭の次男。孫晧の時代には、歩騭以来の任を継いで防衛の要所である西陵の軍事を統括していた。やがて呉に反旗を翻すも、陸抗に敗れ、一族ともに刑死した。
設定 陸抗の旧友。少年時代にはライバル心を抱きながらも友誼を交わしていた。頑固で正義感が強い反面、やや思いこみが激しい。暴君による都の腐敗を憂い、呉の民を救う道を模索した結果、反乱を決意する。
施績(朱績) 字:公緒 (?-270)
呉の将。孫権の時代、左大司馬となった朱然の子(「施」は朱然が養子に入る前の元の姓)。孫晧の時代には自身も左大司馬となり、荊州の護りにあたった。陸抗は彼の後任。
設定 陸抗の先輩にあたる老将。一本気な純粋軍人で、口数は少ない。
吾彦 字:士則 (?-?)
呉・西晋に仕えた将。寒門の出だったが、陸抗に知勇をかわれて抜擢される。後に建平太守となり、晋との最後の大戦に際しては建平の城を護り抜くなど健闘。呉の滅亡後は晋に仕え、のちに南中都督、交州刺史となった。猛獣も倒す並はずれた膂力の持ち主。
設定 陸抗麾下の将軍。体育会系で何ごとにも一生懸命な若者。純粋だが、誇り高い武人気質でもある。粘り強くポジティブ。陸抗を師匠のように慕っている。武芸が得意で勇猛さを誇るものの、指揮官としては目下成長途上。
兪賛 字:? (?-?)
陸抗の麾下として、歩闡の乱の討伐に従軍した営都督。古参の将であったが、楊肇率いる晋軍に投降した。
設定 陸抗麾下の老練な将軍。兵卒から成り上がった実力派。プライドが高く他人に媚びず、上官であろうとも納得がいくまで引き下がらない。実力の伴わない名族を嫌う反面、部下には優しい。
羊祜 字:叔子 (221-278)
魏・西晋に仕えた。司馬炎の時代には都督荊州諸軍事として、対呉戦線の司令官となる。一方謙虚な人柄と徳を重んじる施政によって、将士や民、敵国の人民にまで慕われた。陸抗とは敵でありながら信義を持って対峙し、友誼を結んだとされる。陸抗の死後は積極的に呉の討伐を上奏したが、慎重論に阻まれ、実現を待たずに死去した。
設定 高名な司令官でありながら、無邪気で繊細な変人。部下はその突飛な言動にふりまわされている。物腰は柔和で優しい。軽装を好み、お忍びで出歩くのも得意(史実)。一見、素直に喜怒哀楽を表すようでいて、どこか本心を見せないところもある。
楊肇 字:秀初 (?-275)
魏の楊曁の子。晋の司馬炎の時代、近衛軍団長を務め、のちに折衝将軍・荊州刺史となったが、歩闡の乱の救援軍として赴いた西陵の戦いで陸抗に敗れ、敗戦の責を負って免官される。故郷に退いて後も、教えを請うて訪れる者が絶えなかった。
設定 羊祜の副将だが、正反対に慎重で生真面目な苦労人。羊祜の天真爛漫ぶりに呆れながらもどこか惹かれている。勇猛さはないが、常に冷静に判断を下す。
左奕 字:? (?-?)
呉の将。陸抗の麾下として、歩闡の乱の討伐に従軍した。
設定 陸抗麾下の将軍。皮肉屋だが、根はまじめで落ち着いた人物。上官に対しても冷静に実力を見定めようとし、媚びることはない。
雷譚 字:? (?-?)
呉の将で、宜都郡の太守。陸抗の麾下として、歩闡の乱の討伐に従軍した。陸抗に誠意をもって進言した。
設定 物静かで心優しい、吾彦の副将(創作設定。史実では詳細不明ながらも吾彦よりキャリアのある将軍だと思われる)。一見冷静だが、情に脆いところがあり、戦には向かないと自認している。
王戎 字:濬沖 (234-305)
魏・西晋に仕え、晩年は司徒の位に上った。呉の平定にも功を上げたが、やがて混乱の世に至って政治には積極的に関与せず、韜晦を図った。極度の吝嗇家。「竹林の七賢」の最年少。歩闡の乱の際には軍法により処刑されかけたため、羊祜を恨んで謗っていた。
設定 羊祜麾下の将軍で、楊肇の副官。美男子で、自尊心が強い。そつなく仕事をこなす実力を持っている反面、感情的で口が悪いところもある。
杜預 字:元凱 (222-284)
魏・西晋に仕えた。羊祜に後任として推挙され、鎮南大将軍・都督荊州諸軍事となり、智謀をもって呉の討伐に貢献した。一方、武芸や乗馬は不得手だったとされる。あらゆる学問に通じ、とりわけ『春秋左氏伝』を好み、学者としても数々の功績を残した。
設定 歩闡の乱の後、羊祜の部下として都から赴任する。自身の智に対する自負が強く、その分、容姿や武芸などに対するコンプレックスが強い。飄然としたところがあり、常日頃はあまり感情的ではないが、キレると過激である。
司馬炎 字:安世 (236-290)
西晋の初代皇帝。司馬懿の孫で、司馬昭の子。魏からの禅譲を受けて晋王朝を開く。やがて呉を平定し、中国統一を実現した。
設定 時代の流れによって初代皇帝となった、特別に英明でもなければ暗愚でもない、平凡な人間。寂しがり屋で、やや天然。天下統一を目指してはいるが、慎重派を押しきるほどの積極性はない。羊祜がお気に入りで、自分の夢を彼に実現させようと密かに考えている。
諸葛靚 字:仲思 (?-?)
魏に仕えた諸葛誕の末子。諸葛誕が司馬氏政権に対して反乱を起こし呉に降った際、人質として呉に送られる。諸葛誕は敗死したが、彼はそのまま呉に仕え後年には大司馬となった。司馬炎とは幼なじみだったが、一族の仇として司馬氏を怨み続けることとなる。呉が滅びて後も司馬炎の誘いを拒絶し、生涯仕えることはなかった。
設定 物事に動じない剛胆な性格だが、日頃は物静かでドライな、現実主義者。忠実に呉に仕えているが、異邦人であるとの認識から、無意識の壁を作っており、周囲には冷たいと思われている節がある。亡き父を敬愛している。
孫珂 字:? (?-?)
孫策の娘で、陸遜の夫人。陸抗の生母。
設定 命名は創作。少女的な心を持つ美貌の女性。幼くして陸遜に嫁いだ。他人に対して距離を置くところがあり、自分を孫氏と陸氏との君臣の絆を維持する道具であると割り切るつもりでいる。陸遜に惹かれている面もあるものの、心は許せずにおり、息子に対しても母としての姿勢を保ちきれずにいる。
楊氏 字:? (?-298)
楊肇の娘。晋の文士、潘岳の夫人。楊肇は友人の息子であった潘岳の才を気に入り、娘を嫁がせた。
設定 物静かな父には似ず、快活で朗らかな女性。父と夫とをこよなく愛している。
司馬昭 字:子上 (211-265)
司馬懿の次男。魏の最末期に兄・司馬師の後を継いで国政を担う。帝・曹髦による権力奪回を阻止し、蜀漢を滅ぼして西晋王朝樹立への基礎を固めるが、建国を待つことなく死去した。
設定 穏やかで慎重な性格で、麾下たちに慕われている。亡き兄を(過剰に)敬愛し、自分はあくまでその代役だと考えているが、周囲には理解されずにいる。
陳泰 字:玄伯 (?-260)
魏の司空・陳羣の子で、荀彧の外孫。親友である司馬師・昭兄弟の腹心として蜀漢の北伐を防ぐなど活躍したが、帝・曹髦の挙兵に際し、曹髦を討った賈充の処刑を主張するも司馬昭に容れられず、自害した。
設定 生真面目で潔癖、常に職務への情熱に溢れている。勉強熱心で兵法に通じるが、思い立ったら行動せずにはいられない。親友である司馬昭を思慕し、理想的なトップとして仰ぎたいと考えている。
賈充 字:公閭 (217-282)
魏・西晋に仕えた。賈逵の子。司馬師に見出されて麾下となった。魏帝・曹髦が司馬昭に対して挙兵した際にはこれを迎え撃ち、討ち取らせたとされる。やがて西晋建国期の重臣となる。呉討伐の戦には反対の立場だったが、司馬炎の命により総司令官を務めた。
設定 司馬氏の忠実な腹心で、司馬氏による天下を望んでいる。現実主義で、目的のためなら手段を選ばない過激さを持つが、常に冷静で感情を露わにすることはない。ニヒリスト。
徐紹 字:? (?-265)
呉の将だったが、諸葛誕の乱の援軍として戦った際に魏軍に敗れ、投降。魏に仕えて相国・司馬昭の参謀となった。孫晧の時代になり、呉への降伏勧告の使者の一人として帰国を許されたが、魏を賛美したとして孫晧に殺された。名は「徐韶」または「徐劭」とも伝わる。