諸葛靚

 諸葛靚は、父の決意に共感し、ともに目的を果たそうと能動的に呉に降った! というキャラにもできそうな気もする。が、私の彼の第一印象は、確かに父に共感し多大な影響を受けてはいるものの、どちらかというとなりゆきに翻弄され、気が付いたら呉の将軍位を与えられていた……という人だった。

 その印象を拡張した創作設定の諸葛靚は、与えられたものは拒絶しない、でも与えられなかったものを追うことはしない、突き放した、しかしある意味では受動的な人である。

 彼の人となりをイメージする一番の手掛かりは、やはり呉平定戦における張悌とのエピソードである。もっと勝ち気で何かを拒否できる人ならば、張悌の手を放さなかった。もっと感傷的で何かを追う人なら、一緒に討ち死にしていた。しかし彼はどちらも選ばなかったのである。

 次いで司馬炎とのエピソード。幼なじみとはいえ、父の仇の子であるところの司馬炎に仕えることは、できなかった。でも逆にいえば、その恨みから何か能動的な行動を起こすこともしなかった、彼が選択したのはただ黙って背を向けることだけだった。(確かに現実的には、それだけで、帝たる相手に抗うことは容易ではないだろうけど)

 ところで彼の時代、呉における諸葛氏の位置付けはどうなっていたのか。一昔前ならば重臣の家系だっただろうが、諸葛恪の一件で一度は失墜した。もの後、諸葛恪は復権されたようではあるが、果たして以前と同じように扱われたのだろうか。

 諸葛靚がやってきた頃、呉に彼の親類縁者はいたのだろうか。諸葛恪の筋が皆殺しになったとはいえ、遠縁の人や、女性はいたりしたのかもしれない。しかし創作設定的には、親戚はもういなかった、いたとしても馴れ合えるような人はいなかった、というほうがしっくりくる。

2007.04.29

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