Tags: 王祥

  • 高貴郷公の孤独 - 誰が曹髦の味方だったのか
  • 魏の四代目皇帝曹髦(そうぼう)(高貴郷公)が、時の権力者司馬昭を殺そうと挙兵して敗死した事件(事件の流れは「高貴郷公の変」参照)の際、曹髦側についたとして今昔の三国志ファンの間でよく名を挙げられる人物に、王経、司馬孚(しばふ)、陳泰などがいる。だが、彼らは本当に曹髦の味方だったのか。目次陳泰について…
  • 荀顗と王祥 - それぞれの選択と、司馬昭の迷い
  • 魏の最末期、司馬昭(しばしょう)が晋王となった際の、荀顗(じゅんぎ)と王祥(おうしょう)のやりとりについて。漢晉春秋曰:晉公旣進爵爲王,太尉王祥、司徒何曾、司空荀顗並詣王。顗曰:「相王尊重,何侯與一朝之臣皆已盡敬,今日便當相率而拜,無所疑也。」祥曰:「相國位…
  • 高貴郷公の変 - 曹髦の決意と「司馬昭の心」
  • 魏の四代目皇帝となった元の高貴郷公・曹髦(そうぼう)は、初代皇帝曹丕(そうひ)の孫で、曹霖(そうりん)の子である。前皇帝曹芳(そうほう)が時の権力者、司馬師(しばし)(司馬懿(しばい)の子)によって廃位された後、新たな帝に立てられた。正元元年(254年)の即位当時には、まだ十四歳の若さであった。司馬…