Tags: 司馬昭

  • 2018.11.06 司馬昭について(三国志末期オフ会)
  • 司馬昭について。春に開催された三国志末期オフ会に際して、推しについての語りを書いたものです。 ※アップ許諾済
  • 陳泰の葬儀
  • 陳泰(ちんたい)の葬儀がどのようなものだったか、直接の記述は残っていないが、推測できる記述が『晋書』にある。石苞の葬儀は、陳泰の葬儀に倣った泰始八年薨。帝發哀於朝堂,賜祕器,朝服一具,衣一襲,錢三十萬,布百匹。及葬,給節幢麾、曲蓋、追鋒車、鼓吹、介士、大車,皆如魏司空陳泰…
  • 2017.02.16 司馬兄弟による陳泰の呼び方
  • 三国志の人物が他の人物を呼ぶ際、姓名で、官職で、字(あざな)で、敬称で、などTPOによって様々なパターンがある。ふと、陳泰は誰にどう呼ばれているのか? と気になって調べてみた。陳泰は『三国志』『晋書』で計七回、名を呼ばれるが、うち六回が司馬昭の発言、他一回は司馬師の発言。司馬兄弟にしか名前を呼ばれな…
  • 司馬昭の性格と人物像 2 - 司馬昭は、他人の「負の心」が読めない
  • 「司馬昭の性格と人物像(白司馬昭編?)」の続編として、表題のような司馬昭(しばしょう)の性格の「欠点」を考える。司馬昭は、孫綝の行動を過大評価した司馬昭が敬愛し支えていた兄・司馬師(しばし)が、毌丘倹(かんきゅうけん)・文欽(ぶんきん)の乱の征伐に赴いた先で急逝する。司馬昭はその後を継いで政権を取る…
  • 司馬昭の性格と人物像 1 - 「白」司馬昭編?
  • 三国・魏の末期に相国(宰相)として政権を掌握、数々の功績を残し、後の晋王朝の礎を築いた司馬昭(しばしょう)。しかし、広く流布している人物像は「陰険な野心家」といった、あまり良いイメージとは言い難いものである。近年は多少見直される向きもある(?)が、依然として悪評も根強い。またそもそも世の三国志ファン…
  • 天候に愛された司馬昭
  • Twitterで見かけた「晴れ男司馬昭」から連想した話。どうやら「妖怪三国志」のキャラらしい? 「妖怪ウォッチ」シリーズとシミュレーション「三國志」がコラボしたゲーム……とのことだが、そもそもの「妖怪ウォッチ」の知識が皆無なため、完全にただのキーワード連想です。司馬昭(しばしょう)が諸葛誕(しょかつ…
  • 司馬昭の息子と娘
  • 司馬昭には、晋の武帝となった司馬炎、その弟の司馬攸をはじめ、全九人の息子および少なくとも一人の娘がいた。文帝九男,文明王皇后生武帝、齊獻王攸、城陽哀王兆、遼東悼惠王定國、廣漢殤王廣德,其樂安平王鑒、燕王機、皇子永祚、樂平王延祚不知母氏。燕王機繼淸惠亭侯,別有傳。永祚早亡,無傳。文帝(司…
  • 徐紹 - 司馬昭に仕えた呉の将軍
  • 小説「ある参軍の告白」の語り手にした徐紹(じょしょう)について。徐紹という人物は、『三国志』『晋書』を通しても、諸葛誕の乱の際に魏に降った呉の人物の一人に名がある(晋書文帝紀)魏から呉へ送られた降伏勧告の使者の一人に名がある(魏書陳留王紀、晋書文帝紀、孫楚伝)魏からの使者として呉にやってきたが、呉か…
  • 姜維の北伐・255年(魏・正元二年、蜀・延熙十八年)
  • 総司令官兵力結果蜀軍姜維数万勝利→敗北魏軍陳泰不明敗北→勝利※姜維の北伐のうち、陳泰と戦った時代について、個人的な理解のためにまとめています。不足・誤解などある可能性が高いです。登場人物魏軍陳泰(ちんたい)(征西将軍、都督雍・涼諸軍事)鄧艾(とうがい)(行安西将軍)胡奮(こふん)王秘(おうひつ)魏軍…
  • 姜維の北伐・254年(魏・嘉平六年、蜀・延熙十七年)
  • 総司令官兵力結果蜀軍姜維不明勝利魏軍?不明敗北※姜維の北伐のうち、陳泰と戦った時代について、個人的な理解のためにまとめています。不足・誤解などある可能性が高いです。登場人物魏軍 → 蜀軍李簡(りかん)(狄道県長)魏軍(襄武)徐質(じょしつ)(討蜀護軍?)魏軍(長安?)司馬昭(しばしょう)(安東将軍、…
  • 姜維の北伐・253年(魏・嘉平五年、蜀・延熙十六年)
  • 総司令官兵力結果蜀軍姜維数万敗北魏軍郭淮不明勝利※姜維の北伐のうち、陳泰と戦った時代について、個人的な理解のためにまとめています。不足・誤解などある可能性が高いです。登場人物魏軍郭淮(かくわい)(車騎将軍、都督雍・涼諸軍事)陳泰(ちんたい)(奮威将軍、雍州刺史)魏軍(長安)司馬昭(しばしょう)(安東…
  • 姜維の北伐・249年(魏・嘉平元年、蜀・延熙十二年)
  • 総司令官兵力結果蜀軍姜維1万以下+羌族の兵敗北魏軍郭淮不明勝利※姜維の北伐のうち、陳泰と戦った時代について、個人的な理解のためにまとめています。不足・誤解などある可能性が高いです。登場人物魏軍(総司令官)郭淮(かくわい)(征西将軍、都督雍・涼諸軍事)魏軍(麴城包囲軍)陳泰(ちんたい)(奮威将軍、雍州…
  • 司馬昭キャリア年表
  • ※出来事は司馬昭に関連する、もしくは重大な事件のみ記載。〔 〕は「三国官職表」等を参照した官品。西暦年月日出来事官職爵齢帝211建安16司馬昭が司馬懿の次男として張春華との間に生まれる。1劉協219建安24祖父・司馬防が死去する。9220黄初110月28日曹丕(魏王)が禅譲を受け、魏王朝が成立する。…
  • 高貴郷公の孤独 - 誰が曹髦の味方だったのか
  • 魏の四代目皇帝曹髦(そうぼう)(高貴郷公)が、時の権力者司馬昭を殺そうと挙兵して敗死した事件(事件の流れは「高貴郷公の変」参照)の際、曹髦側についたとして今昔の三国志ファンの間でよく名を挙げられる人物に、王経、司馬孚(しばふ)、陳泰などがいる。だが、彼らは本当に曹髦の味方だったのか。陳泰結論から言え…
  • 荀顗と王祥 - それぞれの選択と、司馬昭の迷い
  • 魏の最末期、司馬昭(しばしょう)が晋王となった際の、荀顗(じゅんぎ)と王祥(おうしょう)のやりとりについて。漢晉春秋曰:晉公旣進爵爲王,太尉王祥、司徒何曾、司空荀顗並詣王。顗曰:「相王尊重,何侯與一朝之臣皆已盡敬,今日便當相率而拜,無所疑也。」祥曰:「相國位…
  • 陳泰の死 2 - 陳泰は死をもって司馬昭を諫めた?
  • 「陳泰の死」では、陳泰の死の理由は、曹髦を返り討ちにした賈充の罪を司馬昭が見逃したこと、つまり臣下による皇帝殺害を容認したことによって、陳泰自身がその潔癖すぎる正義感に基づき、友であり実質上の主である司馬昭に求めた理想が破壊されたことである、と仮定した。ここでは、その他の理由も考えてみることに。死を…
  • 高貴郷公の変 - 曹髦の決意と「司馬昭の心」
  • 魏の四代目皇帝となった元の高貴郷公・曹髦(そうぼう)は、初代皇帝曹丕(そうひ)の孫で、曹霖(そうりん)の子である。前皇帝曹芳(そうほう)が時の権力者、司馬師(しばし)(司馬懿(しばい)の子)によって廃位された後、新たな帝に立てられた。正元元年(254年)の即位当時には、まだ十四歳の若さであった。司馬…
  • 将に五厄あり - 諸葛誕の乱の勝敗
  • 『孫子』九変篇の最後にこんな言葉がある。故に将に五厄あり。必死は殺され、必生は虜(とりこ)にされ、忿速(ふんそく)は侮(あなど)られ、廉潔(れんけつ)は辱(はずか)しめられ、愛民は煩(わずらわ)さる。凡そ此の五つの者は将の過(あやま)ちなり、用兵の災(わざわい)なり。軍を覆(くつがえ)し将を殺すは、…
  • 陳泰の死 1 - 司馬昭に見た理想と絶望
  • 『三国志』が記さなかった陳泰の死因陳泰(ちんたい)の死について、『三国志』魏書陳泰伝の本文には、景元元年薨,追贈司空,諡曰穆侯。〔一〕景元元年(二六〇)逝去し、司空を追贈され、穆公と諡された。〔一〕とあるのみだが(訳本『正史 三国志』の「穆公」は誤植と思われる)、その詳細について、裴松…
  • 諸葛誕の乱
  • 総司令官兵力結果魏軍司馬昭26万以上勝利呉軍諸葛誕・孫綝22〜23万以上敗北諸葛誕の乱(呉軍:諸葛誕率いる反乱軍&孫綝率いる救援軍 vs 魏軍:司馬昭率いる討伐軍の戦い)の時系列と位置関係のまとめ。『三国志』と『晋書』では日付の不一致があります。小文字部分は推測や感想含む。登場人物呉軍(寿春城)諸葛…
  • 2011.10.25 司馬昭はいい人である
  • 司馬昭に対する古典的三国志ファンの評価は、想像以上に「腹黒い悪人」という感じらしい。しかも、同じ悪役でも司馬懿・司馬師より微妙に小物扱いのような気がする。おそらくその古典的ファン感情の基礎は『三国志演義』のキャラ付けだろうけれど、私は斜め読みなのと、「物語上のキャラ付け」と割り切っているせいで、実感…