Tags: 三国志の文化

  • 司馬懿と曹丕、首陽山の二つの陵墓
  • 司馬懿の墓:晋の宣帝の高原陵司馬懿(しばい)は、曹魏の都・洛陽(らくよう)の東北方面にある首陽山(しゅようざん)に自ら築いた墓に埋葬された。曹操(そうそう)や曹丕(そうひ)の薄葬主義に倣った質素な陵墓は、のちに晋の宣帝の高原陵(こうげんりょう)と呼ばれることになる。もちろん、皇帝位はのちに晋王朝を開…
  • 2019.11.29 三国志展・曹丕は「鉤鑲」二刀流の使い手だったのか
  • 2019年の東京国立博物館の三国志展こと「特別展 三国志」(現在は九州国立博物館で2020年1月5日まで開催中)の展示品に、「鉤鑲(こうじょう)」という武器があり、「魏の曹丕も稽古した特殊な盾」というキャッチコピーで紹介されていた。どんな物かは画像参照。(写真撮影OKでした)これ自体は蜀方面の出土品…
  • 魏晋の美男子はどこまでも色白だった
  • 『世説新語』の容止編を読んでいると、どうやら魏晋において、色白であることは美形男性の条件として重要だったことがわかる。何晏の場合何平叔(何晏)は姿うるわしく、顔はきわめて色が白かった。魏の明帝(曹叡)は彼が白粉をつけているのではないかと疑い、真夏の日に、熱い湯䴵を食べさせた。何晏は食べおわると大汗を…
  • 官舎住まいと休日
  • 平日は官舎に住み込む古代中国の官吏には五日ごとに一日の休暇があったが、勤務日は官舎に住み込んでいた。洗沐は休沐ともいって、髪を洗う名目で役所から出て、一日休息することである。昔の官吏は、いったん役所に入ると、昼夜その中で寝食して、五日目の洗沐に始めて外出したのである。招客や訪友、遊戯などもみなこの日…
  • 三国時代の武将は単身赴任だった?
  • 呉では、地方に駐在する武将は、裏切り防止のために妻子を都に人質として残していく制度になっていた。熒惑星(火星)が少年の姿をとり、晋の成立を予言するという、『捜神記』の逸話の冒頭部分より。呉以草創之國,信不堅固,邊屯守將,皆質其妻子,名曰「保質」。童子少年,以類相與娯嬉遊者…