ドラマ「三国機密」に登場する古典(6)45〜48話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べてみた。赤枠は本編の字幕より引用。

第45話

詩経しきょう』大序より(?)

皇帝と皇后の関係が気になっている曹節が、母の卞夫人に質問する言葉。『詩経』大序(『毛詩もうし』巻頭の序。『毛詩』は毛亨もうこう毛萇もうちょうが伝えた現行の『詩経』)の一節が由来のようだが、本来の意味とは異なる成語として使われている?

诗中说
发乎情 止乎于礼
是什么意思

“情に発して礼に止まる”
いうのは—
どういう意味?

这句话的意思是啊 就是说
如果两个人有情
却超乎了礼法的范围
那就应当停下来
不可逾矩
你怎么问这个呀

その言葉の意味はこうです
男女の間に情が生まれても
礼法に かなわないなら—
その気持ちは諦めるべきである
なぜそんなことを?

……國史明乎得失之迹、傷人倫之廢、哀刑政之苛、吟詠情性、以風其上、達於事變、而懷其舊俗者也。故變風發乎情、止乎禮義。發乎情、民之性也。止乎禮義、先王之澤也。(……)

……國史(國の史官)得失のあとを明らかにし、人倫の廢をいたみ、刑政のかなしみ、情性を吟詠して、以て其の上を風す。事變に達して、其の舊俗をおもふ者なり。故に變風は情に發して、禮義に止まる。情に發するは、民の性なり。禮義に止まるは、先王の澤也なり。……

高田眞治『漢詩大系 第一巻 詩経 上』(集英社、1966年)p.15 詩序

礼記らいき曲礼きょくらい篇より

司馬懿を拷問しようとする満寵を止める劉平の言葉。

自古刑不上大夫
更何况此案无凭无据
岂可滥用酷刑
拷掠大臣

“刑は大夫たいふに上らず”という
まして証しがないのに みだりに拷問を加え
痛めつけてもいいのか

禮不下庶人、刑不上大夫。

れい庶人しょじんくだらず。けい大夫たいふのぼらず。

通釈 礼法はこれを庶人に要求せず、刑罰はこれを大夫に課せない。

語釈 礼法は士大夫のために設けたもの、刑罰は士と庶民を律するもの。大夫の罪は特別に扱う。

竹内照夫『新釈漢文大系 第27巻 礼記(上)』(明治書院、1971年)p.45 曲礼上第一

曹植「七啓しちけい」より

皇帝の素性を巡って曹操と意見を異にしている曹植が、部屋で一人詠んでいる。曹植自身の作品だが、作中シチュエーションとの関係はわからない……

望云际兮有好仇
天路长兮往无由
佩兰蕙兮为谁修
宴婉绝兮我心愁

雲際うんさいを望めば 好仇こうきゅう有り
天路は長く 往くよし無し
蘭蕙らんけいび が為にかざらん
宴婉えんえん絶え 我が心は愁う

第五段 次に、鏡機子は、豪壮な宮殿、華麗な楼閣、鳥魚の遊ぶ花草緑樹の美しい庭園など、宮殿の美を述べて玄微子を誘うが、彼はかたくなに拒み、自分は巌穴に棲むことを楽しむと言う。

……諷漢廣之所詠、覿游女於水濱。燿神景於中沚、被輕縠之纖羅、遺芳烈而靖步、抗皓手而淸歌。歌曰、望雲際兮有好仇。天路長兮往無由。佩蘭蕙兮爲誰脩。宴婉絕兮我心愁。此宮館之妙也。子能從我而居之乎。玄微子曰、予耽巖穴。未暇此居也。

……「漢広」に歌われているところを諷論し、漢水の女神を水のほとりに見ます。神々しい光を渚に輝かし、縮みの薄絹をまとって高い香りを残しながら静かに歩き、白い腕を挙げて清らかに歌います。その歌は、『遥かなる雲の果てを望めば、き人がいる。天への路は長く遠くて行こうにもそのすべはない。香り高い蘭や蕙をびていったい誰のために飾ろうとするのか。優しく美しい人と離れて、私の心は愁い悲しむ』とうたいます。これは宮殿の最も素晴らしいものです。あなたは私と一緒にこのような宮殿にいたいと思いませんか」と。玄微子は言った、「私は巌穴の生活をこよなく楽しんでいます。まだこのような宮殿に住まう暇などはありません」と。

竹田晃『新釈漢文大系 第82巻 文選(文章篇)上』(明治書院、1994年)pp.147-149 曹植「七啓」より

第47話

屈原くつげん 九歌きゅうか國殤こくしょう」より

曲水の宴で先人の詩で思いを伝えるとして楊彪が詠む。楚の屈原の詩。
「国家のために犠牲となった戦士の祭祀楽歌である」(『新釈漢文大系 第34巻 楚辞』より)

诚既勇兮又以武
终刚强兮不可凌
身既死兮神以灵
魂魄毅兮为鬼雄

誠に既に勇にして
また もって武なり
ついに剛強にして
しのぐべからず
身は既に死すれども
神以て霊に
魂魄こんぱくつよ
鬼雄と

操吳戈兮被犀甲 車錯轂兮短兵接
旌蔽日兮敵若雲 矢交墜兮士爭先
凌余陣兮躐余行 左驂殪兮右刃傷
霾兩輪兮縶四馬 挼玉枹兮擊鳴鼓
天時懟兮威靈怒 嚴殺盡兮棄原野
出不入兮往不反 平原忽兮路超遠
帶長劍兮挾秦弓 首身離兮心不懲
誠旣勇兮又以武 終剛强兮不可凌
身旣死兮神以靈 子魂魄兮爲鬼雄

吳戈ごくわりて犀甲さいかふかふむり、くるまこくまじへて短兵たんぺいせっす。
はたおほひててきくもごとく、交〻こもごもちてさきあらそふ。
ぢんしのぎてかうみ、左驂ささんたふれてみぎじんきづつく。
兩輪りゃうりんうづみて四馬しばつなぎ、玉枹ぎょくはうりて鳴鼓めいこつ。
天時てんじうらみて威靈ゐれいいかり、嚴殺げんさつしてつくして原野げんやつ。
でてらず、きてかへらず、平原へいげんこつとしてみち超遠てうゑんなり。
長劍ちゃうけんびて秦弓しんきゅうさしはさみ、首身しゅしんはなるともこころりず。
まことすでいさんでまたもったけく、つひ剛强がうきゃうにしてしのからず。
すですれどもしんもっれいに、魂魄こんぱく鬼雄きゆうる。

通釈 呉の国の鋭い矛を取り、犀の皮の堅い鎧を着て、戦車のこしきは敵の車とみ合い、剣は相打つ。旗は天日を蔽い、敵は雲のように群がり、矢は互いに飛びって落ち、兵士は先を争って進む。敵はわが陣を乗り越えて、わが隊をふみ通る。わが車の左の添え馬は倒れ、右の馬は刀に傷ついた。戦士はここを先途と、車の両輪を土に埋め、四頭の馬を繋ぎ合わせて一歩も退かぬ覚悟。玉の飾りのばちを振り上げて攻め太鼓を打ち鳴らす。
 天の時節もこの悲壮な戦いを怨み、神霊も怒り、戦士を殺し尽くして、原野に棄てる。戦士は出陣してはまた入ることはなく、一たび征ってはまた返らない。平原ははてもなく、路ははるかに遠い。
 長剣を帯び秦の強弓をたばさみ、首と身体とが離れても、心は懲り改まることはない。誠に既に勇ましい上にまた猛く、最後まで剛強で、犯すことはできなかった。身はもはや死んでしまっても、精神は活きている。あなたの魂魄は鬼神の英雄となっておられる。

(語釈より)
子魂魄兮爲鬼雄 あなたのたましいは霊魂の中での英雄である。子は戦死者をさす。魂は精神の生命力、魄は肉体の生命、二字で霊魂と解する。一に「魂魄毅」に、また「子魄毅」に作る。鬼は亡霊、雄はすぐれたもの。亡霊の英雄。おにがみ。

星川清孝『新釈漢文大系 第34巻 楚辞』(明治書院、1970年)pp.101-102

詩経しきょう国風こくふう豳風ひんぷう七月しちがつ」より

曲水の宴で伏完が詠む。この詩、よく出てくる(これで三度目)

朋酒斯飨 日杀羔羊
跻彼公堂 称彼兕觥
万寿无疆

朋酒ほうしゅ ここきょう
ここ羔羊こうようを殺す
の公堂にのぼ
彼の兕觥じこうあげたた
万寿 かぎりなし

……
二之日鑿冰沖沖 三之日納于凌陰
四之日其蚤 獻羔祭韭
九月肅霜 十月滌場
朋酒斯饗 曰殺羔羊
躋彼公堂 稱彼兕觥
萬壽無疆

……
こほりうがつこと沖沖ちゅうちゅうたり さん凌陰りょういん
ここるに かうけんじてきうまつ
九月くぐゎつさむしも 十月じふぐゎつぢゃうきよ
朋酒ほうしゅ ここきゃうし ここ羔羊かうやうころ
公堂こうだうのぼりて 兕觥じくゎう
萬壽ばんじゅかぎりけん

……二月にはちょんちょんと氷切り、三月には氷室ひむろに入れる。四月には氷室開き、捧げるはこひつじとにら。九月には寒き霜降り、十月には稲打ち場を清め、みなを呼んで酒の宴、こひつじ殺して供物とし、御霊屋に参り、大杯を捧げ持ちて、一族の長寿を祖霊に願う。

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年)pp.119-124 國風・豳風・七月

曹丕「芙蓉池作ふようちのさく」より

曲水の宴で曹丕が詠む。芙蓉池は曹操が鄴に築いた銅雀台の庭園にあり、曹丕ら建安詩人も宴を催していた。

丹霞夹明月
华星出云间
上天垂光彩
五色一何鲜
寿命非松乔
谁能得神仙
遨游快心意
保己终百年

丹霞たんか 明月を挟み
華星 雲間より
上天 光彩を垂れ
五色 一に何ぞ鮮やかなる
寿命 松喬しょうきょうあら
誰かく神仙たるを得ん
遨遊ごうゆうして心意を快くし
己を保ちて百年を終えん

乘輦夜行遊 逍遙步西園
雙渠相漑灌 嘉木繞通川
卑枝拂羽蓋 脩條摩蒼天
驚風扶輪轂 飛鳥翔我前
丹霞夾明月 華星出雲閒
上天垂光采 五色一何鮮
壽命非松喬 誰能得神仙
遨遊快心意 保己終百年

れんりてよるいてあそび、逍遙せうえうして西園せいゑんす。
雙渠さうきょあひ漑灌がいくゎんし、嘉木かぼく通川つうせんめぐる。
卑枝ひし羽蓋うがいはらひ、脩條しうでう蒼天さうてんす。
驚風けいふう輪轂りんこくたすけ、飛鳥ひてうまへかける。
丹霞たんか明月めいげつはさみ、華星くわせい雲閒うんかんづ。
上天じゃうてん光采くゎうさいれ、五色ごしょくいつなんあざやかなる。
壽命じゅみゃう松喬しょうけうあらず、たれ神仙しんせんん。
遨遊がういうして心意しんいこころよくし、おのれたもちて百年ひゃくねんへん。

通釈 くるまに乗って夜出かけ、ぶらりと西園に遊んだ。見れば二つの溝が流れそそぎ、美しい樹々が流れゆく川をめぐって繁っている。その低い枝は車のおおいをはらい、また長くのびた枝は天空に接するほどである。追風は急に吹き起って車の進みを助け、飛ぶ鳥はわが前をさえぎる。やがて明月が夕やけ雲に反映してあらわれると、きらめく星も雲間くもまに光りをなげる。大空は美しく照りえ、雲気は五色に彩られて色あざやかにかがやく。
 さて人の寿命は限りがあり赤松子・王子喬の神仙のように不老不死を得ることはできない。されば心ゆくばかり大いに遊んで、この限られた人生を持ち続けよう。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第14巻 文選(詩篇)上』(明治書院、1963年)pp.161-162 魏文帝「芙蓉池作」

曹操「短歌行たんかこう」より

曲水の宴で曹操が詠う。曹操の有名な詩。
「歳月の過ぎ易いのを嘆じ、賢才を得て、すみやかに王業を建てようとの意を述べた四言詩で、曹操得意の作である」(『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』より)

对酒当歌 人生几何
譬如朝露 去日苦多
慨当以慷 忧思难忘
何以解忧 唯有杜康
青青子衿 悠悠我心
但为君故 沉吟至今
山不厌高 海不厌深
周公吐哺 天下归心

酒に対してまさに歌うべし
人生幾何いくばく
たとえば朝露のごと
去る日ははなはだ多し
慨して当に以てこうすべし
憂思ゆうし 忘れ難し
何を以て憂いを解かん
杜康とこう 有るのみ
青青たる子がきん
悠悠たる我が心
だ君が為の故に
沈吟ちんぎんして今に至る
山は高きをいとわず
海は深きを厭わず
周公しゅうこうを吐きて
天下 心を帰す

對酒當歌 人生幾何
譬如朝露 去日苦多
慨當以慷 憂思難忘
何以解憂 唯有杜康
青青子衿 悠悠我心
但爲君故 沈吟至今

呦呦鹿鳴 食野之苹
我有嘉賓 鼓瑟吹笙
明明如月 何時可掇
憂從中來 不可斷絕
越陌度阡 枉用相存
契闊談讌 心念舊恩
月明星稀 烏鵲南飛
繞樹三匝 何枝可依
山不厭高 海不厭深
周公吐哺 天下歸心

さけたいしてはまさうたふべし。人生じんせい幾何いくばくぞ。
たとへば朝露てうろごとし。去日きょじつはなはおほし。
がいしてまさもっかうすべし、憂思いうしわすがたし。
なにもっうれひかん。ただ杜康とかうるのみ。
青青せいせいたるきん悠悠いういたるこころ
ただきみためゆえに、沈吟ちんぎんしていまいたる。

呦呦いういうとして鹿しかき、へいくらふ。
われ嘉賓かひんらば、しつしゃうかん。
明明めいめいとしてつきごとし、いづれのときにかけん。
うれひうちよりきたつて、斷絕だんぜつからず。
はくせんわたり、げてもっあひそんせば、
契闊けつくゎつ談讌だんえんして、こころ舊恩きうおんおもふ。
つきあきらかにほしまれに、烏鵲うじゃくみなみぶ。
めぐること三匝さんさふいづれのえだにかき。
やまたかきをいとはず、うみふかきをいとはず。
周公しうこうきて、天下てんかこころす。

通釈 酒を飲んでは大いに歌うべきである。人生はどれだけ続き得るものぞ。それはあたかも朝露のように極めてはかないものである。されば過ぎ去った日はいやに多くても、功業はなかなか成らない。これを思えばなげかずにはいられず、心のうれいも忘れ難い。この憂を消すものはただ酒あるのみ。だから酒に対しては憂を忘れて歌うべきである。
 人生の短いのを思うにつけても賢才を得たいと思う心は、詩経の句に「青衿の若人よ、君を慕うわが心は、はてしも知らず思いなやむ」とあるように、わが心の休まるひまもなく、ただ君を得ようと思い思うて今に至った。
 もし賢才を得て事を共にするを得るならば、彼の詩経に「さをしかは友を鳴きよびて、よもぎをはむ。われにめでたきまろうどがある。瑟をかなで、笙を吹いてもてなそう」と歌うように、よろこび迎えて楽しみを共にしたいと思う。しかし賢才の得難きは、明月の手にとり難いのと等しい。それを思うと憂いの心湧き来たって、たち難きを覚える。もし東西南北、道の遠きをいとわず、まげてわざわざ訪問されるならば、心をこめて酒宴談笑、旧恩を忘れまいと念じている。
 われ今幸いに群雄を伐って天下を得た。それはあたかも月の光が輝いて、群星の光がうすれたのにも比べられよう。月明に乗じて南に飛んだかささぎが、宿るべき樹を求めて、ぐるぐる回っても、身を寄せる枝もないのは、世の賢才が依るべき人を得ずして、いたずらに奔走するにも似ている。
 山は高きをいとわず、海は深きをいとわない。いくらでも高くまた深くなることを欲する。われもまたいくらでも多くの賢才を包容して用いよう。かの周公は一食事中に三度も口中の食を吐いて、天下の士に接し、賢才を採用したという。わが理想もまさにここにある。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年)pp.475-476 魏武帝「短歌行」

第48話

詩経しきょう小雅しょうが谷風之什こくふうのじゅう北山ほくさん」より

司馬防父子が逃げてしまったと告げる曹操曹丕が語る。このフレーズはこれ以前にも出てきた気がするが、箇所を忘れてしまった(確認中)

普天之下 莫非王土
天网恢恢
凭他们跑到天涯海角
总有疏而不漏之时

“普天の下
 王土にあらざるし”

たとえ奴らが
地の果てまで逃げても—
逃げ切れませぬ

〔詩経、小雅、北山〕溥天之下(フテンのもと)、莫王土(オウドにあらざるはなく)、率土之浜(ソットのヒン)、莫王臣(オウシンにあらざるはなし) 天のあまねくおおう下は、天子の土地でないところはなく(みな天子の土地であり)、陸地の続き果てるどこまでも、(そこに住む人は)天子の臣でないものはいない(みな天子の臣である)。

『新漢語林 第二版』(大修館書店、2011年)

陟彼北山 言采其杞
偕偕士子 朝夕從事
王事靡盬 憂我父母

溥天之下 莫非王土
率土之濱 莫非王臣
大夫不均 我從事獨賢

四牡彭彭 王事傍傍
嘉我未老 鮮我方將
旅力方剛 經營四方

或燕燕居息 或盡瘁事國
或息偃在床 或不已于行

或不知叫號 或慘慘劬勞
或棲遲偃仰 或王事鞅掌

或湛樂飮酒 或慘慘畏咎
或出入風議 或靡事不爲

 あの北方の山に登り、枸杞くこの葉を摘みとる。(それを捧げて山の神霊に申し上げる。)強くたくましい私は(群臣らと共に)、朝に晩に王命に従う。王の征役は休む(間も)なく(続き、故郷の)私の父母を憂えさせ(心配させ)る。
 大いなる天の下、王の土地でないところはない。地の続く極みまでも、(そこに住む人は誰一人として)王の臣でない者はいない。(なのに王が)大夫(を使うのを)公平にせず、私だけが王命によって(多くの役を与えられ)独り苦労をする。
 四頭の牡馬は(休まず)力強く(馳せる、そのように)王命の征役は盛んに(起こる)。私がまだ老いていないことをよいこととし、私がまさにさかんなることをよいこととする。(私の)体力がまさにつよいので、四方の国々を経営させる。(なぜ私独りが王命により多くの役を与えられ苦労するのか。)
 或るものは(ゆっくりと)静かに休息して家でくつろぎ(ぶらぶらしているのに)、或るものは憔悴して国事に仕える。或るものは休んで寝台にあおむきに寝て(いるのに)、或るものは(王事の用向きに)歩くことを止めず(忙しく動き回っている)。
 或るものは(安楽に耽って、世の人の)悲痛の叫び声を聞かない(のに)、或るものはいたみ悲しんで骨折り苦しむ。或るものはくつろぎ休み(気ままに)寝たり起きたりする(のに)、或る者は征役に忙しく苦労する。
 或るものは楽しみに耽って酒を飲み、或るものは痛み悲しみ罪を(受けないかと)畏れる。或るものは(暇に任せて、朝廷に)出入りし(その場で)勝手気ままに(口先だけの)立派な議論をする(だけなのに)、或るものは何でもやらない仕事はなく苦労する。

余説……詩中、「普天之下、莫非王土、率土之浜、莫非王臣」は、天子の天下統治の絶対性を表す言葉として古来有名な句であるが、その本来の意味は、このように国が広く人が多いのに、なぜ自分だけかくも不公平に使役せられ、このように王事に苦しむのかという心持ちである。……

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年)pp.387-391 谷風之什

論語ろんご衛霊公えいれいこう篇より

劉平の元を去る司馬懿の言葉。

晩了
道不同 不相为谋
早知今日 何必当初呢

もう遅い
“道 同じからざれば
 あい 為に謀らず”

分かっていたら関わらなかった

道不同、不相為謀 みちおなジカラざレバ、あヒためニはかラず
立場が異なれば、いっしょに何かを計画していくことができない〈論・衛霊公〉

『全訳 漢辞海 第三版』(三省堂、2011年)

子曰、道不同、不相爲謀、

子の曰わく、道同じからざれば、相い為めにはからず。

先生がいわれた、「志す道が同じでなければ、たがいに相談しあわない。」

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年)p.323 衛霊公第十五

公開:2020.01.07 更新:2020.01.25

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