ドラマ「三国機密」に登場する古典(5)41〜44話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べてみた。赤枠は本編の字幕より引用。

第41話

曹植「白馬篇はくばへん」より

戦勝の宴で曹植が詠む。白馬に乗る勇士の詩で、張遼について詠んだという説がある。ドラマでは張遼の戦いぶりが直接には描かれないが、この頃の活躍を詠んでいる。

羽檄从北来
厉马登高堤
长驱蹈匈奴
左顾凌鲜卑
弃身锋刃端
性命安可怀
父母且不顾
何言子与妻
名编壮士籍
不得中顾私
捐躯赴国难
视死忽如归

羽檄うげき 北より来たり
馬をはげまして 高堤こうていに登る
長駆ちょうくして匈奴きょうどを踏み
左顧さこして鮮卑せんぴしのがん
身を鋒刃ほうじんの端に
性命 いずくんぞおもうべけん
父母すらつ顧りみず
なんぞ子と妻とを言わん
名は壮士の籍に編せらるれば
うちわたくしを顧みるを得ず
てて国難に赴く
死をること
たちまち帰するがごと

白馬飾金羈 連翩西北馳
借問誰家子 幽幷遊俠兒
少小去鄕邑 揚聲沙漠垂
宿昔秉良弓 楛矢何參差
控弦破左的 右發摧月支
仰手接飛猱 俯身散馬蹄
狡捷過猴猨 勇剽若豹螭
邊城多警急 胡虜數遷移
羽檄從北來 厲馬登高堤
長驅蹈匈奴 左顧凌鮮卑
棄身鋒端 性命安可懷
父母且不顧 何言子與妻
名編壯士籍 不得中顧私
捐軀赴國難 視死忽如歸

白馬はくば金羈きんきかざり、連翩れんぺんとして西北せいほくす。
借問しゃもんいへぞ、いうへい遊俠兒いうけふじ
少小せうせうにして鄕邑きゃういふり、沙漠さばくほとりぐ。
宿昔しゅくせき良弓りゃうきゅうり、楛矢こしなん參差しんしたる。
げんきて左的さてきやぶり、みぎはっして月支げっしくだく。
あふぎて飛猱ひだうけ、して馬蹄ばていらす。
狡捷かうせふなること猴猨こうゑんぎ、勇剽ゆうへうなること豹螭へうちごとし。
邊城へんじゃう警急けいきふおほく、胡虜こりょ數〻しばしば遷移せんいす。
羽檄うげききたよりきたれば、うまはげまして高堤かうていのぼり、
長驅ちゃうくして匈奴きゃうどみ、ひだりかへりみて鮮卑せんぴしのぐ。
ほうじんたんつ、性命せいめいいづくんぞおもけん。
父母ふぼすらかへりみず、なんつまとをはん。
をば壯士さうしせきへんせらる、うちわたくしかへりみるをず。
てて國難こくなんおもむく、ることたちまするがごとし。

通釈 白馬に金のおもがいを飾り、西北めざし飛ぶが如く馳せゆく若者がある。いずこの誰かと尋ねると、名にしおう幽・幷出身の侠者おとこだてだという。年若くして郷里を離れ、沙漠のほとりの戦場に名をあげた者だ。
 そのころ良弓を手にとり、えびらに竹の矢を乱れさし、ゆみづるを引きしぽって左の的を射破ったかと思えば、右手に放って射帖を打ちぬく巧みさ、あおけに枝飛ぶましらをむかえうち、身を伏してはあたりを蹴散らして馬を飛ばす、そのすばやさは猿にもまさり、豹やみずちに劣らぬ勇ましさ。
 折から辺境のとりではものさわがしく、えびすの兵はしばしば移動してくる。それを伝える急のしらせが北からくれば、馬をはげまして高い堤にと上って警戒し、まっしぐらに駆けぬけて、匈奴を踏みちらし、左に向きをかえては、鮮卑を突破する奮戦。身を刃の先に投げ出すからには、生命などはものとも思わぬ。父母さえ顧みないものを、子供や妻のことなど口にできるものか。わが名を勇士の名簿に列ねられている以上、心に私事わたくしごとなどを思うべきではない。一身をすてて国難に赴く者、死をみることは、まるでわが家に帰るような心安さである。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年)pp.485-486 曹植「白馬篇」

第42話

漢詩「蒿里こうり」より

遠征先の郭嘉の無銘の墓前で、曹操が嘆く。漢代の作者不明の挽歌。

蒿里谁家地
聚敛魂魄无贤愚

蒿里こうり が家の地ぞ
魂魄こんぱく聚斂しゅうれんして賢愚無し

蒿里誰家地、
聚斂魂魄無賢愚。

鬼伯一何相催促、
人命不得少踟躕。

蒿里は誰が家の地なるか、
魂魄を聚斂して賢愚なし。

鬼伯は一に何ぞ相催促する、
人命は少しも踟躕するを得ず。

 蒿里には、誰が住んでいるのであろうか。蒿里は死者を収容するところで、人は死ねば、賢者も愚者も、才子も佳人も、誰も彼もみな集められてしまう。死神は何といちずに人を催促して、死なせるのであろう。一たび死神の迎えを受けると、人の命は立ちどころに消えて、少しのためらいもできないのである。
〔人は一たび死に直面すれば、この世における一切のものから絶ち切られて、執着することもできず、未練も残せず、ただ独り冥府におもむかなければならない。どうすることもできない運命なのである。その悲しみを歌ったもので、僅に二十六字の短い歌辞に、死の避けられない厳粛な事実を歌っている。〕

沢口剛雄訳注『中国古典新書 楽府』(明徳出版社、1979年)pp.203-204

江淹こうえん恨賦うらみのふ」より(?)

上記の続きで曹操が引用する。「恨賦」の冒頭? ただし、江淹はドラマの舞台より後の南朝の詩人である。

人生到此
天道宁论

人生 ここいた
天道 なんぞ論ぜんや

試望平原、蔓草縈骨、拱木斂魂。人生到此、天道寧論。於是僕本恨人、心驚不已。直念古者伏恨而死。
……

こころみに平原へいげんのぞめば、蔓草まんさうほねまとひ、拱木きょうぼくたましひをさむ。人生じんせいここいたりては、天道てんだうなんろんぜん。ここおいぼくもとより恨人こんじんなり、こころおどろきてまず。ただ古者いにしへうらみにしてせるものをおもふ。
……

通釈 平原を見渡せば、蔓草が人骨にまといつき、墓の樹は太く生い茂っている。人と生まれても、ついには誰もがこの状態(死)に帰着するのだとすれば、天道の是非を論じても詮無いことだ。元来、恨みを感じやすい私のこと、心は乱れて止まず、考えは、かつて恨みを呑んで死んでいった古人たちへと移っていった。
……

高橋忠彦『新釈漢文大系 第81巻 文選(賦篇)下』(明治書院、2001年)pp.230-235 江淹「恨賦」

後漢書ごかんじょ厳光げんこう伝より

曹操の招きを拒否して罪に問われた司馬懿の処遇を巡り、罰するべきではないとする孔融が、後漢初期の隠者・厳光厳子陵)が学友である光武帝の招きを拒否して寝ていた逸話を引く。台詞原文では「耳を洗った」伝説上の隠者・許由きょゆうの名と並べられているが、字幕では具体例は省かれている。

许由洗耳以避尧
严光高卧以辞光武
两位贤君皆未怪罪
古人云
士故有志
何至相迫

盛世尚且有隠士
为何我朝就要杀辞征之人
记入史书
岂不贻笑千载

皇帝の招きに応じなかった
古の賢者は罰せられませんでした
もとより志有るに
何ぞ相迫るに至れるや”

出仕せぬ者を殺したと
史書に書かれれば—
末代までの
笑い物となりますぞ

(……)車駕卽日幸其館、光臥不起、帝卽其臥所、撫光腹曰、咄咄、子陵、不可相助爲理邪。光又眠不應、良久、乃張目熟視曰、昔唐堯著德、巢父洗耳。士故有志。何至相迫乎。帝曰、子陵、我竟不能下汝邪。於是升輿、歎息而去。……

(……)天子は即日にその館に出向いたが、巖光は寝たまま起きない。光武帝はその寝所に行き、巖光の腹を撫でながら、「おいおい、子陵よ、(朕を)助けて政治を行ってくれまいか」と言った。巖光はそのまま眠って答えなかったが、しばらくして、ようやく(起きると)目を見張って熟視し、「むかし唐堯は徳を現しましたが、巢父は(堯から禅譲の話を聞いて)耳を洗いました。士にはもとより志があります。どうして(そのようなことを)迫るのですか」と言った。光武帝は、「子陵よ、わたしはついにそなたを降参させることができぬのか」と言った。かくて輿に乗り、歎息して去った。……

渡邉義浩主編『全譯後漢書 第十八册 列傳(八)』(汲古書院、2016年)pp.258-262 逸民列傳第七十三

【洗耳】センジ|みみをあらう ①汚れた話を聞いたため耳を洗い清める。〈孟・尽心上・注〉 ㊟帝尭ギョウが天下を許由キョユウに譲ろうとしたとき、許由が不快に思い潁川エイセンの水で耳を洗った故事から。

『全訳 漢辞海 第三版』(三省堂、2011年)

国語こくご越語えつご下より

評定の場にやってきた唐瑛が群臣を諭す。春秋時代、越王勾践こうせんに仕え「会稽の恥」をそそいだ范蠡はんれいの言葉。

古言 君辱臣死
可我大汉
连天子横死的惨剧
都经历了
不知衮衮诸公们
是否惊心
是否汗颜

“君辱めらるれば 臣死す”
だが漢では
皇帝が非業の死を遂げました
臣下として—
恥ずかしいと思わないのですか

【君辱臣死】きみはずかしめ(はづかしめ)らるればしんしす
主君が他からはずかしめを受けることがあれば、その臣は命をなげ出して、そのはじをはらす。〔越語〕君憂ヘバ臣労、君辱メラルレバ臣死

『角川新字源 改訂新版』(角川書店、2017年)

……反至五湖、范蠡辭于王曰、君王勉之、臣不復入越國矣。王曰、不穀疑子之所謂者、何也。對曰、臣聞之、爲人臣者、君憂臣勞、君辱臣死。昔者君王辱于會稽、臣所以不死者、爲此事也、今事已濟矣、蠡請從會稽之罰。(……)

……
 呉を滅しての帰りに五湖まで来ると、范蠡が越王にいとま請いして言った。
 范「王さましっかりなさいませ。わたくしは二度と越の国へは入りません。」
 王「わたくしには、あなたが何を言おうとするのか分かりません。」
 范「わたくしの聞きますには、人臣は、君に憂いがあれば臣下は骨を折って尽力し、君が辱しめられれば臣下は命を投げだすと申します。昔王さまが会稽山で呉に辱しめられましたのに、わたくしが死ななかったわけは、この呉征伐のためでした。今この事は成就しました、わたくしのお願いです、どうか会稽の罰を受けさせて下さい。」
(……)

大野峻『新釈漢文大系 67 国語(下)』(明治書院、1978年)pp.828-830

劉弁「悲歌」(『後漢書ごかんじょ皇后紀より)

唐瑛が夫であった弘農王劉弁りゅうべん少帝)の最期を語る。毒死を迫られた弘農王が、妻の唐姫(ドラマの唐瑛。歴史上は名は不明)に歌った詩として後漢書に記されている。

弘农王临终之前
曾对我歌曰
天道易兮我何艰
弃万乘兮退守藩
逆臣见迫兮命不延
逝将去汝兮适幽玄

弘農こうのう王は亡くなる前
こう歌いました
“天道はやすきも
我は何ぞくるしき”
万乗ばんじょう
退きてはんを守る”
“逆臣に迫られ 命は延びず”
ここまさなんじを去り
幽玄にかんとす”

(……)卓乃置弘農王於閣上、使郎中令李儒進酖曰、服此藥、可以辟惡。王曰、我無疾、是欲殺我耳。不肯飲。強飲之。不得(巳)〔已〕、乃與妻唐姬及宮人飲讌別。酒行、王悲歌曰、天道易兮我何艱。棄萬乘兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延、逝將去汝兮適幽玄。(……)

(……)董卓は弘農王を閣上に置き、郎中令ろうちゅうれい李儒りじゅに酖毒を進めさせ、「この薬を飲めば、凶事を避けることができます」といった。弘農王は、「私は病気ではない、私を殺そうとしているだけだろう」といい、飲もうとしなかった。(李儒は)強引にこれを飲まそうとした。(弘農王は)やむをえず、妻の唐姫とうきおよび宮人と惜別の宴を開くことにした。酒が行き渡ると、王は悲歌し、「天道(に従うこと)は簡単であるというが我にはどうしてこんなにくるしいのであろう。萬乘(の天子の地位まで)を棄てて藩王の身分に退いた。(それなのに)逆臣に迫られて命を永らえることはできぬ。ここに汝(唐姫)から去って幽冥の世界に逝こう」と。(……)

渡邉義浩主編『全譯後漢書 第二册 本紀(二)』(汲古書院、2004年)pp.458-464 后紀第十下 靈思何皇后

第43話

曹丕「令詩」より

幼い頃から戦場を見てきたことを語る曹丕。直接の引用では無いが、曹丕作の詩の表現が使われている。

看遍丧乱悠悠
白骨纵横
哀哀下民奔走靡恃

戦乱の中
屍が野ざらしとなり
民が逃げ惑う姿を見た

喪乱悠悠過紀、
白骨従横萬里、
哀哀下民靡恃、

吾将佐時整理、
復子明辟致仕。

喪乱 悠悠はるけくも紀を過ぎ
白骨 従横に萬里に横たわる
哀哀いたましくも下民 たの

吾 まさに 時をたすけてととのおさ
子に明辟をえして致仕せん

伊藤正文「曹丕詩補注稿(詩・闕文・補遺)」(『論集:神戸大学教養部紀要』25、1980年、p.104)

曹丕「大牆上蒿行」より

上記の続きで、父の曹操曹植のことしか見ていない、と司馬懿に語る曹丕が詠む。全文は第6話参照。

四时舎我驱驰
今我隠约欲何为
人生居天壤间
忽如飞鸟栖枯枝
我今隠约欲何为

四時 我をて駆馳す
今 我 隠約し
何をさんと欲す
人の生まれて
天壌の間に居る
たちま飛鳥ひちょう枯枝こしむがごと
今 我 隠約し
何かを為さんと欲す

陽春無不長成、
草木羣類随。
大風起、
零落若何翩翩、
中心独立一何煢。
四時舎我駆馳、
今我隠約欲何為。
人生居天地間、
忽如飛鳥棲枯枝。
我今隠約欲何為。

……

陽春 長成せざる無く
草木 羣類 したご
大風 起れば
零落するや 若何いかんせん 翩翩たり
中心 独立し いつに何んぞ煢たり
四時 我をきてけり
今 我 隠約して何をか為さんと欲す
人 生まれて天地の間にること
あわただしきこと飛鳥の枯枝に棲もうがごと
我 今 隠約して何をか為さんと欲す

……

伊藤正文「曹丕詩補注稿(楽府)」(『論集:神戸大学教養部紀要』23、1979年、p.74)

第44話

詩経しきょう国風こくふう鄭風ていふうゆう蔓草まんそう」より

曹操らが戦(赤壁の戦い)で不在の間、唐瑛と束の間の自由を楽しむ司馬懿が語る。

有美一人 婉如清扬
邂逅相遇 与子偕臧

美しき一人有り
婉如えんじょたる清揚せいよう
邂逅かいこうしてあい
ともからん

野有蔓草 零露漙兮
有美一人 清揚婉兮
邂逅相遇 適我願兮

野有蔓草 零露瀼瀼
有美一人 婉如清揚
邂逅相遇 與子偕臧

蔓草まんさうり 零露れいろ たんたり
うつくしき一人ひとりり 清揚せいやう ゑんたり
邂逅かいこうしてあひへり ねがかなへり

蔓草まんさうり 零露れいろ 瀼瀼じゃうじゃうたり
うつくしき一人ひとりり 婉如ゑんじょたる清揚せいやう
邂逅かいこうしてあひへり ともからん

通釈 郊外の原野の蔓草つるくさに、露は降り玉をなす。美しい人がひとり、目もとすずやかに美しい。ここに出会うことができ、私の願いは叶えられた。
 郊外の原野の蔓草つるくさに、露はたっぷりと降りた。美しい人がひとり、すずしい目もと。ここに出会うことができた。あなたとともに楽しみましょう。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年)pp.242-244 鄭風・野有蔓草

曹植「怨歌行えんかこう」より

上記の続き。曹植の詩の最後のフレーズ? このドラマでは司馬懿曹植の詩を引くのも不自然なため、他の出典があるかもしれない。

今日乐且乐 明日莫相忘

今日 楽しみて相楽しみ
別後 相忘るるかれ

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……
爲君既不易
爲臣良獨難
忠信事不顯
乃有見疑患
周公佐成王
金縢功不刊
推心輔王室
二叔反流言
待罪居東國
泣涕常流連
皇靈大動變
震雷風且寒
拔樹偃秋稼
天威不可干
素服開金縢
感悟求其端
公旦事既顯
成王乃哀歎
吾欲竟此曲
此曲悲且長
今日樂相樂
別後莫相忘

……
きみるはすでやすからず
しんるはまことひとかた
忠信ちゅうしん こと あらわれずんば
すなわちうたがわるるのうれ
周公しゅうこう 成王せいおうたす
金縢きんとう こう かんせられず
こころして王室おうしつたすくるに
二叔にしゅく かえって流言りゅうげん
つみちて東国とうごく
泣涕きゅうていしてつね流連りゅうれん
皇霊こうれい おおいに動変どうへん
震雷しんらい かぜふきてさむ
き 秋稼しゅうか
天威てんい おかからず
素服そふくきて金縢きんとうひら
感悟かんごしてたんもと
公旦こうたん こと すであらわれて
成王せいおう すなわち哀嘆あいたん
きょくえんとほっするも
きょく かなしくてなが
今日こんにち たのしみてたのしみ
別後べつご わするることかれ

……
 君主たることは、もとよりたやすくはないが、臣下たることも、まことにむつかしいものである。
 忠誠の事実がまだはっきりしないうちは、疑惑をもたれはしないかとの心配がおこる。たとえば、周公は成王を輔佐し、「金縢」に収めた功績はもともと永遠のものであったのだ。しかし、彼は誠心誠意王室を輔佐したのに、管蔡のためかえってデマをとばされ、罪のさばきを東国に待ち、常に涙を流す身となった。折しも、天は大変異を下した。雷はとどろき、風は吹きつけ、その上寒さがおそう。樹は根より抜け、秋のみのりはふし倒れた。やはりそのときの天の怒りは、犯すべからざるものがあった。成王は大臣たちと、礼服をきて、金縢(金属製の封緘)を開く、彼らは彼らは天意にさとるところがあって、その来源をたしかめんとしたのである。かくて、周公の忠誠の事実は明らかとなり、成王はそこにおいて、哀痛嘆息されたのである。
 私はこの曲を歌いおえようと思うが、この曲は悲しくもまたつきぬものがある。今日はたがいに楽しくすごしているが、別れたのちも忘れないようしてほしい。

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伊藤正文注『中國詩人選集 第三巻 曹植』(岩波書店、1958年)pp.171-175

古詩十九首・第十八首より

曹植崔氏の結婚祝いに帯を贈る伏寿の言葉。遠行の夫からの贈り物を受け取った妻の想いを詠んだ、作者不明の古詩。

古诗云
文采双鸳鸯 裁为合欢被
著以长相思 缘以结不解

文彩はそう鴛鴦えんおう
裁ちて合歓の被と
ちゃくするに長相思をもってし
縁するに結不解けつふかいを以てす

客從遠方來 遺我一端綺
相去萬餘里 故人心尙爾
文綵雙鴛鴦 裁爲合歡被
著以長相思 緣以結不解

以膠投漆中 誰能別離此

かく遠方ゑんぱうよりきたり、われ一端いったんおくる。
あひること萬餘里ばんよりなるも、故人こじんこころしかり。
文綵ぶんさい雙鴛鴦さうゑんあうちて合歡がふくゎんす。
ちょするに長相思ちゃうさうしもってし、えんするに結不解けつふかいもってす。

にかはもっ漆中しっちゅうとうぜば、たれこれ別離べつりせん。

通釈 遠方から訪ねて来た客が私に一反のあやぎぬを置いて行った。それは夫から届けられたもの、万里以上も隔たっているのに、あの人の親切心はまだ昔のままで、かわらなかった。このきれ地の織り模様はつがい鴛鴦おしどりである。これをば仕立てて共寝の夜着を作り、中には「長相思」の綿をつめて、いつまでも思う心をこめ、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで離れない意をもたせましょう。にかわを漆の中に入れたら、密着して、誰でも引き離すことはできぬでしょう。私どもの夫婦仲も、それと同じで、早く帰ってほしいもの。

(語釈より)
著 中に綿をつめること。
長相思 綿の縁語。綿綿と続く意をとる。
結不解 糸をかがって、ほどけぬようにすること。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年)p.572 雑詩上(古詩十九首)

詩経しきょう国風こくふう豳風ひんぷう七月しちがつ」より

曹植の結婚式の席にて、曹節の悩みを聞こうとする劉平の言葉。 ※第7話にも登場した「七月」の一節。下記の引用では(例によって)祭祀の歌として訳されている。

少女清愁
自古皆有
诗云
女心伤悲殆及公子同帰

乙女の愁いを詠んだ詩がある
女心じょしん 傷悲しょうひ
 ねがわくは公子とともかん”

……
七月流火 九月授衣
春日載陽 有鳴倉庚
女執懿筐 遵彼微行
爰求柔桑
春日遲遲 采蘩祁祁
女心傷悲 殆及公子同歸
……

……
七月しちぐゎつながるる 九月くぐゎつさづ
春日しゅんじつすなはあたたかく ここ倉庚さうかう
ぢょふかかごり 微行びかうひて
ここ柔桑じうさうもと
春日しゅんじつ遲遲ちちたり はんること祁祁ききたり
女心ぢょしん 傷悲しゃうひす ねがはくは公子こうしともかん
……

……
七月には移ろうなかご星、九月には冬着を授ける。春の日はあたたかに、鳴き交うはこうらいうぐいす。乙女は深きかごを取り、小さき道に沿うて行き、柔らかき桑の葉を摘む。春日の長きことゆるゆると、摘み摘むはしろよもぎ。(巫たる)乙女の心は悲しみに暮れるばかり、できるなら公子(祖霊のかたしろ)とともにいつまでも。
……

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年)p.120 國風・豳風・七月

公開:2019.12.30 更新:2020.01.21

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