ドラマ「三国機密」に登場する古典 ⑦ 31〜35話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

第31話

易経えききょう乾為天けんいてんより

官渡の戦場で顔を合わせた劉平曹操の会話。日本語では省略されてしまったが、第18話郭嘉の台詞にも登場した「飛龍 天に在り」のフレーズが出てくる。龍は一般に皇帝を表すが、同時にここでは劉平がついに自ら動き出したことを指す表現となり、緊迫感の漂うやりとりになっている。

(刘平)
司空为朕
廓清北方 歼灭叛逆
朕能够亲临战场
见卿风采
是朕之幸啊

(曹操)
能见得陛下飞龙在天
是臣之幸
也是汉室之幸

(劉平)
そう司空は
ちんのために逆賊を滅ぼした
この目で戦場での姿を
見られて幸いだ
 

(曹操)
私も陛下にお目にかかれて
幸いです

荘子そうじ逍遥遊しょうようゆう篇より

曹操の宴席で、かつて父・司馬防が推挙した曹操を「北部尉程度の才」(※原語の台詞では「県尉」だが、訳では「北部尉」と補われている)だと評したことについて尋ねられた司馬懿が語る。日本語字幕では省略されているが、「荘子いわく……」と以下のフレーズが引用される。

庄子云
风之积也不厚
则其负大翼也无力

英雄需要时事锻练
也需要时事造就

英雄は時勢によって
鍛えられ 育てられる
時勢の後押しが
英雄には必要です

北冥有魚、其名爲鯤。鯤之大 不知其幾千里也。化而爲鳥。其名爲鵬。[……]鵬之徙於南冥也、水擊三千里、摶扶搖而上者九萬里、[……]且夫水之積也不厚、則負大舟也無力。[……]風之積也不厚、則其負大翼也無力。故九萬里、則風斯在下矣。而後乃今培風、背負青天、而莫之夭閼者。而後乃今將圖南。

[……]かぜむことあつからざれば、すなは大翼だいよくふにちからし。[……]

通釈 北の海に鯤という名の魚がいた。鯤の大きさは幾千里あるか分からないほどだ。この魚が変化して鵬という名の鳥になった。[……]鵬が南の海に移ろうとするとき、水は三千里にわたって波立ち荒れる。鵬はそのとき起る旋風つむじかぜに羽ばたいて九万里も上にのぼり、[……]さて、水の深さが足りないと、大きな舟を負い浮かべたときに、それをささえる力がない。[……]風の厚さが足りないと、大きな翼を負い浮かべようにも支える力がない。故に九万里のぼるとすれば、風(大気)が翼の下にあるはずだ。そこで始めて風に乗る。青空を背にし、邪魔者がなく、そこで始めて南を指して進もうとする。

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 内篇・逍遙遊第一 pp.137-139

ちなみにこの前段の、推挙した当時は北部尉が相応しかったのだという答えは、『三国志』武帝紀に引く『曹瞞伝』によると司馬防本人が魏王となった曹操の宴席で同様に問われて返したものである。

第32話

曹植そうしょく楊徳祖ようとくそあたうるのしょ」より

徳祖楊修あざな。官渡の陣営で意気投合する曹植楊修。後世に詩人として名高い曹植だが、本人は文章を作るよりも施政者として功績を残したいという志を持つ。実際に(もっと後の時期だが)曹植楊修に贈った手紙の一節で、ドラマでは年若い曹植の野心とそれに呼応する楊修のやりとりになっている。

(曹植)
我年少德薄
只因家父之功 才身居高位
又岂能以翰墨为勋绩
以辞赋为君子
我之所以努力
当在戮力上国
流惠下民

(杨修)
建永世之业
流金石之功

(曹植)
父のおかげで
恵まれた地位にいるが
詩文を書くだけでは
功績は挙げられない
“力を上国にあは
 恵みを下民に流す”

 

(楊修)
“永世の業を建て
 金石の功を留む”

※「戮せ」の漢字が日本語字幕ではなぜか「勠」となっている。(異なる字だが、「合わせる」の意味では通じる)

[……]昔、揚子雲、先朝執戟之臣耳。猶稱壯夫不為也。吾雖德薄、位為蕃侯、猶庶幾戮力上國、流惠下民、建永世之業、流金石之功。豈徒以翰墨為勳績、辭賦為君子哉[……]

[……]むかし揚子雲やうしうんは、先朝せんてう執戟しふげきしんなるのみ。壯夫さふさざるなりとしょうす。われとくうすく、くらゐ蕃侯はんこうりといへども、ちから上國じゃうこくはせ、めぐみを下民かみんながし、永世えいせいげふて、金石きんせきこうとどめん庶幾こひねがふ。あにだに翰墨かんぼくもっ勳績くんせきし、辭賦じふもて君子くんしさんや。[……]

[……]その昔、楊雄は先朝の宮廷の下級官吏に過ぎませんが、それでも「立派な男は辞賦を作らぬものだ」と述べております。私は徳に乏しくて藩侯であるに過ぎませんが、それでも都に近い国々と協力して、人民に恩沢を行き渡らせ、後世に残る功業を打ち立て、金石にその功績を記し留めたいと願っているものであります。いたずらに文章のような小細工によって不朽の功績と考え、辞賦などによって君子の名声を得るなどと思ったりしましょうか。[……]

竹田晃『新釈漢文大系 第83巻 文選(文章篇)中』(明治書院、1998年) 曹植「與楊徳祖書」 pp.252-258

史記しき予譲よじょう伝より(『戦国策せんごくさく』趙策に基づく)

曹植を見込んで仕えることを決めた楊修の答え。春秋戦国時代の予譲が主君の仇討ちをしようとした故事に基づく言い回し。

(曹植)
徳祖果然深知我也

[……]

仅靠一人的努力
是无法拯救的
我只盼能与德祖
一同博个永世之业
金石之功

(杨修)
士为知己者死
复有何憾

(曹植)
徳祖とくそは私をよく分かっている

[……]

1人だけの努力では
天下は救えない
徳祖とくそと共に
後世に残る功績を挙げたい
 

(楊修)
“士は己を知る者の為に死す”

〔史記、刺客伝〕士為己者(シはおのれをしるもののためにシす)真の男子は、自分のことを理解してくれる者のために命を投げだすものだ。

『新漢語林(第二版)』(大修館書店、2011年)

豫讓者、晉人也、故嘗事范氏及中行氏、而無所知名。去而事智伯。智伯甚尊寵之。及智伯伐趙襄子、趙襄子與韓・魏合謀滅智伯、滅智伯之後而三分其地。趙襄子最怨智伯、漆其頭以爲飮器。豫讓遁逃山中曰、嗟乎、士爲知己者死、女爲說己者容。今智伯知我、我必爲報讎而死、以報智伯、則吾魂魄不愧矣。乃變名姓爲刑人、入宮塗廁中、挾匕首、欲以刺襄子。[……]

通釈 予譲というのは晉の人である。はじめは晉の六卿りくけいである范氏と中行氏につかえていたが、名さえ覚えられなかった。彼はそこでそれぞれのもとを離れて、同じ六卿の一人智伯につかえた。智伯は心から予譲を重んじ信頼した。智伯が趙襄子に軍をさしむけるに及んで、趙襄子は韓・魏と密約を結び、智伯をうち滅ぼし、そのあとつぎをも殺したうえで、領地を三分してわがものとした。趙襄子は心底智伯を怨み抜いていたため、智伯の頭の骨を漆で固めて酒盃として用いた。予譲は山中深く逃れ、嘆息して言った。「ああ、男子たるもの真実おのれを知ってくれる人のためには命を投げ出し、女はわが身をいつくしむ男のためにこそ眉目みめを装うのがこの世の慣しだ。智伯どのはそれがしのまことの知己、何としても仇討ちを果たしてからあの世にゆき、ことの次第を智伯どのに告げたいものだ。それがかなえば死後のわが魂魄も浮かばれるにちがいない」と。かくて予譲は名前を変え、苦役に従う受刑者になりすまし、趙襄子の宮殿に潜入して厠の壁塗りの仕事につきながら、短剣を懐にしのばせて、趙襄子を刺す機会を狙っていた。[……]

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』(明治書院、1993年) 刺客列伝第二十六 pp.396-404

第33話

詩経しきょう小雅しょうが魚藻之什ぎょそうのじゅう隰桑しゅうそう」より

あなたを想っていたという言葉を疑う伏寿に、劉平が詩を引用して返す。

(伏寿)
陛下忙着摆布战局拯救苍生
还有余暇想到我呢
 

(刘平)
心中藏之
何日忘之

(伏寿)
民のために
忙しく立ち働いているのに
どこに そんな暇が?

(劉平)
“中心 これいだ
 いずれの日にか之を忘れん”

※台詞では「心中」となっている(現代語?)が、日本語字幕は元の詩に合わせ「中心」としている。

隰桑有阿 其葉有難
旣見君子 其樂如何

隰桑有阿 其葉有沃
旣見君子 云何不樂

隰桑有阿 其葉有幽
旣見君子 德音孔膠

心乎愛矣 遐不謂矣
中心藏之 何日忘之

さはくは有阿いうあたり 有難いうなたり
すで君子くんしへば たのしきこと如何いかん
さはくは有阿いうあたり 有沃いうよくたり
すで君子くんしへば 云何いかんたのしまざらん
さはくは有阿いうあたり 有幽いういうたり
すで君子くんしへば とくここはなはさかんなり
こころいとほしむ なんつとめざらん
中心ちゅうしんこれよみし いづれのこれわすれん

通釈 さわの桑の葉はゆらゆらと垂れ下がる。君子あなたにお会いできたので、その楽しさはかぎりない。
 隰の桑の葉はゆらゆらと垂れ下がる。君子あなたにお会いできたので、嬉しくないはずはありません。
 隰の桑の葉はゆらゆらと垂れ下がる。君子あなたにお会いできたので、受恩も増すことひとしお。
 心底愛しいあなたのために、どうして励まずおられましょう。心底慕うあなたのことを、どうして忘れられましょう。

石川忠久『新釈漢文大系 第112巻 詩経(下)』(明治書院、2000年) 小雅・魚藻之什・隰桑 pp.29-32

曹操そうそう蒿里行こうりこう」より

戦で死んだ兵士たちの屍の山を見ながら曹植が呟く。日本語字幕では省略されている。第23話でも引用された曹操の詩。

白骨露于野
老百姓真是太可怜了

民がかわいそうでなりません

詩経しきょう国風こくふう豳風ひんぷう東山とうざん」より

許都に帰還した曹操満寵に語る。従軍の兵士の望郷の詩。

我徂东山
慆慆不归

没想到这两年之间
许都的变化
如此之大

“我 東山にき”
慆慆とうとうとして帰らず”

まさか数年で
許都きょと
こんなに変わってしまうとは

我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
我東曰歸 我心西悲
制彼裳衣 勿士行枚
蜎蜎者蠋 烝在桑野
敦彼獨宿 亦在車下

我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
鸛鳴于垤 婦嘆于室
酒埽穹窒 我征聿至
有敦瓜苦 烝在栗薪
自我不見 于今三年

我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
倉庚于飛 熠耀其羽
之子于歸 皇駁其馬
親結其縭 九十其儀
其新孔嘉 其舊如之何

われ 東山とうざんき 慆慆たうたうとしてかへらず
われ ひがしよりきたらんとすれば 零雨れいう もうたり
われ ひがしよりここかへらんとすれば こころ 西にしばん
裳衣しゃういつくりて 行枚かうばいもちふることからん
蜎蜎えんえんたるものしょく すなは桑野さうや
たいとしてひと宿やどり また車下しゃか
[……]

我、東方の地へ行きしより、帰らぬままに幾年月。いつか帰れたその日には、しとどに小雨の降るだろか。いつか帰れたその日には、はやる我が心先に飛ばん。普段着を作って着るだろう、戎行の徽識などはいらぬだろう。だが今はうごめくくわむしのごとく、桑の野におり、うずくまり独り眠る、今夜もまた兵車の下に。[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 小雅・豳風・東山 pp.140-146

易経えききょう乾為天けんいてんより

劉平に説得され、曹操の幕僚になることを承知する崔琰の言葉。日本語字幕では意訳されているが、ドラマのタイトルであり、これまでにも様々な登場人物に使われた「潜龍 淵に在り」が登場する。詳細は第9話参照。

余談だが、皇帝の権威を脅かす「諸侯」と濁した台詞が、なぜか日本語字幕では名指しになっている。(一応、旧主である袁紹には「様」をつけているが……

您有圣君之心怀
只可惜
目前时势
不利于我汉室啊
而且
当下又被诸侯所胁
犹如潜龙在渊
只可待时而动

なんとすばらしい方だ
残念ながら
かん王朝にとって
状況はよくありませぬ
えん様に続き曹操そうそうにも
その存在を脅かされている
今は静かに身を潜める他はない
時機を待って動くのです

荘子そうじ知北遊ちほくゆう篇より

自分を助けたことで任紅昌曹操に正体を知られたのではと案じる呂姫に、それでも孤児たちを育てている家に住み続けようとする任紅昌が答える。第20話にも登場した「白駒はっくげきぐ」。(詳細は20話参照)

(吕姫)
是因为郭嘉吗
郭嘉他
是値得姐姐托付终身的人吗

(任红昌)
乱世相遇
白驹过隙
谈何终生啊

(呂姫)
それは郭嘉がいるから?
郭嘉かくかに生涯を託すのですか
 

(任紅昌)
乱世での出会いは一瞬のもの
生涯だなんて

史記しき予譲よじょう伝より

唐瑛に華やかな衣を用意する司馬懿第32話に登場した、「士は己を知る者の為に死す」に続くフレーズ。現代の価値観では女性差別的な問題発言だが、古代なので……

女为悦己者容
也好
你第一次穿
自然是要给我看的

“女は己を悦ぶ者の為にかたちづくる”
初めて着る時 見せてくれ

[……]豫讓遁逃山中曰、嗟乎、士爲知己者死、女爲說己者容[……]

[……]予譲は山中深く逃れ、嘆息して言った。「ああ、男子たるもの真実おのれを知ってくれる人のためには命を投げ出し、女はわが身をいつくしむ男のためにこそ眉目みめを装うのがこの世の慣しだ。智伯どのはそれがしのまことの知己、[……]

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』(明治書院、1993年) 刺客列伝第二十六 pp.396-404

第34話

荘子そうじ逍遥遊しょうようゆう篇より

軽々と山に登る唐瑛司馬懿が例える。

你是神仙嘛
庄子说
藐姑射之山
有神人居焉
肌肤若冰雪
绰约若处子

这说的不就是你嘛

まるで仙女だ
 
はるかなる姑射こやの山に
 神人しんじん有りて居る”
肌膚きふ冰雪ひょうせつごと
 淖約しゃくやくとして処子の若し”

お前のことだ

[……]曰、藐姑射之山、有神人居焉、肌膚若冰雪、淖約若處子。不食五穀、吸風飮露、乘雲氣、御飛龍、而遊乎四海之外。其神凝 使物不疵癘而年穀熟、吾以是狂而不信也。[……]

[……]藐姑射の山に神人が住んでいて、その肌は氷雪のように純白で、処女のように柔軟、五穀を食べず、風を吸い、露を飲み、雲に乗り、飛竜に乗って、天地の外に出かけるし、その心が凝集すると、人々はきずついたり悪病にかかったりせず、穀物はよくみのるようになると、そういった話なのです。それでわたしにはその話が嘘に思えて信じられませんでした。[……]

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 内篇・逍遙遊第一 p.145

論語ろんご季氏きし篇より

烏丸討伐に際し、出陣する前に司馬家を滅ぼすべきだと郭嘉に語る曹操

季孙之忧
不在颛臾
而在萧墙之内也

孤也知道他是重臣
更知道司马家和司马懿
本事有多大
所以才必须清除

季孫きそんの憂いは
 顓臾せんゆに在らず”
蕭牆しょうしょうの内に在らん”

司馬防しばぼうは重臣だったが
それでも司馬しば家と司馬懿しばい
侮れぬ
除かねばならぬのだ

季氏、まさ顓臾せんゆたんとす。[……]夫れくの如し、故に遠人えんじん服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず。今、ゆうと求とはたすけ、遠人服せざれども来たすことあたわず、くに分崩離析りせきすれども守ること能わず、而して干戈かんかを邦内に動かさんことを謀る。吾れ恐る、季孫の憂いは顓臾に在らずして蕭牆しょうしょうの内に在らんことを。

の〕氏が顓臾せんゆの国を攻め取ろうとしていた。[……]そもそもこういう次第だから、そこで遠方の人が従わないばあいは、〔には頼らないで〕ぶんの徳を修めてそれをなつけ、なつけてからそれを安定させるのだが、今、ゆう(子路)ときゅうとはあの方(季氏)を輔佐していながら、遠方の人が従わないでいるのになつけることもできず、国がばらばらに分かれているのに守ることもできない、それでいて国内で戦争を起こそうと企てている。わたしは恐れるが、季孫きそんの心配ごとは顓臾にはなくて、〔身近い〕へいの内がわにあるだろう。」

顓臾せんゆ——魯に保護されていた小国の名。季(孫)氏は魯の公室をおかして自分の領地をひろげていた。[……]*屛の内がわに……——国内について、公平と和合と安定をつとめるのでなければ、内乱が起こるぞということ。

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 季氏第十六 pp.324-329

曹操そうそう善哉行ぜんざいこう」其一より

曹操が司馬家を滅ぼそうとしていることを知った曹丕が、司馬懿の助命嘆願をする。日本語字幕では一部省略されているが、曹操作の楽府の一節を引き、「経天緯地の才」の持ち主である司馬懿を殺すべきではないと説く。「仲父」は斉の桓公の覇業を助けた管仲の尊称、「山甫」は周の宣王の臣、仲山甫

只是父亲说过
齐桓之霸 赖得仲父
智哉山甫 相彼宣王

司马仲达有经天纬地之才
人才难得
一旦玉碎
更不免寒了天下士人之心
儿子窃为父亲不值

父上は言われました
仲父ちゅうほを頼り得たり”
せん王をたすく”

司馬懿しばい
天下を治める才の持ち主です
殺したら世の人を失望させます
よくお考えに

其一

古公亶甫,積德垂仁。
思弘一道,哲王於豳。
太伯仲雍,王德之仁。
行施百世,斷發文身。
伯夷叔齊,古之遺賢。
讓國不用,餓殂首山。
智哉山甫,相彼宣王。
何用杜伯,累我聖賢。
齊桓之霸,賴得仲父。
後任豎刁,蟲流出戶。
晏子平仲,積德兼仁。
與世沈德,未必思命。
仲尼之世,主國為君。
隨制飲酒,揚波使官。

[……]

Wikisource > 善哉行 (曹操)

第35話

易経えききょう乾為天けんいてんより

司馬家釈放の取引のため、烏丸討伐にお忍びで同行して力になろうと提案する劉平に、曹操が返す。日本語訳では省略されているが、ドラマのタイトルであり、これまでにも様々な場面で使われた「潜龍」がここでも登場。詳細は第9話参照。「雲起」は時に乗じて英雄が立ちあがる比喩として使われる表現。

潜龙在渊
云起则兴
陛下微服出巡官渡
已然抢到了中原世家的支持
再次微服
如何让孤相信陛下
是在为孤着想呢

お忍びで許都きょとを離れた陛下は
水を得た魚
官渡かんとに行った時は
河北かほくの名家の支持を得た
今度のことも
私のためだとは思えませぬ

詩経しきょう国風こくふう邶風はいふう柏舟はくしゅう」より

烏桓(烏丸)征伐の出陣前日、曹丕の招きを頑なに断る司馬懿の言葉。36話の冒頭では曹丕が繰り返している。

在我司马懿眼里
根本没什么王朝
但我有我的坚持
我心匪石
不可转也

私にとっては
王朝など どうでもいい
己に従い生きるのみ
“我が心 石にあら
 転がすべからず”

【我心石不転(轉)】わがこころいしにあらずテンずべからず
〔石は堅くてもころがすことができるが〕私の心は石ではないから、容易にころがすことはできない。心の持ち方がしっかりしていることをいう。〈詩・邶・柏舟〉

『全訳 漢辞海(第三版)』(三省堂、2011年)

汎彼柏舟 亦汎其流
耿耿不寐 如有隱憂
微我無酒 以敖以遊

我心匪鑒 不可以茹
亦有兄弟 不可以據
薄言往愬 逢彼之怒

我心匪石 不可轉也
我心匪席 不可卷也
威儀棣棣 不可選也

憂心悄悄 慍於群小
覯閔既多 受侮不少
靜言思之 寤辟有摽

日居月諸 胡迭而微
心之憂矣 如匪澣衣
靜言思之 不能奮飛

[……]

こころ いしあらざれば ころがすからず
こころ むしろあらざれば からず
威儀いぎ棣棣ていていとして せんたるからず

[……]

通釈 [……] 私の心は石ではないので、簡単に転がりはしない。私の心はむしろではないので、くるくると巻きあげられたりはせぬ。礼儀正しく威厳を保ち、卑屈になどなりはせぬ。[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 邶風・柏舟 pp.72-75

公開:2019.12.17 更新:2022.03.27

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