ドラマ「三国機密」に登場する古典(4)31〜40話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題:「三国機密之潜龍在淵」)に引用される故事、詩などの出典について、一ファンが中国語字幕を手がかりに調べてみたものです。特筆のない引用は本編の字幕より。

第32話

曹植「楊徳祖ようとくそあたうるのしょ」より

官渡の陣営で曹植と楊修が語り合う場面。曹植が楊修(徳祖はあざな)に贈った手紙の一節だが、実際にはもっと後の作品。後世には詩人として名高い曹植だが、詩で有名になるよりも施政者として功績を残したいという一面を示している。

勠力上国 流惠下民
建永世之业
流金石之功

力を上国にあは
恵みを下民に流す
永世の業を建て
金石の功を留む

……昔、揚子雲、先朝執戟之臣耳。猶稱壯夫不為也。吾雖德薄、位為蕃侯、猶庶幾戮力上國、流惠下民、建永世之業、流金石之功。豈徒以翰墨為勳績、辭賦為君子哉……

……むかし揚子雲やうしうんは、先朝せんてう執戟しふげきしんなるのみ。壯夫さふさざるなりとしょうす。われとくうすく、くらゐ蕃侯はんこうりといへども、ちから上國じゃうこくはせ、めぐみを下民かみんながし、永世えいせいげふて、金石きんせきこうとどめん庶幾こひねがふ。あにだに翰墨かんぼくもっ勳績くんせきし、辭賦じふもて君子くんしさんや。……

……その昔、楊雄は先朝の宮廷の下級官吏に過ぎませんが、それでも「立派な男は辞賦を作らぬものだ」と述べております。私は徳に乏しくて藩侯であるに過ぎませんが、それでも都に近い国々と協力して、人民に恩沢を行き渡らせ、後世に残る功業を打ち立て、金石にその功績を記し留めたいと願っているものであります。いたずらに文章のような小細工によって不朽の功績と考え、辞賦などによって君子の名声を得るなどと思ったりしましょうか。……

竹田晃『新釈漢文大系 第83巻 文選(文章篇)中』明治書院、1998年 曹植「與楊徳祖書」 P252〜258

史記しき予譲よじょう伝より(『戦国策』趙策に基づく)

曹植を見込んだ楊修の言葉。春秋戦国時代の予譲が主君の仇討ちをしようとした故事に基づく言い回し。

士为知己者死

士は己を知る者の為に死す

〔史記、刺客伝〕士為己者一死(シはおのれをしるもののためにシす)真の男子は、自分のことを理解してくれる者のために命を投げだすものだ。

『新漢語林 第二版』大修館書店、2011年

豫讓者、晉人也、故嘗事范氏及中行氏、而無所知名。去而事智伯。智伯甚尊寵之。及智伯伐趙襄子、趙襄子與韓・魏合謀滅智伯、滅智伯之後而三分其地。趙襄子最怨智伯、漆其頭以爲飮器。豫讓遁逃山中曰、嗟乎、士爲知己者死、女爲說己者容。今智伯知我、我必爲報讎而死、以報智伯、則吾魂魄不愧矣。乃變名姓爲刑人、入宮塗廁中、挾匕首、欲以刺襄子。……

通釈 予譲というのは晉の人である。はじめは晉の六卿りくけいである范氏と中行氏につかえていたが、名さえ覚えられなかった。彼はそこでそれぞれのもとを離れて、同じ六卿の一人智伯につかえた。智伯は心から予譲を重んじ信頼した。智伯が趙襄子に軍をさしむけるに及んで、趙襄子は韓・魏と密約を結び、智伯をうち滅ぼし、そのあとつぎをも殺したうえで、領地を三分してわがものとした。趙襄子は心底智伯を怨み抜いていたため、智伯の頭の骨を漆で固めて酒盃として用いた。予譲は山中深く逃れ、嘆息して言った。「ああ、男子たるもの真実おのれを知ってくれる人のためには命を投げ出し、女はわが身をいつくしむ男のためにこそ眉目みめを装うのがこの世の慣しだ。智伯どのはそれがしのまことの知己、何としても仇討ちを果たしてからあの世にゆき、ことの次第を智伯どのに告げたいものだ。それがかなえば死後のわが魂魄も浮かばれるにちがいない」と。かくて予譲は名前を変え、苦役に従う受刑者になりすまし、趙襄子の宮殿に潜入して厠の壁塗りの仕事につきながら、短剣を懐にしのばせて、趙襄子を刺す機会を狙っていた。……

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』明治書院、1993年 刺客列伝第二十六 P396〜404

第33話

詩経しきょう小雅しょうが魚藻之什ぎょそうのじゅう隰桑しゅうそう」より

劉平が伏寿に語る。

心中藏之
何日忘之

中心 これいだ
いずれの日にか之を忘れん

隰桑有阿 其葉有難
旣見君子 其樂如何

隰桑有阿 其葉有沃
旣見君子 云何不樂

隰桑有阿 其葉有幽
旣見君子 德音孔膠

心乎愛矣 遐不謂矣
中心藏之 何日忘之

さはくは有阿いうあたり 有難いうなたり
すで君子くんしへば たのしきこと如何いかん
さはくは有阿いうあたり 有沃いうよくたり
すで君子くんしへば 云何いかんたのしまざらん
さはくは有阿いうあたり 有幽いういうたり
すで君子くんしへば とくここはなはさかんなり
こころいとほしむ なんつとめざらん
中心ちゅうしんこれよみし いづれのこれわすれん

通釈 さわの桑の葉はゆらゆらと垂れ下がる。君子あなたにお会いできたので、その楽しさはかぎりない。
 隰の桑の葉はゆらゆらと垂れ下がる。君子あなたにお会いできたので、嬉しくないはずはありません。
 隰の桑の葉はゆらゆらと垂れ下がる。君子あなたにお会いできたので、受恩も増すことひとしお。
 心底愛しいあなたのために、どうして励まずおられましょう。心底慕うあなたのことを、どうして忘れられましょう。

石川忠久『新釈漢文大系 第112巻 詩経(下)』明治書院、2000年 小雅・魚藻之什・隰桑 P29〜32

曹操そうそう蒿里行こうりこう」より

戦で死んだ兵士たちの屍の山を見ながら曹植が語る。日本語字幕では省略されている。23話でも引用された曹操の詩。

白骨露于野
老百姓真是太可怜了

民がかわいそうでなりません

詩経しきょう国風こくふう豳風ひんぷう東山とうざん」より

曹操が満寵に語る。従軍の兵士の望郷の詩。

我徂东山
慆慆不归

我 東山に
慆慆とうとうとして帰らず

我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
我東曰歸 我心西悲
制彼裳衣 勿士行枚
蜎蜎者蠋 烝在桑野
敦彼獨宿 亦在車下

我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
鸛鳴于垤 婦嘆于室
酒埽穹窒 我征聿至
有敦瓜苦 烝在栗薪
自我不見 于今三年

我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
倉庚于飛 熠耀其羽
之子于歸 皇駁其馬
親結其縭 九十其儀
其新孔嘉 其舊如之何

われ 東山とうざんき 慆慆たうたうとしてかへらず
われ ひがしよりきたらんとすれば 零雨れいう もうたり
われ ひがしよりここかへらんとすれば こころ 西にしばん
裳衣しゃういつくりて 行枚かうばいもちふることからん
蜎蜎えんえんたるものしょく すなは桑野さうや
たいとしてひと宿やどり また車下しゃか
……

我、東方の地へ行きしより、帰らぬままに幾年月。いつか帰れたその日には、しとどに小雨の降るだろか。いつか帰れたその日には、はやる我が心先に飛ばん。普段着を作って着るだろう、戎行の徽識などはいらぬだろう。だが今はうごめくくわむしのごとく、桑の野におり、うずくまり独り眠る、今夜もまた兵車の下に。……

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』明治書院、1997年 小雅・豳風・東山 P140〜146

『史記』予譲伝

司馬懿が唐瑛に衣を渡す。32話で楊修が語った「士は己を知る者の為に死す」に続くフレーズ。

女為悦己者容

女は己を悦ぶ者の為にかたちづく

第34話

荘子そうじ逍遥遊しょうようゆう篇より

軽々と山に登る唐瑛を司馬懿が例える。

庄子说
藐姑射之山
有神人居焉
肌肤若冰雪
绰约若处子

はるかなる姑射こやの山に
神人しんじん有りて居る
肌膚きふ冰雪ひょうせつごと
淖約しゃくやくとして処子の若し

……曰、藐姑射之山、有神人居焉、肌膚若冰雪、淖約若處子。不食五穀、吸風飮露、乘雲氣、御飛龍、而遊乎四海之外。其神凝 使物不疵癘而年穀熟、吾以是狂而不信也。……

……藐姑射の山に神人が住んでいて、その肌は氷雪のように純白で、処女のように柔軟、五穀を食べず、風を吸い、露を飲み、雲に乗り、飛竜に乗って、天地の外に出かけるし、その心が凝集すると、人々はきずついたり悪病にかかったりせず、穀物はよくみのるようになると、そういった話なのです。それでわたしにはその話が嘘に思えて信じられませんでした。……

阿部吉雄、山本敏夫、市川安司、遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』明治書院、1966年 内篇・逍遙遊第一 P145

論語ろんご季氏きし篇より

曹操が司馬家を除くべきと郭嘉に語る。

季孙之忧
不在颛臾
而在萧墙之内也

季孫きそんの憂いは
顓臾せんゆに在らず
蕭牆しょうしょうの内に在らん

季氏、まさ顓臾せんゆたんとす。……夫れくの如し、故に遠人えんじん服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず。今、ゆうと求とはたすけ、遠人服せざれども来たすことあたわず、くに分崩離析りせきすれども守ること能わず、而して干戈かんかを邦内に動かさんことを謀る。吾れ恐る、季孫の憂いは顓臾に在らずして蕭牆しょうしょうの内に在らんことを。

の〕氏が顓臾せんゆの国を攻め取ろうとしていた。……そもそもこういう次第だから、そこで遠方の人が従わないばあいは、〔には頼らないで〕ぶんの徳を修めてそれをなつけ、なつけてからそれを安定させるのだが、今、ゆう(子路)ときゅうとはあの方(季氏)を輔佐していながら、遠方の人が従わないでいるのになつけることもできず、国がばらばらに分かれているのに守ることもできない、それでいて国内で戦争を起こそうと企てている。わたしは恐れるが、季孫きそんの心配ごとは顓臾にはなくて、〔身近い〕へいの内がわにあるだろう。」

顓臾せんゆ──魯に保護されていた小国の名。季(孫)氏は魯の公室をおかして自分の領地をひろげていた。……*屛の内がわに……──国内について、公平と和合と安定をつとめるのでなければ、内乱が起こるぞということ。

金谷治訳注『論語』岩波文庫、1963年 季氏第十六 P324〜329

曹操「善哉行」其一より

曹操に司馬懿の命乞いをする曹丕。曹操の詩の一節。

只是父亲说过
齐桓之霸 赖得仲父
智哉山甫 相彼宣王

父上は言われました
仲父ちゅうほを頼り得たり”
せん王をたすく”

其一

古公亶甫,積德垂仁。
思弘一道,哲王於豳。
太伯仲雍,王德之仁。
行施百世,斷發文身。
伯夷叔齊,古之遺賢。
讓國不用,餓殂首山。
智哉山甫,相彼宣王。
何用杜伯,累我聖賢。
齊桓之霸,賴得仲父。
後任豎刁,蟲流出戶。
晏子平仲,積德兼仁。
與世沈德,未必思命。
仲尼之世,主國為君。
隨制飲酒,揚波使官。

……

Wikisource > 善哉行 (曹操)

第35話

詩経しきょう国風こくふう邶風はいふう柏舟はくしゅう」より

烏桓(烏丸)征伐の出陣前日、曹丕の招きを頑なに断る司馬懿の言葉。36話の冒頭では曹丕が繰り返している。

在我司马懿眼里
根本没什么王朝
但我有我的坚持
我心匪石
不可转也

私にとっては—
王朝など どうでもいい
己に従い生きるのみ
“我が心 石にあら
 転がすべからず”

【我心石不転(轉)】わがこころいしにあらずテンずべからず
〔石は堅くてもころがすことができるが〕私の心は石ではないから、容易にころがすことはできない。心の持ち方がしっかりしていることをいう。〈詩・邶・柏舟〉

『全訳 漢辞海 第三版』三省堂、2011年

汎彼柏舟 亦汎其流
耿耿不寐 如有隱憂
微我無酒 以敖以遊

我心匪鑒 不可以茹
亦有兄弟 不可以據
薄言往愬 逢彼之怒

我心匪石 不可轉也
我心匪席 不可卷也
威儀棣棣 不可選也

憂心悄悄 慍於群小
覯閔既多 受侮不少
靜言思之 寤辟有摽

日居月諸 胡迭而微
心之憂矣 如匪澣衣
靜言思之 不能奮飛

へんたる柏舟はうしう またへんとしてなが
耿耿かうかうとしてねられず しかして隱憂いんいう
われさけきにあらず もっあそもっあそ

こころ かがみあらざれば もっふくからず
また兄弟けいているも もっからず
薄言ここきてぐれば いかりに

こころ いしあらざれば ころがすからず
こころ むしろあらざれば からず
威儀いぎ棣棣ていていとして せんたるからず

憂心いうしん悄悄せうせうとして 群小ぐんせううら
うれひふことすでおほく あなどりくることすくなからず
つまびらかこここれおもひ 寤辟ごへきしてへうたり

つきよ なん迭〻こもごもにしてなる
こころうれふる あらはざるころもごと
つまびらかこここれおもへども ふるひてぶことあたはず

通釈 浮かびたゆたうあの柏舟かしわぶね。漂いながら流れゆく。胸やくうれいにいねられず、心に深い痛みあり。飲んで遊んで(憂いを忘る)酒のないわけではないけれど。
 私の心は鏡ではないので、すべてを受けとめることはできない。さりとて兄弟はいるが、たよることはできない。彼らのもとへ行って訴えても、彼らの怒りにあうだけだ。
 私の心は石ではないので、簡単に転がりはしない。私の心はむしろではないので、くるくると巻きあげられたりはせぬ。礼儀正しく威厳を保ち、卑屈になどなりはせぬ。
 心は憂いにうちしおれ、ささいな事までがうらめしい。つらい目にあうことばかりが重なり、侮りを受けることもしばしばである。一つーつを詳細に思いかえし、(嘆きの果てに)両の腕で胸をバシバシと打ちたたく。
 太陽よ月よ、(本来天地の秩序の象徴として地上を照らすはずのお前が)どうして二つながらこもごも暗いのか。心の憂えること、まるで汚れた上着のよう。つくづく思いかえせば(心は沈むばかり)。思いきって(鳥のように)飛びたつこともできぬまま。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』明治書院、1997年 邶風・柏舟 P72〜75

第38話

『史記』鄒陽すうよう伝より

ようやく郭嘉と分かり合えたのに死が迫っている、と語る劉平に対し、名君に出会えたと答える郭嘉の言。出会ってからの歳月に関係なく、心を理解しあえば親友となれる。

世有白首如新
倾盖如故

臣于丧乱之际
得遇明主
是臣的幸运

“白首 新のごとく”
傾盖けいがい 故の如し”

私は死の間際に—
名君に会えました
幸せなことです

……諺曰、有白頭如新、傾蓋如故。何則知與不知也。……

ことわざいはく、白頭はくとうまでしんごとく、がいかたむけてごとり、と。なんとなればすなはるとらざるとなり。

……ことわざに『白髪頭になるまで長く交際しても、新しく知り合ったかのように心を許し合えず、道で会って車のおおいを傾けて立ち話をしただけでも、古くからの親友と同じように、深く心が通じる』とあります。なぜそうなるかといえば、相手の心を知るか知らないかの違いであります。……

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』明治書院、1993年 魯仲連鄒陽列伝第二十三 P316〜335

【傾蓋】けいがい 一度会っただけで、親しく交わる。孔子と程子が路上で出会い、たがいに車に立てたかさをかたむけて親しく語り合った故事に基づく。〔家語・致思〕(類)傾蓋如がいをかたむけてこのごとし

『角川新字源 改訂新版』角川書店、2017年

詩経しきょう国風こくふう唐風とうふう鴇羽ほうう」より

郭嘉の台詞。出征した兵士の嘆きの詩。「盬」の意味については諸説あるようである。

王事靡盬

王事 もろきこと

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肅肅鴇羽 集于苞栩
王事靡盬 不能蓺稷黍
父母何怙 悠悠蒼天
曷其有所

肅肅鴇翼 集于苞棘
王事靡盬 不能蓺黍稷
父母何食 悠悠蒼天
曷其有極

肅肅鴇行 集于苞桑
王事靡盬 不能蓺稻粱
父母何嘗 悠悠蒼天
曷其有常

……

肅肅しゅくしゅくたる鴇羽はうう 苞栩はうくつど
王事わうじ むことければ 稷黍しょくしょふるあたはず
父母ふぼ なにをかくらはん 悠悠いういうたる蒼天さうてん
いつむことらん

肅肅しゅくしゅくたる鴇翼はうよく 苞棘はうきょくつど
王事わうじ むことければ 黍稷しょしょくふるあたはず
父母ふぼ なにをからはん 悠悠いういうたる蒼天さうてん
いつむことらん

肅肅しゅくしゅくたる鴇行はうこう 苞桑はうさうつど
王事わうじ むことければ 稻粱たうりゃうふるあたはず
父母ふぼ なにをかめん 悠悠いういうたる蒼天さうてん
いつむことらん

……

通釈 シュクシュクと羽音をたてて鴇の鳥は、くぬぎのしげみに降りたちつどう。王の征役いくさむことなく、私は(故郷に帰って)稷黍きびを植えることもできない。(稷黍きびがとれなければ)父母は何を食べて生きてゆけばよいのだ。はるかなる青い空よ、天よ、いったいいつになったら(この戦役は)おわりをつげるのだ。
 シュクシュクと翼の音をたてて鴇の鳥は、いばらのしげみに降りたち集う。王の征役いくさむことなく、私は(故郷に帰って)黍稷きびを植えることもできない。(黍稷きびがとれなければ)父母は何を食べて生きてゆけばよいのだ。はるかなる青い空よ、天よ、いったいいつになったら(この戦役は)おわりをつげるのだ。
 シュクシュクと羽音をたてて列なす鴇は、桑のしげみに降りたち集う。王の征役いくさむことなく、私は(故郷に帰って)いねあわを植えることもできない。(稲・粱がとれなければ)父母は何を食べて生きてゆけばよいのだ。はるかなる青い空よ、天よ、いったいいつになったら(この征役は)おわりをつげるのだ。
……

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』明治書院、1998年 國風・唐風・鴇羽 P20〜23

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第39話

『三国志』魏書・郭嘉伝より

烏桓(烏丸)討伐の途上、曹操に出発を進言する曹丕の台詞。現在一般に言う「兵は神速を貴ぶ」の表現は、『三国志』郭嘉伝が由来(作中のこの場面の直前にあたる)。郭嘉の発言は『孫子』の内容をふまえたものか。

兵贵神速
儿子以为
父亲当以快速出击为上

“兵は神速をたっとぶ”
すぐに出陣します

太祖將征袁尚及三郡烏丸,諸下多懼劉表使劉備襲許以討太祖,……至易,嘉言曰:「兵貴神速。今千里襲人,輜重多,難以趣利,且彼聞之,必為備;不如留輜重,輕兵兼道以出,掩其不意。」太祖乃密出盧龍塞,直指單于庭。虜卒聞太祖至,惶怖合戰。大破之,斬蹋頓及名王已下。尚及兄熙走遼東。

陳壽撰、裴松之注『三國志 三 魏書〔三〕』中華書局、1982年 郭嘉傳 P434〜435

太祖は袁尚と〔それを助ける〕三郡(漁陽ぎょよう右北平ゆうほくへい雁門がんもん)の烏丸うがん族を征伐しようとした。……えきまで来ると、郭嘉は進言した、「軍事は神のごとき迅速さを尊びます。今千里彼方に人を襲撃しますれば、輜重しちょうは多くなって、有利なところへ馳せつけることはむつかしいでしょう。そのうえ、やつらがこのことを聞けば、必ず防備いたします。輜重をとめおき、軽装の兵に普通の倍の速度をもって出撃させ、彼らの不意をつくほうがよろしいでしょう。」太祖はそこでこっそり盧龍塞ろりゅうさいを出て、まっすぐに単于ぜんうの本拠地を目指した。

陳寿、裴松之注、今鷹真訳『正史 三国志 3』ちくま学芸文庫、1993年 郭嘉伝 P31〜32

……兵聞拙速、未睹巧之久也、夫兵久而國利者、未之有也、故不盡知用兵之害者、則不能盡知用兵之利也、

……故に兵は拙速せっそくなるを聞くも、未だ巧久こうきゅうなるをざるなり。夫れ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。故に尽〻ことごとく用兵の害を知らざる者は、則ち尽〻く用兵の利をも知ること能わざるなり。

……だから、戦争には拙速──まずくともすばやく切りあげる──というのはあるが、巧久こうきゅう──うまくて長びく──という例はまだ無い。そもそも戦争が長びいて国家に利益があるというのは、あったためしがないのだ。だから、戦争の損害を十分知りつくしていない者には、戦争の利益も十分知りつくすことはできないのである。

金谷治訳注『新訂 孫子』岩波文庫、2000年 作戦篇第二 P35〜37

敢問、敵衆整而將來、待之若何、曰、先奪其所愛則聽矣、兵之情主速、乘人之不及,由不虞之道、攻其所不戒也、

敢えて問う、敵 衆整にしてまさに来たらんとす。これを待つこと若何いかん。曰わく、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情はそくを主とす。人の及ばざるに乗じて不虞ふぐの道にり、其の戒めざる所を攻むるなりと。

おたずねしたいが、敵が秩序だった大軍でこちらを攻めようとしているときには、どのようにしてそれに対処したらよかろうか。答え。あいてに先きんじて敵の大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりになるであろう。戦争の実情は迅速が第一。敵の配備がまだ終らないすきをついて思いがけない方法を使い、敵が警戒していない所を攻撃することである。

金谷治訳注『新訂 孫子』岩波文庫、2000年 九地篇第十一 P147〜148

孟子もうし尽心章句じんしんしょうく下より

廬龍の城から逃げるように進言する曹植を諭す劉平の言葉。孟子は劉平のバイブル。

孟子说
民为贵 君为轻
万民安危才是社稷之本

“民を貴しと為し
 君は軽しと為す”

民が無事であってこその国だ

孟子曰、民爲貴、社稷次之、君爲輕、是故得乎丘民而爲天子、得乎天子爲諸侯、得乎諸侯爲大夫、諸侯危社稷、則變置。犧牲旣成、粢盛旣潔、祭祀以時、然而旱乾水溢、則變置社稷、

孟子曰く、たみたっとしとなし、社稷しゃしょくこれぎ、きみかろしとなす。ゆえ丘民きゅうみん(衆民)にられて天子てんしとなり、天子に得られて諸侯しょこうとなり、諸侯に得られて大夫たいふとなる。諸侯社稷しゃしょくを危くすれば、則ち〔其の君を〕あらた(更)めて(立)つ。……

孟子がいわれた。「国家においては人民が何よりも貴重であり、社稷とちとこくもつの神によって象徴しょうちょうされる国土がそのつぎで、君主がいちばん軽いものだ。それ故に、大勢の人民から信任をうけると天子になり、天子から信任をうけると諸侯になり、諸侯から信任をうけると大夫かろうになるというわけである。故に、もし諸侯が無道で、社稷くにを危くするならば、その君を廃してあらためて賢君を選んで立てる。(これは君主が社稷くに(国家)よりも軽いからである)。……

小林勝人訳注『孟子(下)』岩波文庫、1972年 尽心章句下 P399〜400

第40話

老子ろうし微明びめい第三十六より

許都からの援軍について懸念する伏寿の台詞。

曹操是雄猜之主
当权者都知道一句话
鱼不可脱于渊
国之利器不可示人
荀彧若真的了解曹操的话
恐怕
就更不敢擅动曹操的兵马了

疑い深い曹操そうそう
荀彧じゅんいくに虎符を渡しませぬ
“国の利器は
 もって人に示すべからず”

曹操そうそうを知る荀彧じゅんいく
勝手に兵を動かせぬでしょう

〔老子、三十六〕国之利器不以示(くにのリキはもってひとにしめすべからず)国の為政や用兵の実権は、人に示してはならない。

『新漢語林 第二版』大修館書店、2011年

將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢之、必固興之。將欲取之、必固與之。是謂微明,柔弱勝剛强。魚不可脫於淵。國之利器、不可以示人。

通釈 ……魚は淵から出てはいけない。出たらたちまち捕らえられてしまう。同様に、国を守り治める利器を無暗に人に示してはいけない。一旦それを表に持ち出したら、その効力を失い、かえって禍いを招くことになりかねない。

(語釈より)国之利器 国を守り治める大切なするどい道具。国君の権力とか、智識を指すと思われる。

阿部吉雄、山本敏夫、市川安司、遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』明治書院、1966年 微明第三十六 P68〜69

詩経しきょう国風こくふう召南しょうなん殷其靁いんきらい」より

廬龍への出陣を前に、唐瑛に語る司馬懿。出役した夫の帰りを待つ妻の詩。※下記の引用では祖霊の降臨を待つとして訳している。(訳注参照)

振振君子 归哉归哉

振振しんしんたる君子
帰らんかな 帰らん哉

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殷其靁 在南山之陽
何斯違斯 莫敢或遑
振振君子 歸哉歸哉

殷其靁 在南山之側
何斯違斯 莫敢遑息
振振君子 歸哉歸哉

殷其靁 在南山之下
何斯違斯 莫或遑處
振振君子 歸哉歸哉

……

いんたりらい 南山なんざんみなみ
なんとほきかな へていとま
振振しんしんたる君子くんしよ かへらん かへらん

いんたりらい 南山なんざんかたはらに
なんとほきかな へてやすむにいとまある
振振しんしんたる君子くんし かへらん かへらん

いんたりらい 南山なんざんふもと
なんとほきかな るにいとま
振振しんしんたる君子くんし かへらん かへらん

……

通釈 ゴロゴロととどろく雷の音が、終南山の南面から聞こえてくる(それは祖霊の降臨を告げる音)。なんと離れていることか。いっときのひまもなく(その降臨をお待ち申し上げておるに)、いともご立派な我が祖霊よ、(我々の宗廟に)どうぞお帰り下さいまし。
 ゴロゴロととどろく雷の音が、終南山の側面から聞こえてくる(それは祖霊の降臨を告げる音)。なんと離れていることか。いっときもやすむことなく(その降臨をお待ち申し上げておるに)、いともご立派な我が祖霊よ、(我々の宗廟に)どうぞお帰り下さいまし。
 ゴロゴロととどろく雷の音が、終南山のふもとから聞こえてくる(それは祖霊の降臨を告げる音)。なんと離れていることか。いっときも落ち着くことなく(その降臨をお待ち申し上げておるに)、いともご立派な我が祖霊よ、(我々の宗廟に)どうぞお帰り下さいまし。
……

(余説より)
……古注も今人もすべて、この詩を出役した夫の帰りを待つ夫人の詩として解釈する。雷については「語釈」で述べたとおり、はっきりしたことは分からないが、この詩の興になっており、章末に君子(祖霊)への呼びかけがあることから、やはり祭記あるいは祖霊の降臨と関わりのある呪物であると考えられよう。……

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』明治書院、1997年 國風・召南・殷其靁 P56〜58

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論語ろんご里仁りじん篇より

廬龍への援軍の出陣に際し、兵士たちを報賞で煽る司馬懿を露骨だと評する柳毅に、盧毓が答える。

君子喻于义
小人喻于利

他这招现在最管用

“君子は義にさと
 小人は利に喻る”

これが一番 効き目がある

子曰、君子喩於義、小人喩於利、

子ののたまわく、君子は義にさとり、小人は利に喩る。

先生がいわれた、「君子は正義に明るく、小人は利益に明るい。」

金谷治訳注『論語』岩波文庫、1963年 里仁第四 P78

公開:2019.12.17 更新:2020.01.12