ドラマ「三国機密」に登場する古典(3)21〜30話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題:「三国機密之潜龍在淵」)に引用される故事、詩などの出典について、一ファンが中国語字幕を手がかりに調べてみたものです。特筆のない引用は本編の字幕より。

第22話

史記しき李斯りし伝より

柳毅が鄴の学生たちに演説している場面。秦王(後の始皇帝)が「逐客の令」(他国出身の臣を追放する令)を制定しようとした際、楚出身の李斯が諫言した際の言葉。

非秦者去
为客者逐
然则是所重者在乎色乐珠玉
而所轻者在乎人民也

李斯所言
声犹在耳
然而秦皇能够纳谏
四百年后却还有人
想要重蹈覆辙

しんあらざる者を去り
る者をふ”
しからばすなわれ重んずる所は
色楽珠玉に在り—”
“軽んずる所は
人民に在るなり”

李斯りしはこのように諫言かんげんし—
受け入れられた
400年のちにも
同じてつを踏むのか

秦王は李斯に客卿の位を授けた。ちょうどそのころ、韓の鄭国という者が来て、秦を撹乱するために、灌漑工事をおこなった。この事件が発覚すると、秦の王族出身の大臣たちは皆秦王に進言した、「諸国の人々で来り仕える者は、大抵元の主君のためにわが秦に遊説して、国内を攪乱しようとしているだけでございます。なにとぞ、ことごとく客を追放されんことを」と。李斯も評議されて追放者の中に加えられてあった。李斯はそこで、秦王に次のような上書を奉った。「承りますれば、当局におかれては、客の追放を論議の由。私見によればその議は誤りかと存じます。……鄭・衛・桑間の耽美退廃の音曲や、昭・虞・武・象の典雅な音楽はいずれも異国のものです。しかも当節は、甕を打ち、ほとぎを叩くのをやめて鄭・衛の楽を用い、箏を弾くのを退けて昭・虞の楽を取り入れております。これは何ゆえでございましょうか。当座こころよく、かつ耳目を楽しませてくれるからに過ぎません。ところが今、人材の取りたて方はそれと異なっております。能力の有無を間わず、人物の曲直を論ぜず、秦人でない者は去らしめ、客は放逐しようとしておられます。これでは秦国の重んずるのは、女色・音楽・宝玉であり、軽んずるのは、人材ということになります。これは天下に威を振るい、諸侯を制圧する道ではございません。……そもそも秦には産しなくとも宝とすべきものは数多くあります。秦に生まれなくとも、この国に忠節を尽くさんとする士は大勢おります。今、客を追放して敵国を助け、民を損なってかたきを利し、内はみずから弱めておきながら、外では怨みの種を諸侯に植えつけておいて、それで国の無事を願っても無理というものでございます」と。秦王はそこで「逐客の令」を撤回し、李斯の官職をもとに戻した。……

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』明治書院、1993年 李斯列伝第二十七 P450〜519

第23話

曹操そうそう蒿里行こうりこう」より

曹操の詩。荒れ果てた無人の村にて劉平が語る。またその後、戦乱の世の民の苦しみを語る劉平に対して曹丕が詠っている。

这里是战乱频发之地
百姓或死或逃
千里无鸡鸣
原来是这个样子

戦乱の中 民は死んだり
逃げたりしたのでしょう
まさに
“千里 鶏鳴く無し”ですね

千里无鸡鸣
生民百遗一
念之断人肠

白骨 野にさら
千里 雞鳴無し
生民 百に一をのこ
これおもえば人の腸を断たしむ

關東有義士 興兵討羣凶
初期會孟津 乃心在咸陽
軍合力不齊 躊躇而雁行
勢利使人爭 嗣還自相戕
淮南弟稱號 刻璽於北方
鎧甲生蟣蝨 萬姓以死亡
白骨露於野 千里無雞鳴
生民百遺一 念之絕人腸

関東の正義に燃える丈夫ますらお
悪人どもの討伐に出陣した
初めのうちこそ 孟津もうしんの会盟にならい
王室に忠誠を尽し 逆賊を亡ぼそうと誓ったものの
敵を見て気おくれし 軍勢は整うも力を合わさず
飛雁の陣形のまま 誰も進もうとはせぬ
権力と利害は うちわもめを招き
やがて たがいに攻防をくりかえす
淮南わいなんで 弟が帝号を僭称すれば
北方で 兄が玉璽ぎょくじを彫刻する

よろいしらみがわくほどに いくさは果てしなく
人々は 兵乱のうち死亡する
白骨は 曠野に捨ておかれ
千里を行くも 鶏の鳴き声を聞かぬ
人民は百人のうち九十九人が 死に絶えた
これを思えば わがはらわたは絶ち切れんばかり

伊藤正文『中国古典文学大系 第16巻 漢・魏・六朝詩集』平凡社、1972年 曹操・蒿里のうた P101〜102、413

成公綏せいこうすい「正旦大会行礼歌」(?)

審栄と酒を酌み交わす司馬懿の言葉。下記の詩に似た表現がある。ただし成公綏は西晋時代の人物。

置酒中堂上
嘉宾充我庭

中堂に酒を置き
嘉賓 庭に

穆穆天子,光臨萬國。多士盈朝,莫匪俊德。流化罔極,王猷允塞。嘉會置酒,嘉賓充庭。羽旄曜宸極,鐘鼓振泰淸。百辟朝三朝,彧彧明儀形。濟濟鏘鏘,金聲玉振。
……

「正旦大會行禮歌 成公綏」 房玄齡等撰『晉書 三 志』中華書局、1974年 楽志 上 P685

詩経しきょう小雅しょうが采薇さいび」より

郭嘉が官渡への道中、賈詡に宮を出た皇帝のことを語る。第5話で張宇が引用していた詩の続きの部分。

行道迟迟
载渴载饥

道を行くこと遲遲ちちたり
すなはち渇き載ち

……
昔我往矣 楊柳依依
今我來思 雨雪霏霏
行道遲遲 載渴載飢
我心傷悲 莫知我哀

……
むかしわれきしとき 楊柳やうりう 依依いいたり
いまわれきたれば ゆきること霏霏ひひたり
みちくこと遲遲ちちたり すなはかはすなは
こころ 傷悲しゃうひするも かなしみを

……以前ここへ来たときは、やなぎの葉茂る季節であった。再びここを通る今、雪の舞い降る季節となってしまった。歩みは遅くてはかどらず、その苦しみは渇きかつ飢えるが如し。私の心は痛みむすぼれるが、この哀しみを知る者もなし。

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』明治書院、1998年 小雅・采薇 P193〜195

『老子』易性第八より

上記の続き、賈詡が眠ってしまった後の、郭嘉の独り言。

至坚唯钢
上善若水

至堅はだ鋼のみ
上善 水の如し

〔老子、八〕上善若(ジョウゼンはみず(づ)のごとし)最上の善というものは、水のような(低きにおり、万物に恵みを施し、その功を誇らない)ものである。

『新漢語林 第二版』大修館書店、2011年

上善若水。水善利萬物而不爭。處衆人之所惡。故幾於道。……

上善じゃうぜんみづごとし。みづ萬物ばんぶつしてあらそはず。衆人しゅうじんにくところる。ゆえみちちかし。……

通釈 最上の善は、譬えて見ると、水のようなものである。水は万物に利益を与えていながら、円い器に入れば円くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して他と争わない。そして多くの人々のいやがる低い位置に身を置く。だから、水こそ道に近い存在と言える。……

阿部吉雄、山本敏夫、市川安司、遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』明治書院、1966年 易性第八 P23〜24

天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無閒。吾是以知無爲之有益。不言之敎、無爲之益、天下希及之。

通釈 水は天下で最も柔らかいものでありながら、天下で最も堅い金石を支配している。そしてそれは定形がなく、隙間のない所まで入りこんで(万物をうるおして)いる。」私は(こういう水の姿から、)無為ということが有益であることを知る。無言の教訓の効果と、無為の働きの利益、この両者には、天下に及ぶものがない。

阿部吉雄、山本敏夫、市川安司、遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』明治書院、1966年 徧用第四十三 P80

第24話

論語ろんご八佾はちいつ篇より

儒学生たちの前で袁家の権勢を語る審栄に劉平が反論する。「八佾」は天子の舞。

孔子谓季氏
八佾舞于庭
是可忍也
孰不可忍也

孔子こうし 氏を
八佾はちいつ 庭に舞わしむ
これを忍ぶくんば
いずれをか忍ぶからざらん

孔子謂季氏、八佾舞於庭、是可也、孰不可也、

孔子、季氏きしのたまわく、八佾はちいつていに舞わす、れをも忍ぶべくんば、いずれをか忍ぶべからざらん。

孔子が季氏きしのことをこういわれた、「八列の舞をそのおたまやの庭で舞わせている。その非礼までも〔とがめずに〕しんぼうできるなら、どんなことだってしんぼうできよう。(わたしにはがまんができない。)」

金谷治訳注『論語』岩波文庫、1963年 八佾第三 P51

第27話

『史記』陳渉世家より

鄴の学生たちの元へ戻った劉平が城を出ようと語りかけ、学生らが呼応する。

如果诸位信任我刘平
就请与我并肩而行
就算是会死
也能够像先贤大儒一样
青史留名
等死 死国可乎

私を信用してくれるなら
一緒に来てほしい
たとえ死んでも
いにしえの成人のように—
歴史に名が残る
同じ死ぬなら国のために

等死、死国可乎 ひとシクしスルナラバ、くにニしスルハかナランか
同様に死ぬのなら、楚国再建のために死んだほうがましだ〈史・陳渉世家〉

『全訳 漢辞海 第三版』三省堂、2011年

……二世元年七月,發閭左適戍漁陽,九百人屯大澤鄉。陳勝、吳廣皆次當行,為屯長。會天大雨,道不通,度已失期。失期,法皆斬。陳勝、吳廣乃謀曰:「今亡亦死,舉大計亦死,等死,死國可乎?……

『史記』中央研究院 漢籍電子文獻 卷四十八 陳涉世家第十八

第28話

竇玄とうげん妻「古怨歌」より

曹丕の招きを断る司馬懿の言。出典については諸説あるようだが、後漢の竇玄妻の作という説によって元の詩を見ると、意外にもこれは既に捨てられた(厳密には権力によって別れさせられた)「故い」側による、新しい相手より私の方が相応しいのに、という恨み言なのだった。

衣不如新
人不如故

衣は新しきにかず
人はふるきに如かず

煢煢けいけいたる白兎はくとひがしはし西にしかへりみる。
しんなるにかず、ひとなるにかず。

ひとりよるべない白うさぎ。東に走ったり、西をふり返ったり、それはわたしの姿です。着物は新しいのがよいでしょうが、人はふるなじみにはおよびますまい。

(訳注より)
・竇玄妻 後漢書によれば竇玄は容貌がすぐれていたために、天子がその妻を出させて、かわりに公主(天子のむすめ)をめあわせたと伝える。
・古怨歌 時に竇玄の妻が悲しみ怨み、書とこの歌とを玄に寄せたという。時の人々がこれをあわれんで伝えたのである。

内田泉之助『漢詩大系 第四巻 古詩源 上』集英社、1964年 巻三 漢詩 竇玄妻「古怨歌」 P125

??

官渡の戦場で張繍に語りかける楊修の言葉。冒頭が漢詩風だが、特定の詩ではないかもしれない。古詩に類似のフレーズはある模様(未確認)

肃肃宵征 白骨不覆
好一场血战啊

しかばねが野ざらしに
すさまじい戦いの跡だ

公開:2019.12.02 更新:2020.01.12