ドラマ「三国機密」に登場する古典(2)11〜20話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べてみた。赤枠は本編の字幕より引用。

第11話

礼記らいき月令がつりょう篇より

立春の祭祀のシーンで孔融が告げる台詞。この祭祀について定められた「礼記」の一節から来ているようである。(下記。長いため台詞にない箇所の通釈は一部省略)

蛰虫始振
鱼上坚冰
鸿雁复来
今日立春
盛徳在木
六気资始
慎修礼物
遂迎春于东郊
祭青帝 句芒
行庆施惠
下及兆民

東風は氷を解かし
虫は動き始める
魚は氷の上に現れ
雁が飛び来る
本日は立春
天地の力が木に宿る
天の気が起こり
供物を納める
都の東にて春を迎える
せい帝と句芒こうぼうを祭り
万民に行き渡るよう
賞を与え物を施す

孟春之月、日在營室、昏參中、旦尾中。其日甲乙、其帝大皞、其神句芒、其蟲鱗、其音角、律中大蔟、其數八、其味酸、其臭羶、其祀戶、祭先脾。東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻雁來。天子居青陽左个。乘鸞路、駕倉龍、載青旂、衣青衣、服倉玉、食麥與羊、其器疏以達。

通釈 「孟春之月」とは、春三個月の最初の月のこと、即ち正月。……〇正月になると、東風が吹きそめて氷を解かし、穴にもぐっていた虫が動き出す。魚は氷の上に姿を現わし、獺が捕えた魚を水辺に並べ、祭りをしているように見える。鴻や雁が南方から飛び来るのも、暖かになるしるしである。……

是月也、以立春、先立春三日、太史謁之天子曰、某日立春、盛德在木。天子乃齊。立春之日、天子親帥三公・九卿・諸侯・大夫、以迎春於東郊、還反賞公卿・諸侯・大夫於朝、命相布德和令、行慶施惠、下及兆民。慶賜遂行、毋有不當。乃命大史守典奉法、司天日月星辰之行、宿離不貸、毋失經紀、以初為常。

通釈 ……立春の日になると、みずから三公・九卿・諸侯・大夫らを率い、都の東郊に出て太皞や句芒(天帝とその付添いの神)を祭り、春を迎える。そして王宮に帰って公卿(三公・九卿たち)や大夫たちを、祭を助けたことについて賞し、大臣に命じて、臣民に対し恩徳を厚くし、禁令を緩めさせ、賞を与え、物を施して万民に行きわたるようにさせ、かつ賞や施しがすべて公正で誤りのないように、注意させる。……

竹内照夫『新釈漢文大系 第27巻 礼記(上)』(明治書院、1971年)pp.227-229 月令第六

第12話

(番外編:青嚢書せいのうしょ?)

王越の襲撃時、咄嗟に伏寿を守ろうとした劉平の行動を語る冷寿光の言葉。歴史上の華佗は人の生命を救う医術書を著したが、燃やされて内容は後世に伝わらない。小説『三国志演義』では『青嚢書せいのうしょ』という名で登場する。(後世に同名の書はあるが、華佗の作ではない)台詞の引用は本作オリジナルの内容かもしれない。

家师曾写过一本书
名叫《青嚢书》
书中说道
人以眴时最朴
意思是说
人在受到惊吓时的瞬时反应
最能体现真心

師匠が書いた「青嚢せいのう書」という
書には—
“人 眴時しゅんじを以て最もぼくたり”
とあります
人の本心はとっさの行動に表れるのです

……華佗は死に臨んで、一巻の書物をとり出すと獄吏に与えていった、「これで人の生命を救うことができる。」獄吏は法を畏れて受け取ろうとはしなかった。華佗も強いておしつけようとはせず、火を求めてその書物を焼いてしまった。……

陳寿、裴松之注、今鷹真・小南一郎訳『正史 三国志 4』(ちくま学芸文庫、1993年)pp.329-330 華佗伝

 華佗が獄中にあった時、人々から「押獄おうごく」と呼ばれていた呉という獄卒がおり、毎日酒や食物を届けて華佗を見舞った。華佗はその恩義に感じて言った。
「わしは近いうちに死ぬが、心残りは『青嚢せいのう書』(青い袋の書物。第七十五回では、青い袋を腕にかけて登場する)を後世に伝えることができぬことじゃ。貴公のご厚恩に、何もおかえしするものはない。ついては、これより書面をつくるゆえ、誰か人をわしの家へやって『青嚢書』を取り寄せていただきたい。お礼のしるしに、わしの術を貴公にお伝えいたそう」
「その書物を頂戴いたしましたうえは、このような役目は棄てて天下の病人を治し、先生の徳をお伝えいたすでござりましょう」
 と呉押獄が喜ぶと、華佗はその場で書面をしたためて彼に与えた。呉押獄はただちに金城へいって華佗の妻から『青嚢書』を受け取ると、牢獄に立ち帰って華佗に渡した。華佗は詳細に目を通してから、それを呉押獄に与え、彼は家に持ち帰ってしまっておいたが、それから十日ばかりして、華佗は獄中で死んだ。呉押獄が棺を買って手厚く葬り、『青嚢書』を習得しようとして、役目を辞して家に帰ってくると、なんと妻がその本を焼いているところ。仰天して、妻の手から奪いとった時には、全巻灰となって、ただ一、二葉をあますのみであった。……

羅貫中作、立間祥介訳『三国志演義 下』(平凡社、1972年)p.159 第七十八回

第13話

論語ろんご季氏きし篇より

郭嘉に涙を拭かれる満寵の台詞。論語の一節。要するに、私のせいです……っていうことなんでしょうか。
追記:見落としていたが、この台詞は第6話満寵劉平に叱られた際に出てきたのだった。

虎兕出于匣
龟玉毀于椟中

虎兕こじこうより出で
亀玉きぎょく櫝中とくちゅうこわるれば

季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰わく、季氏、将に顓臾に事あらんとす。……冉有が曰わく、夫の子これを欲す。吾れ二臣は皆な欲せざるなり。孔子の曰わく、求よ、周任に言あり曰わく、力を陳べて列に就き、能わざれば止むと。危うくして持せず、顚って扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言は過てり。虎兕、柙より出で、亀玉、櫝中に毀るれば、是れ誰の過ちぞや。……

〔魯の〕季氏が顓臾の国を攻め取ろうとしていた。〔季氏に仕えていた〕冉有と季路(子路)とが孔子にお目にかかって、「季氏が顓臾に対して事を起こそうとしています。」と申しあげた。……冉有が「あの方(季氏)がそうしたいというだけで、わたしたち二人はどちらもしたくないのですよ。」というと、孔子はいわれた、「求よ。〔むかしの立派な記録官であったあの〕周任のことばに『力いっぱい職務にあたり、できないときは辞職する。』というのがあるが、危くてもささえることをせず、ころんでも助けることをしないというのでは、一体あの助け役も何の必要があろう。それにお前のことばはまちがっている。虎や野牛が檻から逃げ出したり、亀の甲や宝玉が箱の中でこわれたりしたら、これはだれのあやまちかね。……

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年)pp.324-329 季氏第十六

第16話

詩経しきょう邶風はいふう撃鼓げきこ」より

劉平伏寿に語る。元の台詞では「昔の人は『執子之手』と言う」というだけだが、日本語字幕では続くフレーズが補われている。一般的に夫婦が仲睦まじく一生を共にする意味で使われるフレーズのようだが、元の詩からするとやや不吉な印象もある。

古人说的执子之手
不仅是承担苦难
也是执手同行前路

なんじの手を執りて
子とともに老いんとす

私は苦難を背負いながら──
共に前を向いて進みたい

擊鼓其鏜 踴躍用兵
土國城漕 我獨南行

從孫子仲 平陳與宋
不我以歸 憂心有忡

爰居爰處 爰喪其馬
于以求之 于林之下

死生契闊 與子成說
執子之手 與子偕老

于嗟闊兮 不我活兮
于嗟洵兮 不我信兮

つことたうと 踴躍ようやくするにへいもち
土國くにさうしろきづき われひとみなみ

孫子仲そんしちゅうしたがひて ちんそうとをたひらぐも
われともかへらず 憂心いうしん ちゅうたり

ここここる ここの馬をうしな
于以いづこにかこれもとむ はやしした

死生契闊しせいけつくゎつ よろこび
りて ともいんとす

于嗟ああ くゎつなり われかさず
于嗟ああ じゅんなり われしんぜしめず

通釈 つ音がドーンとひびき、ほこを手に踊りあがる。邦国おくには漕の地に城を築くとて、私はひとり南に向かう。
 孫隊長に従って、陳と宋とを平らげたのだが、私はおきざりにされてしまった。憂いに心がうちふるえる。
 (おきざりにされた私は)この地に留まり続け、この地で馬までも失った。馬はどこにいるかというと、郊外の原野に ねむっているのだ。
 〈妻が唱う〉生きるも死ぬも離れずにいようと、あなたと悦びを成しました。あなたの手をとって、ともに老いようと誓いました。
 だのにああ神よ、何と遠く離れていることか。私はもう生きていられない。ああ神よ、何と久しく別れ別れになっていることか。私はもう信じられない。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年)pp.86-88 邶風・撃鼓

第18話

孟子もうし梁恵王章句りょうけいおうしょうく下篇より

荀彧劉平に講義している場面。

与民同乐
则王矣

民と楽を同じくせば
すなわち王なり

……此無他、與民同樂也、今王與百姓同樂、則王矣、

……此れ無し、民とたのしみを同じくすればなり。今、王百姓とたのしみを同じくせば,則ち王たらん。

……〔同じことをなさっても〕こんなに違うのは、外でもありません。ただ人民たちといっしょに楽しまれるからなのです。だから王様、〔音楽にもせよ、狩りにもせよ〕もし人民たちといっしょに楽しむようになされたら、〔人民は自然によく懐いて、お国は立派に治まり、〕やがては天下の王者となられることでありましょう。

小林勝人訳注『孟子(上)』(岩波文庫、1968年)pp.67-71 梁恵王章句下

第17話

屈原くつげん離騒りそう」より

作中でも解説される、楚の屈原の詩。

既替余以蕙纕兮
又申之以揽茝

余をつるに蕙纕を以てし
かさぬるにるを以てす

亦余心之所善兮
虽九死其尤未悔

た余の心の善しとする所
九死すといえど
いまだ悔いず

……

第四段 忠誠心から諫言したが君に見捨てられ、衆人からは妬まれ誹謗される。人生の多艱を哀しみつつも、自分は恥を忍んで潔白の身を守ろうと思う。

長太息以掩涕兮 哀人生之多艱
余雖好脩姱以鞿羈兮 謇朝誶而夕替
旣替余以蕙纕兮 又申之以攬茝
亦余心之所善兮 雖九死其猶未悔

怨靈脩之浩蕩兮 終不察夫人心
衆女嫉余之蛾眉兮 謠諑謂余以善淫
固時俗之工巧兮 偭規矩而改錯
背繩墨以追曲兮 競周容以爲度
忳鬱悒余侘傺兮 吾獨窮困乎此時也
寧溘死以流亡兮 余不忍爲此態也
鷙鳥之不群兮 自前代而固然
何方圓之能周兮 夫孰異道而相安
屈心而抑志兮 忍尤而攘詬
伏淸白以死直兮 固前聖之所厚

……

通釈 深いため息をついて涙をぬぐい、人の世の艱難多きを哀しく思う。私は好んでわが身を美しく立派にし清く持して慎んできたが、ああ、朝に君を諌めて、その夕べにはもう追放の憂き目にあったのだ。さきに私を退け捨てるのに、私が香草の蕙を身につけて心を清く持していたのを理由としたが、今はそれに加えて、茝草を手に取って潔く生きようとしているのを更に追放の理由にしたのである。しかしこれこそが私の心の善しとする信条であるから、たとい九たび死ぬ目に遭っても決して悔いはしない。怨むらくはわが君の思慮が乏しく、いつまでも人々の心をお察し下さらぬこと。多くの女たちは私の美貌を嫉んであれこれ悪口を言い、この私を淫乱者だなどと言いふらした。まことに当今世俗の人間の小器用なことよ。ぶんまわしや指し金に背いて位置を正す。墨なわを用いないで曲がり具合いを確かめる。そして競って世俗の意向に迎合することを法度としている。憂いに心むすぼれつつ、しょんぼりと佇み、私ひとりこの時俗の中に苦しんでいる。いっそ忽ちに死んで流れせようとも、私は俗人どものあのような態度をとるに忍びない。鷲や鷹のような猛禽が群れをなして棲まないのは遠い昔から決まったこと。どうして円い穴に四角なほぞが合うものか。そもそも行く道が異なっているのに誰が気安く相れようぞ。ひたすら心を曲げて志を押さえ、追放のとがめを忍んで恥辱を払いのけよう。清潔な志に従って忠直な節義のために殉ずるのは、まことに古の聖人が厚く重んじたところである。

竹田晃『新釈漢文大系 第82巻 文選(文章篇)上』(明治書院、1994年)pp.9-10 屈原・離騷經

第19話

??

郭嘉弘農王の霊牌に向かう場面。決まり文句のようだが……

王其有灵 伏惟尚飨

しておも
ねがわくはけんことを

??

司馬懿が寝起きに詠う。不明……

山中春睡足
不问人间事

山中 春睡足れば
人間じんかんの事を問わず

第20話

史記しき淮陰わいいん侯伝より

お忍びで劉平を連れ出した郭嘉が語る場面。所謂「中原に鹿を逐う」の元。

秦失其鹿
天下共逐之

しん の鹿を失い
天下 共にこれ

……對曰、秦之綱絕而維弛、山東大擾、異姓並起、英俊烏集。秦失其鹿、天下共逐之。於是高材疾足者先得焉。……

……蒯通は答えて言った、「秦の綱紀は絶ち切れ、法網はゆるんで、山東の地は乱が頻発して、異姓の王侯が並び起こり、英雄たちがどっと集まって来ました。秦がその鹿(権力)を失うと、天下中の者が一緒にそれを遂い求めました。こうして能力もあり敏足な者が最初にそれをつかんだのです。……

水沢利忠『新釈漢文大系 第90巻 史記 十(列伝三)』(明治書院、1996年)pp.105-160 淮陰侯列伝第三十二

ちゅうげん【中原】=に[=の]鹿しか
(「中原」は中国、特に黄河流域の平原地帯をさし、「鹿」は「史記−淮陰侯伝」に「秦失㆓其鹿㆒、天下共逐㆑之」とあることから、天子の位のこと)帝王の位を得ようと戦う。転じて、ある地位や目的物などを得るために競争する。〔社交用語の字引(1925)〕 〔魏徴−述懐詩〕

『精選版 日本国語大辞典』(小学館、2006年)

李斯りし蒼頡篇そうけつへん』より

任紅昌が養っている孤児たちに字を教える劉平劉平が語る蒼頡そうけつとは、文字を発明したとされる伝説上の人物。『蒼頡篇』は秦の李斯による初学者向けの字書。

苍颉作书
以教后嗣
幼子承诏
谨慎敬戒

蒼頡そうけつ 書を作り
もっ后嗣こうしに教う
幼子 詔を承け
謹慎して敬戒す

蒼頡作書,以教後嗣。幼子承詔,謹慎敬戒。
勉力諷誦,晝夜勿置。苟務成史,計會辯治。
超等軼群,出尤別異。初雖勞苦,卒必有意。
愨願忠​​信,密 言賞。 □□□□

『倉頡篇』(殘缺)(Wikisource)

そう けつ さう—【蒼頡・倉頡】

中国の伝説上の人物。黄帝の史官。顔に四つの目をもち、鳥の足跡を見て文字を作ったという。そうきつ。

『スーパー大辞林 3.0』(三省堂、2008年)

【蒼頡篇】そう(さう)けつへん

書名。字書。秦しんの李斯りしの著。小篆しょうてんという書体で書かれ、四字句でつづってある。その一部分だけが今に残っている。

『角川新字源 改訂新版』(角川書店、2017年)

詩経しきょう王風おうふう君子于役くんしうえき」より

任紅昌の家で束の間の自由を楽しんだ後の劉平が口ずさむ詩。

鸡栖于埘 日之夕矣

鶏 ねぐらやどる 日のゆうべ

君子于役 不知其期
曷至哉 鷄棲于塒
日之夕矣
 羊牛下來
君子于役 如之何弗思

君子于役 不日不月
曷其有佸 鷄棲于桀
日之夕矣 羊牛下佸
君子于役 苟無飢渴

君子くんし えきく らず
いづくにかいたらんや にはとりねぐらやど
ゆふべに
 羊牛やうぎうくだきた
君子くんし えきく これ如何いかにしておもふことからん

君子くんし えきく ならずつきならず
いついたらん にはとりけつやど
ゆふべに 羊牛やうぎうくだいた
君子くんし えきく いやしく飢渴きかつすることかれ

通釈 あなたはお仕事で出掛けられ、お帰りは何時かはわからない。どこまで行かれたのでしょう。ニワトリはねぐらに休み、日が暮れれば、ヒツジがそしてウシが帰ってくる。なのにあなたはお仕事で出掛けたまま、心配せずにはいられません。
 あなたはお仕事で出掛けられ、もう何日、何か月になりましたことやら。何時になったら会えるのでしょう。ニワトリはねぐらに休み、日が暮れれば、ヒツジがそしてウシが帰ってくる。なのにあなたはお仕事で出掛けたまま、どうかひもじい目にはお遭いにならないで。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年)pp.184-186 王風・君子于役

公開:2019.11.28 更新:2020.01.11

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