ドラマ「三国機密」に登場する古典 ③ 11〜15話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

第11話

礼記らいき月令がつりょう篇より

立春の祭祀の幕開けに孔融が告げる。この儀式について定められた『礼記』の一節から来ているようである。(長いため台詞にない箇所の通釈は一部省略)

东风解冻
蛰虫始振
鱼上坚冰
鸿雁复来
今日立春
盛徳在木
六気资始
慎修礼物
遂迎春于东郊
祭青帝 句芒
行庆施惠
下及兆民

東風は氷を解かし
虫は動き始める
魚は氷の上に現れ
雁が飛び来る
本日は立春
天地の力が木に宿る
天の気が起こり
供物を納める
都の東にて春を迎える
せい帝と句芒こうぼうを祭り
万民に行き渡るよう
賞を与え物を施す

孟春之月、日在營室、昏參中、旦尾中。其日甲乙、其帝大皞、其神句芒、其蟲鱗、其音角、律中大蔟、其數八、其味酸、其臭羶、其祀戶、祭先脾。東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻雁來。天子居青陽左个。乘鸞路、駕倉龍、載青旂、衣青衣、服倉玉、食麥與羊、其器疏以達。

通釈 「孟春之月」とは、春三個月の最初の月のこと、即ち正月。[……]〇正月になると、東風が吹きそめて氷を解かし、穴にもぐっていた虫が動き出す。魚は氷の上に姿を現わし、獺が捕えた魚を水辺に並べ、祭りをしているように見える。鴻や雁が南方から飛び来るのも、暖かになるしるしである。[……]

是月也、以立春、先立春三日、太史謁之天子曰、某日立春、盛德在木。天子乃齊。立春之日、天子親帥三公・九卿・諸侯・大夫、以迎春於東郊、還反賞公卿・諸侯・大夫於朝、命相布德和令、行慶施惠、下及兆民。慶賜遂行、毋有不當。乃命大史守典奉法、司天日月星辰之行、宿離不貸、毋失經紀、以初為常。

通釈 [……]立春の日になると、みずから三公・九卿・諸侯・大夫らを率い、都の東郊に出て太皞や句芒(天帝とその付添いの神)を祭り、春を迎える。そして王宮に帰って公卿(三公・九卿たち)や大夫たちを、祭を助けたことについて賞し、大臣に命じて、臣民に対し恩徳を厚くし、禁令を緩めさせ、賞を与え、物を施して万民に行きわたるようにさせ、かつ賞や施しがすべて公正で誤りのないように、注意させる。[……]

竹内照夫『新釈漢文大系 第27巻 礼記(上)』(明治書院、1971年) 月令第六 pp.227-229

通典つてん』礼篇より

立春の祭祀で荀彧が祝文を読み上げる。作中では王越の乱入により途切れるが、ほぼ同様の文が『通典』(唐代に編纂された制度史)に記されており、実際に行われていたようである。

建安四年立春之日
子嗣天子刘协
敢昭告于青帝太昊氏
献春伊始
时唯发生
品物昭苏
式遵恒礼

建安4年 立春の日
子孫たる皇帝 劉協りゅうきょう
せい帝に告げる
新しい年の始まりに
先例に則り儀式を行う

太祝持版進於神座之右,東向跪,讀祝文曰:「維某年歲次某月朔某日,子嗣天子臣某,敢昭告於青帝靈威仰:獻春伊始,時惟發生,品物昭蘇,式遵恒禮,敬以玉帛犧齊,粢盛庶品,肅恭燔祀,暢茲和德,帝太昊氏配神作主,尚饗。」訖,興。皇帝再拜。初讀祝文訖,樂作,太祝進奠版於神座前,興,還樽所,皇帝拜訖,樂止。

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第12話

(番外編)華佗かだ青嚢書せいのうしょ

王越の襲撃時、咄嗟に伏寿を守ろうとした劉平の行動を語る冷寿光。歴史上の華佗は人の生命を救う医術書を著したが、燃やされて内容は後世に伝わらない。小説『三国志演義』では『青嚢書せいのうしょ』の名で登場し(後世に同名の書はあるが、華佗の作ではない)、ドラマの中でも後にキーアイテムとなる。ここで引用されるフレーズは本作(馬伯庸の原作小説に登場する)の創作か?

家师曾写过一本书
名叫《青嚢书》
书中说道
人以眴时最朴
意思是说
人在受到惊吓时的瞬时反应
最能体现真心

師匠が書いた「青嚢せいのう書」という
書には
“人 眴時しゅんじを以て最もぼくたり”
とあります
人の本心はとっさの行動に表れるのです

[……]華佗は死に臨んで、一巻の書物をとり出すと獄吏に与えていった、「これで人の生命を救うことができる。」獄吏は法を畏れて受け取ろうとはしなかった。華佗も強いておしつけようとはせず、火を求めてその書物を焼いてしまった。[……]

陳寿、裴松之注、今鷹真・小南一郎訳『正史 三国志 4 魏書Ⅳ』(ちくま学芸文庫、1993年) 華佗伝 pp.329-330

 華佗が獄中にあった時、人々から「押獄おうごく」と呼ばれていた呉という獄卒がおり、毎日酒や食物を届けて華佗を見舞った。華佗はその恩義に感じて言った。
「わしは近いうちに死ぬが、心残りは『青嚢せいのう書』(青い袋の書物。第七十五回では、青い袋を腕にかけて登場する)を後世に伝えることができぬことじゃ。貴公のご厚恩に、何もおかえしするものはない。ついては、これより書面をつくるゆえ、誰か人をわしの家へやって『青嚢書』を取り寄せていただきたい。お礼のしるしに、わしの術を貴公にお伝えいたそう」
「その書物を頂戴いたしましたうえは、このような役目は棄てて天下の病人を治し、先生の徳をお伝えいたすでござりましょう」
 と呉押獄が喜ぶと、華佗はその場で書面をしたためて彼に与えた。呉押獄はただちに金城へいって華佗の妻から『青嚢書』を受け取ると、牢獄に立ち帰って華佗に渡した。華佗は詳細に目を通してから、それを呉押獄に与え、彼は家に持ち帰ってしまっておいたが、それから十日ばかりして、華佗は獄中で死んだ。呉押獄が棺を買って手厚く葬り、『青嚢書』を習得しようとして、役目を辞して家に帰ってくると、なんと妻がその本を焼いているところ。仰天して、妻の手から奪いとった時には、全巻灰となって、ただ一、二葉をあますのみであった。[……]

羅貫中作、立間祥介訳『三国志演義 下』(平凡社、1972年) 第七十八回 p.159

第13話

論語ろんご季氏きし篇より

郭嘉に涙を拭かれる満寵の台詞。第6話にて、このフレーズで劉平に叱責されたのを受けての表現か、改めて今回の事件も許都令たる自分の責任であると自責している。

虎兕出于匣
龟玉毀于椟中

身为许都的守卫者
难辞其咎
属下一定不会再犯错误
让祭酒为难

虎兕こじこうより出で
 亀玉きぎょく櫝中とくちゅうこわるれば”

許都を守らねばならぬのに
二度とかく祭酒に
迷惑はかけませぬ

季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰わく、季氏、将に顓臾に事あらんとす。[……]冉有が曰わく、夫の子これを欲す。吾れ二臣は皆な欲せざるなり。孔子の曰わく、求よ、周任に言あり曰わく、力を陳べて列に就き、能わざれば止むと。危うくして持せず、顚って扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言は過てり。虎兕、柙より出で、亀玉、櫝中に毀るれば、是れ誰の過ちぞや。[……]

〔魯の〕季氏が顓臾の国を攻め取ろうとしていた。〔季氏に仕えていた〕冉有と季路(子路)とが孔子にお目にかかって、「季氏が顓臾に対して事を起こそうとしています。」と申しあげた。[……]冉有が「あの方(季氏)がそうしたいというだけで、わたしたち二人はどちらもしたくないのですよ。」というと、孔子はいわれた、「求よ。〔むかしの立派な記録官であったあの〕周任のことばに『力いっぱい職務にあたり、できないときは辞職する。』というのがあるが、危くてもささえることをせず、ころんでも助けることをしないというのでは、一体あの助け役も何の必要があろう。それにお前のことばはまちがっている。虎や野牛が檻から逃げ出したり、亀の甲や宝玉が箱の中でこわれたりしたら、これはだれのあやまちかね。[……]

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 季氏第十六 pp.324-329

公開:2019.11.28 更新:2022.02.12

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