ドラマ「三国機密」に登場する古典 ⑨ 41〜45話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

第41話

史記しき淮陰わいいん侯伝より

廬龍の城で曹家の子女を暗殺する計画を立てる司馬懿が、躊躇う伏寿に好機を逃すべきではないと語る。日本語字幕では省略されている。

天予弗取 反受其咎
再等二十年
都不会有这样的机会
难道皇后殿下
真的不想救汉室了吗

20年待っても
このような好機は来ませぬ
皇后様は漢王朝を
救いたくないのですか

てん【天】の与(あた)うるを取(と)らざればかえってその咎(とが)めを受(う)
(「史記−淮陰侯伝」の「天与弗取反受其咎、時至不行反受其殃」による)天の与えるところのものは取るように定められたものであるから、取らないとかえって災いを招くことになる。

『精選版 日本国語大辞典』(小学館、2006年)

曹植そうしょく白馬篇はくばへん」より

戦勝の宴で曹植が詠む。白馬に乗る勇士の詩で、張遼について詠んだという説がある。ドラマでは張遼の戦いぶりが直接には描かれないが、この頃の活躍を詠んでいる。

羽檄从北来
厉马登高堤
长驱蹈匈奴
左顾凌鲜卑
弃身锋刃端
性命安可怀
父母且不顾
何言子与妻
名编壮士籍
不得中顾私
捐躯赴国难
视死忽如归

羽檄うげき 北より来たり
馬をはげまして 高堤こうていに登る
長駆ちょうくして匈奴きょうどを踏み
左顧さこして鮮卑せんぴしのがん
身を鋒刃ほうじんの端に
性命 いずくんぞおもうべけん
父母すらつ顧りみず
なんぞ子と妻とを言わん
名は壮士の籍に編せらるれば
うちわたくしを顧みるを得ず
てて国難に赴く
死をること
たちまち帰するがごと

白馬飾金羈 連翩西北馳
借問誰家子 幽幷遊俠兒
少小去鄕邑 揚聲沙漠垂
宿昔秉良弓 楛矢何參差
控弦破左的 右發摧月支
仰手接飛猱 俯身散馬蹄
狡捷過猴猨 勇剽若豹螭
邊城多警急 胡虜數遷移
羽檄從北來 厲馬登高堤
長驅蹈匈奴 左顧凌鮮卑
棄身鋒端 性命安可懷
父母且不顧 何言子與妻
名編壯士籍 不得中顧私
捐軀赴國難 視死忽如歸

白馬はくば金羈きんきかざり、連翩れんぺんとして西北せいほくす。
借問しゃもんいへぞ、いうへい遊俠兒いうけふじ
少小せうせうにして鄕邑きゃういふり、沙漠さばくほとりぐ。
宿昔しゅくせき良弓りゃうきゅうり、楛矢こしなん參差しんしたる。
げんきて左的さてきやぶり、みぎはっして月支げっしくだく。
あふぎて飛猱ひだうけ、して馬蹄ばていらす。
狡捷かうせふなること猴猨こうゑんぎ、勇剽ゆうへうなること豹螭へうちごとし。
邊城へんじゃう警急けいきふおほく、胡虜こりょ數〻しばしば遷移せんいす。
羽檄うげききたよりきたれば、うまはげまして高堤かうていのぼり、
長驅ちゃうくして匈奴きゃうどみ、ひだりかへりみて鮮卑せんぴしのぐ。
ほうじんたんつ、性命せいめいいづくんぞおもけん。
父母ふぼすらかへりみず、なんつまとをはん。
をば壯士さうしせきへんせらる、うちわたくしかへりみるをず。
てて國難こくなんおもむく、ることたちまするがごとし。

通釈 白馬に金のおもがいを飾り、西北めざし飛ぶが如く馳せゆく若者がある。いずこの誰かと尋ねると、名にしおう幽・幷出身の侠者おとこだてだという。年若くして郷里を離れ、沙漠のほとりの戦場に名をあげた者だ。
 そのころ良弓を手にとり、えびらに竹の矢を乱れさし、ゆみづるを引きしぽって左の的を射破ったかと思えば、右手に放って射帖を打ちぬく巧みさ、あおけに枝飛ぶましらをむかえうち、身を伏してはあたりを蹴散らして馬を飛ばす、そのすばやさは猿にもまさり、豹やみずちに劣らぬ勇ましさ。
 折から辺境のとりではものさわがしく、えびすの兵はしばしば移動してくる。それを伝える急のしらせが北からくれば、馬をはげまして高い堤にと上って警戒し、まっしぐらに駆けぬけて、匈奴を踏みちらし、左に向きをかえては、鮮卑を突破する奮戦。身を刃の先に投げ出すからには、生命などはものとも思わぬ。父母さえ顧みないものを、子供や妻のことなど口にできるものか。わが名を勇士の名簿に列ねられている以上、心に私事わたくしごとなどを思うべきではない。一身をすてて国難に赴く者、死をみることは、まるでわが家に帰るような心安さである。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 樂府 上 曹子建「白馬篇」 pp.485-486

第42話

漢詩「蒿里こうり」より

遠征先の郭嘉の無銘の墓前で、曹操が嘆く。漢代の作者不明の挽歌。

蒿里谁家地
聚敛魂魄无贤愚

蒿里こうり が家の地ぞ
魂魄こんぱく聚斂しゅうれんして賢愚無し

蒿里誰家地、
聚斂魂魄無賢愚。

鬼伯一何相催促、
人命不得少踟躕。

蒿里は誰が家の地なるか、
魂魄を聚斂して賢愚なし。

鬼伯は一に何ぞ相催促する、
人命は少しも踟躕するを得ず。

 蒿里には、誰が住んでいるのであろうか。蒿里は死者を収容するところで、人は死ねば、賢者も愚者も、才子も佳人も、誰も彼もみな集められてしまう。死神は何といちずに人を催促して、死なせるのであろう。一たび死神の迎えを受けると、人の命は立ちどころに消えて、少しのためらいもできないのである。
〔人は一たび死に直面すれば、この世における一切のものから絶ち切られて、執着することもできず、未練も残せず、ただ独り冥府におもむかなければならない。どうすることもできない運命なのである。その悲しみを歌ったもので、僅に二十六字の短い歌辞に、死の避けられない厳粛な事実を歌っている。〕

沢口剛雄訳注『中国古典新書 楽府』(明徳出版社、1979年) pp.203-204

江淹こうえん恨賦うらみのふ」より(?)

上記の続きで曹操が引用する。ただし、江淹はドラマの舞台より後の南朝の詩人である。

人生到此
天道宁论

人生 ここいた
天道 なんぞ論ぜんや

試望平原、蔓草縈骨、拱木斂魂。人生到此、天道寧論。於是僕本恨人、心驚不已。直念古者伏恨而死。
[……]

こころみに平原へいげんのぞめば、蔓草まんさうほねまとひ、拱木きょうぼくたましひをさむ。人生じんせいここいたりては、天道てんだうなんろんぜん。ここおいぼくもとより恨人こんじんなり、こころおどろきてまず。ただ古者いにしへうらみにしてせるものをおもふ。
[……]

通釈 平原を見渡せば、蔓草が人骨にまといつき、墓の樹は太く生い茂っている。人と生まれても、ついには誰もがこの状態(死)に帰着するのだとすれば、天道の是非を論じても詮無いことだ。元来、恨みを感じやすい私のこと、心は乱れて止まず、考えは、かつて恨みを呑んで死んでいった古人たちへと移っていった。
[……]

高橋忠彦『新釈漢文大系 第81巻 文選(賦篇)下』(明治書院、2001年) 江淹「恨賦」 pp.230-235

杜耒とるい寒夜かんや」より

牢に入れられている司馬懿が、訪れた曹丕に告げる。日本語字幕では詩の部分が省略されているが、酒の代わりに茶で来客をもてなすという詩を踏まえた表現だと思われる。ただし、杜耒はドラマの舞台より後の南宋の人。

寒夜客来
可惜无洒招待公子了

残念だが
酒がなくて もてなせぬ

寒夜客來茶當酒,
竹爐湯沸火初紅。
尋常一樣窗前月,
才有梅花便不同。

「寒夜(杜耒)」(Wikisource)

荘子そうじ秋水しゅうすい篇より

上記の続きで、牢にやってきた曹丕に対し、その招きをあくまでも拒む司馬懿の言葉。原語の台詞では具体的に名が出ているが、荘子の逸話。

(曹丕)
仲达在我心中
是一飞冲天的龙凤
不该在此曳尾涂泥的

(司马懿)
公子还记得这句话的出处吧
楚国请庄子从政
庄子是怎么回答来着
宁可在涂泥中曳尾
也不愿如死龟一般
被供奉于庙堂之上
我司马㦤呢
也不愿意当那只死龟

(曹丕)
私にとって仲達ちゅうたつ
“天をける龍”だ
泥の中をい回るな

(司馬懿)
こんな話を知っているか
かつてに招かれた賢者は
こう言った
“私は死んだ亀のように
廟堂びょうどうで祭られるより
泥の中を這い回っていたい”
私も“死んだ亀”には
なりたくない

莊子釣於濮水。楚王使大夫二人往先焉。曰、願以境內累矣。莊子持竿不顧。曰、吾聞、楚有神龜、死已三千歲矣。王巾笥而藏之廟堂之上。此龜者寧其死為留骨而貴乎、寧其生而曳尾於塗中乎。二大夫曰、寧生而曳尾塗中。莊子曰、往矣。吾將曳尾於塗中。

通釈 ある時、荘子が濮水ぼくすいで釣りをしていた。折から楚の威王からつかわされた二人の大夫がやってきて王の意向を伝え、「ごめんどうながらわが国の政治をあなたにお任せいたしたい。」と言った。荘子は釣竿を手にしたまま、ふり向きもせずに言った、「私の聞いたところでは、楚の国にはぼくに用いる神亀があって死後三千年にもなり、王はこれをぬので包み箱に入れて、それをみたまやの上に大切にしまっているということだ。ところで亀の身になってみれば、一体このように死んで骨を残して大切に保存される方がよかったか、それともいっそ生きていて、尾を泥の中に引きずりながら寿命を保つ方がよかったか。どちらであろう。」二人の大夫はこもごも答えた、「それはやはり生きていて尾を泥の中に引きずっていた方がよかったでしょう。」荘子「さあ帰るがよい。私もその亀と同様に、尾を泥の中に引きずってのびのびと生きていたいのだ。」

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第8巻 荘子(下)』(明治書院、1967年) 秋水第十七 pp.484-485

余談だが、曹丕司馬懿を「龍」に擬えた部分の原文は「龍鳳」(龍と鳳凰)で、優れた人物を喩える表現でもある。「天を翔ける龍」という訳は味わいがあって好きだが、このドラマにおいては「龍」は劉平のモチーフに徹した方が一貫していたかもしれない。

【竜鳳】りゆう(りう)ほう|りようほう ❶竜と鳳凰ほうおう。ともに瑞祥ずいしょうとされる。 ❷すぐれた人物のたとえ。 ❸りっぱな顔だち。

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

後漢書ごかんじょ厳光げんこう伝より

曹操の招きを拒否して罪に問われた司馬懿の処遇を巡り、罰するべきではないとする孔融が、後漢初期の隠者・厳光厳子陵)が学友である光武帝の招きを拒否して寝ていた逸話を引く。台詞原文では「耳を洗った」伝説上の隠者・許由きょゆうの名と並べられているが、字幕では具体例は省かれている。

许由洗耳以避尧
严光高卧以辞光武
两位贤君皆未怪罪
古人云
士故有志
何至相迫

盛世尚且有隠士
为何我朝就要杀辞征之人
记入史书
岂不贻笑千载

皇帝の招きに応じなかった
古の賢者は罰せられませんでした
もとより志有るに
何ぞ相迫るに至れるや”

出仕せぬ者を殺したと
史書に書かれれば
末代までの
笑い物となりますぞ

[……]車駕卽日幸其館、光臥不起、帝卽其臥所、撫光腹曰、咄咄、子陵、不可相助爲理邪。光又眠不應、良久、乃張目熟視曰、昔唐堯著德、巢父洗耳。士故有志。何至相迫乎。帝曰、子陵、我竟不能下汝邪。於是升輿、歎息而去。[……]

[……]天子は即日にその館に出向いたが、巖光は寝たまま起きない。光武帝はその寝所に行き、巖光の腹を撫でながら、「おいおい、子陵よ、(朕を)助けて政治を行ってくれまいか」と言った。巖光はそのまま眠って答えなかったが、しばらくして、ようやく(起きると)目を見張って熟視し、「むかし唐堯は徳を現しましたが、巢父は(堯から禅譲の話を聞いて)耳を洗いました。士にはもとより志があります。どうして(そのようなことを)迫るのですか」と言った。光武帝は、「子陵よ、わたしはついにそなたを降参させることができぬのか」と言った。かくて輿に乗り、歎息して去った。[……]

渡邉義浩主編『全譯後漢書 第十八册 列傳(八)』(汲古書院、2016年) 逸民列傳第七十三 pp.258-262

【洗耳】センジ|みみをあらう ①汚れた話を聞いたため耳を洗い清める。〈孟・尽心上・注〉 ㊟帝尭ギョウが天下を許由キョユウに譲ろうとしたとき、許由が不快に思い潁川エイセンの水で耳を洗った故事から。

『全訳 漢辞海(第三版)』(三省堂、2011年)

国語こくご越語えつご下篇より

評定の場にやってきた唐瑛が群臣を諭す。第2話第10話にも登場した表現。(詳細は第2話参照)

古言 君辱臣死
可我大汉
连天子横死的惨剧
都经历了
不知衮衮诸公们
是否惊心
是否汗颜

“君辱めらるれば 臣死す”
だが漢では
皇帝が非業の死を遂げました
臣下として
恥ずかしいと思わないのですか

【君辱臣死】きみはずかしめ(はづかしめ)らるればしんしす
主君が他からはずかしめを受けることがあれば、その臣は命をなげ出して、そのはじをはらす。〔越語〕君憂ヘバ臣労、君辱メラルレバ臣死

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

劉弁りゅうべん悲歌ひか」(『後漢書ごかんじょ皇后紀より)

唐瑛が夫であった弘農王劉弁少帝)の最期を語る。毒死を迫られた弘農王が、妻の唐姫(ドラマの唐瑛にあたる人物だが歴史上の名は不明)に歌った詩として後漢書に記されている。

弘农王临终之前
曾对我歌曰
天道易兮我何艰
弃万乘兮退守藩
逆臣见迫兮命不延
逝将去汝兮适幽玄

弘農こうのう王は亡くなる前
こう歌いました
“天道はやすきも
我は何ぞくるしき”
万乗ばんじょう
退きてはんを守る”
“逆臣に迫られ 命は延びず”
ここまさなんじを去り
幽玄にかんとす”

[……]卓乃置弘農王於閣上、使郎中令李儒進酖曰、服此藥、可以辟惡。王曰、我無疾、是欲殺我耳。不肯飲。強飲之。不得(巳)〔已〕、乃與妻唐姬及宮人飲讌別。酒行、王悲歌曰、天道易兮我何艱。棄萬乘兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延、逝將去汝兮適幽玄。[……]

[……]董卓は弘農王を閣上に置き、郎中令ろうちゅうれい李儒りじゅに酖毒を進めさせ、「この薬を飲めば、凶事を避けることができます」といった。弘農王は、「私は病気ではない、私を殺そうとしているだけだろう」といい、飲もうとしなかった。(李儒は)強引にこれを飲まそうとした。(弘農王は)やむをえず、妻の唐姫とうきおよび宮人と惜別の宴を開くことにした。酒が行き渡ると、王は悲歌し、「天道(に従うこと)は簡単であるというが我にはどうしてこんなにくるしいのであろう。萬乘(の天子の地位まで)を棄てて藩王の身分に退いた。(それなのに)逆臣に迫られて命を永らえることはできぬ。ここに汝(唐姫)から去って幽冥の世界に逝こう」と。[……]

渡邉義浩主編『全譯後漢書 第二册 本紀(二)』(汲古書院、2004年) 后紀第十下 靈思何皇后 pp.458-464

第43話

老子ろうし微明びめい篇より

曹操に丞相の位を与えることに反対する伏完らに、劉平が「将欲取之,必先予之」だと反論する。多少字句の違いはあるが『老子』に基づく表現で、第40話に登場した「国之利器,不可以示人」の前段にあたる。日本語字幕では意訳されている。

将欲取之
必先予之

朕当然要救司马懿
但如今给他丞相之位
却未必是多么糟糕的选择
与其让他来争来抢
不如朕成全他
来换取他的让步

こちらの願いを聞かせるためだ
ちん司馬懿しばいを救う
丞相の座を与えるのは
悪い考えではない
力ずくで奪われる前に
こちらから与えて
譲歩を引き出す

将欲之、必固与まさニこれヲうばハントほっスレバ、かならズもとヨリこれヲあたフ
これを奪おうと思うのなら、しばらく与えてやらねばならない〈老・三六〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固强之。將欲廢之、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛强。[……]

これちじめんと將欲しゃうよくせば、かならしばらくこれる。これよわめんと將欲しゃうよくせば、かならしばらくこれつよくす。これはいせんと將欲しゃうよくせば、かならしばらくこれおこす。これうばはんと將欲しゃうよくせば、かならしばらくこれあたふ。これ微明びめいふ。柔弱じうじゃく剛强がうきゃうつ。[……]

通釈 道は万物を縮めようとする時には、必ずその前にしばらくこれを膨張させる。これを弱めようとする時には、必ずその前にしばらくこれを強める。これを廃れさせようとする時には、必ずその前にしばらくこれを興す。これを奪おうとする時には、必ずその前にしばらくこれに与える。こういうやり方は実に微妙でしかもその効果が著明であるので、これを微明という。こういう微妙な道理が働くから、一見負けそうに見える柔弱なものが、一見勝ちそうに見える剛強なものに勝つのである。[……]

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 微明第三十六 pp.68-69

尚書大伝しょうしょたいでん』より(?)

曹操とともに天下を治めようと語る劉平に、荀彧が感銘を受ける。

陛下圣德
昭昭如日月
离离如列星

为臣洞开迷雾
臣虽死犹感圣恩

陛下は誠に すばらしいお方で
いらっしゃる
今 目が覚めました
私は死んでも
陛下のご恩を忘れませぬ

《尚書大傳》曰:子夏讀書畢,見夫子,夫子問之,何為於書。子夏曰:書之論事,昭昭如日月之代明,離離如參辰之錯行,商所受於夫子者,志之於心,不敢忘也。

中國哲學書電子化計劃 > 藝文類聚 > 卷五十五 > 雜文部一 > 讀書

曹丕そうひ令詩れいし」より

幼い頃から戦場を見てきた境遇を司馬懿に語る曹丕。直接の引用では無いが、曹丕作の詩の表現が使われている。

看遍丧乱悠悠
白骨纵横
哀哀下民奔走靡恃

戦乱の中
屍が野ざらしとなり
民が逃げ惑う姿を見た

喪乱悠悠過紀、
白骨従横萬里、
哀哀下民靡恃、

吾将佐時整理、
復子明辟致仕。

喪乱 悠悠はるけくも紀を過ぎ
白骨 従横に萬里に横たわる
哀哀いたましくも下民 たの

吾 まさに 時をたすけてととのおさ
子に明辟をえして致仕せん

伊藤正文「曹丕詩補注稿(詩・闕文・補遺)」(『論集:神戸大学教養部紀要』25、1980年、p.104)

曹丕そうひ大牆上蒿行だいしょうじょうこうこう」より

上記の続きで、父の曹操曹植のことしか見ていない、と語る曹丕が詠む。全文は第6話参照。

四时舎我驱驰
今我隠约欲何为
人生居天壤间
忽如飞鸟栖枯枝
我今隠约欲何为

四時 我をて駆馳す
今 我 隠約し
何をさんと欲す
人の生まれて
天壌の間に居る
たちま飛鳥ひちょう枯枝こしむがごと
今 我 隠約し
何かを為さんと欲す

陽春無不長成、
草木羣類随。
大風起、
零落若何翩翩、
中心独立一何煢。
四時舎我駆馳、
今我隠約欲何為。
人生居天地間、
忽如飛鳥棲枯枝。
我今隠約欲何為。

[……]

陽春 長成せざる無く
草木 羣類 したご
大風 起れば
零落するや 若何いかんせん 翩翩たり
中心 独立し いつに何んぞ煢たり
四時 我をきてけり
今 我 隠約して何をか為さんと欲す
人 生まれて天地の間にること
あわただしきこと飛鳥の枯枝に棲もうがごと
我 今 隠約して何をか為さんと欲す

[……]

伊藤正文「曹丕詩補注稿(楽府)」(『論集:神戸大学教養部紀要』23、1979年、p.74)

第44話

詩経しきょう国風こくふう鄭風ていふうゆう蔓草まんそう」より

曹操らが戦(赤壁の戦い)で不在の間、唐瑛と束の間の自由を楽しむ司馬懿が語る。

有美一人 婉如清扬
邂逅相遇 与子偕臧

美しき一人有り
婉如えんじょたる清揚せいよう
邂逅かいこうしてあい
ともからん

野有蔓草 零露漙兮
有美一人 清揚婉兮
邂逅相遇 適我願兮

野有蔓草 零露瀼瀼
有美一人 婉如清揚
邂逅相遇 與子偕臧

蔓草まんさうり 零露れいろ たんたり
うつくしき一人ひとりり 清揚せいやう ゑんたり
邂逅かいこうしてあひへり ねがかなへり

蔓草まんさうり 零露れいろ 瀼瀼じゃうじゃうたり
うつくしき一人ひとりり 婉如ゑんじょたる清揚せいやう
邂逅かいこうしてあひへり ともからん

通釈 郊外の原野の蔓草つるくさに、露は降り玉をなす。美しい人がひとり、目もとすずやかに美しい。ここに出会うことができ、私の願いは叶えられた。
 郊外の原野の蔓草つるくさに、露はたっぷりと降りた。美しい人がひとり、すずしい目もと。ここに出会うことができた。あなたとともに楽しみましょう。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 鄭風・野有蔓草 pp.242-244

曹植そうしょく怨歌行えんかこう」より(?)

上記の続き。曹植の詩の最後のフレーズ。原文の台詞は「明日〜」だが、日本語字幕では元の詩と同じ「別後〜」とされている。ただし本ドラマの設定上、司馬懿曹植の詩を引くのはやや不自然なため、他の出典があるかもしれない。

今日乐且乐
明日莫相忘

“今日 楽しみて相楽しみ
 別後 相忘るるかれ”

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[……]
爲君既不易
爲臣良獨難
忠信事不顯
乃有見疑患
周公佐成王
金縢功不刊
推心輔王室
二叔反流言
待罪居東國
泣涕常流連
皇靈大動變
震雷風且寒
拔樹偃秋稼
天威不可干
素服開金縢
感悟求其端
公旦事既顯
成王乃哀歎
吾欲竟此曲
此曲悲且長
今日樂相樂
別後莫相忘

[……]
きみるはすでやすからず
しんるはまことひとかた
忠信ちゅうしん こと あらわれずんば
すなわちうたがわるるのうれ
周公しゅうこう 成王せいおうたす
金縢きんとう こう かんせられず
こころして王室おうしつたすくるに
二叔にしゅく かえって流言りゅうげん
つみちて東国とうごく
泣涕きゅうていしてつね流連りゅうれん
皇霊こうれい おおいに動変どうへん
震雷しんらい かぜふきてさむ
き 秋稼しゅうか
天威てんい おかからず
素服そふくきて金縢きんとうひら
感悟かんごしてたんもと
公旦こうたん こと すであらわれて
成王せいおう すなわち哀嘆あいたん
きょくえんとほっするも
きょく かなしくてなが
今日こんにち たのしみてたのしみ
別後べつご わするることかれ

[……]
 君主たることは、もとよりたやすくはないが、臣下たることも、まことにむつかしいものである。
 忠誠の事実がまだはっきりしないうちは、疑惑をもたれはしないかとの心配がおこる。たとえば、周公は成王を輔佐し、「金縢」に収めた功績はもともと永遠のものであったのだ。しかし、彼は誠心誠意王室を輔佐したのに、管蔡のためかえってデマをとばされ、罪のさばきを東国に待ち、常に涙を流す身となった。折しも、天は大変異を下した。雷はとどろき、風は吹きつけ、その上寒さがおそう。樹は根より抜け、秋のみのりはふし倒れた。やはりそのときの天の怒りは、犯すべからざるものがあった。成王は大臣たちと、礼服をきて、金縢(金属製の封緘)を開く、彼らは彼らは天意にさとるところがあって、その来源をたしかめんとしたのである。かくて、周公の忠誠の事実は明らかとなり、成王はそこにおいて、哀痛嘆息されたのである。
 私はこの曲を歌いおえようと思うが、この曲は悲しくもまたつきぬものがある。今日はたがいに楽しくすごしているが、別れたのちも忘れないようしてほしい。

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伊藤正文注『中國詩人選集 第三巻 曹植』(岩波書店、1958年) pp.171-175

古詩こし十九首じゅうきゅうしゅ・第十八首より

曹植崔氏の結婚祝いに帯を贈る伏寿の言葉。遠行の夫からの贈り物を受け取った妻の想いを詠んだ、作者不明の古詩。

古诗云
文采双鸳鸯 裁为合欢被
著以长相思 缘以结不解

“文彩はそう鴛鴦えんおう
 裁ちて合歓の被とす”
ちゃくするに長相思をもってし
 縁するに結不解けつふかいを以てす”

客從遠方來 遺我一端綺
相去萬餘里 故人心尙爾
文綵雙鴛鴦 裁爲合歡被
著以長相思 緣以結不解

以膠投漆中 誰能別離此

かく遠方ゑんぱうよりきたり、われ一端いったんおくる。
あひること萬餘里ばんよりなるも、故人こじんこころしかり。
文綵ぶんさい雙鴛鴦さうゑんあうちて合歡がふくゎんす。
ちょするに長相思ちゃうさうしもってし、えんするに結不解けつふかいもってす。

にかはもっ漆中しっちゅうとうぜば、たれこれ別離べつりせん。

通釈 遠方から訪ねて来た客が私に一反のあやぎぬを置いて行った。それは夫から届けられたもの、万里以上も隔たっているのに、あの人の親切心はまだ昔のままで、かわらなかった。このきれ地の織り模様はつがい鴛鴦おしどりである。これをば仕立てて共寝の夜着を作り、中には「長相思」の綿をつめて、いつまでも思う心をこめ、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで離れない意をもたせましょう。にかわを漆の中に入れたら、密着して、誰でも引き離すことはできぬでしょう。私どもの夫婦仲も、それと同じで、早く帰ってほしいもの。

(語釈より)
著 中に綿をつめること。
長相思 綿の縁語。綿綿と続く意をとる。
結不解 糸をかがって、ほどけぬようにすること。

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 雑詩上(古詩十九首) p.572

詩経しきょう国風こくふう豳風ひんぷう七月しちがつ」より

曹植の結婚式の席にて、曹節の悩みを聞こうとする劉平の言葉。 ※第7話にも登場した「七月」の一節。下記の引用では(例によって)祭祀の歌として訳されている。

少女清愁
自古皆有
诗云
女心伤悲
殆及公子同归

乙女の愁いを詠んだ詩がある
女心じょしん 傷悲しょうひ
 ねがわくは公子とともかん”

[……]
七月流火 九月授衣
春日載陽 有鳴倉庚
女執懿筐 遵彼微行
爰求柔桑
春日遲遲 采蘩祁祁
女心傷悲 殆及公子同歸
[……]

[……]
七月しちぐゎつながるる 九月くぐゎつさづ
春日しゅんじつすなはあたたかく ここ倉庚さうかう
ぢょふかかごり 微行びかうひて
ここ柔桑じうさうもと
春日しゅんじつ遲遲ちちたり はんること祁祁ききたり
女心ぢょしん 傷悲しゃうひす ねがはくは公子こうしともかん
[……]

[……]
七月には移ろうなかご星、九月には冬着を授ける。春の日はあたたかに、鳴き交うはこうらいうぐいす。乙女は深きかごを取り、小さき道に沿うて行き、柔らかき桑の葉を摘む。春日の長きことゆるゆると、摘み摘むはしろよもぎ。(巫たる)乙女の心は悲しみに暮れるばかり、できるなら公子(祖霊のかたしろ)とともにいつまでも。
[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 國風・豳風・七月 p.120

第45話

詩経しきょう大序たいじょより

皇帝と皇后の関係が気になっている曹節が、母の卞夫人に尋ねる。第26話にも登場した表現。(詳細は第26話参照)

(曹节)

诗中说
发乎情 止乎于礼
是什么意思

(卞夫人)
这句话的意思是啊 就是说
如果两个人有情
却超乎了礼法的范围
那就应当停下来
不可逾矩
你怎么问这个呀

(曹節)
母上
“情に発して礼に止まる”
いうのは
どういう意味?

(卞夫人)
その言葉の意味はこうです
男女の間に情が生まれても
礼法に かなわないなら
その気持ちは諦めるべきである
なぜそんなことを?

史記しき予譲よじょう伝より

新婚の崔氏崔琰の姪、曹植の妻)の髪飾りが質素なのを見た伏寿が、自分の簪を贈る。第33話にも登場した表現。詳細は33話参照。

女为悦己者容
此时还是该打扮得漂亮些

“女は己をよろこぶ者の為にかたちづくる”
もっと着飾りなさい

余談だが、『三国志』魏書崔琰伝の注に引く『世語』によれば、歴史上の崔氏は刺繍のある衣服を着ているところを曹操に見られ、華美な衣服を禁ずる規則に違反しているとして死を賜った。このエピソードに鑑みると、どこか不吉な印象を受けるシーンである。

礼記らいき曲礼きょくらい篇より

司馬懿を拷問しようとする満寵を止める劉平

自古刑不上大夫
更何况此案无凭无据
岂可滥用酷刑
拷掠大臣

“刑は大夫たいふに上らず”という
まして証しがないのに
みだりに拷問を加え
痛めつけてもいいのか

禮不下庶人、刑不上大夫。

れい庶人しょじんくだらず。けい大夫たいふのぼらず。

通釈 礼法はこれを庶人に要求せず、刑罰はこれを大夫に課せない。

語釈 礼法は士大夫のために設けたもの、刑罰は士と庶民を律するもの。大夫の罪は特別に扱う。

竹内照夫『新釈漢文大系 第27巻 礼記(上)』(明治書院、1971年) 曲礼上第一 p.45

曹植そうしょく七啓しちけい」より

皇帝の素性を巡って曹操と意見を異にし、激怒された曹植が、部屋で一人悲嘆しながら詠んでいる。

望云际兮有好仇
天路长兮往无由
佩兰蕙兮为谁修
宴婉绝兮我心愁

雲際うんさいを望めば 好仇こうきゅう有り
天路は長く 往くよし無し
蘭蕙らんけいが為にかざらん
宴婉えんえん絶え 我が心は愁う

第五段 次に、鏡機子は、豪壮な宮殿、華麗な楼閣、鳥魚の遊ぶ花草緑樹の美しい庭園など、宮殿の美を述べて玄微子を誘うが、彼はかたくなに拒み、自分は巌穴に棲むことを楽しむと言う。

[……]諷漢廣之所詠、覿游女於水濱。燿神景於中沚、被輕縠之纖羅、遺芳烈而靖步、抗皓手而淸歌。歌曰、望雲際兮有好仇。天路長兮往無由。佩蘭蕙兮爲誰脩。宴婉絕兮我心愁。此宮館之妙也。子能從我而居之乎。玄微子曰、予耽巖穴。未暇此居也。

[……]「漢広」に歌われているところを諷論し、漢水の女神を水のほとりに見ます。神々しい光を渚に輝かし、縮みの薄絹をまとって高い香りを残しながら静かに歩き、白い腕を挙げて清らかに歌います。その歌は、『遥かなる雲の果てを望めば、き人がいる。天への路は長く遠くて行こうにもそのすべはない。香り高い蘭や蕙をびていったい誰のために飾ろうとするのか。優しく美しい人と離れて、私の心は愁い悲しむ』とうたいます。これは宮殿の最も素晴らしいものです。あなたは私と一緒にこのような宮殿にいたいと思いませんか」と。玄微子は言った、「私は巌穴の生活をこよなく楽しんでいます。まだこのような宮殿に住まう暇などはありません」と。

竹田晃『新釈漢文大系 第82巻 文選(文章篇)上』(明治書院、1994年) 曹植「七啓」より pp.147-149

公開:2019.12.30 更新:2022.03.25

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