ドラマ「三国機密」に登場する古典 ⑤ 21〜25話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

第21話

史記しき袁盎えんおう伝より

怪我をして泣きわめく審栄を諭す過保護な審配第18話でも登場した表現だが、この親子だと途端にコミカルに……。余談だが、歴史上の審栄は息子ではなく甥である。

你说你呀
为什么不等为父回来
你再行动呢
千金之子 坐不垂堂
你是何等身份呀

なぜ私が帰るのを待たず
動いたのだ
危ないことはするな
自分の身分を考えよ

【千金之子坐不堂】センキンのこはザするにドウにスイせず
金持ちの家の子は、すわるときでも転落を心配して堂の端にはすわらない。高位にあり大望を抱いている人物は、つまらない危険に身をさらすことはしない。〈史・袁盎伝〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

第22話

史記しき李斯りし伝より

鄴の学生たちに演説する柳毅秦王(後の始皇帝)が「逐客の令」(他国出身の臣を追放する令)を制定しようとした際、楚出身の李斯が諫言した際の言葉。

非秦者去
为客者逐
然则是所重者在乎色乐珠玉
而所轻者在乎人民也

李斯所言
声犹在耳
然而秦皇能够纳谏
四百年后却还有人
想要重蹈覆辙

しんあらざる者を去り
る者をふ”
しからばすなわれ重んずる所は
色楽珠玉に在り
“軽んずる所は
人民に在るなり”

李斯りしはこのように諫言かんげん
受け入れられた
400年のちにも
同じてつを踏むのか

秦王は李斯に客卿の位を授けた。ちょうどそのころ、韓の鄭国という者が来て、秦を撹乱するために、灌漑工事をおこなった。この事件が発覚すると、秦の王族出身の大臣たちは皆秦王に進言した、「諸国の人々で来り仕える者は、大抵元の主君のためにわが秦に遊説して、国内を攪乱しようとしているだけでございます。なにとぞ、ことごとく客を追放されんことを」と。李斯も評議されて追放者の中に加えられてあった。李斯はそこで、秦王に次のような上書を奉った。「承りますれば、当局におかれては、客の追放を論議の由。私見によればその議は誤りかと存じます。[……]鄭・衛・桑間の耽美退廃の音曲や、昭・虞・武・象の典雅な音楽はいずれも異国のものです。しかも当節は、甕を打ち、ほとぎを叩くのをやめて鄭・衛の楽を用い、箏を弾くのを退けて昭・虞の楽を取り入れております。これは何ゆえでございましょうか。当座こころよく、かつ耳目を楽しませてくれるからに過ぎません。ところが今、人材の取りたて方はそれと異なっております。能力の有無を間わず、人物の曲直を論ぜず、秦人でない者は去らしめ、客は放逐しようとしておられます。これでは秦国の重んずるのは、女色・音楽・宝玉であり、軽んずるのは、人材ということになります。これは天下に威を振るい、諸侯を制圧する道ではございません。[……]そもそも秦には産しなくとも宝とすべきものは数多くあります。秦に生まれなくとも、この国に忠節を尽くさんとする士は大勢おります。今、客を追放して敵国を助け、民を損なってかたきを利し、内はみずから弱めておきながら、外では怨みの種を諸侯に植えつけておいて、それで国の無事を願っても無理というものでございます」と。秦王はそこで「逐客の令」を撤回し、李斯の官職をもとに戻した。[……]

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』(明治書院、1993年) 李斯列伝第二十七 pp.450-519

第23話

論語ろんご衛霊公えいれいこう篇より

袁紹に仕えている崔琰をそそのかす司馬懿。日本語字幕では省略されているが、「夫子ふうしいわく……」として引いている。(「夫子」は孔子の尊称)

晚生明白崔公的身不由己
不过 夫子云
邦有道 则仕
邦无道 则可卷而怀之

这世上不仅仅只有一条路
况且
崔公您矫矫不群
又何必非要出仕
这个骑都尉呢

私もさい様の立場は
承知しています
国が正しければ心から仕え
そうでなければ
志を秘めて退くものです

道は1つではありませぬ
さい様ほどの方が
なぜ騎都尉などに
納まっているのですか

子曰、直哉史魚、邦有道如矢、道無道如矢、君子哉蘧伯玉、邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之

子の曰わく、直なるかな史魚しぎょくにに道あるにも矢の如く、邦に道なきにも矢の如し。君子なるかな蘧伯玉きょはくぎょく邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きてこれをふところにすべし。*
* 巻きて懐にす——後藤点では「おさめてかくす」。

先生がいわれた、「まっ直ぐだな、史魚しぎょ*は。国家に道のあるときも矢のようだし、国家に道のないときにも矢のようだ。君子だな、蘧伯玉きょはくぎょく*は。国家に道のあるときには仕え〔て才能をあらわすが〕、国家に道のないときにはくるんで隠しておける。
*史魚——えいの大夫、史鰌ししゅう。子魚はあざ名。 *蘧伯玉——史魚に推薦された衛の大夫。

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 衛霊公第十五 pp.307-308

曹操そうそう蒿里行こうりこう」より

曹操の詩。荒れ果てた無人の村を見て劉平が語る。

这里是战乱频发之地
百姓或死或逃
千里无鸡鸣
原来是这个样子

戦乱の中 民は死んだり
逃げたりしたのでしょう
まさに
“千里 鶏鳴く無し”ですね

続く場面では、戦乱の世の民の苦しみを思う劉平が「断腸」の思いだ、と表現したのに応じるように曹丕が吟じる。

白骨露于野
千里无鸡鸣
生民百遗一
念之断人肠

白骨 野にさら
千里 雞鳴無し
生民 百に一をのこ
これおもえば人の腸を断たしむ

關東有義士 興兵討羣凶
初期會孟津 乃心在咸陽
軍合力不齊 躊躇而雁行
勢利使人爭 嗣還自相戕
淮南弟稱號 刻璽於北方
鎧甲生蟣蝨 萬姓以死亡
白骨露於野 千里無雞鳴
生民百遺一 念之絕人腸

関東の正義に燃える丈夫ますらお
悪人どもの討伐に出陣した
初めのうちこそ 孟津もうしんの会盟にならい
王室に忠誠を尽し 逆賊を亡ぼそうと誓ったものの
敵を見て気おくれし 軍勢は整うも力を合わさず
飛雁の陣形のまま 誰も進もうとはせぬ
権力と利害は うちわもめを招き
やがて たがいに攻防をくりかえす
淮南わいなんで 弟が帝号を僭称すれば
北方で 兄が玉璽ぎょくじを彫刻する

よろいしらみがわくほどに いくさは果てしなく
人々は 兵乱のうち死亡する
白骨は 曠野に捨ておかれ
千里を行くも 鶏の鳴き声を聞かぬ
人民は百人のうち九十九人が 死に絶えた
これを思えば わがはらわたは絶ち切れんばかり

伊藤正文『中国古典文学大系 第16巻 漢・魏・六朝詩集』(平凡社、1972年) 曹操・蒿里のうた pp.101-102、413

成公綏せいこうすい「正旦大会行礼歌」(?)

審栄と酒を酌み交わす司馬懿の言葉。下記の詩に似た表現があるが、成公綏は西晋時代の人物であり、特に関係はなく一般的な表現かもしれない。

置酒中堂上
嘉宾充我庭

中堂に酒を置き
嘉賓 庭に

穆穆天子,光臨萬國。多士盈朝,莫匪俊德。流化罔極,王猷允塞。嘉會置酒,嘉賓充庭。羽旄曜宸極,鐘鼓振泰淸。百辟朝三朝,彧彧明儀形。濟濟鏘鏘,金聲玉振。
[……]

正旦大會行禮歌 成公綏  房玄齡等撰《晉書 三 志》(中華書局,1974年) 楽志 上 p.685

詩経しきょう小雅しょうが采薇さいび」より

官渡への道中、賈詡と宮を出た皇帝について語る郭嘉第5話張宇が引用していた詩の続きにあたる。

行道迟迟
载渴载饥

出门在外
日子可不好过啊

“道を行くこと遲遲ちちたり
 すなはち渇き載ちう”

宮中から出て
毎日 大変であろうな

[……]
昔我往矣 楊柳依依
今我來思 雨雪霏霏
行道遲遲 載渴載飢
我心傷悲 莫知我哀

[……]
むかしわれきしとき 楊柳やうりう 依依いいたり
いまわれきたれば ゆきること霏霏ひひたり
みちくこと遲遲ちちたり すなはかはすなは
こころ 傷悲しゃうひするも かなしみを

[……]以前ここへ来たときは、やなぎの葉茂る季節であった。再びここを通る今、雪の舞い降る季節となってしまった。歩みは遅くてはかどらず、その苦しみは渇きかつ飢えるが如し。私の心は痛みむすぼれるが、この哀しみを知る者もなし。

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 小雅・采薇 pp.194-195

老子ろうし』易性篇/徧用篇より

賈詡が眠ってしまった後の、郭嘉の独り言。日本語字幕では意訳され繋がらないが、賈詡が弱冠にして漢室を守ろうとする皇帝について「意志が強くなければ(原文「心志坚逾钢铁」、鋼よりも強い意志を持つ)そのようなことはできぬはず」と言ったのを受けていると思われる。

至坚唯钢
上善若水

我倒也想看看
被你贾文和选中的天子
到底能做出什么
惊天动地的大事来

“至堅はだ鋼のみ
 上善 水のごとし”

私も見てみたい
この賈文和かぶんわが選んだ皇帝が
どんな驚天動地なことを
成すのかを

〔老子、八〕上善若(ジョウゼンはみず(づ)のごとし)最上の善というものは、水のような(低きにおり、万物に恵みを施し、その功を誇らない)ものである。

『新漢語林(第二版)』(大修館書店、2011年)

上善若水。水善利萬物而不爭。處衆人之所惡。故幾於道。[……]

上善じゃうぜんみづごとし。みづ萬物ばんぶつしてあらそはず。衆人しゅうじんにくところる。ゆえみちちかし。[……]

通釈 最上の善は、譬えて見ると、水のようなものである。水は万物に利益を与えていながら、円い器に入れば円くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して他と争わない。そして多くの人々のいやがる低い位置に身を置く。だから、水こそ道に近い存在と言える。[……]

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 易性第八 pp.23-24

天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無閒。吾是以知無爲之有益。不言之敎、無爲之益、天下希及之。

通釈 水は天下で最も柔らかいものでありながら、天下で最も堅い金石を支配している。そしてそれは定形がなく、隙間のない所まで入りこんで(万物をうるおして)いる。」私は(こういう水の姿から、)無為ということが有益であることを知る。無言の教訓の効果と、無為の働きの利益、この両者には、天下に及ぶものがない。

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 徧用第四十三 p.80

第24話

論語ろんご八佾はちいつ篇より

鄴の学生たちの前で袁家の権勢を語る審栄劉平反論する。「八佾」とは八人八列で踊る舞で、天子の儀式で行われる。無知な審栄には意味が理解できず、学生の一人が解説してくれる。

那我倒是想请教
孔子谓季氏
八佾舞于庭
是可忍也
孰不可忍也

是谓何意啊

ご存じでしょうか
孔子こうし 氏を
 八佾はちいつ 庭に舞わしむ”
これを忍ぶくんば
 いずれをか忍ぶからざらん”

孔子謂季氏、八佾舞於庭、是可也、孰不可也、

孔子、季氏きしのたまわく、八佾はちいつていに舞わす、れをも忍ぶべくんば、いずれをか忍ぶべからざらん。

孔子が季氏きしのことをこういわれた、「八列の舞をそのおたまやの庭で舞わせている。その非礼までも〔とがめずに〕しんぼうできるなら、どんなことだってしんぼうできよう。(わたしにはがまんができない。)」

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 八佾第三 p.51

孟子もうし梁恵王章句りょうけいおうしょうく下篇より

鄴の市で野菜を買った後の会話。斉の宣王孟子に言った言葉を引き、金を惜しんだという冗談で答える劉平。「寡人」は諸侯の一人称(寡徳の人という意味の謙称)。

(伏寿)
皇帝亲自砍价
还真是大开眼界

(刘平)
寡人有疾 寡人好货

(伏寿)
皇帝自ら値切るとは驚きです
 

(劉平)
もったいないですから

[……]王曰、王政可得聞與、[……]王曰、善哉言乎、曰、王如善之、則何為不行、王曰、寡人有疾、寡人好貨[……]

[……]王曰く、王政聞くことをべきか。[……]王曰く、いかな言や。曰く、王し之をしとせば、則ち何為なんすれぞ行なわざる。王曰く、寡人かじんやまい有り、寡人たからを好む。[……]

[……]王がいわれた。「王者の政治とはどんなものか、ひとつ話をしてもらえまいか。」[……]王がいわれた。「なるほど、まことに結構けっこうなよいお話である。」孟子はすかさずいわれた。「王様、さようおぼしめすなら、どうしてさっそくご実行にはならんのですか。」王がいわれた。「行ないたいのは山々だが、どうもわしには悪いくせがあって、財貨たからが大好きなのだ。王者の政治〔などという立派なこと〕はちとむずかしかろうよ。」[……]

小林勝人訳注『孟子(上)』(岩波文庫、1968年) 梁恵王章句下 pp.81-86

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん公九年より

鄴で再会した司馬懿の馴れ馴れしい態度を咎めかける伏寿第5話にも登場した表現。(詳細は第5話参照)

天威不违颜咫尺
算了
此处人杂
以后这些称呼能让免就免吧

陛下の御前ですよ
もういいわ
でも 呼び方には気をつけて

第25話

孟子もうし尽心章句じんしんしょうく上篇より

司馬懿を仲間だとは知らない学生たちと劉平のやりとり。中国語の成語に「君子不立危墙之下」(直訳:君子は高い塀の下には立たない)があり、字幕のとおり「君子危うきに近寄らず」と同様の意味。多少表現は違うが、『孟子』由来の言葉か。

これを受けて、次の場面では劉毅が「りゅう殿はぎょうを危ういと思っているのですか」(劉兄は鄴城が「危牆」であると?)と返している。

(刘毅)
刘兄你这样的人
怎么也畏惧不言啊
难不成
被那个司马懿给整怕了

(刘平)
这种趋炎附势之徒
岂能让我畏惧
只不过是君子不立危墙罢了

(劉毅)
りゅう殿ほどの方が
何を恐れるのです
まさか司馬懿しばい
恐れているのですか

(劉平)
腰巾着こしぎんちゃくなど怖くありませぬが
“君子 危うきに近寄らず”です

孟子曰、莫非命也、順受其正、是故知命者、不立乎巖牆之下、盡其道而死者、正命也、桎梏死者、非正命也、

孟子曰く、〔人の死するは〕めいにあらざることなきも、其のせい〔命〕を順受じゅんじゅすべし。是の故に〔天〕命を知る者は、〔危〕がん〔壊〕しょうもとに立たず。其の道を尽くして死する者は、正命なり。桎梏つみうけて死する者は、正命にあらざるなり。

孟子がいわれた。「〔人間が短命であるか、長寿をまっとうできるかは〕、すべて天命でないものはないが、正しい天命(正当な運命)をすなおに受ける心構こころがまえが必要だ。だから、天命を心得こころえた人は、危なっかしい岩石や崩れかかった石べいの下などには、〔不慮おもわざるの死を招くことがあるから〕決して立たないものだ。人間としてなすべき正しい道に力をくして死ぬのは、〔いわゆる人事をくして天命を待つ〕正しい天命なのだ。罪を犯して手かせ足かせをかけられて獄死するのは、正しい天命ではないのだ。」

小林勝人訳注『孟子(下)』(岩波文庫、1972年) 尽心章句上 pp.320-321

詩経しきょう小雅しょうが鹿鳴之什ろくめいのじゅう天保てんぽう」より

袁夫人の誕生日の宴で挨拶する司馬懿。日本語字幕では省略されているが、長寿を祝う言葉が入っている。

晩生拜见袁夫人
这是晩生为袁夫人
准备的一点薄礼
祝夫人受天之福
如南山之寿

はじめまして
つまらぬ物ですが どうぞ
えん夫人 おめでとうございます

[……]
如月之恒 如日之升
如南山之壽 不騫不崩
如松柏之茂 無不爾或承

[……]
つきゆみづるはるがごとく のぼるがごと
南山なんざんいのちながくして けずくづれざるがごと
松柏しょうはくしげるがごとく なんぢがざるけん

通釈 [……]月が弓張るを繰り返すがごとく、日がのぼるを繰り返すがごとく、南山がいつまでもそびえ立ち、欠けることなく崩れることなきがごとく、松柏が常に葉を茂らせるがごとく、そなたの子孫は絶えることなくとこしえに栄え続けるであろう。

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 小雅・鹿鳴之什・天保 pp.187-189

【南山之寿(壽)】なん(なむ)ざんのじゆ
終南山がくずれないと同じく、事業の長く堅固で続くこと。転じて、長寿を祝うことば。〔詩・小雅・天保〕南山之寿、不

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

公開:2019.12.02 更新:2022.03.04

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