ドラマ「三国機密」に登場する古典 ④ 16〜20話

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

第16話

後漢書ごかんじょ馮異ふうい伝より

楊修郭嘉の腹の探り合い。『後漢書』由来の言葉だが、成語として使われている。日本語字幕では省略されている。

(杨修)
郭祭酒本来打算派入宿卫的
是邓展将军吧
这下
再找这样一个人才
不易呀
太可惜了

(郭嘉)
失之东隅 收之桑榆
邓展不是还没死妈

(楊修)
かく祭酒は鄧展とうてん
宮中の警備にてたかった
改めて人を探すとなれば
大変でしょう
誠に惜しい
 

(郭嘉)
そうとは言えない
鄧展とうてんは まだ生きている

失之东隅,收之桑榆 shī zhī dōng yú,shōu zhī sāng yú

今回の失敗を,別の時に取り返す.
由来 『後漢書』馮異伝に見えることば.“东隅”は東の日の出る所で,早朝を指し,“桑榆”は桑や楡の木に夕日がさすことで,夕方を指す.

『超級クラウン中日辞典』(三省堂、2008年)

詩経しきょう小雅しょうが鹿鳴之什ろくめいのじゅう鹿鳴ろくめい」より

曹節と密かに約束を交わす劉平第7話卞氏の宴席でも登場した、詩経「鹿鳴」より。日本語字幕では意訳されている。因みに、このフレーズは曹操の「短歌行」にも引用される。(「短歌行」については後の第47話にて)

(曹节)
那我今天请客
我请皇帝吃糖果子

(刘平)
我有嘉宾 鼓瑟吹笙

(曹節)
今日のお菓子は おごりです
 

(劉平)
朕は宴席を設けよう

詩経しきょう邶風はいふう撃鼓げきこ」より

劉平伏寿に語る。元の台詞では「昔の人は『執子之手』と言う」というだけだが、日本語字幕では続くフレーズが補われている。一般的に夫婦が仲睦まじく一生を共にする意味で使われるようだが、元の詩からするとやや不吉な印象もある。

古人说的执子之手
 
不仅是承担苦难
也是执手同行前路

なんじの手を執りて
子とともに老いんとす

私は苦難を背負いながら——
共に前を向いて進みたい

擊鼓其鏜 踴躍用兵
土國城漕 我獨南行

從孫子仲 平陳與宋
不我以歸 憂心有忡

爰居爰處 爰喪其馬
于以求之 于林之下

死生契闊 與子成說
執子之手 與子偕老

于嗟闊兮 不我活兮
于嗟洵兮 不我信兮

つことたうと 踴躍ようやくするにへいもち
土國くにさうしろきづき われひとみなみ

孫子仲そんしちゅうしたがひて ちんそうとをたひらぐも
われともかへらず 憂心いうしん ちゅうたり

ここここる ここの馬をうしな
于以いづこにかこれもとむ はやしした

死生契闊しせいけつくゎつ よろこび
りて ともいんとす

于嗟ああ くゎつなり われかさず
于嗟ああ じゅんなり われしんぜしめず

通釈 つ音がドーンとひびき、ほこを手に踊りあがる。邦国おくには漕の地に城を築くとて、私はひとり南に向かう。
 孫隊長に従って、陳と宋とを平らげたのだが、私はおきざりにされてしまった。憂いに心がうちふるえる。
 (おきざりにされた私は)この地に留まり続け、この地で馬までも失った。馬はどこにいるかというと、郊外の原野にねむっているのだ。
 〈妻が唱う〉生きるも死ぬも離れずにいようと、あなたと悦びを成しました。あなたの手をとって、ともに老いようと誓いました。
 だのにああ神よ、何と遠く離れていることか。私はもう生きていられない。ああ神よ、何と久しく別れ別れになっていることか。私はもう信じられない。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 邶風・撃鼓 pp.86-88

詩経しきょう王風おうふう采葛さいかつ」より

密かに温県に報せにきた唐瑛に対面する司馬懿。「一日千秋(一日三秋)」の語源。日本語字幕では意訳されている。

一日不见 如三秋兮

待ち焦がれたぞ

彼采葛兮 一日不見
如三月兮

彼采蕭兮 一日不見
如三秋兮

彼采艾兮 一日不見
如三歳兮

かつらん 一日いちじつはざれば
三月の如し

せうらん 一日いちじつはざれば
三秋の如し

がいらん 一日いちじつはざれば
三歳の如し

通釈 [……]あそこにカワラヨモギを採ってきます(と口実に)。(出かけてみたが彼はいない)一日会えないだけで、まるで秋を三度重ねたように感じます。[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 王風・采葛 pp.200-201

第17話

論語ろんご顔淵がんえん篇より

皇帝のすり替えに気付いた趙彦が漢室を批判する。『論語』に基づく表現か。

来啊 动手吧
今天你杀了我
明日这件事情就会成为童谣
天下皆知
君非君 臣非臣
到时候天下人都会知道
整个汉室是笼罩在
怎么一个谎言之下

さあ 殺せばよい
私を殺せば
明日には皆が知ることになる
“君 君にあら
 臣 臣に非ず”
とな
かん王朝はうそに覆われていると
知れ渡る

【不臣】ふしん ❶臣下としての務めをしない。〔論・顔淵〕君不タラ、臣不タラ

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

齊景公問政於孔子、孔子對曰、君君、臣臣、父父、子子、公曰、善哉、信如君不君、臣不臣、父不父、子不子、雖有粟、吾豈得而諸、

せいの景公、せいを孔子に問う。孔子こたえてのたまわく、君 君たり、臣 臣たり、父 父たり、子 子たり。公のわく、善いかな。まことし君 君たらず、臣 臣たらず、父 父たらず、子 子たらずんば、ぞくありと雖ども、吾れに得てれを食らわんや。

せい景公けいこうが孔子に政治のことをおたずねになった。孔子がお答えしていわれた、「君は君として、臣は臣として、父は父として、子は子として〔それぞれ本分をつくすように〕あることです。」公はいわれた、「善いことだね。本当にもし君が君でなく、臣が臣でなく、父が父でなく、子が子でないようなら、穀物があったところで、わたしはどうしてそれを食べることができようか。*
*景公が君としての本分を守ることを願った孔子の真意が理解できず、自己本位に解釈した。

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 顔淵第十二 pp.234-235

第18話

孟子もうし梁恵王章句りょうけいおうしょうく下篇より

劉平に『孟子』の講義をする荀彧

与民同乐
则王矣

民と楽を同じくせば
すなわち王なり

[……]此無他、與民同樂也、今王與百姓同樂、則王矣、

[……]此れ無し、民とたのしみを同じくすればなり。今、王百姓とたのしみを同じくせば、則ち王たらん。

[……]〔同じことをなさっても〕こんなに違うのは、外でもありません。ただ人民たちといっしょに楽しまれるからなのです。だから王様、〔音楽にもせよ、狩りにもせよ〕もし人民たちといっしょに楽しむようになされたら、〔人民は自然によく懐いて、お国は立派に治まり、〕やがては天下の王者となられることでありましょう。

小林勝人訳注『孟子(上)』(岩波文庫、1968年) 梁恵王章句下 pp.67-71

史記しき袁盎えんおう伝より

自分も官渡の戦場へ行こうという劉平に、荀彧が反対する。日本語字幕では意訳されている。

陛下不可
千金之子 坐不垂堂
沙场兵凶战危
不是天子起居之处啊

なりませぬ
そのような危うきこと
戦場は
陛下が行く所ではありませぬ

【千金之子坐不堂】センキンのこはザするにドウにスイせず
金持ちの家の子は、すわるときでも転落を心配して堂の端にはすわらない。高位にあり大望を抱いている人物は、つまらない危険に身をさらすことはしない。〈史・袁盎伝〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

屈原くつげん離騒りそう」より

私は臣下の本分を忘れている(原文「跋扈」)のでしょうか、と尋ねる荀彧に、答えの代わりに「旣替余以蕙纕兮 又申之以攬茝」と返す劉平。楚の屈原の詩。続く場面にて伏寿が、陛下の真に言わんとするところは後に続く句「亦余心之所善兮 雖九死其猶未悔」なのだろうと指摘する。(原文「陛下言下之意 其实是这后半句吧」日本語字幕では「大志があれば 死んでも後悔せぬということ?」と意訳されている)

既替余以蕙纕兮
又申之以揽茝

亦余心之所善兮
虽九死其尤未悔

余をつるに蕙纕を以てし
かさぬるにるを以てす

た余の心の善しとする所
九死すといえど
いまだ悔いず

[……]

第四段 忠誠心から諫言したが君に見捨てられ、衆人からは妬まれ誹謗される。人生の多艱を哀しみつつも、自分は恥を忍んで潔白の身を守ろうと思う。

長太息以掩涕兮 哀人生之多艱
余雖好脩姱以鞿羈兮 謇朝誶而夕替
旣替余以蕙纕兮 又申之以攬茝
亦余心之所善兮 雖九死其猶未悔

怨靈脩之浩蕩兮 終不察夫人心
衆女嫉余之蛾眉兮 謠諑謂余以善淫
固時俗之工巧兮 偭規矩而改錯
背繩墨以追曲兮 競周容以爲度
忳鬱悒余侘傺兮 吾獨窮困乎此時也
寧溘死以流亡兮 余不忍爲此態也
鷙鳥之不群兮 自前代而固然
何方圓之能周兮 夫孰異道而相安
屈心而抑志兮 忍尤而攘詬
伏淸白以死直兮 固前聖之所厚

[……]

通釈 深いため息をついて涙をぬぐい、人の世の艱難多きを哀しく思う。私は好んでわが身を美しく立派にし清く持して慎んできたが、ああ、朝に君を諌めて、その夕べにはもう追放の憂き目にあったのだ。さきに私を退け捨てるのに、私が香草の蕙を身につけて心を清く持していたのを理由としたが、今はそれに加えて、茝草を手に取って潔く生きようとしているのを更に追放の理由にしたのである。しかしこれこそが私の心の善しとする信条であるから、たとい九たび死ぬ目に遭っても決して悔いはしない。怨むらくはわが君の思慮が乏しく、いつまでも人々の心をお察し下さらぬこと。多くの女たちは私の美貌を嫉んであれこれ悪口を言い、この私を淫乱者だなどと言いふらした。まことに当今世俗の人間の小器用なことよ。ぶんまわしや指し金に背いて位置を正す。墨なわを用いないで曲がり具合いを確かめる。そして競って世俗の意向に迎合することを法度としている。憂いに心むすぼれつつ、しょんぼりと佇み、私ひとりこの時俗の中に苦しんでいる。いっそ忽ちに死んで流れせようとも、私は俗人どものあのような態度をとるに忍びない。鷲や鷹のような猛禽が群れをなして棲まないのは遠い昔から決まったこと。どうして円い穴に四角なほぞが合うものか。そもそも行く道が異なっているのに誰が気安く相れようぞ。ひたすら心を曲げて志を押さえ、追放のとがめを忍んで恥辱を払いのけよう。清潔な志に従って忠直な節義のために殉ずるのは、まことに古の聖人が厚く重んじたところである。

竹田晃『新釈漢文大系 第82巻 文選(文章篇)上』(明治書院、1994年) 屈原・離騷經 pp.9-10

易経えききょう乾為天けんいてんより

一報を受けた郭嘉が、なぜ驚くのかと任紅昌に聞かれて答える。第9話で登場した「潜龍在淵」の次の段階にあたる。

因为飞龙在天
会引得风雷云动

皇帝が動けば
嵐が起きる

【飛竜(龍)】ひりゆう(りう)|ひりよう
❷聖人が天子の位にいるたとえ。〔易・乾〕飛竜在

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

九五、飛龍、在天。利見大人。

九五きうご飛龍ひりゅうてんり。大人たいじんるによろし。

通釈 九五は陽剛中正を以て君位に居り、乾の卦主である。そこで飛龍の天にあるの象を採る。この大人は「在上」のそれである。一般にはこの「在上」の大人を見るによろしく、その位にある者は「在下」(九二)の大人を見るによろしとの占である。

[……]飛龍、在天、大人造也。[……]

[……]飛龍ひりゅうてんり」とは、大人たいじんつなり。[……]

通釈 [……]九五の爻辞に「飛龍、天に在り」とあるのは、大人がって君位に居ることである。[……]

今井宇三郎『新釈漢文大系 第23巻 易経(上)』(明治書院、1987年) 周易上經(1)乾 pp.94-109

第19話

??

司馬懿が寝起きに詠う。詩のようだが不明。「不問人間事」のフレーズは、唐代の詩人・温庭筠おんていいん「贈隠者」に出てくるようだが、関係ないかもしれない。

山中春睡足
不问人间事

山中 春睡足れば
人間じんかんの事を問わず

第20話

荘子そうじ知北遊ちほくゆう篇より

お忍びで郭嘉に連れ出された劉平が語る。日本語字幕では意訳されている。

不是说好今天没有陛下的吗
我也很久没有这么自在了
我倒愿意这样慢慢地走
生怕白驹过隙
好景易逝啊

今日は“陛下”ではない
こんな自由は久しぶりだ
のんびり歩きたい
人の命は短く
景色も変わるからな

【白駒過隙】はつ(はく)くげきをすぐ

時間または人生の過ぎ去ることのきわめて速いたとえ。白い馬が物のすきまの向こうをあっというまに過ぎる意。一説に、白駒は、日景(日の光)の意ともいう。〔荘・知北遊〕

人生天地之閒、若白駒之過郤、忽然而已。注然勃然、莫不出焉、油然漻然、莫不入焉。已化而生、又化而死。生物哀之、人類悲之。[……]

ひと天地てんちあひだまるる、白駒はくくひまぐるがごとく、忽然こつぜんたるのみ。[……]

人がこの天地の間に生きている時間は、あたかも駿馬が物のすき間を走り過ぎるようにごく短く、忽ちのうちに過ぎ去ってしまうものである。物は皆自然の変化に従って生まれ出て、また、変化につれて死に亡び、化して生まれる一方では化して死んでゆくのである。それを生物や人間は悲しむのである。[……]

語釈 白駒 駿馬をいう。一説に日をいうと。 郤 すきま孔のこと。本また「隙」に作る。[……]

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第8巻 荘子(下)』(明治書院、1967年) 知北遊第二十二 p.584

史記しき淮陰わいいん侯伝より

続く場面、郭嘉劉平に語る。「中原に鹿を逐う」の語源。

秦失其鹿
天下共逐之

如今鹿死了
兔子和狐狸
还是跑得满地皆是
不知会成为
哪只猛虎的口中食啊

しん の鹿を失い
 天下 共にこれう”

鹿が死んだら
皆が兎や狐を追いかけている
それを食べるのは誰でしょう

[……]對曰、秦之綱絕而維弛、山東大擾、異姓並起、英俊烏集。秦失其鹿、天下共逐之。於是高材疾足者先得焉。[……]

[……]蒯通は答えて言った、「秦の綱紀は絶ち切れ、法網はゆるんで、山東の地は乱が頻発して、異姓の王侯が並び起こり、英雄たちがどっと集まって来ました。秦がその鹿(権力)を失うと、天下中の者が一緒にそれを遂い求めました。こうして能力もあり敏足な者が最初にそれをつかんだのです。[……]

水沢利忠『新釈漢文大系 第90巻 史記 十(列伝三)』(明治書院、1996年) 淮陰侯列伝第三十二 pp.105-160

ちゅうげん【中原】=に[=の]鹿しか
(「中原」は中国、特に黄河流域の平原地帯をさし、「鹿」は「史記−淮陰侯伝」に「秦失其鹿、天下共逐之」とあることから、天子の位のこと)帝王の位を得ようと戦う。転じて、ある地位や目的物などを得るために競争する。〔社交用語の字引(1925)〕 〔魏徴−述懐詩〕

『精選版 日本国語大辞典』(小学館、2006年)

詩経しきょう邶風はいふう泉水せんすい」/衛風えいふう竹竿ちくかん」より

続く場面、政争を語ることを拒んだ劉平が「駕言出遊 以寫我憂」と引用する。詩経「泉水」と「竹竿」に同じフレーズがあり、詩のテーマも共通している。下記引用は「竹竿」。詩の内容としては、残された主人公(諸説あり)が一人で馬に乗って出かけるのだが、ここでは共に馬に乗ろうと伏寿を誘う次の台詞に繋げていると思われる。(日本語字幕では詩の部分が意訳されているため繋がらない)

驾言出游 以写我忧
皇后你不敢独骑吧
不如上朕的马
朕带你蹓一段

憂さ晴らしに来たのだ
皇后は私の馬に乗れ
一緒に行こう

籊籊竹竿 以釣于淇
豈不爾思 遠莫致之
泉源在左 淇水在右
女子有行 遠兄弟父母
淇水在右 泉源在左
巧笑之瑳 佩玉之儺
淇水滺滺 檜楫松舟
駕言出遊 以寫我憂

籊籊てきてきたる竹竿ちくかん もっ
あになんぢおもはざらんや とほくしていた
[……]
淇水きすい滺滺いういうとながれ くゎいしふまつの舟
してここ出遊しゅついうし もっうれへのぞかん

通釈 すらりと長い竹竿で、淇水に釣りをする(ここに淇水の女神の神婚を祀るのである)。あなたのことを思い慕ってはいるものの、遠く去ってしまっては思いを致すすべもない。[……]流れ流れる淇水の水に、松の舟にかいかじをさして(あなたは嫁いで行ってしまった)。私はひとり馬を走らせ遠乗りに出かけ、そうして憂いを忘れよう。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 衛風・竹竿 pp.169-171

李斯りし蒼頡篇そうけつへん』より

任紅昌が養っている孤児たちに字を教える劉平劉平が語る蒼頡そうけつとは、文字を発明したとされる伝説上の人物。『蒼頡篇』は秦の李斯による初学者向けの字書。

苍颉作书
以教后嗣
幼子承诏
谨慎敬戒

蒼頡そうけつ 書を作り
もっ后嗣こうしに教う
幼子 詔を承け
謹慎して敬戒す

蒼頡作書,以教後嗣。幼子承詔,謹慎敬戒。
勉力諷誦,晝夜勿置。苟務成史,計會辯治。
超等軼群,出尤別異。初雖勞苦,卒必有意。
愨願忠​​信,密 言賞。 □□□□

『倉頡篇』(殘缺)(Wikisource)

そう けつ さう【蒼頡・倉頡】
中国の伝説上の人物。黄帝の史官。顔に四つの目をもち、鳥の足跡を見て文字を作ったという。そうきつ。

『スーパー大辞林 3.0』(三省堂、2008年)

【蒼頡篇】そう(さう)けつへん
書名。字書。秦しんの李斯りしの著。小篆しょうてんという書体で書かれ、四字句でつづってある。その一部分だけが今に残っている。

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

論語ろんご述而じゅつじ篇より

孤児たちに授業をして満足した劉平郭嘉に語る。日本語字幕では生真面目な雰囲気になっているが、原文では「孔子が『人をおしえてまず』というのは、聖人には救世の志があるからだとばかり思っていたが、こうしてみると彼も教えることを楽しんでいたのだろうな」というニュアンスか。

孔子诲人不倦
我原本以为
圣人有兼济天下之志
如今看来
他也是乐在其中啊

教えるのは
人のためだと思っていたが
自分のためでもあるな

人不ひとヲおしヘテうマず
人を教えて飽きることがない〈論・述而〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉、

子ののたまわく、もくしてこれをしるし、学びていとわず、人をおしえてまず。なにか我れに有らんや。

先生がいわれた、「だまっていて覚えておき、学んであきることなく、人を教えて怠らない。〔それぐらいは〕わたくしにとって何でもない。」

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 述而第七 p.128

詩経しきょう王風おうふう君子于役くんしうえき」より

任紅昌の家で、束の間の自由を楽しんだ後の劉平が口ずさむ詩。

鸡栖于埘 日之夕矣
也真是快呀

“鶏 ねぐらやどる 日のゆうべ”
時がつのは早い

君子于役 不知其期
曷至哉 鷄棲于塒
日之夕矣
 羊牛下來
君子于役 如之何弗思

君子于役 不日不月
曷其有佸 鷄棲于桀
日之夕矣 羊牛下佸
君子于役 苟無飢渴

君子くんし えきく らず
いづくにかいたらんや にはとりねぐらやど
ゆふべに
 羊牛やうぎうくだきた
君子くんし えきく これ如何いかにしておもふことからん
[……]

通釈 あなたはお仕事で出掛けられ、お帰りは何時かはわからない。どこまで行かれたのでしょう。ニワトリはねぐらに休み、日が暮れれば、ヒツジがそしてウシが帰ってくる。なのにあなたはお仕事で出掛けたまま、心配せずにはいられません。[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 王風・君子于役 pp.184-186

易経えききょう乾為天けんいてんより、他

密かに旅立たせた皇帝を見送る賈詡郭嘉、食わせ者二人の会話。

(贾诩)
你就不怕蛟龙入海
飞龙在天

(郭嘉)
你好像还挺期待的嘛

(賈詡)
お前は陛下を自由にして
怖くないのか

(郭嘉)
うれしそうだな

「蛟龍入海」は手持ちの辞書には載っていなかったが中国語の慣用句だろうか。前の場面でお忍びの官渡行きを危ぶむ伏寿に対し、劉平が「(普通の深窓の皇帝とは違い、むしろ)私にとっては水を得た魚(=海に入ったみずち)です」と表現した際に登場した。賈詡はその会話を聞いていたわけではないが、同じ言葉を使う。

こう‐りょう【蛟龍】
①中国古代の想像上の動物。水中に潜み、雲雨に会えば、それに乗じて天上に昇って龍になるとされる。みずち。こうりゅう。
②(天上に昇って龍になる前のものが①であるところから)時運にめぐり会わないで実力を発揮し得ないでいる英雄や豪傑をたとえていう。

『精選版 日本国語大辞典』(小学館、2006年)

「飛龍在天」は第18話参照で、ここでは、飛び立った劉平が、傀儡ではない皇帝として実力を発揮することを示し、郭嘉の返した「うれしそうだな」は、(怖くないのかと言いながら、蛟が天に飛び立ち龍となるのを)楽しみにしているように見えるぞ、という感じ。

『管子』形勢篇に由来する「蛟龍 水を得」という表現がある。

【蛟竜(龍)得水】コウリョウみずをう
みずちが、水を得る。君主が人民の心を得て威信が備わったときや、英雄が時を得て大業を成すときをいう。〈管・形勢〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

山高而不崩、則祈羊至矣、淵深而不涸、則沈玉極矣。天不變其常、地不易其則。春秋冬夏、不更其節、古今一也。蛟龍得水、而神可立也。虎豹得(託)幽、而威可載也。風雨無鄉、而怨怒不及也。貴有以行令、賤有以忘卑。壽夭貧富、無徒歸也。[……]

通釈 山が高くそびえ立ってくずれることがなければ、山神を祭るための犠牲の羊が捧げられる。川の淵が深くて水のかれることがなければ、水神を祭るための玉が水底に沈められる。天の運行は一定不変であり、大地の法則は変わらない。そのために春夏秋冬の季節は、今も昔も同じである。みずちや竜は水を得てこそ神妙な力を発揮することができる。虎や豹は奥深い地形に身を置くからこそ威力を発揮して人を恐れさせることができる。風雨は方角を定めずに吹いたり降ったりするので、かりに災害を与えても人々は恨み怒ることはない。上に立つ者がこのように公平に命令を下すならば、しもじもはその恩恵に感じて、いやしいわが身を忘れて上の者に尽くすものである。長寿や短命、貧賤や富貴の境遇は、偶然にそうなったのではない。それなりの道理があってのことである。[……]

遠藤哲夫『新釈漢文大系 第42巻 管子(上)』(明治書院、1989年) 形勢第二 pp.27-28

公開:2019.11.28 更新:2022.03.27

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