ドラマ「三国機密」に登場する古典 ② 6〜10話
中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
目次
第6話
『詩経』国風・王風「黍離」より
剣客の王服(日本語版では王子服)について、からかい気味に語る司馬懿。日本語字幕では詩の引用はなく、意訳されている。
知我者 谓我心忧
不知我者 谓我何求
我原本以为一个剑客
都会为汉室着想
现在我才知道
他原来是为了你啊人の心は分からぬものだ
あの者は
漢王朝のことではなく—
お前のことを考えていたのか
彼黍離離 彼稷之苗
行邁靡靡 中心搖搖
知我者 謂我心憂
不知我者 謂我何求
悠悠蒼天 此何人哉
[……]彼の黍 離離たり 彼の稷の苗あり
行邁すること靡靡として 中心 搖搖たり
我を知る者は 我を心憂ふと謂ふ
我を知らざる者は 我を何をか求むと謂ふ
悠悠たる蒼天 此れ何人ぞや
[……]通釈 あそこのキビは垂れ下がり、あそこのコキビは苗を出す。ゆるゆると道行きて、心の中は、ゆらゆらと定まらず。私の心を知る者は、私のことを「心を憂える者」というだろう。私の心を知らぬ者(世人)は、私のことを「何かさがしている者」と思うだろう。遠きはるかなる青き空よ、ここまでにしたのは一体誰なのだ。
[……]石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 王風・黍離 pp.181-182
楚調怨詩・明月(怨詩行)より
王服(王子服)と唐瑛は結ばれないと語る司馬懿が、「まさに『君作高山柏、我為濁水泥』だな」と喩える。日本語字幕では詩の引用はなく、意訳。曹植の「七哀詩」に基づく「怨詩行」のフレーズを元にした言い回しのようだが、本来は身分の違いの話ではない。西晋の楽府だそうで、ドラマの時代にはまだ存在しない詩ということになる。
只可惜
一个是游侠剑客
一个却是汉室的王妃
真是君作高山柏
我为浊水泥啊残念ながら片や無役の剣客
片や漢の王妃様だ
その身分には
天と地ほどの開きがある
明月照高樓,流光正裴回。
上有愁思婦,悲歎有餘哀。
借問歎者誰?自云客子妻。
夫行踰十載,賤妾常獨棲。
念君過於渴,思君劇於饑。
君為高山柏,妾為濁水泥。
北風行蕭蕭,烈烈入吾耳。
心中念故人,淚墮不能止。
沈浮各異路,會合當何諧?
願作東北風,吹我入君懷。
君懷常不開,賤妾當何依。
恩情中道絕,流止任東西。
我欲竟此曲,此曲悲且長。
今日樂相樂,別後莫相忘!
『宋書』(中央研究院 漢籍電子文獻) 楽志三
『論語』季氏篇より
張宇の殺害事件に関して、満寵を糾弾する劉平の台詞。孔子が弟子の冉有の責任回避を咎めた言葉。
你许都卫的职责
在于拱卫许都
保护皇宫
却连朕的一个大臣
都保护不了
虎兕出于柙
龟玉毀于椟中
是谁之过与許都を守り 宮中を守るのが
そなたの役目だ
朕の臣下の1人も守れぬとは
“虎兕柙より出で
亀玉櫝中に毀るれば”
“是れ誰の過ちぞ”
季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰わく、季氏、将に顓臾に事あらんとす。[……]冉有が曰わく、夫の子これを欲す。吾れ二臣は皆な欲せざるなり。孔子の曰わく、求よ、周任に言あり曰わく、力を陳べて列に就き、能わざれば止むと。危うくして持せず、顚って扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言は過てり。虎兕、柙より出で、亀玉、櫝中に毀るれば、是れ誰の過ちぞや。[……]
〔魯の〕季氏が顓臾の国を攻め取ろうとしていた。〔季氏に仕えていた〕冉有と季路(子路)とが孔子にお目にかかって、「季氏が顓臾に対して事を起こそうとしています。」と申しあげた。[……]冉有が「あの方(季氏)がそうしたいというだけで、わたしたち二人はどちらもしたくないのですよ。」というと、孔子はいわれた、「求よ。〔むかしの立派な記録官であったあの〕周任のことばに『力いっぱい職務にあたり、できないときは辞職する。』というのがあるが、危くてもささえることをせず、ころんでも助けることをしないというのでは、一体あの助け役も何の必要があろう。それにお前のことばはまちがっている。虎や野牛が檻から逃げ出したり、亀の甲や宝玉が箱の中でこわれたりしたら、これはだれのあやまちかね。」[……]
金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 季氏第十六 pp.324-329
民歌「子夜四時歌」より
梅の枝で剣舞の真似事をする曹節を見て、曹丕が詠う。東晋〜宋・斉の民歌で、やはりドラマの舞台である後漢時代より後の作。
渊氷厚三尺
素雪覆千里
我心如松柏
君情复何似淵氷 厚きこと三尺
素雪 千里を覆う
我が心 松柏の如し
復た何にか似たる
淵冰厚三尺
素雪覆千里
我心如松柏
君情復何似淵の氷 厚さ三尺、
素雪 千里を覆う。
我が心は松柏の如し、
君が情は復た何にか似たる。冬の歌。淵には厚さ三尺もの氷がはり、白雪が千里のかなたまで埋めつくした。そうした厳しい寒さにもめげずに、青々と茂っている松柏のような愛情をわたしは抱いています。ところであなたはどうなんですの。
子夜四時歌 十首 松枝茂夫編『中国名詩選(中)』(岩波文庫、1997年) p.176
曹丕「大牆上蒿行」より
枝では物足りない曹節は、私も兄上が詩に詠んだような宝剣がほしい、と語る。曹丕作の楽府の一節。
带我宝剑
今尔何为自低昂
悲丽乎壮观
白如积雪
利若秋霜我宝剣を帯ぶ
今爾何為れぞ 自ら低昴するや
悲麗にして壮観
白きこと積雪の如く
利なること秋の霜の若し
[……]
陽春無不長成、
草木羣類随。
大風起、
零落若何翩翩、
中心独立一何煢。
四時舎我駆馳、
今我隠約欲何為。
人生居天地間、
忽如飛鳥棲枯枝。
我今隠約欲何為。適君身体所服、
何不恣君口腹所嘗。
冬被貂鼲温暖、
夏当服綺羅軽涼。
行力自苦、
我将欲何為。
不及君少壮之時、
乗堅車策肥馬良。
上有倉浪之天、
今我難得久来視。
下有蠕蠕之地、
今我難得久来履。
何不恣意遨遊、
従君所喜。帯我宝剣、
今爾何為自低卬。
悲麗平壮観、
白如積雪、
利若秋霜。
駮犀標首、
玉琢中央。
帝王所服、
辟除凶殃。
御左右、
奈何、致福祥。
呉之辟閭、
越之歩光。
楚之龍泉、
韓有墨陽。
苗山之鋌、
羊頭之鋼。
知名前代、
咸自謂麗且美、
曽不知君剣良綺難忘。冠青雲之崔嵬、
繊羅為纓。
飾以翠翰、
既美且軽。
表容儀、
俯仰垂光栄。
宋之章甫、
斉之高冠。
亦自謂美、
蓋何足観。排金鋪、
坐玉堂。
風塵不起、
天気清涼。
奏桓瑟、
舞趙倡。
女娥長歌、
声協宮商。
感心動耳、
蕩気回腸。
酌桂酒、
膾鯉魴。
与佳人期為楽康。
前奉玉卮、
為我行觴。今日楽、
不可忘。
楽未央。
為楽常苦遅、
歳月逝忽若飛。
何為自苦、
使我心悲。[……]
[……]
陽春 長成せざる無く
草木 羣類 随う
大風 起れば
零落するや 若何せん 翩翩たり
中心 独立し 一に何んぞ煢たり
四時 我を舎きて駆けり馳す
今 我 隠約して何をか為さんと欲す
人 生まれて天地の間に居ること
忽しきこと飛鳥の枯枝に棲もうが如し
我 今 隠約して何をか為さんと欲す君が身体に適うは服する所
何んぞ恣にせざる 君が口腹にかのう嘗むる所を
冬は貂鼲の温暖かなるを被
夏は当に綺羅の軽く涼しきを服るべし
行い力めて自らを苦しめ
我は将に何をか為さんと欲する
及ばず 君が少壮の時の
堅車に乗り肥馬の良ろしきに策つに
上に倉浪の天有るも
今 我 得て久しくは来り視ること難し
下に蠕蠕の地有るも
今 我 得て久しくは来り履むこと難し
何んぞ意を恣にし遨び遊び
君が喜ぶ所に従わざる我が宝剣を帯ぶれば
今 爾 何為れぞ自から低卬す
麗平にして壮観なるを悲しむ(?)
白きこと積める雪の如く
利きこと秋の霜の若し
駮と犀もて首を標し
玉の琢かれたるもて中央とす
帝王 服ぶる所なれば
凶殃を辟け除く
左右に御むれば
奈何ぞや 福祥を致く
呉の辟閭
越の歩光
楚の龍泉
韓に墨陽有り
苗山の鋌
羊頭の鋼
名を前代に知られ
咸な自ら麗にして且つ美なりと謂うも
曽ち君が剣の良に綺しく忘れ難きを知らず青雲の崔嵬たるを冠とし
繊き羅を纓と為す
飾るに翠の翰を以ってし
既に美しく且つ軽し
容儀を表し
俯仰すれば光栄を垂る
宋の章甫つけたるひと
斉の高冠つけたるひと
亦た自ら美しと謂うも
蓋し何んぞ観るに足らんや金の鋪を排し
玉堂に坐す
風塵 起らず
天気 清涼なり
桓の瑟を奏き
趙の倡を舞わしむ
女・娥は長歌し
声は宮商に協う
心に感じ 耳を動けしめ
気を蕩り 腸を回らす
桂の酒を酌み
鯉と魴を膾にし
佳人と期し 楽康を為す
前みて玉の卮を奉げ
我が為に觴を行す今日 楽しむ
忘るべからず
楽しみ未だ央きず
楽しみを為す 常に苦だ遅し
歳月の逝く 忽として飛ぶが若し
何為れぞ自らを苦しめ
我が心をして悲ましむ[……]
伊藤正文「曹丕詩補注稿(楽府)」(『論集:神戸大学教養部紀要』23、1979年、pp.74-76)
曹丕『典論』論文篇より
劉平に持論を披露する曹丕。文学者としても知られる曹丕の代表作「典論論文」の有名な一節(台詞は現代語にしたものか)。序盤に何気なく出てくるが、後半、作中の曹丕の言動を理解する上でも重要となってくるように思う。
文章才是経国之大业
不朽之盛事文章は経国の大業
不朽の盛事
[……]蓋文章經國之大業、不朽之盛事。年壽有時而盡、榮樂止乎其身。二者必至之常期、未若文章之無窮。是以古之作者、寄身於翰墨,見意於篇籍、不假良史之辭、不託飛馳之勢、而聲名自傳於後。[……]
[……]蓋し文章は經國の大業にして、不朽の盛事なり。年壽は時有りて盡き、榮樂は其の身に止まる。二者は必ず至るの常期あり、未だ文章の無窮なるに若かず。是を以て古の作者、身を翰墨に寄せ、意を篇籍に見し、良史の辭を假らず、飛馳の勢ひに託せずして、聲名は自ら後に傳はる。[……]
[……]そもそも、文学は国を治めるうえでの重要な事業であり、永久に滅びることのない偉大な営みである。人の寿命はしかるべき時がくると尽き、栄華逸楽も生きている間だけのことである。この二つは、必ず行きつ(き消滅すべ)く定まった時期があり、文学が永遠であるのに及ばない。そこで、古の作者は、執筆活動に身をささげ、書物に自分のおもいを表し、すぐれた史官のことばも借りず、権力者の力にも頼らず、その名声がおのずから後世に伝えられたのである。[……]
魏文帝「典論論文」より 竹田晃『新釈漢文大系 第93巻 文選(文章篇)下』(明治書院、2001年) pp.199-200
『詩経』国風・周南「麟之趾」より
上記の論を聞いた劉平が、曹丕の才を褒めた言葉。日本語字幕では直接の引用はなく、意訳されている。
麟之趾 振振公子
你少年便有如此见识
果然不负曹司空的教导さすがは曹司空の令息だな
若いのに すばらしい見識だ
曹司空の教えの賜物だな
【麟趾】りんし 子孫に賢人が多いたとえ。〔詩・周南・麟之趾〕麟之趾ナリ、振振タル公子アリ
『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)
麟之趾 振振公子
于嗟麟兮麟之定 振振公姓
于嗟麟兮麟之角 振振公族
于嗟麟兮麟の趾 振振たる公子
于嗟 麟よ麟の定 振振たる公子
于嗟 麟よ麟の角 振振たる公子
于嗟 麟よ通釈 (生命の神である聖獣の麟、その)麟の趾、(その呪力に守られて)盛んに繁栄する我が子孫。ああ麟よ(我らを益益繁栄させたまえ)。
(生命の神である聖獣の麟、その)麟のひたい、(その呪力に守られて)盛んに繁栄する我が子孫。ああ麟よ(我らを益益繁栄させたまえ)。
(生命の神である聖獣の麟、その)麟の角、(その呪力に守られて)盛んに繁栄する我が子孫。ああ麟よ(我々を益々繁栄させたまえ)。石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 國風・周南・麟之趾 pp.38-40
(番外編)『孟子』の王道
劉平の幼少期の回想シーン。剣を嫌い医術を志す幼い劉平(楊平)に、司馬懿は「王道」は民を欺くための言葉だと主張する。
(司马懿)
这个
也许可以帮你救人(杨平)
这是什么(司马懿)
圣人王道 以仁德为本(杨平)
对 我就是想学这个(司马懿)
也就是你这样的傻瓜才信
王道 都是骗老百姓的
除非你是皇帝
可是这天下
最不相信圣人王道的(司馬懿)
人を救う助けになるぞ(楊平)
これは?(司馬懿)
“聖人の王道
仁徳をもって本と為す”(楊平)
これを学ぶ(司馬懿)
馬鹿は信じるのだな
“王道”は民を欺くための言葉
皇帝にしか用がない
でも “王道”を
一番 信じていないのも—
皇帝だけどな
司空府の書斎にて、「子どもの時 兄が言っていた これは天下を救う書だと」と劉平が手に取った木簡は『孟子』の「梁惠王章句上」。司馬懿が言ったフレーズそのものがあるわけではないが、孟子が梁の恵王に「王道」政治を説く。皇帝として真の「王道」を貫こうとする劉平の基本姿勢がわかる場面。王道を信じない司馬懿は嘘として教えたが、劉平にとっては真だったといえる。
【王道】おうどう(わうだう)[……]❷道徳によって、人民の幸福をはかって天下を治める政治のやり方。孟子が唱えた。〔孟・梁恵王〕(対)覇道。
『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)
なお、「仁徳為本」に近い表現を調べてみると、兵法書の『司馬法』仁本第一に「古者以仁為本,以義治之,治之為正。」というフレーズがあるようで、このくだりは劉平とは対照的な、このドラマの司馬懿の思想を彷彿とさせる。
第7話
『詩経』国風・豳風「七月」より
司空府に仮住まいすることになった劉平と伏寿を卞夫人がもてなす。
跻彼公堂 称彼兕觥
万寿无疆
[……]
为此春酒 以介眉寿
我有旨酒
以燕乐嘉宾之心彼の公堂に躋り
彼の兕觥を稱え 万寿疆なし
[……]
此の春酒を為り
以て眉寿を介る
我に旨酒あり
以て嘉賓の心を燕楽せしめん
六月食鬱及薁 七月亨葵及菽
八月剝棗 十月獲稻
爲此春酒 以介眉壽
七月食瓜 八月斷壺
九月叔苴 采荼薪樗
食我農夫
[……]
二之日鑿冰沖沖 三之日納于凌陰
四之日其蚤 獻羔祭韭
九月肅霜 十月滌場
朋酒斯饗 曰殺羔羊
躋彼公堂 稱彼兕觥
萬壽無疆六月は鬱と薁とを食らひ 七月は葵と菽とを亨る
八月は棗を剝ち 十月は稻を獲る
此の春酒を爲り 以て眉壽を介る
七月は瓜を食らひ 八月は壺を斷る
九月は苴を叔ひ 荼を采り樗を薪にし
我が農夫を食ふ
[……]
二の日は冰を鑿つこと沖沖たり 三の日は凌陰に納る
四の日は其に蚤るに 羔を獻じて韭を祭る
九月は肅き霜 十月は場を滌む
朋酒 斯に饗し 曰に羔羊を殺す
彼の公堂に躋りて 彼の兕觥を稱げ
萬壽疆無けん通釈 六月にはにわうめといぬぶどう食む、七月にはかんあおいとまめを煮て食む。八月にはなつめの実を撃ち落とし、十月には稲を刈る。これで春酒を醸して(御霊屋に供え)、みなの長寿を祈る。七月にはうりを食み、八月にはふくべ切る。九月にはあさのみ拾い、にがなを摘んでしんじゅは薪。農夫たちを養うために。
[……]
二月にはちょんちょんと氷切り、三月には氷室に入れる。四月には氷室開き、捧げるはこひつじとにら。九月には寒き霜降り、十月には稲打ち場を清め、みなを呼んで酒の宴、こひつじ殺して供物とし、御霊屋に参り、大杯を捧げ持ちて、一族の長寿を祖霊に願う。石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 國風・豳風・七月 pp.119-124
『詩経』小雅・鹿鳴之什「鹿鳴」より
我有嘉宾 鼓瑟吹笙
吹笙鼓簧 承筐是将
人之好我 示我周行我に嘉賓あり 瑟を鼓し 笙を吹く
笙を吹き簧を鼓す 筐を承げて是れ將う
人の我を好し 我に周行を示す
呦呦鹿鳴 食野之苹
我有嘉賓 鼓瑟吹笙
吹笙鼓簧 承筐是將
人之好我 示我周行呦呦鹿鳴 食野之蒿
我有嘉賓 德音孔昭
視民不恌 君子是則是傚
我有旨酒 嘉賓式燕以敖呦呦鹿鳴 食野之芩
我有嘉賓 鼓瑟鼓琴
鼓瑟鼓琴 和樂且湛
我有旨酒 以燕樂嘉賓之心呦呦と鹿鳴き 野の苹を食む
我に嘉賓有り 瑟を鼓き笙を吹かん
笙を吹き簧を鼓き 筐を承げて是に將む
人の我を好し 我に周行を示せ呦呦と鹿鳴き 野の蒿を食む
我に嘉賓有り 德音孔だ昭らかなり
民に視すに恌からざるは 君子是れ則り是れ傚へばなり
我に旨酒有り 嘉賓よ式て燕し以て敖べ呦呦と鹿鳴き 野の芩を食む
我に嘉賓有り 瑟を鼓き琴を鼓かん
瑟を鼓き琴を鼓き 和樂し且つ湛しましめん
我に旨酒有り 以て嘉賓の心を燕樂せしめん通釈 ゆうゆうと(祖霊の使者の)鹿が鳴き、野の苹を食む。我がもとに降りしは祖先の御霊、いざ瑟を弾き笙を吹こうぞ。笙を吹き簧を弾いて、かごの御供え祀らん。我をめで、我に正しき道を示し給え。
ゆうゆうと(祖霊の使者の)鹿が鳴き、野の蒿を食む。我がもとに降りしは祖先の御霊、その誉もいと明らけき。民への教えのいと厚きは、天の下された道に倣えばこそ。このうま酒で、祖霊よ宴し遊び給え。
ゆうゆうと(祖霊の使者の)鹿が鳴き、野の芩を食む。我がもとに降りしは祖先の御霊、いざ瑟を弾き笙を吹こうぞ。瑟を弾き笙を吹いて、祖先の御霊を楽しましめん。このうま酒で、祖先の御霊を安んぜしめん。石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 小雅・鹿鳴之什・鹿鳴 pp.162-163
『詩経』国風・鄭風「出其東門」より
張番頭に、乱に乗じて女官を連れ出す気だと勘違いされている司馬懿の気の利いた返し。日本語字幕では詩の引用はないが、意中の者とはもちろん劉平である。
您不会是看上哪位宫女了吧
您虽然年少多情
可也不能良莠不分哪虽曰如云 匪我思存
張掌柜
我还真就看中他了
这件事情 你必须要幇我办宮中の女官に手を出したら
大変なことになりますよ
手当たりしだいは いけませぬ意中の者は ただ一人
私の目当ては別にいる
必ず手伝うのだぞ
出其東門 有女如雲
雖則如雲 匪我思存
縞衣綦巾 聊樂我員
[……]其の東門を出づれば 女有りて雲の如し
雲の如しと雖則も 我が思ひの存るに匪ず
縞衣綦巾 聊はくは我が員を樂しましめよ
[……]通釈 (春の祭りににぎわう)かの東の門から出てみると、祭りに集まった女たちは雲のように大勢。雲のように大勢いるけれど、私の思いに叶うものはいない。白い上衣にうす艾色の頭巾をつけたかの春の神を送る乙女子よ、願わくはあなたに私の思いを満たしてほしいのだ。
[……]石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 鄭風・出其東門 pp.241-242
第8話
『孟子』梁恵王章句上篇より
好物の菓子を作ってきてくれた幼馴染みの趙彦を「君子は庖厨を遠ざく」と言うのに、とからかう董妃。日本語では馴染みがなく伝わりづらいためか、異なるニュアンスになってしまっている。
君子は生き物を殺す厨房には近づかないものだ、という意味(こちらも現代の感覚からすると理不尽だが)。斉の宣王が生贄の牛を憐れみ、(より小さな)羊に換えさせたところ、民にケチだと思われてしまった。これに対して孟子が(憐れむならば牛も羊も同じなのだからそう評されても仕方がないとつっこみつつ)王の心理を解いた言葉。この場面と直接の関係はないものの、劉平の目指す「仁」を語るエピソードである。
君子远庖厨
你个大男人
还会做这个呀男の人がお菓子を作るなんて
君子遠㆓庖厨㆒也 くんしハほうちゅうヲとおザクルなり
訳 君子は(生き物を料理する)台所には近づかないのである〈孟・梁恵王上〉『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)
[……]無傷也、是乃仁術也、見牛未見羊也、君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也、[……]
[……]人民たちがかれこれ申しても、決してお気にかけなさいますな。これこそ尊い仁術(仁への道)と申すもの。牛はご覧になったが、羊はまだご覧にならなかったからです。鳥でも獣でも、その生きてるのを見ていては、殺されるのはとても見てはおれないし、〔殺されるときの哀しげな〕鳴き声を聞いては、とてもその肉を食べる気にはなれないものです。これが人間の心情です。だから、君子は調理場の近くを自分の居間とはしないのです。[……]
小林勝人訳注『孟子(上)』(岩波文庫、1968年) 梁恵王章句上 pp.54-55
第9話
杜甫「貧交行」より
司空府で董妃を弔うのは礼に反すると言う荀彧に反論する劉平。日本語字幕では意訳されているが、直訳すると「手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる」で、杜甫の詩に基づく表現。ドラマの舞台より後の詩だが、成句として使われているようである。
这司空府
可以作为朕的宫苑
难道就不可以
为朕的皇妃设置灵堂吗
还是说这天下的礼法
都是由荀令君
翻手为云 覆手为雨啊今は この屋敷が
宮中と同じであろう
なぜ朕の妃を
供養してはならぬのだ
世の礼法は すべて
荀令君が決めているのか
そなたの鶴の一声で
どうにでもなると?
【翻㆑手作㆑雲覆㆑手雨】 てをひるがえせばくもとなりてをくつがえせばあめとなる
手のひらを上にすれば雲が出て、下にすれば雨が降り出す。天候の変わりやすいことから、人情の軽薄で変わりやすいことをいう。〈杜甫-詩・貧交行〉
『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)
翻手作雲覆手雨
紛紛輕薄何須數
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土手を翻せば雲と作り手を覆せば雨
紛紛たる輕薄 何ぞ數ふるを須ゐん
君見ずや 管鮑貧時の交はりを
此の道 今人棄つること土の如し現代語訳 貧しいなかでの付き合いのうた
手を上に向ければ雲、下に向ければ雨となる。世は軽佻浮薄だらけ、指を折って数えるまでもない。
御覧じろ、貧しくとも変わらぬ管仲と鮑叔の友情。人としてのこの道を今の人は土塊のように捨て去った。川合康三『新釈漢文大系 詩人編 6 杜甫(上)』(明治書院、2019年)貧交行 pp.87-88
『戦国策』魏策/『説苑』奉使篇より(?)
賈詡に激怒した劉平について語る伏寿と楊修。「盈」は満ちあふれる。多少表現は異なるが、秦王(秦の始皇帝)が、安(鄢)陵君の使者の唐且という人物を脅そうとした言葉に「天子一怒、伏尸百萬、流血千里」(『戦国策』では「天子之怒」)がある。なお、唐且は屈さずに反論し、却って秦王に敬われた。
杨公子应该听说过
天子一怒
流血盈野吧知らぬのですか
皇帝が怒れば
血の海になることを
秦王以五百里地易鄢陵。鄢陵君辭而不受、使唐且謝秦王。[……]秦王忿然作色、怒曰、公亦曾見天子之怒乎。唐且曰、王、臣未曾見也。秦王曰、天子一怒、伏尸百萬流血千里。
秦の始皇帝は自分の領地の五百里の地を与えて鄢陵と交換したいと思った。鄢陵君はその申し出を断って受けなかった。そして大夫の唐且を使者にして秦王に詫びさせた。[……]秦王はむっとして顔を真っ赤にして怒っていうには、「あなたは今までに天子が怒ったのを見たことがあるか」と。唐且は、「王よ、私はまだ一度も拝見したことがございません」と答えた。秦王はいった。「天子の自分が一たび怒れば死者百万千里の地は流血に染まるであろう」と。
高木友之助『中国古典新書 説苑』(明徳出版社、1969年) pp.189-192
『易経』乾為天より
伏寿らの陰謀を冷酷だと批判し、皇帝を辞めて去ろうとする劉平、それに反論する伏寿。ドラマのタイトルでもある「潜龍在淵」がここで登場する。このフレーズそのものの出典があるかどうかは不明だったが、内容は『易経』に基づき、「潜龍」はまだ世に出ていない君子、あるいは位に就いていない天子を表す。その龍が「淵に在る」のは、天に飛翔する機を窺い、潜るか飛躍するか定まらない状態ということか。この時点では伏寿の釈明のようにも聞こえる表現だが、やがては劉平自身が龍となっていく。
这一切
都是先帝生前定下的方略
从把衣带诏交给董承的时候
就已经发动了
我们只有以退为进
才有空间扳回局面
潜龙在渊 腾必九天
先帝吧能替你想到的
都已经安排好了
我们都是在履行他的遗志すべては
先帝が決められたことです
董承に詔を渡した時から
始まっていました
巻き返すため
あえて一歩引いただけ
潜龍は淵にあり
必ずや天高く昇る
我らは宣帝のご遺志に従って
事を成すだけです
【潜竜(龍)】せんりょう
池や淵の底深くひそんでまだ天に上らない竜。竜は時が来れば雲を呼び天に上るといわれる。転じて、天子がまだ位につかないときの称。また、世に出ない大人・君子のたとえ。〔易・乾〕
『角川 漢和中辞典』(角川書店、1959年)
乾、元亨。利貞。
初九、潛龍。勿用。
九二、見龍、在田。利見大人。
九三、君子、終日乾乾、夕惕若。厲无咎。
九四、或躍在淵。无咎。
九五、飛龍、在天。利見大人。
上九、亢龍。有悔。
用九、見羣龍。无首、吉。乾は、元いに亨る。貞しきに利し。
初九、潛龍なり。用ふること勿れ。
九二、見龍、田に在り。大人を見るに利し。
九三、君子、終日乾乾し、夕べまで惕若たり。厲けれども咎无し。
九四、或いは躍らんとして淵に在り。咎无し。
九五、飛龍、天に在り。大人を見るに利し。
上九、亢龍なり。悔い有り。
用九、羣龍を見る。首たること无くして、吉。通釈 [……]初九は最下の陽爻、陽気の地下に潜在することを示す。龍が乾の象であるから、初九は淵に潜み隠れている龍の象である。まだその才徳を施用すべき時ではないので、その占は施し用いることなかれとの戒辞である。[……]九四は内卦を離れて外卦の下、君位の近くに進み、進退のまだ定まらない多懼の地に居る。然るべき時に躍り上がれば必ず天に昇るが、まだ今は躍り上がらず淵に潜む龍の象である。従って多懼の地に居るが、何の咎めもないとの占である。[……]
今井宇三郎『新釈漢文大系 第23巻 易経(上)』(明治書院、1987年) 周易上經(1)乾 pp.94-96
[……]初九曰、潛龍、勿用、何謂也。子曰、龍德而隱者也。不易乎世、不成乎名。遯世无悶、不見是而无悶。樂則行之、憂則違之。確乎其不可拔、潛龍也。[……]九四曰、或躍在淵、无咎、何謂也。子曰、上下无常、非為邪也。進退无恆、非離羣也。君子進德脩業、欲及時也、故无咎。
通釈 [……]初九の爻辞に「潜龍なり、用ふること勿れ」と言うのは、いかなる意味であるか。孔子は次のように言われている。初九の潜龍の象に見られるように、龍徳を身に有していながら自ら隠れているのである。その道を固守して世俗によって移し変えられることもなく、その名声が世に顕れることも求めない。世俗の外に逃れてせず、世人に正しく善しとされなくとも悶え苦しむこともない。道の行われる世には、出でて楽しんでその道を行うが、道の行われない世には、憂え避けて行わない。このようにその志が堅固で人に揺るがし抜かれることなどない人物こそ、潜龍の徳があるという。[……]九四の爻辞に「或いは躍らんとして淵に在り、咎无し」と言うのは、いかなる意味であるか。孔子は次のように言われている。九四の或躍在淵の象に見られるように、或いは上らんとし或いは下らんとして行動が一定しないが、これは不正なことをしようというのではない。また或いは進まんとし或いは退かんとして行動が一定しないが、これはその同じ群れからかけ離れて独り行こうというのではない。君子が徳に進み業を修めるのは、然るべき時に及んで大いに進まんがためである。それ故に多懼の地にあっても咎めはないと言うのである。[……]
今井宇三郎『新釈漢文大系 第23巻 易経(上)』(明治書院、1987年) 周易上經(1)乾 pp.116-119
第10話
漢詩「江南」より
宮廷を去った劉平を江南に連れて行こうとする司馬懿が浮かれて詠う。漢代の民歌。「採蓮」は愛人を探すこと、「魚戯」は男女の戯れの比喩であるという。
江南可采莲
莲叶何田田
鱼戯莲叶间江南 蓮を採る可く
蓮葉 何ぞ田田たる
魚は蓮葉の間に戯れ
江南可採蓮
蓮葉何田田
魚戲蓮葉閒
魚戲蓮葉東
魚戲蓮葉西
魚戲蓮葉南
魚戲蓮葉北江南蓮を採る可し、
蓮葉何ぞ田田たる。
魚は蓮葉の閒に戲れ。
魚は蓮葉の東に戲れ、
魚は蓮葉の西に戲れ、
魚は蓮葉の南に戲れ、
魚は蓮葉の北に戲る。江南は蓮をとるによい。蓮の葉はなんとまあ水上に広がったことよ。魚がその蓮の葉の間にたわむれている。魚がその蓮の葉の東にたわむれている。魚がその西にたわむれている。その南にたわむれている。その北にたわむれている。
内田泉之助『漢詩大系 第四巻 古詩源 上』(集英社、1964年) 巻三 漢詩 pp.144-145
??(不明)
皇帝の不在を隠している伏寿が、詰めかける臣下に語る。何かのフレーズの引用のような表現になっているが、不明。
这五六年间 先有董卓
后有李傕 郭汜
皆是逆乱欺君之臣
国不成国
君不成君董卓に続き
李傕に郭汜など—
君主を欺く逆臣ばかり
“国は国ならず 君は君ならず”
でした
『国語』越語下篇より
臣下を追い返そうとする伏寿に孔融が応える。詳細は第2話参照。同じ言葉で荀彧を責めていた孔融が、ここでは(伏寿の詭弁に騙されて)己の不明を恥じている。
主忧臣辱
主辱臣死
臣等惭愧啊主君の憂いは臣下の責任です
ただ恥じ入るのみ
公開:2019.11.25 更新:2022.03.27