ドラマ「三国機密」に登場する古典 ① 1〜5話

注:「三国機密に登場する古典」シリーズは2019年末頃に公開していましたが、2022年3月頃、日本語字幕になっていない部分を中心に、内容の大幅な追加を行いました。

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」(原題「三国機密之潜龍在淵」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

第1話

老子ろうし虚用きょよう篇より

劉平の優しさを指摘する司馬懿が引用する、道家の思想。日本語字幕では意訳されている。万人の救いを志す劉平と、その優しさは「宋襄の仁」であると危惧する司馬懿、二人の思想の差は、やがてドラマの展開に深く関わってくる。

天地不仁
以万物为刍狗

而你却连只小羊都要救

天は無情なのに
お前は子山羊やぎまで助ける

〔老子、五〕天地不(テンチはジンならず)。以万物芻狗(バンブツをもってスウクとなす)天地は(無為自然であり)仁愛などない。天地にとってはあらゆるものが(祭りがすむと棄てられてしまう)藁(わら)で作った犬のようなものだ。

『新漢語林(第二版)』(大修館書店、2011年)

天地不仁、以萬物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。天地之間、其猶橐龠乎。虛而不屈、動而愈出。多言數窮。不如守中。

天地てんち不仁ふじん萬物ばんぶつもっ芻狗すうくす。聖人せいじん不仁ふじん百姓ひゃくせいもっ芻狗すうくす。天地てんちかん橐龠たくやくのごときか。きょにしてきず、うごいて愈〻いよいよづ。多言たげん數〻しばしばきゅうす。ちゅうまもるにかず。

通釈 天地はいわゆるじんなどという人間的な愛情は持っていない。天地が万物を扱う態度は全く虚心であって、ちょうど人が祭祀の際に用いる「藁で作った狗」を扱うようである。(芻狗は祭祀の用に供せられる時は美しく飾られ大切に取り扱われるが、一旦祭祀が終ると、路傍に棄てられ、通行人から踏みにじられ、ついには草刈りに拾われて、たきつけにされてしまう。人々は別に芻狗を愛して大切にする訳でも、芻狗を憎んで蹂躙する訳でもない。ただそれは、使命を果たすために作り出され、それが終れば元の世界に引き戻されるだけなのだ。)道を体した聖人も同じで、彼は万民に対していわゆる仁などという人間的な愛情を抱いている訳ではなく、人々が芻狗に対する時のような虚心な態度で万民を扱う。(この虚心の用の無限であることは次に述べる如くである。)」天地の間は、あたかも「ふいご」のように虚である。だが、その働きは尽きることがなく、動けば動くほど(「ふいご」が風を吹き出すように)万物がその間から生まれ出て来る。」饒舌はしばしばゆきづまるものだ。虚(虚心で無言)を守るにしくはない。

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 虚用第五 pp.19-20

第2話

国語こくご越語えつご下篇より

皇宮の火災の後、荀彧の朝臣としての態度を咎める孔融。日本語字幕では意訳されている。

春秋時代、越王勾践こうせんに仕え「会稽の恥」をそそいだ范蠡はんれいの言葉「君憂臣労、君辱臣死」が元。『史記』范雎はんしょ伝では「主憂臣辱、主辱臣死」と、この形で用いられている(この「辱」は「労」の誤りとする説もある)。

许都内外防卫
被司空府拆得是一片混乱
如今连皇宫都不保
荀令君让我不必担心
你休忘了
主忧臣辱
主辱臣死

司空府のせいで
都は大混乱に陥っている
宮中さえ守れぬのに
“心配は無用”とは
そなたは恥ずかしいと
思わぬのか

【君辱臣死】きみはずかしめ(はづかしめ)らるればしんしす

主君が他からはずかしめを受けることがあれば、その臣は命をなげ出して、そのはじをはらす。〔越語〕君憂ヘバ臣労、君辱メラルレバ臣死

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

[……]反至五湖、范蠡辭于王曰、君王勉之、臣不復入越國矣。王曰、不穀疑子之所謂者、何也。對曰、臣聞之、爲人臣者、君憂臣勞、君辱臣死。昔者君王辱于會稽、臣所以不死者、爲此事也、今事已濟矣、蠡請從會稽之罰。[……]

[……]
 呉を滅しての帰りに五湖まで来ると、范蠡が越王にいとま請いして言った。
 范「王さましっかりなさいませ。わたくしは二度と越の国へは入りません。」
 王「わたくしには、あなたが何を言おうとするのか分かりません。」
 范「わたくしの聞きますには、人臣は、君に憂いがあれば臣下は骨を折って尽力し、君が辱しめられれば臣下は命を投げだすと申します。昔王さまが会稽山で呉に辱しめられましたのに、わたくしが死ななかったわけは、この呉征伐のためでした。今この事は成就しました、わたくしのお願いです、どうか会稽の罰を受けさせて下さい。」
[……]

大野峻『新釈漢文大系 67 国語(下)』(明治書院、1978年) pp.828-830

昭王臨朝歎息。應侯進曰、臣聞主憂臣辱、主辱臣死。今大王中朝而憂。臣敢請其罪。

通釈 昭王は朝廷で執務中、ため息をついていた。応侯は進み出て言った、「私は『君主に憂いがあるのは臣下にとって屈辱であり、君主が屈辱を受ければ臣下は死なねばならぬ』と聞いております。いま、大王は朝廷にあって憂えておられます。私は失礼も顧みず、自らの罪をここに認め、処分を請うものであります」と。

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』(明治書院、1993年) 范睢蔡沢列伝第十九 pp.190-191

第3話

孟子もうし万章章句ばんしょうしょうく上篇より

皇帝の身代わりとなった劉平に、董妃への態度を指南する伏寿

那孟子说
男女居室
人之大伦也

你以为这男女居室
是何意

“男女しつるは
人の大倫たいりんなり”
というのは
どういうことか分かりますか

万章問いて曰く、詩に妻をめとるは如之何いかにすべき、必ず父母に告ぐべしという。の言をまことなりとせば、宜しくしゅんの如くなることかるべし。舜の告げずしてめとれるは、何ぞや。孟子曰く、告ぐれば則ち娶ることをず。男女いえに居るは、人の大倫たいりんなり。如し告ぐれば則ち人の大倫を廃し、以て父母をうら(怨)みしめん。ゆえに告げざりしなり。[……]

万章がたずねた。「先生、詩経に『妻をめとるにはどうすればよいか。必ず父母に告げて許しを受けることだ』とありますが、この言葉が正しいなら、しゅんのようにしてはならないはずです。舜ともあろう人が父母にも告げずに無断で結婚したのは、どういうわけでしょう。」孟子はこたえられた。「舜は父母から憎まれていたので、もし告げれば、結婚が許されないからだ。男女が結婚していっしょに生活するのは、人間としての大切な道徳なのだ。ところが、もし父母に告げたら、いつまでも結婚はできず、それでは人間としての道徳にそむき、ついには父母を怨むということにもなるだろう。だからこそ、告げずに結婚したのだ。」[……]

小林勝人訳注『孟子(下)』(岩波文庫、1972年) 万章章句上 pp.122-125

第5話

論衡ろんこう骨相こっそう篇より

宦官の張宇が去るに際し、伏寿の差し金で追放されると思い込んだ董妃が批判する。日本語字幕では意訳されている。

人家都说
飞鸟尽 良弓藏
如今满地都是豺狼狐狸
怎么反倒开始藏弓箭来了
这到底是什么道理

周りは悪党ばかりなのに
用済みだなんて
まったく道理に合わない

【飛鳥尽(盡)良弓蔵(藏)】ひちよう(てう)つきてりようきゆう(りやうきう)かくる
飛んでいる鳥がいなくなると、よいゆみがしまわれる。有能の臣も用がなくなるとすてられるたとえ。〔論衡・骨相〕

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

詩経しきょう小雅しょうが采薇さいび」より

董妃に別れを告げる張宇が詠う。元は、出征する夫とその帰還を待つ妻の詩(諸説あり)の一節だが、実際の台詞に続く「行道遲遲〜」以降の部分が、人知れず主君の死の悲しみを抱える張宇の心境に重なる。

昔我往矣
杨柳依依
今我来思
雨雪霏霏

昔 我きしとき
楊柳ようりゅう 依依いいたり
今 我来たれば
ること霏霏ひひたり

[……]
昔我往矣 楊柳依依
今我來思 雨雪霏霏

行道遲遲 載渴載飢
我心傷悲 莫知我哀

[……]
むかしわれきしとき 楊柳やうりう 依依いいたり
いまわれきたれば ゆきること霏霏ひひたり

みちくこと遲遲ちちたり すなはかはすなは
こころ 傷悲しゃうひするも かなしみを

[……]以前ここへ来たときは、やなぎの葉茂る季節であった。再びここを通る今、雪の舞い降る季節となってしまった。歩みは遅くてはかどらず、その苦しみは渇きかつ飢えるが如し。私の心は痛みむすぼれるが、この哀しみを知る者もなし。

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 小雅・采薇 pp.194-195

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん公九年より

楊修の無礼な態度を咎める伏寿の言葉。日本語字幕では意訳されている。「天威てんい咫尺しせき」で成語にもなっている。

天威不违颜咫尺
只有我们三人
那他也是君
你也是臣

我ら3人だけとはいえ
陛下のおそばですよ
そなたは臣下にすぎませぬ

[……]王使宰孔賜齊侯胙。曰、天子有事于文武。使孔賜伯舅胙。齊侯將下拜。孔曰、且有後命。天子使孔曰、以伯舅耋老、加勞賜一級、無下拜。對曰、天威不違顏咫尺。小白余、敢貪天子之命無下拜、恐隕越于下、以遺天子羞。敢不下拜。下拜登受。

通釈 [……]周の襄王は、宰孔に命じて斉の桓公に祭りに供えた肉を賜わったが、宰孔が「天子は文王・武王の廟でお祭りを行なったので、孔に命じて斉侯に祭りに供えた肉を下賜させる」という天子の言葉を伝えるや、桓公は感激して堂を下りて拝礼しようとすると、宰孔は、「さらに天子のご命令が追加されております。あなたが老人であることをいたわって優遇し、位一等を進められて堂下で拝礼するに及ばない、ということであります」と伝えた。桓公は恐縮して、「天子のご威光はわがひたい﹅﹅﹅をへだたること咫尺のほどもありません。わたくし小白は、天子の命を甘んじて受けて堂より下りて拝することをしなければ、恐らくは堂下にころげ落ちて天子をはずかしめることになりましよう。どうして下拝しないでおられましょうか」といって、堂を下りて拝し、さらに堂に登って胙をいただいた。

語釈[……]顔 ひたい(額) 咫尺 咫は八寸、尺は一尺。ごく接近している意。[……]

鎌田正『新釈漢文大系 第30巻 春秋左氏伝 一』(明治書院、1971年) pp.293-295

[天威咫尺]テンイシセキ
天子の威光がすぐ眼前にある。天子に接近して恐れ多いこと。▼咫は、八寸。〔左伝、僖公九〕

『新漢語林(第二版)』(大修館書店、2011年)

論語ろんご述而じゅつじ篇より

楊俊の身を案じる唐瑛に反論する楊修。『論語』の一節に由来し、現代では「求仁得仁」は「願ったりかなったり」の意味の成語になっているようだが、元は無欲な態度をいう話「人としての道義を第一としたことで、衛の君のように君位に執着する態度でなかったことをいう。」(金谷治訳注『論語』岩波文庫 より)

(日本語字幕で陛下〜となっているのがよくわからないが)「(楊俊は)『仁を求めて仁を得た』のだから、全うさせてやろう」として見捨てるニュアンス。

杨俊我倒不担心
这是杨俊自己的选择
他早就已经
不把自己的性命当回事了
求仁得仁
我成全他

楊俊ようしゅんは心配ない
すでに自ら
命を差し出している
だが陛下のめいには従わねば

求仁得仁 qiú rén dé rén
〈成〉願ったりかなったり.
〔語源〕『論語』の“求仁而得仁,又何怨 yuàn”(仁を求めて仁を得れば,また何をか怨まんや)から.

『中日辞典(第3版)』(小学館、2016年)

仁而得仁、又何怨 じんヲもとメテじんヲう、まタなにヲカうらマン
仁を追求して仁を得たなら、いったい何をうらむことがあろうか〈論・述而〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

孟子もうし告子章句こくししょうく上より

楊俊を慕う学生たちが、満寵による連行を阻止しようと立ちはだかる。ここでは「舎生取義しゃせいしゅぎ」と四字熟語の形で使われているが、孟子の言葉が由来。日本語字幕では意訳されている。

奸臣要再兴党锢之祸
我们都愿意舎生取义

舎生取义 舎生取义

悪臣が何をしようと
我らは屈せぬ

そうだ 我らは屈せぬ
命を懸けて守る

生而取義者也 せいヲおキテぎヲとルものなり
命をさしおいて義を求める〈孟・告子上〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

孟子曰、[……]生亦我所欲也、義亦我所欲也、二者不可得兼、舍生而取義者也、生亦我所欲、所欲有甚於生者、故不爲茍得也、[……]

孟子がいわれた。[……]生命いのちもぜひ守りたいし、義もまたぜひ守りたい。だがもし、どちらか一方を選ばねばならぬ場合には、自分は生命を捨てても、義の方を守りたい。もちろん、生命は自分の望むところだが、それよりも以上に望むところのもの(すなわち義)があるから、それを捨ててまでも、生命を守ろうとはしないまでだ。[……]

小林勝人訳注『孟子(下)』(岩波文庫、1972年) 告子章句上 pp.248-250

公開:2019.11.25 更新:2022.02.15

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