「虎嘯龍吟」に登場する古典 ④ 16〜20話(軍師連盟 58〜62)

中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」第二部「虎嘯龍吟」*注)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
*注:日本語字幕版は「虎嘯龍吟」1話を43話とし、全話連番。

目次

虎嘯龍吟 16話(58話「劉禅の宣旨」)

史記しき孫子そんし列伝より

勝利を前に劉禅に呼び戻されようとする諸葛亮に諸将が反対し、姜維が述べる。
戦に出ている大将は、ときに君主の命令に逆らっても現場を見て判断すべきであるという定番の表現。呉王闔閭こうりょ孫武孫子)を試そうと宮中の美女を兵士に見立てて指揮させたところ、ふざけて従わない美女を孫武が本当に斬り、軍規を示してみせた際の発言。『孫子』九変篇にも「君命有所不受」の表現がある。

丞相 将在外
君命有所不受

戦では
めいに背くことも必要です

[……]婦人復大笑。孫子曰、約束不明、申令不熟、將之罪也。既已明而不如法者、吏士之罪也。乃欲斬左右隊長。吳王從臺上觀、見且斬愛姬、大駭、趣使使下令曰、寡人已知將軍能用兵矣。寡人非此二姬、食不甘味。願勿斬也。孫子曰、臣既已受命爲將。將在軍、君命有所不受。斬隊長二人以徇、用其次爲隊長。[……]

[……]孫子そんしいはく、しんすですでめいけてしゃうたり。しゃうぐんりては君命くんめいをもけざるところ、と。[……]

[……]婦人たちはまたもげらげらと笑って、指揮に従わなかった。そこで孫子が言う、「合図の打ち合わせがはっきりしていなかったり、軍令の説明が行き届かなかったりするのは、指揮者の責任である。打ち合わせも説明ももうすっかりわかり切っているのにそれでも兵が決められた通りに動かないのは、士官の責任である。」と。そこで左右の両隊長を斬刑にしようとした。呉王はこれを台上から見物していたが、今や孫子が王の寵愛する婦人を斬ろうとするのを見て、たいそうびっくりして、あわてて使者を派して王としての命令を下させて言うには、「私にはもう、将軍あなたが兵を動かす力量を持っていることがよくわかった。ところで私は、今斬られようとするこの二人の婦人がいなければ何を食べてもおいしくないほど、この二人をかわいく思っているのだ。どうか二人を斬らないでほしい。」と。その時に孫子は言う。「私は、先に御命令をいただいて、将になっております。将というものは軍中にあるときは、たとい主君の御指示でも従わないことがあるものです。」と。とうとう隊長二人を斬刑にして、そのことを全軍に明示し、二人の次席の婦人を隊長にした。[……]

水沢利忠『新釈漢文大系 第88巻 史記 八(列伝一)』(明治書院、1990年) 孫子吳起列傳 pp.89-91

塗有所不由、軍有所不擊、城有所不攻、地有所不爭、君命有所不受

みちらざる所あり。軍に擊たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。

道路は〔どこを通ってもよさそうであるが〕通ってはならない道路もある。敵軍は〔どれを撃ってもよさそうであるが〔撃ってはならない敵軍もある。城は〔どれを攻めてもよさそうであるが〕攻めてはならない城もある。土地は〔どこを奪取してもよさそうであるが〕争奪してはならない土地もある。君命は〔どれを受けてもよさそうであるが〕受けてはならない君命もある。

金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 九変篇第八 pp.103-104

虎嘯龍吟 17話(59話「孔明の怒り」)

兵法へいほう三十六計さんじゅうろっけい」より
史記しき越王えつおう句踐こうせん世家せいか他より

曹叡を評する司馬昭。日本語字幕では該当部分が省略されているが、「借刀殺人」「兔死狗烹」(軍師連盟26話にも類似の表現が登場)の四字熟語が使われ、司馬懿の力に頼って諸葛亮を退けておきながら、用済みになったら廃除しようとするのか、というニュアンスになっている。兵法三十六計の一つ「借刀殺人」は日本語ではあまり馴染みがないが、頻出する表現。

借刀杀人 兔死狗烹
陛下看来是忘了
谁替他将诸葛亮阻于国门之外了

陛下は恩知らずです
父上が諸葛亮しょかつりょう
追い払ったのに

借刀杀人 jiè dāo shā rén
〈成〉他人の刀で人を殺す;〈喩〉(自分は表に立たずに)他人を利用してめざす相手を倒すこと.

『超級クラウン中日辞典』(三省堂、2008年)

第三計「借刀殺人しゃくとうさつじん」(かたなりてひところす)

 自ら直接手を下すことなく、第三者に敵を攻撃させる。

 この計には二つの利点があります。 まず、第三者の力を借りることにより、自軍の兵力をそのまま温存できます。第二に、仮にその作戦が失敗しても、自軍が直接手を下していないことを理由に、第三者に責任を転嫁できるのです。[……]

湯浅邦弘『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 孫子・三十六計』(角川文庫、2008年)

兔死狗烹 tù sǐ gǒu pēng
〈成〉ウサギが死ねば猟犬は煮て食われてしまう;〈喩〉用がなくなったかつての功労者が殺される〔免職される〕;狡兎こうと死して走狗そうくらる.

『超級クラウン中日辞典』(三省堂、2008年)

[……]范蠡遂去、自齊遺大夫種書曰、蜚鳥盡、良弓藏、狡兔死、走狗烹。越王爲人、長頸鳥喙、可與共患難、不可與共樂。子何不去。種見書、稱病不朝。人或讒、種且作亂、越王乃賜種劍曰、子敎寡人伐吳七術。寡人用其三而敗吳。其四在子。子爲我從先王試之。種遂自殺。

通釈 [……]范蠡はついに越を去り、斉から大夫の種に書簡を送って言った。「『飛鳥が射尽くされると、良弓が見棄てられ、狡兔が殺し尽くされると、猟に走り廻った良犬は煮られる』とか。越王の人柄は、頸が長く、口が烏のように尖っている。このような人物は、患難を共にすることができても、楽しみを共にすることができないのです。あなたは、どうして越を去らないのですか」と。[……]

吉田賢抗『新釈漢文大系 第86巻 史記 六(世家中)』(明治書院、1979年) 越世家第十一 pp.508-509

虎嘯龍吟 18話(60話「五丈原の戦い」)

孫子そんし謀攻ぼうこう篇に基づく?

司馬懿から文を受け取った諸葛亮が、姜維に語る。原語では「兵法にいわく〜」と言っている。
「攻心為上、攻城為下」は『三国志』馬謖伝の注に引く『襄陽記』に馬謖諸葛亮に南中征伐について進言した際の言葉として出てくる。表現は異なるが、『孫子』謀攻篇にある概念。

兵法云 攻城为下 攻心为上
司马懿也攻心了

“城を攻めるは下策
 心を攻めるは上策”
という

司馬懿しばいも心を攻めたか

襄陽記曰:建興三年,征南中,送之數十里。曰:「雖共謀之歷年,今可更惠良規。」對曰:「南中恃其險遠,不服久矣,雖今日破之,明日復反耳。今公方傾國北伐以事彊賊。彼知官勢內虛,其叛亦速。若殄盡遺類以除後患,既非仁者之情,且又不可倉卒也。夫用兵之道,攻心爲上,攻城爲下,心戰爲上,兵戰爲下,願公服其心而已。」納其策,赦孟獲以服南方。故終之世,南方不敢復反。

陳壽撰、裴松之注《三國志 四 蜀書》(中華書局,1982年) 董劉馬陳董呂傳第九 pp.983-934

『襄陽記』にいう。建興三年(二二五)、諸葛亮が南中を征討したとき、馬謖は数十里の彼方まで送って行った。諸葛亮が、「何年にもわたってともに作戦をねったが、今、もう一度良策を授けてほしい」というと、馬謖は答えていった、「南中は要害と遠隔地をたのみとして長い間服従しませんでした。今日これをうち破ったとしても、明日になればまた反旗をひるがえすでありましょう。現在、とのは国力を傾けて北伐に向われ、強力な逆賊にかかりきりになられるご予定。彼らが国内の軍事的空白を知れば、その反逆もまた早いでしょう。もしも残党をことごとく滅ぼして、後の憂いを除こうとすれば、仁者の気持からはずれる、うえに、簡単に片をつけることは不可能です。そもそも用兵の道は、心を攻めることを上策とし、城を攻めることを下策とし、心を屈服させる戦いを上策とし、武器による戦いを下策とします。願わくは、公には彼らの心を屈服させられんことを。」諸葛亮はその策を入れ、〔指導者の〕孟獲もうかくゆるすことによって南方を屈服させた。そのため諸葛亮がこの世を去るまで、南方は二度と反乱をおこそうとはしなかったのである。

陳寿、裴松之注、井波律子訳『正史 三国志 5 蜀書』(ちくま学芸文庫、1993年) 董劉馬陳董呂伝 第九 pp.257-258

孫子曰、凡用兵之法、全國爲上、破國次之、全軍爲上、破軍次之、全旅爲上、破旅次之、全卒爲上、破卒次之、全伍爲上、破伍次之、是故百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也、

 孫子わく、凡そ用兵の法は、国をまっとうするをじょうし、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。りょを全うするを上と為し、旅を破るはこれに次ぐ。そつを全うするを上と為し、卒を破るはこれに次ぐ。を全うするを上と為し、伍を破るはこれに次ぐ。の故に百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

[……]軍は一万三二千五百人の部隊、旅は五百人、卒は五百人から百人、伍は百人から五人までの軍隊編成。

 孫子はいう。およそ戦争の原則としては、敵国を傷つけずにそのままで降伏させるのが上策で、敵国を討ち破って屈服させるのはそれには劣る。軍団を無傷でそのままの降伏させるのが上策で、軍団を討ち破って屈服させるのはそれには劣る。旅団を無傷でそのまま降服させるのが上策で、旅団を討ち破って屈服させるのはそれには劣る。大隊を無場でそのまま降服させるのが上策で、大隊を討ち破って屈服させるのはそれには劣る。小隊を無傷でそのまま降服させるのが上策で、小隊を討ち破って屈服させるのはそれには劣る。こういうわけだから百たび戦闘して百たび勝利を得るというのは、最高にすぐれたものではない。戦闘しないで敵兵を屈服させるのが、最高にすぐれたことである。

故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城、攻城之法、爲不得已、[……]

 故に上兵はぼうつ。其の次ぎはこうを伐つ。其のは城を攻む。攻城の法はむを得ざるが為めなり。[……]

 そこで、最上の戦争は敵の陰謀を〔その陰謀のうちに〕破ることであり、その次ぎは敵と連合国との外交関係を破ることであり、その次ぎは敵の軍を討つことであり、最もまずいのは敵の城を攻めることである。城を攻めるという方法は、〔他に手段がなくて〕やむを得ずに行なうのである。[……]

金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 謀攻篇第三 pp.44-47

孫子そんしけい篇(始計しけい篇)より

魏延の策に反対する姜維11話にも登場した表現。

兵者 国之大事
将军既知全国之数尽数在此
又怎能于险中求万一之胜

“兵は国の大事”
国の命運が懸かっている時に
なぜ博打ばくちを?

孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也、故經之以五事、校之以計、而索其情、[……]

 孫子そんしわく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれをはかるに五事を以てし、これをくらぶるにけいを以てして、共の情をもとむ。[……]

 孫子はいう。戦争とは国家の大事である。〔国民の〕死活がきまるところで、〔国家の〕存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮せねばならぬ。それゆえ、五つの事がらではかり考え、〔七つの〕目算で比べあわせて、その時の実情を求めるのである。[……]

金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 計篇第一 pp.26-28

戦国策せんごくさくちょう策他より

期限が来れば司馬家が滅ぼされると憂慮し、命令なく勝手に出陣しようとする司馬昭を、司馬師が制止するが……。四字熟語としての使用だが、好きな場面なので引用。「覆巣毀卵」は『戦国策』他に見られる「有覆巣毀卵、而鳳凰不翔」(巣を覆して卵を壊す者があると、鳳凰は飛び立たない)に由来し、元のニュアンスとは多少異なる気もするが、「覆巣無完卵」(根本が無くなれば末端も無事ではいられないという比喩で、孔融が処刑された際に子が述べた言葉)と同様の意味で使われるようである。
字幕は「全滅するような真似はしませぬ」と曖昧だが、「覆巣毀卵」=司馬家が滅ぼされるのならばここで死んでも同じことだから、(挑戦を)諦めはしない、というニュアンスではないだろうか?

(司马昭)
我就帯我自己麾下那些兵
胜了自然好
败了于我军也并无大损

(司马师)
什么叫并无大损
什么叫并无大损
你的命不值钱

(司马昭)
覆巢毁卵 我不甘心
也该我为咱们家做点事儿了

(司马昭)
失敗しても軍に影響はない
私の兵を使います
 

(司馬師)
影響がないだと?
何を言っておる
お前の命は?

(司馬昭)
全滅するような真似はしませぬ
私も家に貢献せねば

[……]臣聞之、有覆巢毀卵、而鳳凰不翔、刳胎焚夭、而騏驎不至。今使臣受大王之令、以還報、敝邑之君畏懼、不敢不行、無乃傷葉陽君涇陽君之心乎。秦王曰、諾。勿使從政。諒毅曰、敝邑之君、有母弟不能敎誨、以惡大國。請黜之、勿使與政事、以稱大國。秦王乃喜、受幣而厚遇之。

通釈 [……]臣の聞くところによりますと、『巣を覆して卵をこわす者があると、鳳凰は飛び立たないし、胎児を割き出し幼児を焼き殺す者があると、麒麟は世に現れない』と申します。[……]

林秀一『新釈漢文大系 第48巻 戦国策(中)』(明治書院、1981年) 戰國策趙卷第六 二六九、秦攻魏取寧邑 pp.864-868

【覆巣(巢)無完卵ふくそう(さう)かん(くわん)らんなし ひっくりかえった巣の下には完全なたまごはない。根本がほろびると、枝葉もしたがってほろびるたとえ。〔世説・言語〕

『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)

孔融被收、中外惶怖。時融兒大者九歲、小者八歲。二兒故琢釘戲、了無遽容。融謂使者曰、冀罪止於身。二兒可得全不。兒徐進曰、大人豈見覆巢之下、復有完卵乎。尋亦收至。

通釈 孔融が捕らえられると、朝廷の内外は震え上がった。当時、孔融の子供は、大きい方が九歳、小さい方が八歳であった。二人は釘刺しあそびをしたまま、一向にうろたえる様子もなかった。孔融は、使者にいった、「どうか罪はわが身だけにお止め下さい。二人の子供はお助け願えるでしょうか。」子供は徐ろに進み出ていった、「父上、ひっくり返った巣の下に、割れない卵があるでしょうか。」まもなく、また使者が、子供たちを捕らえにやって来た。

目加田誠『新釈漢文大系 第76巻 世説新語(上)』(明治書院、1975年) 言語第二 pp.80-81

虎嘯龍吟 20話(62話「孔明からの贈り物」)

漢武帝(劉徹りゅうてつ)「秋風辞しゅうふうじ」より

五丈原の陣中で諸葛亮が吟じる。

入秋了
秋风起兮白云飞
草木黄落兮雁南归
欢乐极兮哀情多
少壮几时兮奈老何

もう秋だな
“秋風起きて 白雲が飛び”
“草木 黄落して
 かりは南に帰す”
“歓楽極まりて 哀情多し”
少壮しょうそう 幾時いくとき
“老いを奈何いかんせん”

秋風起兮白雲飛
草木黃落兮雁南歸

蘭有秀兮菊有芳
懷佳人兮不能忘
汎樓船兮濟汾河
橫中流兮揚素波
簫鼓鳴兮發棹歌
歡樂極兮哀
少壯幾時兮奈老何

秋風しうふうおこって、白雲はくうんび、
草木さうもくばみちて、かりみなみかへる。

[……]
歡樂くゎんらくきはまりて、あいじゃうおほし。
少壯せうさう幾時いくときぞ、おい奈何いかにせん。

 秋風吹き来たって、白雲飛びかい、満山まんざんの草木は黄ばみ落ちて、雁も南へ帰りゆく。[……]されどかかる歓楽のきわまるところ、かえって悲しみの湧きくるを覚える。少壮歓楽のときはいつまでつづき得るものぞ。人生ははかない。やがておそいくる老衰をいかにしようぞ。

内田泉之助『漢詩大系 第四巻 古詩源 上』(集英社、1964年) 巻三 漢詩 p.76

公開:2022.07.03 更新:2022.07.25

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