「虎嘯龍吟」に登場する古典 ③ 11〜15話(軍師連盟 53〜57)
中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」第二部「虎嘯龍吟」*注)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
*注:日本語字幕版は「虎嘯龍吟」1話を43話とし、全話連番。
目次
- 虎嘯龍吟 11話(軍師連盟 53話 郭照奪還の策)
- 虎嘯龍吟 12話(軍師連盟 54話 杖刑の痛手)
- 虎嘯龍吟 13話(軍師連盟 55話 陳倉の戦い)
- 虎嘯龍吟 14話(軍師連盟 56話 曹真の死)
- 虎嘯龍吟 15話(軍師連盟 57話 北伐再開)
虎嘯龍吟 11話(53話「郭照奪還の策」)
①『史記』越王句踐世家より(?)
②『孫子』計篇(始計篇)より
冤罪で投獄された郭照を救うため、曹真と組む策を語る司馬懿と柏霊筠。
聖人は「兵は凶器なり」というが、孫子は「兵は国の大事」ともいう、と並列している。「兵は凶器なり」という言葉は各書に出てくる。聖人とは孔子を指すこともあるが、ここでは一般的な語かもしれない。『史記』では、越の范蠡が古言として述べている。
这拿不拿得回来
关键不在于皇帝
而在于西蜀
圣人说
兵者 凶器也
孙子却说
兵者 国之大事
死生之地 存亡之道
这诸葛亮征战为的是一国存亡
他不会罢休的
能不能拿得回来
就看他能不能战胜曹真鍵となるのは
陛下ではなく蜀の動きです“兵は凶器なり”といいます ①「兵法」では“兵は国の大事
死生の地 存亡の道”とも ②
諸葛亮は国の存亡をかけて
戦うでしょう
曹真を下せば
仲達様にも可能性が
①
【兵者凶器】へいなるものはきようき
武器というものは、人をそこなう不吉な道具である。〔史・越王勾践世家〕兵ナル者ハ凶器也、戦ヒナル者ハ逆徳也『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)
①
三年、句踐聞吳王夫差日夜勒兵、且以報越、越欲先吳未發、往伐之。范蠡諫曰、不可。臣聞、兵者凶器也。戰者逆德也、爭者事之末也。陰謀逆德、好用凶器、試身於所末、上帝禁之、行者不利。越王曰、吾已決之矣。遂興師。
三年に、句践は、呉王夫差が日夜兵を整備し、越に復讐しようとしていると聞いて、呉がまだ兵を発しないうちに、こちらから行って呉を伐とうと欲した。范蠡が諫めて言った。「いけません。兵は凶器であり、戦いは逆徳であり、争いは末の事と聞いております。ひそかに逆徳を謀り、好んで凶器を用い、身を事の末たる争いに試みるのは、天帝が禁じています。それを行う者は不利です」と。越王は言った。「わしはもう決めてしまったのだ」と。ついに越王は出兵した。
吉田賢抗『新釈漢文大系 第86巻 史記 六(世家中)』(明治書院、1979年) 越世家第十一 pp.495-496
②
孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也、故經之以五事、校之以計、而索其情、[……]
孫子曰わく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれを経るに五事を以てし、これを校ぶるに計を以てして、共の情を索む。[……]
孫子はいう。戦争とは国家の大事である。〔国民の〕死活がきまるところで、〔国家の〕存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮せねばならぬ。それゆえ、五つの事がらではかり考え、〔七つの〕目算で比べあわせて、その時の実情を求めるのである。[……]
金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 計篇第一 pp.26-28
?(出典不明)
曹真に兵権を渡すことを決断する司馬懿の言葉。出典がわからなかったが、「不捨不得、小捨小得、大捨大得」で慣用句(?)のようで、印象的な表現のため引用。(なお現代中国語で「舍不得(または不舍得)」は〜し難い・〜することを惜しむの意味、「舍得」はその逆で惜しまないの意味)
舍得舍得
不舍不得
小舍小得
大舍
大得惜しみはせぬ
捨てればよい
思い切りが肝要だ
大きく捨て—
大きく得る
①『詩経』大雅・蕩之什「桑柔」より
②『詩経』国風・邶風「雄雉」より
諸葛亮に実子が生まれ、配下たちが祝福する中、諸葛瞻と名付ける。
いずれも『詩経』より。「桑柔」(長いため全文は省略)は周の暴君厲王を批判した詩、「雄雉」は出征した夫を思う妻の詩とされる(引用した訳では祖霊を招く詩としている)。祝福の場面にしては決して明るい内容ではなく、蜀漢の現状と行く末、諸葛瞻の運命までも暗示するようである。
(诸葛亮)
瞻 瞻望的瞻
就叫他诸葛瞻
怎么样啊(蒋琬)
好好好
维此惠君 民人所瞻
好名字啊(诸葛亮)
瞻彼日月 悠悠我思
愿他的目光 能看得更远
能看到山河统一 天下太平啊(諸葛亮)
“瞻”だ“瞻望”の瞻だ
諸葛瞻としよう どう思う?(蒋琬)
よい名です“仁君
民心の瞻るところなり” ①(諸葛亮)
“かの月日を瞻て
悠々と我 思う” ②
遠くまで見渡せるように
なってほしい
天下太平の光景を
見据えるのだ
【瞻望】センボウ ①遠望する。〈詩・魏・陟岵〉 ②尊敬して慕う。
『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)
①
菀彼桑柔 其下侯旬
捋采其劉 瘼此下民
不殄心憂 倉兄填兮
倬彼昊天 寧不我矜[……]
維此惠君 民人所瞻
秉心宣猶 考愼其相
維彼不順 自獨俾臧
自有肺腸 俾民卒狂瞻彼中林 甡甡其鹿
朋友已譖 不胥以穀
人亦有言 進退維谷維此聖人 瞻言百里
維彼愚人 覆狂以喜
匪言不能 胡斯畏忌
[……][……]
維れ此の惠君は 民人の瞻る所[……]通釈 よく茂った彼の若い桑の木、その木陰は薄暗い。桑の葉を摘みに摘んで、桑の木は葉がまばらとなり、人々を病み苦しめる。心の憂いを絶つことなく、悲しみ、さらに病み苦しむ。彼の広大な天は、どうして我らを憐れむことをしないのか。
[……]
民を慈しむ君は、民も仰ぎ見るもの。その君の心配りは明らかで道理にかない、その輔佐するものを慎重に選ばれる。しかし彼の無道のものは、自らを正しいと思い込む。私心のままに振る舞い、民をことごとく惑わせる。
彼の林の中を見れば、鹿が群れなしている。友とは既に仲違いし、互いに誹り遭う。人が言うではないか。進退を善くせよ、と。
聡きものは、(この世の中を)見ていろいろと憂う。(しかし)愚かなものは、かえってむやみに喜ぶ。諫めることができないのではない。どうして恐れ憚るのか。
[……]石川忠久『新釈漢文大系 第112巻 詩経(下)』(明治書院、2000年) 大雅・蕩之什・桑柔 p.223
②
雄雉于飛 泄泄其羽
我之懷矣 自詒伊阻雄雉于飛 下上其音
展矣君子 實勞我心瞻彼日月 悠悠我思
道之云遠 曷云能來百爾君子 不知德行
不忮不求 何用不臧[……]
彼の日月を瞻るに 悠悠として我思ふ
道の云に遠ければ 曷か云に能く來らん
[……]通釈 [……]天を仰いで月や太陽をながめ、私の心は心配になる。(祖霊がこの世に光臨なさる)道のりは遠く長く、いつになったらここにたどりついて下さるであろう。[……]
(語釈より)〇悠悠我思 「悠」は「憂」の仮借字。うれわしい。この句は邶風「終風」篇、鄭風「子衿」篇ほか、『詩経』中に多く見られる。
石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 邶風・國風・雄雉 pp.92-94
『孫子』謀攻篇より
諸葛亮を防ぐ大将軍曹真の副都督として、司馬懿を推挙する陳羣。第7話にも登場した『孫子』の兵法。
大将军
王双 张郃 郭淮
此等皆沖锋陷阵用兵之人
古人云 上兵伐谋
司马懿 伐谋之人也
前番司马懿收复三郡
对诸葛亮知之甚深
诸葛亮用兵奇诡
大将军还须
多一运筹帷幄之臣 在侧商量为好大将軍
王双 张郃 郭淮らは
確かに勇猛な将です“上兵は謀を伐つ”
司馬懿は策に長けております
3郡を奪回したのも
その知謀ゆえです
諸葛亮は奇策を弄す
対する大将軍には
策士が必要でしょう
上兵伐㆑謀 じょうへいハぼうヲうツナリ
訳 最上の戦とは陰謀をうち破ることである〈孫・謀攻〉『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)
虎嘯龍吟 12話(54話「杖刑の痛手」)
古詩十九首・第一首より
姜維の偽装投降を信じ込む曹真の言葉。日本語字幕では意訳されているが、「いわゆる『胡馬は北風に依る』だ」と言っている。「古詩十九首」に由来する慣用句で、軍師連盟8話でも登場した。
不必多虑
这姜维呢 本就是我魏国人
他不幸被诸葛亮所擒
这投降是权宜之计
所谓胡马依北风
谁不念故国呀考えすぎるな
姜維は もともと魏の人間だ
諸葛亮に捕らえられ
投降を偽っているだけ
故郷を懐かしまぬ者など
いるはずがない
【胡馬依㆓北風㆒】こばはほくふうによる
北方の胡地(モンゴル地方)に生まれた馬は北風がふいてくると身を寄せて故郷をなつかしがる。故郷のわすれがたいたとえ。〔古詩十九首〕胡馬ハ依㆓リ北風㆒ニ、越鳥ハ巣㆓クフ南枝㆒ニ『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)
虎嘯龍吟 14話(56話「曹真の死」)
『孟子』公孫丑章句下篇より
魏が蜀に勝る点を曹叡に語る司馬懿。第5話などにも登場した「天の時、地の利、人の和」。
(曹叡)
朕明白了
爱卿的意思就是说
如果君臣不相知的话
你便胜不了(司马懿)
天时 地利 人和
人和最为重要(曹叡)
分かったぞ
君主が臣下を解さぬと
戦に勝てぬと申すのだな
(司馬懿)
天の時 地の利 人の和のうち
人の和が最も重要です
孟子曰、天時不如地利。地利不如人和。三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。夫環而攻之、必有得天時者矣。然而不勝者、是天時不如地利也。城非不高也。池非不深也。兵革非不堅利也。米粟非不多也。委而去之、是地利不如人和也。
通釈 孟子がいうに、「国君がすべて事をなす場合には、天の時(天然自然の現象のその時々の変移や状態。たとえば四季・晴雨・寒暑・昼夜・方角など)の宜い時を選ぶことも大切だが、それよりも地の利(土地の自然状態が都合よくなっていること。たとえば山河の険、城池の堅固さ)の宜いのを選ぶことには及ばない。しかし、その地の利の宜いということも、一国中の人心がよく和合し固く団結していることには、なお及ばないものである。一国民心の和合しているということは、君が国事を行なう場合に、このように、最も大切な条件である。[……]」
語釈
〇天時 四季・晴雨・寒暑・風水・昼夜・方角など、すべて天然自然の現象のその時々の変移や状態を言う。[……]
〇地利 山河の険とか、城池の深さとか、すべて攻められ難い地勢の有利さのあることを言う。
〇人和 民が皆心を合わせ一致団結して国のためにつくすことをいう。
[……]内野熊一郎『新釈漢文大系 第4巻 孟子』(明治書院、1962年) 公孫丑章句下 pp.121-122
『史記』越王句踐世家より(?)
諸葛亮と休戦してはどうかと言い出す張春華に司馬懿が答える。第11話にも登場した「兵は凶器なり」。
这天下的纷争
要真能像你说的这样
那岂不容易了吗
蜀国没了诸葛亮还有姜维
大魏没了我
还有张郃曹爽
兵者 凶器也
本应不得已而为之
[……]天下を分ける戦が
話し合いで片づくものか
我らが退いても蜀には姜維—
我が国には張郃や曹爽がいる“兵は凶器なり”
ままならぬものよ
[……]
『詩経』大雅・蕩之什「抑」より
李厳を利用する策について柏霊筠と話し合う司馬懿。「投之以桃、報之以李」は貰ったらお返しをする(のが礼儀である)、善行をすれば善行が返ってくるといったニュアンスで使われる表現のようで、作中では報復の「お返し」だが、一般的には良い意味で使われる? 元となった詩経の「抑」は軍師連盟26話にも登場した。
なお、この後のコメディパートにも繋がる「依依東望」は(諸葛亮が孟達へ送った文の一節、第7話参照)、これまでにもキーワードとして登場した。
昔日 他以孟达使诈
使我大魏首尾不能相顾
他投之以桃 我报之以李
依依东望 彼此彼此かつて奴は孟達を使い
魏を混乱に陥れた
やられたことを仕返すまで“東を眺めやる”
お互い様だ
[……]
辟爾爲德 俾臧俾嘉
淑愼爾止 不愆于儀
不僭不賊 鮮不爲則
投我以桃 報之以李
彼童而角 實虹小子
[……][……]
爾が德を爲すに辟りて 臧からしめ嘉からしむ
淑く爾の止を愼み 儀を愆らず
僭はず賊はざれば 則と爲らざること鮮なし
我に投ずるに桃を以てすれば 之に報ゆるに李を以てす
彼の童にして角あるとせば 實に小子を虹す
[……]通釈 [……]そなたが(祖公より継いだ)徳に基づく姿を手本とさせ、善き行いを奨励なされ。振る舞いを慎み、威儀を誤ることなく、(振る舞いを)違わず、損なわなければ、(みなの)手本となろう。我に桃を投げれば、李をもって報いよう(と言うではないか)。もし子羊に角がある(と言うものが側にいる)ならば、若者を乱すばかりだ。[……]
(語釈より)〇投我以桃 報之以李 この二句は、鄭箋に「投は猶ほ擲のごときなり。此れ善往けば則ち善来たり、人行ひて其の報いをうけざる無きを言ふなり」とある如く、因果応報を言う。「投」は、擲つの意。水上静夫『中国古代の植物学の研究』は、投果の習俗に関連して、この句は「必然性の比喩」に用いており、「桃李を相愛の男女の相贈答の社会的風習から転用した、広義の用法である」と言う。
石川忠久『新釈漢文大系 第112巻 詩経(下)』(明治書院、2000年) 大雅・蕩之什・抑 pp.208-220
王粲『登楼賦』より
李厳の元を訪れた柏霊筠が、掛軸に記された言葉を引いて語る。王粲が曹操に仕える以前、劉表の元に居た頃に詠んだ賦。
真是巧
妾的母亲也是益州人呢
又比如这宇画
人情同于怀土兮
岂穷达而异心
出自王粲的登楼赋
这说的是人对家乡的怀念之情
并不会因为穷困
或是显达而有所不同
李都护 你以为呢たまさか私の母も益州人です
書のとおり—“人情 土を懐かしむ”“窮達して心を異にせず”
王粲の「登楼賦」ですね
故郷を思う心情を
詠んだものです
貧しくとも栄えても
望郷の念は同じ
李都護 違いますか
登茲樓以四望兮、聊暇日以銷憂。覽斯宇之所處兮、實顯敞而寡仇。挾淸漳之通浦兮、倚曲沮之長洲。背墳衍之廣陸兮、臨皋隰之沃流。北彌陶牧、西接昭丘。華實蔽野、黍稷盈疇。雖信美而非吾土兮、曾何足以少留、
遭紛濁而遷逝兮、漫踰紀以迄今。情眷眷而懷歸兮、孰憂思之可任。憑軒檻以遙望兮、向北風而開襟。平原遠而極目兮、蔽荆山之高岑。路逶迤而脩迥兮、川既漾而濟深。悲舊鄕之壅隔兮、涕橫墜而弗禁。昔尼父之在陳兮、有歸歟之嘆音。鐘儀幽而楚奏兮、莊舄顯而越吟。人情同於懷土兮、豈窮達而異心。
惟日月之逾邁兮、俟河淸其未極。冀王道之一平兮、假高衢而騁力。懼匏瓜之徒懸兮、畏井渫之莫食。步棲遲以徙倚兮、白日忽其將匿。風蕭瑟而並興兮、天慘慘而無色。獸狂顧以求羣兮、鳥相鳴而舉翼、原野闃其無人兮、征夫行而未息。心淒愴以感發兮、意忉怛而憯惻。循堦除而下降兮、氣交憤於胸臆。夜參半而不寐兮、悵盤桓以反側。[……]人情土を懷ふに同じ、豈窮達して心を異にせんや。[……]
[……]故郷を懐かしむ心は、人間だれでも同じことで、困窮していようと、栄達していようと、変わりはないのである。[……]
高橋忠彦『新釈漢文大系 第80巻 文選(賦篇)中』(明治書院、1994年) 登樓賦(王仲宣) pp.227-230
虎嘯龍吟 15話(57話「北伐再開」)
「兵法三十六計」より(『淮南子』兵略訓に基づく?)
諸葛亮を評する司馬昭。日本語字幕では意訳されているが、第六計「声東撃西」、および第十五計「調虎離山」(第5話他にも登場)が用いられている。また、『淮南子』兵略訓には「将欲西而示之以東」(西に行こうとするときは、東に行くように見せる)という内容がある。
声东击西调虎离山
竟让我们毫无颉颃之力諸葛亮は詭計に長けた天才です
太刀打ちできない
声东击西
成 口では東を撃つように言って,西を撃つ.奇計で虚をつく『超級クラウン中日辞典』(三省堂、2008年)
第六計「声東撃西」(東に声して西を撃つ)
東を攻めるように見せかけて声を上げ、実は西を攻める。
典型的な陽動作戦です。実態とは逆の偽形を敵に示し、敵の混乱を誘った上で、手薄になったところを撃つ。唐の杜佑の通典兵六に「声、東を撃つと言いて、其の実は西を撃つ」と見えます。[……]
湯浅邦弘『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 孫子・三十六計』(角川文庫、2008年)
第六 示弱 示怯 示緩 聲言擊東其實擊西 示形在彼而攻於此 示無備設伏取之 示強 敵軍攻城久不下師老擊敗之
夫飛鳥之摯也、俛其首、猛獸之攫也、匿其爪。虎豹不外其牙、而噬犬不見齒。故用兵之道、示之以柔而迎之以剛、示之以弱而乘之以強、爲之以歙而應之以張、將欲西而示之以東、先忤而後合、前冥而後明。若鬼之無跡、若水之無創。故所鄕非所之也、所見非所謀也。舉措動靜莫能識也。若雷之擊、不可爲備。所用不復。故勝可百全。與玄明通、莫知其門。是謂至神。
[……]故に兵を用ふるの道は、之に示すに柔を以てして之を迎ふるに剛を以てし、之に示すに弱を以てして之に乘ずるに強を以てし、之を爲すに歙を以てして之に應ずるに張を以てし、將に西せんと欲して之に示すに東を以てし、先には忤ひて後には合ひ、前には冥くして後には明かなり。[……]
そもそも、飛鳥が獲物を襲うときは、その首を伏せる。猛獣が獲物を襲うときは、その爪を隠す。虎豹はその牙を外に見せないし、猛犬は歯を現さない。用兵の道は、柔とみせかけて剛によってこれを迎え、弱とみせかけて強によってこれに勝ち、歙(縮小)を行いながら、張(拡大)によって対応し、西に行こうとしては東に行くかに見せかけ、初めは齟齬するかのようで、終わりには合致し、初めは暗いようで終わりには明るくなる。あたかも鬼神が迹を残さぬようであり、水に傷口が残らないようでもある。つまり向かう所は〔実際に〕行く所ではなく、現すものは、〔ひそかに〕策謀したものではない。〔その〕挙措と動静を見分けられる者はないので、〔その攻撃は〕雷の落ちるがごとく、防備のしようがない。また一度用いた戦術は二度とくり返さない。かくて勝利は万全というべく、玄明の境地に通じて、その門戸を知る者とてない。これこそ至神とは言うのである。
楠山春樹『新釈漢文大系 第62巻 淮南子(下)』(明治書院、1988年) 巻十五 兵略訓 pp.869-870
公開:2022.06.25 更新:2022.07.16